第三話 Points Of Authority
『この世で最も弱い暴君』――それが能力検体名『暴君の心』を指す異名として、最も適した異名である。ありとあらゆるものから嫌悪され、嫌忌される存在。その姿を見れば眉間にしわがより、その噂や声を耳にすれば思わず耳をふさぎ、そしてその言葉を己が口で吐き出す時、あらゆる負の感情が入り混じったかのように口元が歪む。そんな世界で最も嫌われ者の姿が、穂村と同じ年齢の平凡な少年だと誰が想像できたであろうか。
「てめぇが噂に聞いていたクソに糞を重ねたようなゴミ野郎か……」
そして無意識に負の感情を相手に芽生えさせる少年が、憤怒を携えた少年と相対すればどうなるか、想像に容易い。
「ブチ殺してやるよ……ッ!」
即座に身に纏われる蒼い焔。少年が何かしらの反応を見せる前に穂村は即座に目の前にまで急接近。そして握りしめられた右手から、内に秘めた碧い輝きが漏れ出していく――
「蒼拳――」
――爆砕ッ!!
「っ――」
有無を言わさぬ純粋な破壊。少年の懐で炸裂した蒼き爆風はその場にとどまることなく周辺のビル群全てをなぎ倒していく――――はずだった。
「――“やめて”よ」
「ッ!?」
蒼の拳はまるで小火のように軽く吹き消され、そして拳もまた同様に振り抜かれることも無く少年の鼻先数ミリのところで釘づけにされたかのように止められている。
「何だと……!」
一体どんな力で全力の右ストレートを相殺したのか。理由は分からないままに穂村は更に顔面を蹴り飛ばそうと今度は炎を纏った回転蹴りを繰り出したが――
「だから“やめて”ってば」
完全に首から上を蹴り飛ばす勢いで放った脚が、今度は少年の耳のすぐ手前で寸止めされてしまう。無論少年は一切手を出しておらず、傍目に見ればまるで口先だけで穂村の動きを制御しているかのように感じ取られる。
「どういうことだ!?」
「どういうことって……ハァ……そりゃ無いでしょ」
近接攻撃が効かないと理解するや否や距離を取った穂村は、次に手元に小型の青い球体の練成を開始する。
「これならどうだ……!」
それは緋山を一撃で退場せしめた焔であり、Sランクにも通用すると確信できる大技。これをもってすれば流石の暴君でも少しは黙らせることができると踏んだ穂村は、高らかに相手の焼失を宣言する。
「消し飛べ――」
「何度も言わせないで。“攻撃をやめて”ってば」
「――ッ!?」
――その瞬間、穂村の全身から炎が“消えた”。
「……んだよ、一体何が起きたってんだよ!?」
内に秘められた焔は増幅すれど、外へと放出される事が無い。それどころか相手に対する殺意はあれど、攻撃しようという敵意が湧き出でてこない。
「フザケんなよ……てめぇ何をしやがった!?」
「きっ、きみの方こそいきなり怖いことをしないで貰える? 何で僕と君が戦わなくちゃいけないんだい?」
少年の言うことは最もであった。どうして出会ってものの数秒と経たないうちに、襲撃されなければならないのか。ここがそういう場でなければ、この言い分は百パーセント通っていたに違いないであろう。
ただし、この言い分を言っているのが穂村の目の前の暴君である限り、絶対にこの言い分は通ることは無い。それどころかどんな言い訳ですら、彼を攻撃してはならない理由にならない。ならないのである。
「どうして……? ハッ、それはてめぇが一番知っているだろうが! てめぇが一番――ッ!?」
穂村はそこで言葉が詰まってしまった。それは単にこの少年に対する嫌悪感が切れたからだということではない。この少年に、暴君を形容する言葉に詰まったからである。
「……どうでもいいだろうが!! てめぇがうぜぇからブチ殺す。それ以上も以下もねぇ」
「……どうせ無駄な気がしなくもないけど、きみにも一応ためしに訊いてみるよ」
少年の事情など、穂村にとってはどうでもよかった。しかし暴君にとって、目の前に現れる一人一人に、僅かな希望をかけてこんな声をかけるつもりだった。
――“ぼくと、友達になりませんか?”
