第3話 忌々しい存在
――朝、自分の体が重く感じる。
「うぅ、ぐうぅぅ……あああぁ!!」
穂村が勢いよく起き上がると、その重さの原因が転がり落ちる。穂村は体中から汗を拭きだしながらも、周りを確認する。
「痛い……痛いではないか!」
穂村が飛び起きた拍子にイノがベッドから落ちて床で頭をぶつけている。
そしてそこで、あれが夢だったと穂村は知る。
穂村は顔の汗をぬぐうと、イノに昨日の約束事についての確認をする。
「……お前昨日は床で寝るって言ったよなあ!」
「床は寒かった上に、枕がないではないか!」
だからといって自分の胴体を枕代わりにしていいとは一言も言っていないはずだと穂村は反論する。
「お前くらいのガキに枕は必要ねえんだよ!」
「研究室ではきちんと枕もあったぞ!」
「お前はその研究室が嫌で抜け出したんだろ!? 文句を言うな!」
なんの反論も出来ないままイノは頬を膨らませる。穂村はそれを無視して冷蔵庫の中身と向き合い、朝食の準備を始める。
「あぁー……卵があるから目玉焼きと食パンでいいな?」
「もっと豪華なのがいいぞ!」
その言葉に図々しさを感じた穂村は冷蔵庫から卵を取り出すと、イノの目の前まで詰め寄りこの家のルールを説明する。
「いいか? 研究所でどんな暮らしをしていたか知らねぇが、ここでは俺に従ってもらうぞ」
「……わ、わかったがしょうたろーちょっと怖いぞ……」
穂村の忠告する姿がよほど怖かったのか、イノは声を震わせて返事を返す。しかし穂村としてはそこまで怒るつもりは無く、単に教えたつもりだった。
穂村は視線を横にずらし、少し誤魔化すようにイノに言い訳をする。
「……別に怒っている訳じゃねぇよ」
「……そう、か」
イノは小声で返事し納得すると、テレビをつけて朝の子供向け番組を見始める。
穂村はキッチンに卵を置くと料理をする前に、イノに気づかれない様急ぎ足で洗面場へと向かい鏡を前にした。
綺麗に磨かれた鏡を前にして、穂村は吐き気を催すほどの嫌悪感に襲われる。
「ハァ…………クソッ……またあの夢か……!」
あの夢を見てしまった。
鏡の向こうにいる自分。目の下のクマに加えその顔色は悪く、目つきもより鋭く敵意のこもった顔。
――まるで夢の中の『アイツ』の様だった。
イノは自分の顔色の悪さに気づいているらしく、心配していた。
しかしこれ以上無駄な心配をさせないためにも、穂村は顔を洗ってその表情を消し去りイノの元へと戻っていく。そして手早く朝食の準備を済ませると、テーブルに自分とイノの二人分の食事を並べる。
「…………今日はお前の着替えとかを買いに行くか」
「わふぁふぃのふぃふぁふぇ?」
イノはパンをくわえたままきょとんとした目でこちらを見てくる。
「お前、手荷物も何も持っていなかったじゃねぇか。一体これから先どうするつもりだったんだよ」
イノはそこでハッとした表情で穂村の方を向く。穂村はそれを見て頭を掻いていた。
「……本当に何も考えてないんだな」
「昨日は抜け出すことで必死だったのだ!」
開き直って堂々とするさまは逆に見習うべきなのであろうか。穂村はパンをさっさと食べ終えるとテレビの番組を変える。
「あっ、まだ見てたのに!」
「ちょっと待て、昨日のことがニュースとかになってねぇか確認するだけだ」
ニュースの伝え方によって、情報レベルは測ることができる。もし朝の詳しいニュースとなっていた場合、情報収集は容易いものとなるはずだ。
――しかし穂村の期待とは裏腹に、ニュースを最後まで見ても昨日の夕方の騒動は一切流れることは無かった。
「おかしいな……あれだけ騒ぎになってたんだ、少しは取り上げてもおかしくはねぇはず」
イノは何がおかしいのか理解ができておらず、きょとんとした表情で穂村を見つめる。穂村は手元の携帯端末で例の動画サイトを調べるが、目的のものがでてこない。
「valtubeも……ウソだろ? イノを拾ってからの戦闘動画が一切上がってねぇ」
それどころか昨日の戦闘評価も、昼間の不良相手以降はこちらの手元へと来ていなかった。
「チッ、面倒なことになってきたな……」
穂村が舌打ちする姿を見てイノは不安そうな表情に変わり、おそるおそる声を掛ける。
「やっぱり……わたしを見捨てるのか?」
イノがしょんぼりとした表情でパンを食べているのを見て、穂村はイノの頭に手をポンと置いてそれを否定する。
「そうじゃねぇ。逆にこっちから調べ上げて本陣を叩けば終わると思っていたんだ」
しかしいくら探しても昨日の戦闘データは挙がってこない。穂村はそれに異様な不気味さを感じる。
