第二十二話 742617000027
「……あのバカッ! 何であんなことしたのよ!!」
一人の少年の愚行に――英断に対し、涙を流して怒る少女がいる。
「しょうたろーが、しょうたろーが……」
遠くで崩れゆくマンションを見て、呆然と立ち尽くす者がいる。
「くっ、何故最後の最後で諦めたのだ!! あの男は!!」
少年の自殺に等しい行動を、咎める者がいる。
そして――
「…………」
ただひたすらに静かに、鎮魂を願う者がいる。
「……姉さん、姉さんは何も思わないのですか!?」
「…………」
「黙っていないで、初めて姉さんに触れられた人が――」
「彼は立派に戦いました。事実、私達が全員この場にいるのは彼の判断のおかげです」
「っ、そんな言葉を聞くために――」
「彼は! 正太郎さんは! みんなを助けるために自ら身を捨てるような行動をする人だってことを忘れたのですか!!」
「くっ……」
この場で最も落ち着いているはずの者こそが、ある意味この場で最も心に傷を負っているのかもしれない。そしてそれ以上に、言葉では紡ぎだせないほどの深い悲しみを持っている者もいる。
「アンタなんて……アンタなんて……バカよ! バカ! バカ! バカァッ!!」
時田マキナは吼えていた。崩れ落ち、土煙をたて、轟音を響かせるマンションに向かって叫び続けていた。
「アンタまだしなくちゃいけないことがあったんじゃないの!? 誰がイノちゃんとオウギちゃんの面倒を見るのよ! アタシが見るなんて嫌よ! アンタが最後まで責任持ちなさいよ!! …………ハァ、ハァ……この……この、大バカやろぉー!!」
声が擦れてもなお、叫び続ける。そうしていてもなお、この現実を受け入れることなど到底できはしない。
「この……バカ『焔』……」
時田はその場にへたり込み。静かに涙を流し続けた。
「…………」
その場の誰もが一人の少年の死を悲しみ、静かに崩れ去ったマンションが立ち昇らせる土煙を見送っていく。
戦いは終わった。だが代償はとてつもなく大きい。そのことだけが、全ての勝利を無意味なものにしていく。
「……バカ――」
「――クハハハハハッ!! ハーッハハハハハハッ!!」
「ッ!?」
その声が聞こえた途端、誰しもが耳を疑った。
その姿を目にした途端、誰しもが目を疑った。
「そうか、あの小僧は死んだか! わしが手を下す前に、くたばりおったか!!」
瓦礫の山を突き破り、一人の老いた魔法使いが姿を見せる。
『理を覆す魔導王』――それは自身の決定的な敗北すら覆すという意味すら持ち得ている。
「わしは死なん! この程度では死なん!! わしは、わしは最強の魔導王、リュエル=マクシミリアムだぞ!!」
「……アンタなんて、アンタなんてぇえええええ!! ――ッ!?」
時田は一瞬激昂した。時田だけでなく、その場の誰もがリュエルに底知れぬ憤怒の矛先を向けた。だがそれも一瞬のことで、リュエル以外の者の注意は、リュエルの後ろへと向けられる。
「ククククク、何を呆然としているのかね? 必死で倒したはずの者が、ピンピンしていることに絶望したかね!?」
リュエルの言葉など、もはや耳に入っていない。何故なら――
「――ん? なっ!? 何だこれは!?」
瓦礫の山を突き破ってきたのは、何もリュエルだけでは無かった。
リュエルの背後――そこにいるのは黒い焔。そこにいるのは黒い龍。
紅でもない、蒼でもない。黒い焔が。焔が。巨大な黒い龍を模ってそこに顕現している。
「な、何だこれは――」
龍はリュエルの言葉を聞くまでもなくその口を大きく広げ、リュエルを一息に喰らいつくし、焼きつくす。そして老いた魔法使いに悲鳴を挙げさせるまでもなく、そのまま天へと昇っていく。