「……ハァ? ……クヒャッ、クククク、ヒャハハハハハッ!!」
その時だけは、その瞬間だけは。穂村は自然の己の内に潜み消え去っていたはずの『アイツ』と考えが一致し、そして同じような嘲笑の声を挙げた。
「俺が、お前と友達だと……? てめぇ、人をコケにするのも大概にしておけよ」
普通ならば友好的なはずの一言が、ありとあらゆる人間の逆鱗に触れる一言へと変化していく。
「てめぇは虫ケラのように殺されるのが、全人類にとってのハッピーエンドなんだ――」
「――うるさぁあああああああああい!!」
穂村の怒声を一瞬にしてかき消す暴君の咆哮。それは廃ビルにかろうじて取り付けられていた窓ガラス全てを打ち破って外へと広がっていく。
「はぁ……はぁ……」
「チッ、ふざけやがって……」
ダイヤモンドダストのごとく、キラキラと光を反射させて降ってくる破片の数々。破壊的な光景の中、ついに『焔』と『暴君の心』の戦いが始まる。
「――蒼蓮拍動!!」
蒼き焔を見に纏い、穂村は今度は直線的ではなく暴君の視界から外れるために敢えてビルの壁ギリギリを上昇しながら飛び、そして真上から暴君に拳を叩きつけるために死角から飛びこんだ。
しかし――
「ぼくから、“離れろ”ぉ!!」
暴君の“号令”がかかった途端、接近していた穂村だけでなく周囲に降り注ごうとしていたガラス片すら全て少年のいる場所から弾き飛ばされる。
「うおっ!?」
弾け飛ぶガラス片を防御しながらも、穂村は体勢を取り直して今度は紅蓮の焔を見に纏い始める。
「F・F・F――装填式焔龍弾!」
穂村は今度は指先に焔を集約させ、そしてそれら一つ一つをまるで銃弾のようにはじき出し始める。
「一発目! 二発目!」
右、左と弾かれる一発一発が極大の破壊力を持つ炎の弾丸。しかしそれらですら暴君に届くことは無い。
「っ、“弾けろ”!」
言葉一つで弾丸は暴君に届く前に暴発し、その場に爆散して破片を散らしていく。
「近距離は無駄、遠距離も無駄……どうすりゃ倒せるんだよ……!」
言葉一つで全てを支配する王――しかし一切の支持を得られることなく忌み嫌われる哀れな王。それが『この世で最も強い暴君』の正体であり、『暴君の心』であった。
「ッ! だったらいっそ……!」
穂村は見に纏っている全ての焔を自ら消し去り、そして無防備な姿を曝け出しながら一歩一歩と暴君の元へと近づいていく。
「急に何を……?」
暴君は状況を理解できずにいた。それまで苛烈な攻撃を仕掛けてきた相手が、突如として無作為にこちらに向かって足を進めているという状況に。
「一体何をする気!?」
「…………」
問いにすら一切答える事無く、穂村はひたすらに歩みを進めるのみ。その攻撃とも取れない動作を前に、元は単なる少年でしかなかった暴君が自ら攻撃を仕掛けようとは考えることが出来なかった。
しかしそれこそが、穂村にとっての最大の狙いだった。
「…………」
「く、来るな! それ以上詰め寄るなら、ぼくだって反撃するからな!」
口では警告しようとも、がくがくと震える足が説得力を完全に消し去っている。その時点で穂村は内心ほくそ笑むことしかしなかった。
そして間近にまで迫ったその時――
「がっ――ッ!?」
突然として振り抜かれる右の拳。それが暴君の左の頬を捕らえてそのまま打ち抜いていく。
「がっ、ごっ、ぐふっ!」
三度のバウンドの末に地面を擦りながら倒れる暴君を見て、穂村はやはりといった様子で握りしめていた拳にさらに力を入れる。
「全く、とことん不愉快な野郎だぜ……アァ!? 自分からは決して手を出さねぇってか!? クズの癖に一丁前の騎士道精神ってかぁ!? アァ!?」
最強であるにもかかわらず、自らは決して戦いを好まない。その高慢とも取れる行動が、穂村の神経を更に逆なでする。
「だったら望みどおりブチ殺してやるから、覚悟しろよクソ野郎が……!」
「うぅ……なんだよ、結局きみも他の人と同じ……だったらもういいよ……!」
少年は何とか状態を起こし、そして穂村に対して同じように恨むような視線を向けて、最後にこう言い放った。
「きみなんか大っ嫌いだ!! “どっかいってしまえ”!」
「――ッ!」
その瞬間、穂村の体はまるで重機と真正面からぶつかったかのように吹き飛ばされ、そのままビルの壁へと叩きつけられる。
暴君の命には誰も逆らうことなどできない。この世界にいる限り、それは不変的なものであり、人間である限り誰も彼の言葉に逆らうことが出来ない。
故に暴君。故に傷心。少年の性根は心優しい。しかし言葉がそれを遮っている。力が、彼の存在を忌まわしきものへと変えている。
――故に、『暴君の心』。
「はぁ……はぁ……」
少年は自らに襲い掛かる恐怖を振り払っただけ。しかしそれは相手にとっては死と同等のものをもたらしている。その結果だけがまたしても広まり、唾棄の対象となってしまう。
「……これで、終わり――」
――と思われたその時だった。穂村正太郎が突き刺さったビルが、一瞬にして灰となって崩れ落ち、ビルがあった場所を中心にして辺りには熱のこもった粉塵が散らばっていく。
「げほっ、ごほっ……!」
「アァー、ようやくオレ様が表に出れたかと思ったら、まさか『アイツ』が逆にどっかいっちまうとはよぉ……ククク、ヒャーハハハハッ!!」
煙が晴れたその先――まるで灰を被ったかのような髪色に、まるで内に秘めた熱を表すかのような紅の瞳を持った少年が姿を現す。
「ッ!? だっ、誰!?」
「ダレって言われちまってもよ……この姿は知っているはずだぜェ……? ナァ、オイ! むしろオレ様の方こそが、穂村正太郎の体を使うに相応しいんだよッ!!」
焔のその先――灰色の怪人が、その場に姿を現した。