「チッ……気味が悪いが、まあいい。次襲ってきた奴をぶちのめして吐かせりゃいいか」
そう言うと穂村はチャンネルを元に戻す。
「あぁー、もう終わってるぅ……」
子供向けアニメはとっくに終わっており、そのチャンネルもニュース番組となっていた。
そしてそこでも、昨日の騒動に触れられることは無かった。
♦ ♦ ♦
「――しょうたろー! 可愛いぞこれ! これ欲しいぞ!」
「お前は何を買いに来たんだよ。服はどうした服は」
イノが足を止めているのはぬいぐるみのコーナー。様々なキャラクターグッズが所狭しに置いてある。
ここは都市でも比較的中心部にある第三区画の大型ショッピングモール。穂村が住んでいる居住区は第四区画であるため比較的近い。故に手軽に買い揃えられるデパートへと二人は買い物に向かったのだった。
「えぇー、このくま五郎のぬいぐるみが欲しいのだ」
くま五郎という可愛らしい名前をつけられているものの、包帯に加えわざとなのか中身の綿が飛び出ているという、ぬいぐるみのキャラクターにしてはあまり可愛らしいとは思えない風貌をしている。
「それは後にして、今日はお前の服を――」
「あれあれー? そこにいるのは『焔』くんじゃないかなー?」
穂村にとって忌々しい声が聞こえる。イノは突然の声掛けにビクッと体を震わせつつも、声のする方を向く。
「……何の用だ?」
振り向くとあの忌々しい姿で、そしていつもの様に相手を嘲るような瞳をこちらに向けて少女は立っていた。
「いやー、アタシを見つけたらいっつも勝負仕掛けてくるじゃん。今回は手法を変えてアタシから声をかけてみましたーって…………何この子?」
そこにいるのはSランクにのし上がるための関門。穂村の宿敵。そして人々から『機械仕掛けの神』との別名で恐れられている存在。
時田マキナ。
ランクA。
能力名『観測者』。
くせのないのロングヘアーに学校外でも着ている制服と上着。そして常に相手を茶化しているような挑発的な瞳。その全てが穂村の脳裏に焼き付いている。
この少女に真実を話すと面倒になると踏んだ穂村は、とりあえずイノのことを正直に話そうとせずに適当に誤魔化すことを試みる。
「……こいつは俺の妹だ。放っておいてくれ」
「しょうたろー、この女は誰だ? なんの用で話しかけてきているのだ?」
「なぁーんかさぁ、今ものすごく暇でぇー、今ものすごく誰かをぶっ飛ばしたい気分なのよー。だから今ここでバトっちゃう?」
三者三様にそれぞれ会話が全くかみ合わっていない。穂村は一旦咳払いをして、状況を整理する。
「とりあえず俺は今日こいつの服を買いに来たんだ。お前と戦う気はねぇよ」
「えぇー、つまんなぁーい」
「そしてこいつが、以前お前が言っていた『観測者』だ。ついていくならついていっていいぞ」
「わたしはなんとなくこの女が嫌いだ!」
穂村以外の二人がなぜか不機嫌になり、互いに睨みつけるような動作をとり始める。
「……何この子? 普通初対面の人にいきなり嫌いって言う?」
「この女のせいでしょうたろーは困っているのだな? こんなのは無視してさっさと服を買いに行こうではないか」
二人とも一歩も引かない様子でさらに口調が激しくなっていく。
「てかさぁ、アタシとのバトルが何よりも優先じゃないの?」
「今日は服を買いに行くという約束だったではないか!」
「何よぉ!?」
「何なのだ!?」
穂村の目の前で二人の少女が火花を散らす。穂村は内心冷や汗が止まらなかった。
「ちょっと落ち着けよ、お前らケンカしても何も――」
「アンタは黙ってて!」
「しょうたろーは口を出さないでくれ!」
「はい」
流石に同時に言われては穂村も閉口するしかなかった。このままでは仕方がないと、穂村は周りを見渡しつつ早くこの口喧嘩が終わらないかと時間つぶしにはいる。
「大体、いつもアタシの方が優先されるんだからアンタは譲りなさいよ!」
「こどもに譲ってもらうなど情けないと思わないのか! 年上なら年上らしく素直に引くべきだ!」
後ろでギャーギャー騒いでいる声がするなか、穂村はある違和感を感じ取り、改めて辺りを見回す。
声がうるさい割には人通りが少ない。加えてその声も自分のすぐ近くの方からするだけで、それ以外の周りの声は減る一方だということに穂村は気づく。
「…………ったく、昨日から退屈しねぇな」
「だぁから、アタシの方が――ッ!」
時田もようやく異常に気づいたらしく、あたりをきょろきょろと見まわす。