黒龍が昇りきったその瞬間、闇のように黒い波動が空を侵食し、世界は一瞬夜のように黒く染まっていった。
「……ど、どういう事よ……」
「あの黒龍は一体……」
「……しょうたろー、なのか? しょうたろーなのか!」
いち早く崩れ落ちたマンション跡方面へと走り出すイノとオウギ。そしてその後を追うかのように、時田や守矢四姉妹も走り出す。
「ちょっと! 今のが『焔』かもしれないってどういうことよ!?」
「さっきのは、しょうたろーのほのおなのだ! きっとそうなのだ!」
そうしてイノ達が瓦礫の山へと到着すると、確かにそこには穂村正太郎がいた。
「しょうたろー! ……おまえは、だれだ?」
穂村正太郎はそこにいた。気絶したまま、謎の女性に抱きかかえられて。
対象をまっすぐととらえる凛々しい瞳に、くせなど無く腰元まですらりと伸びる長い黒髪。誰もが目を奪われるかのような、人間としての美の完成形ともいえるような女性が、焔を抱きかかえている。
「ハァ、ハァ……アンタ達足早過ぎ――って……アンタ、誰よ?」
「……ふむ、力帝都市にいながら我のことを知らぬとは……まあ、Aランクならば無理もあるまい。なあ、時田マキナ」
「ッ!?」
突然見知らぬ女性から名指しで呼ばれる時田。そしてそれと共にとてつもない重しがのせられるかのような、異様なプレッシャーが時田に襲い掛かる。
「黒龍か……フフ、まさしく『焔の憤怒』と呼ぶにふさわしい」
「――どうして貴方が正太郎さんを抱きかかえているのですか?」
「ん? ……おやおや、誰かと思えば守矢小晴か」
どうやら小晴は以前に、この女性と会ったことがあるようである。時田は小晴に、焔を抱きかかえている女性は一体誰なのかと問いかける。
「この人誰よ?」
「この方は……」
「いいぞ、言ってやれ守矢小晴。何もためらう必要はないだろう?」
小晴は一瞬ためらうかのように口を結んだが、やがて静かに畏敬の念を込めて、目の前の人物の異名を口に出す。
「――『全能』。この力帝都市を統べる二人の市長の内の一人です」
「なんですって……?」
「フフフフ、事実を述べたまでだ。なあ、守矢小晴?」
「はい……」
絶対的な力の根源。全ての能を持ちえること。それ即ち『全能』。
Sランクをも上回る極限の先にある頂点の存在が、時田達の目の前に立っていた。
「今回私が来たのは他でもない。穂村正太郎が――私が目をかけている者がくだらないところでくたばりかけていると聞いて、文字通り飛んできたところだ」
「『焔』が……? ちょ、ちょっと待ってよ! そいつただのBランク――」
「そう、今はただのBランク。だがいずれこの場にいる貴様等の誰よりも――そこにいるイノセンスよりも強き力を持つようになる」
『全能』の言葉に、嘘偽りがあるようには思えなかった。それは『全能』が単に威風堂々と言い放ったことだけからでは無い。実際に目にした黒龍――あの見る者すべてに恐怖を、畏怖を抱かせるあの存在が穂村に隠された力を裏付けているに他ならないからだ。
「だが今はその力を開放するべきではない…………解放にはまだ早い。『残虐非道かつ暴力的な憤怒による虐殺行為』は、まだ起きるべきではない……」
「一体何を言って――」
時田が質問を投げかける前に、『全能』は穂村を抱きかかえたまま全身に白いオーラを纏わせ始める。
「残念だが、質問しても無駄だ。これから我が書きかえる歴史には、我はこの場にいなかったことになるからな」
「どういうことよ!?」
『全能』であるならば、歴史を変える――世界を変えるなどいとも容易い。現状の歴史の動き方に不満があれば、自分の思い通りに書き換えればいい。
「これから先の歴史に、“我はこの場にいなかった上に、リュエルは地下施設と共に死んだことになる。穂村正太郎の黒龍など、目覚めることはなかった”……」
