第十六話 A
「ぜぇ、はぁ……」
「な、中々やるじゃねぇか……」
時刻は既に深夜零時を回っていた。穂村達の足元ではサイレンが鳴り響き、人々のどよめく声が届けられる。この島で起きるはずの無い、最大限のパニックの様子が手に取るように分かる。
「何だこれは!?」
「これじゃまるで火の海……」
「あいつ等がやったのか!? あの化け物が!!」
「…………ッ……」
「ハッ、下でクソ共が何か喚いていやがるな……」
島で起こっている騒動に対し、穂村と騎西はまるで正反対の反応を示していた。
片や今まで変異種として認められようと努力してきたことが泡へと消えゆくのを嘆き、片やただの人間をゴミクズとして見下す。人間として、そして化物としての反応としては実に対照的といえるであろう。
「……うざってぇ」
そして島の住民へ向けて最初に動き始めたのは、騎西の方だった。
「……かき消えろ」
鋼鉄の尾の先に、エネルギーが充填される。それまでの青白いものとは出力の違う、対建造物用として広範囲爆撃用に充填されたエネルギーが、騎西の邪悪に歪んだ顔を赤く照らしていく。
「ッ!? てめぇ何をするつもりだ!?」
「何って、てめぇ等も普段からやってる事だろ?」
強い者が弱い者を蹂躙する。力帝都市では普通通り、普段通りの光景である。それを騎西はこの場で再現しようとしている。
「うざってぇんだよなぁマジで。今ならてめぇの気持ちが分かるぜぇ、穂村ァ!!」
「ッ、止めろっつってんだろッ!!」
寸前のところで穂村が騎西の尾を蹴ったことで、レーザーの照準はわずかに島から外れ、光弾はすぐ近くの海面へと着弾する。
「チッ!」
海面へと着弾した瞬間――空の月すら隠しかねない様な巨大な水柱が打ち上がり、そして次の瞬間には海水が打ち上げられて蒸発したせいでできた巨大な孔が姿を現す。
「なッ……!」
「ちょっとこれは俺も予想できなかったぜ……!」
その穴を目にした者のほとんどは、空を飛ぶ化物に恐れを抱いた。人の形を模っておきながらも、その身に余るのは強大すぎる力。
「なぁ」
「アァ? ……冗談じゃねぇぞ……ッ!」
穂村が視線を向けた先――そこには自らの力に酔いしれ、恍惚の表情を浮かべる騎西。そしてその尾の先には次弾が装填されるかのように赤く光り始めている。
「今すぐ止めろ!!」
「止めるかよ……誰が止めるかってんだよォ!!」
それまでの感情を、鬱憤を晴らすために、騎西はもう一度虐殺の光を放とうとしている。
「てめぇ、人殺しをするつもりか!!」
「あぁ、その通りだ。てめぇだって分かるだろ? どうしてもぶっ殺したい奴がいる。どんな手を使ってでもぶっ殺したい奴がいる。だったらどうするよ? 殺すに決まってんだろ!!」
「…………そうかよ」
同族を殺すことは動物世界においては度々あり得ること。しかし殊更人間という種族において、同族殺し――人殺しは重罪として重く問われている。
それは何故か。少し考えればわかる事だ。動物でもわかることだ。自分が殺されるのを、愛しき人を殺されるとなれば、人はいくらでもその敵に対して残酷になれる。残虐な野生動物に、理性の無い畜生に成り下がることができる。だからこそその残虐性を封じ、人間は人間らしく、野生ではなく理性を持つために人殺しを重たい罪と定めてきた。
だが機械となればどうなるか。そんな人間の定めた法など、機械に通用しない。ひたすらにプログラム通りに、淡々と作業をこなすだけ。
つまりこの時点で騎西善人の倫理観は、機械によって破壊されていたに等しかった。穂村はそれを知ってか知らずか、おのずとその身に赫を通り越した蒼い焔を纏い始める。
「そうかよ……てめぇも、怪物側に堕ちるってか……」
人間じゃないなら、もう容赦する必要など無い。ましてや相手は人殺し、穂村にとって過去の遺物と重なる、重大で凶悪な存在と化している。
ならば一切の容赦をする必要がない。化物を殺す人間として、完全なる生命活動の停止を望むのみ。
「……人を殺すってことは、殺される覚悟もあるってことだよな……?」
「ハッ、さっき俺の心臓を撃ち抜いた時点でできてる筈だろ?」
「あれは心臓のわずか下を狙って撃ち抜いたはずだ。そうすればテメェは止まると思っていたからな」
「ハッ、その結果俺はさらに成長したがな」