「いったいどういう事!? アンタは何を――」
「さあ、世界を書き換えようじゃないか――」
――我にとっての理想の世界に。
◆◆◆
「――な、何とか助かったな……」
「全くもう! 最後にもう一発ブースト掛けるなら事前に言いなさいよ!」
「悪かったな! あの場だととっさに後ろに爆撃波繰り出して反動で魔法陣に突っ込むしかなかったんだよ!」
ボロボロになりながらも、穂村と時田は互いに悪態をつきあっていた。
遠くで敵の本拠地だった古いマンションが崩れていくが、二人にとってはそんな事などどうでもいい。それよりも互いにまだ生きていることを確かめるがごとく、文句を言いあう方が大切だった。
「あーもう、アタシまだ耳がキーンってなってるんだけど!」
「我慢しろよそれくらい! イノとオウギだって我慢してるだろうが」
穂村はそう言ってイノとオウギの方を見やるが、明らかに爆風で驚いて放心状態に置かれていると言った方が正しいだろう。
「もう! まったく……まあアンタがいないと、アタシも死んじゃってたかもしれないし、ちょこっとだけ感謝してあげるわ」
「感謝してあげるって上から目線すぎだろ……」
「アラ? 道中時間を止めてピンチを回避させてあげたのは誰かしら!?」
「分かった、わかったよ!」
そうして体中の汚れをはたきながら、穂村は最後に崩れゆくマンションの方へと目を向ける。
「……あの野郎、今頃下敷きになってるのか」
「知らなーい。向こうはコッチを殺そうとして来たんだし、正当防衛でしょ」
時田はもはやリュエルの生存確認などどうでもいいと言わんばかりに、その場から離れていく。
「おい、どこに行くつもりだ?」
「どこって、家に帰るに決まってんじゃん。ほら、明日もまた学校始まるし」
時田が指を指す先――空は既に赤く染まり、日が落ち始めている。
「あーあ、せっかくの休みだったのに、全然ゆっくりできなかったわ」
「そういうなよ。俺だって明日学校行けるのかわかんねぇのに」
「アタシこそこんだけボロボロになるまで戦ったのよ! アンタ分かってんの!?」
頬に泥をつけた時田が穂村に詰め寄るが、穂村は土ぼこりだらけの時田を見て思わず笑ってしまう。
「……くくっ、悪かったよ」
「あっ! アンタ今笑ったわね! 笑ったわね!?」
「うるせぇよ! 俺ももう帰るわ」
「ちょ、待ちなさいよ! ちゃんと家まで送りなさいよ!!」
イノとオウギを引き連れて帰る穂村と、その背中を追う時田。そしてその様子を、ひたすら静かに見送る小晴。
和美は姉の様子を不思議に思いながらも、後ろから静かに問いかける。
「……よかったのですか?」
「何がです?」
「穂村正太郎を、あのまま『観測者』と一緒に帰しても」
「フフ、まさか一緒にいたかったですか?」
「と、とんでもない!!」
顔を真っ赤にする和美に対して、いたずらっぽく笑う小晴。
「あんな輩、姉さんと不釣り合いです!!」
「あら? 私は今和美と正太郎さんで考えていたのだけれど?」
「なぁっ!?」
「フフフフ……大丈夫よ、和美」
小晴は静かに空を仰ぎ見て、そして安らかに微笑む。
「あの方なら、またいつでもあえますから」
――そう、もう私達とあの方は、大切な仲間なのですから。
これでこの編は実質完結です。しかしまだ序章であり、穂村正太郎が持つ力の片鱗しかお見せできていません。そしてこの編最後のお話こそが、真の力を開放するという意味では第一話になるのかもしれません。後は一つだけ後日談を挟んで、次の編へと移りたいと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。