穂村自身、今までに本気で殺意を抱いたことは二回ある。一度目は中学生のころのもの。そして二度目はラシェルが殺されたと知った時にリュエルに向けたもの。
そして三度目は――
「――俺の前で、俺と関わってる奴を殺すようなマネをさせるかよ……!」
蒼い焔をその身に纏い、その瞳の色が蒼く染まっていく――
「――連獄」
「ッ!?」
一瞬にして騎西は眼前にまで詰め寄られ、開幕の一撃として蒼い焔を纏ったボディブローをその身に正面から喰らってしまう。
「がっ――」
意識が飛ぶ間も無く肉体は殴り飛ばされたかと思いきや、またも騎西の眼前に穂村の姿が映り込む。
「がぁっ! ぐはぁっ! ごほぉっ!?」
例えるならサッカーのドリブルとでもいうべきであろうか、殴り飛ばされるたびに体中を爆炎と劇痛がひた走り、そして次の瞬間にはまた殴り飛ばされている。
体中にダメージを追いながらもなお、騎西は反撃の機会をうかがっていたが――
「――いい加減死ねよ、なァ?」
「がはぁっ!?」
飛んでいく騎西の素っ首を両手で掴み上げると、穂村はそれまでにない最大火力を両腕に籠め始める。
そして――
「……ッ、――原初の、葬炎!!」
「ッ――」
全ての者が目を覆っただろう。全ての者がその爆風の前に身を伏せたであろう。全ての者がその身に死という恐怖を刻み込んだであろう。空一面に広がる赤黒い爆炎と爆風が、何よりもそれを物語っていた。
「……バカ野郎が……」
手からすり抜ける塵を前にして、穂村はポツリとつぶやいた。そして全身の力が抜けたかのようにゆっくりと高度を落としながら、またしても過ちを犯してしまったことを心から悔いた。
だが――
「――危ねぇところだったぜ」
「ッ!?」
硝煙が消え去った後、穂村の目の前に現れたのは、確かに騎西だった。騎西善人そのものだった。
「……生きて、いたのか」
「ああ。てめぇがぶっ放す寸前、何故か手の力が緩んでいたからよぉ、ダミー持たせて即座に下の方へと離脱させてもらったぜぇ」
その証拠にといわんばかりに、ちぎれた右腕の方を穂村へと差し向ける。そして右腕を再生しながらもその形を大砲の砲口へと変えていく。
既に満身創痍の穂村の額に砲口をあてがうなど造作もない。騎西はこれで終わりだといわんばかりに口元を大きく歪め、勝利を確信した。
「じゃあ、今度は俺の番――がッ!?」
最後まで勝鬨をあげる間も無く、機械がフリーズを起こしたかのように突然として騎西の全身は硬直し、そのまま海面へと落ちていく。
「っ、おい!!」
落ちていく騎西を助けようと、穂村はブーストを吹かして急いで騎西の元へと向かい、その右手を伸ばした。
だが――
「俺に、触るんじゃねぇ!!」
騎西はその手を生身である左の手を無理やり動かして穂村の右手を振り払うと、そのまま海中へと音を立てて沈んでいく。
「……この、大バカ野郎がぁあああああああ!!」
◆◆◆
「――止まった……?」
「何とか、なった……」
同時刻、数藤はモニターに移る海中の映像を前にして力が抜けたかのように両膝をその場に着いた。イノとオウギは穂村と敵対していた相手がダウンしたことを素直に喜び、ヴィジルは自分の主人である阿形総一郎の家が壊されなかったことにホッと胸をなでおろした。
そして時田と南条はというと、最後までモニターを見つめたまま、喜ぶわけでもなくむしろ心配するかのような表情を浮かべていた。
「穂村さん……」
「アイツ……最後に、手を離していた……」
爆風の前に最後に映っていた穂村の表情、そして爆破の瞬間に両手が離れていたこと――『アイツ』とは違う、穂村自身の理性が最後に勝利した瞬間を目にしていた時田、そして南条は少しばかりの安心と不安が入り混じった感情が心を占めていた。
「穂村さんは……殺さずに済んだのですね……」
「全く……見ていた側からすればヒヤヒヤしたわよ」
しかしそれでも穂村が最後に制したことを、時田は自分に起こった出来事であるかのように、少しだけ誇らしく思った。
「ったく、本当に……」
「後は、首輪をつけるだけ……」
「貴様一体、何をした!?」
アダムはというと、数藤がモニター前に備え付けたキーボード一つで何をしたのか、騎西のみに何が起こったのか理解できなかった。
「……本当に、貴方が『死の蠍』を吸収させたのならば、一か八かこの緊急停止コードを学習していると思ったのよ」
一度起動すれば対象を完全に始末するまで動く機械が誤動作を起こしたとなれば、誰にも手が付けられない。しかしそれをどんなバグが起きようが絶対に緊急停止できるとなれば、それは万全を期したことになる。
ナノマシンは吸収していた機械の特性を全て学習している。通常ならば普通の機械の緊急停止など通用しないであろうが、今回はスコーピオンですら絶対に停止させるような高度な暗号化された停止信号――逆に言えばスコーピオンレベルでなければ解読できない完全停止コードを、数藤は大きな賭けとして打ち込んでナノマシンへと送信したのである。
「後は、回収するだけ……」
「無駄だ、一トンをゆうに超える機会の回収など、この屋敷には――」
「全知全能。不可能を可能にする。それが『全能』であり『全知』である」
「はっ、なぁっ!?」
「ッ!?」
アダムだけでは無かった。とある一人を除いて、全ての人間がその声がする方を振り向いた。
あり得ない。あり得るはずがない。あり得てはいけない。そのような感情を想起させる存在が、その場に立っている。
「何を驚いているのかしら」
「何をって、アンタ知らないの!? あの人は――」
――それは人間ではなく、機械に近い少女。無表情で無感情、それが力帝都市の市長の片割れであり、『全知』である。
「な、何故お前が!?」
「仰天境地。驚くのも無理は無い」
「そう。驚くにしては丁度いいタイミングよ」
そしてこの場において、まるで最初から知っていたかのようなそぶりを見せる人間が一人。
――数藤真夜。表の顔はロボット技術を人間の為に役立てるための研究を日夜行っている平凡な研究者。しかし裏の顔は――
「――私、実は『全知』の調整を任されている第一人者なの」
数藤はそれまでとは違う、底が知れない笑みを浮かべてその場に佇んでいた。その瞬間、誰しもが数藤から距離を取り、警戒心を最大限に強めた。
「な、何故……」
「軽慮浅謀。そう都合よく貴方の目の前に機械の専門家が現れ、なおかつ手を組むなんてことなんて有り得るはずがない」
「そういうこと。というより、どうして平和のためにロボット技術を研究している人間が『死の蠍』の非常停止コードを知っているのよ。そこで気が付いてもおかしくないと思ったけど。自分の演技力が高かったって事かしら」
「そんな……最初から、手のひらの上で……」
アダムは愕然とした表情で、今度こそ両膝をつき、両手を地面に置いて絶望の表情を浮かべた。
「力帝都市を、逃げのびて……私は……究極の力を――」
「それは残念ね。『究極の力』への研究は――」
「――我々が引き継いでいく」
全ての力は『全知全能』の元に。そういわんばかりに数藤と『全知』は言葉を揃える。
「そしておまけ。市長さん、お願いできるかしら」
そう言って数藤が『全知』に目配せをすると、『全知』は静かに頷いてその場に異空間を生成する。そしてそこから現れたのは――
「――なっ!? どうして私の父がこの場に!?」
「夢次郎!? 本当に夢次郎なのか!?」
親子の再開。しかしそれは臨んだ形では無い悲運の再開。
「このバカ息子が! お前のせいで島がどうなっているか!!」
「うるさい! 私とてこのような結末など望んでいなかった!!」
「ハイハイ、親子喧嘩は余所でやって貰おうかしら……さて、阿形総一郎さん。貴方と取り引きがしたいの」
もはや部外者である時田達を無視して、数藤は堂々とアダムの実の父である阿形総一郎に向かって取り引きを仕掛ける。
「このままだと息子さん、器物損壊や殺人未遂、その他もろもろで死刑執行になっちゃう訳だけど」
「ひぃっ、死刑!?」
アダムは今までにない取り乱し方で後ろへと後ずさり逃げ出そうとしたが、それを『全知』が見逃すはずなど無かった。
「…………」
『全知』が無言で人睨みすれば、唯一出入りができるはずの自動ドアは二度度開かなくなってしまう。
「っ!? どういうことだ!? 私だ! 出せ! ここから出せ!!」
「陶犬瓦鶏。既にそれは扉ではなくただの壁」
遠隔ハッキングにより固く閉ざされた壁は、何人たりとも通すことは無い。
「出してくれ、お願いだ……」
「あー、それと罪状としては目上の私をこき使ったことも罪に入るかな。世界最高峰のロボット技術を持つ人間をお茶くみ扱いするなんて、あの人が初めてだわ」
その場の全ての様子を見ていた総一郎はこれが単なるまやかしではなく本気なのであると悟ると、何も言わずに素直に取引に応じた。
「……それで、どういう取引じゃ」
「あら、理解が早いのは頭のいい証拠ね。問題はそれが息子さんに伝わらなかったことだけど」
「御託はいい。用件は何じゃ」
「こちらが提案するのは息子さんの情状酌量による刑罰の軽罰化。そして貴方が代わりに引き渡すのは――」
数藤はニコリと笑って、この場に唯一いるヒューマノイドを指さしてこう言った。
「これから先、騎西善人君の制御の為にあの子を使わせて貰うわ」
「……いいだろう」
「っ!」
それを何よりもショックとしていたのは、他の誰でもないヴィジル自身だった。それまで最も慕う存在として、自らを生み出した博士である阿形総一郎に付き従ってきた彼にとって、このような展開は捨てられたと同意義に等しかった。
「博士……」
「父さん……」
哀しげな表情を作りだす養子と、ドアに寄りかかってへたり込む息子を一瞥して、総一郎は誰にいう訳でもなく一人こうつぶやいた。
「……どんなに人間に似ていても、血が繋がった実の息子を見捨てるような真似と比べることはできん」
「そんな……ボクは――」
「残念。でも私が引き取ってあげるから安心して」
「でも――あっ」
ヴィジルの返事を聞く間もなく『全知』はヴィジルを異空間へと放り込み、そしてそのまま異空間を閉じてしまう。
「任務完了」
「あら、それは四字熟語になるのかしら」
数藤は苦笑しながらも交渉は成立したと、静かに笑っている。
「後は異空間で回収済みの騎西君をどうにかすればここでの仕事は終わりね」
「アンタ達、一体……」
「あら、ごめんなさい。今まで完全に置いてきぼりだったわね」
数藤が振り向いた先――そこには完全な戦闘態勢を取っている時田とオウギの姿が。
「残念だけど、変異種は私の管轄外なの。ごめんなさいね」
「そんな事はどうでもいいわ! それよりどういう事よ!? アンタ達最初からグルだってってこと!?」
「そういうことよ。それと、貴方が気にかけている穂村君だけど――」
――今頃サプライズを受け取っている筈よ?
◆◆◆
「――どういうことだ? 何であんたが――」
「力帝都市外でこれほどの戦闘行為を仕掛けるとは、信じられんな」
両足のバーナーで宙に浮かぶ穂村に対し、何もない状態で仁王立ちで両腕を組み、静かに宙に立つ女性。
――全知全能の片割れであり、力帝都市の市長である『全能』が、穂村の目の前に立っていた。
「あまつさえ外の人間を巻き込みかねないような大規模な戦闘。見過ごすわけにはいかない」
威風堂々。凛とした姿勢でもって穂村がこれまで戦ってきたことを否定し、咎める。しかし誰も反論など振りかざせはしない。何故ならば誰しもが、本能で理解したからである。
――この者に勝てるものなどいない、と。
「…………クソッ!」
「心配するな。全てこちら側で処理させて貰う」
「処理って、なんだよ」
「なに、そんなに物騒なものではない」
『全能』が指を鳴らしたその時――何も変わらないが、何かが変かした。
そしてそれに真っ先に気が付いたのは、穂村だった。
「ッ!? 島が元通りに――」
「島だけでは無い。人々の記憶からも、この戦いに関する者は全て消え去った。無論、貴様が精々働いたことで積み上げてきた変異種への信頼も、そしてそれら全てを差し引いても余るような畏怖の記憶も」
「…………」
だとすれば、穂村がこの島で過ごしてきた三日間は何になったというのであろうか。全てを無に帰された今、穂村には唯々虚しさだけが残っている。
「……さて、呆けている場合ではない。貴様にはまだ、この力帝都市の外での戦闘行為を行ったことへの償いが残されている」
「なっ!?」
『全能』は自らの背後に異空間へと繋がる穴を開けると、穂村を誘うように指で手招きをしてこう言った。
「丁度いい。幸か不幸か、全ての罪を帳消しにする機会が貴様の目の前にある」
「どういうことだよ……!」
「どうもこうも無い」
――力帝都市での年に一度の大イベント、ジャッジメントサバイバルに参加をするのだ。
「全ての罪人は、その力でもって罪を打ち払う。貴様にそれができるかな?」
『全能』はこの時に、今まで誰にも見せた事が無かった真の意味での邪悪な笑みを浮かべた。