穂村は左腕でイノを抱きかかえると、時田と背中合わせになる様にして警戒を強める。
「……アタシとのバトルより先に割り込んでくるとか、無礼にもほどがあるわね……どういうことか説明してくれる? 『焔』」
室内だというのに、明かりがついているというのに周りは不自然に暗くなっていく。
穂村は空いた右腕を構えると、炎を上げて辺りを照らし威嚇する。
「これを片付けてからいくらでも話してやるよ」
「じゃあさくっと終わらせましょうか」
三人の周りにあらゆる影が這い伸び、人を模って起き上がる。どろどろとしたその風貌は見る者に嫌悪感を抱かせ、同時に張り付くような恐怖を植え付ける。
そしてその異質なものが十を上回る数であたりを囲んでいる。
「……闇の中級呪文か?」
「中級にしては比較的規模が大きいわね……」
のらりくらりと動く影は三人を取り囲み、ある目的をもって行動を開始する。
それは最初に穂村に向かったことから明らかだった。
「獄炎籠手!」
燃え盛る光が襲い来る影を薙ぎ払う。影は分散し、塵となって消し飛んでいく。
そして穂村は理解する。この者達の目的もまたイノの奪還だという事に。
「やるじゃん!」
「無駄口叩いてないで処理を手伝えよ!」
愚痴を聞いた時田はやれやれといった表情で右手を前に出す。影はその無防備な右手を喰い千切ろうと、そこに急接近する。
しかし――
「――ハイ残念でしたー!」
次の瞬間――時田は指をでこピンの形にしてぴんぴんと空気を弾いていた。腕に喰らいつくはずの影は壁に叩きつけられており、残りの者も床に埋まっていたりと敵ながら悲惨な状況となっている。
「全部終わったわよー」
時田は穂村の方を振り向き、雑魚処理が終わったことを伝える。
「チッ、相変わらずチートじみた能力だ」
「フフフ、アンタは昨日コレにやられているもんねー」
時田がニヤニヤとした表情で指を弾いて穂村を挑発する。穂村はあきれた表情で穂村を見返すが――
「おい! 危ねぇ!」
「え?」
時田のすぐ後ろに、倒したはずの影が迫っていた。影はその腕を刃物へと変形させ、時田の体を後ろから貫かんとする。
「火弾!」
指先から炎の弾丸を飛ばし、影のその顔に風穴を開ける。
影はその場に倒れ伏せ、そのおかげで後ろの様子が見ることができるようになった。
「……おいおい、シャレになんねぇぞ」
時田の後ろに見えるのは、倒したはずの影がその体の変形を直し再び戦闘を図ろうとし始めているところであった。
「……あれれー? おっかしーなー?」
「術者を倒さないといけないタイプだろうよ」
仕方ないといった表情で穂村は時田に背を向け、腰を下ろす。
「……何やってんの?」
「一時撤退だ。お前も背負って飛ぶ」
時田はしばらくその様子を観て、その後ニヤニヤとした表情で穂村の方を見る。
「ふーん……ま、変な気起こさないでもらえるとうれしいんだけどね」
「起こさねぇからサッサとしろよ!」
時田は怒号を挙げる穂村の背中に体を預けると、そのまま首元に手を回ししっかりと抱きつく。
「……何押し付けてんだよ」
「えぇー? 『焔』はこれ目的でしたんじゃなかったのぉ?」
後ろからわざと意識させるように押し付けてくる二つの柔らかな球体に、穂村は今更自分のしたことの意味を知るハメになる。
「ほーら、アタシ意外と大きいでしょ?」
「馬鹿かお前! そういう意味でそうしたんじゃ――」
「どういう意味なのだ?」
この場にイノまで語らいに来ては面倒なことになる。穂村は適当にあしらって飛び立とうとするが、イノの追及の手が止まることはない。
「どうしてしょうたろーは顔が赤いのだ?」
「それはね、『焔』が喜ぶようなことをアタシがしてあげているからよ」
その言葉に対しイノは子供ながらの興味を持ち始める。
「しょうたろーが喜ぶこととはなんだ!? わたしにも教えてくれ!」
「フフーン、それはね――」
「だぁってろアホ女! 舌噛んで死にやがれ!」
もう少し年を取ってから知るべきことに興味津々なイノを両手で抱きかかえなおすと、穂村はロボットの時と同様両足から炎を吹き上げ飛び始める。
「――ここを少し行った先に、吹き抜けがあるわ。そこから飛び出してちょーだい!」
「わかってるっつーの!」
穂村が水平に飛行を始めると、影は穂村の意図に気づいたのかその体を液体の様に変質させて床や壁を這うように追ってくる。
「あいつら結構速いじゃねぇか!」
「このままじゃ追いつかれちゃうわよー」
「なんでお前はそう余裕そうなんだ!?」
背中で余裕そうな時田に対しツッコミを入れながら吹き抜けの所まで来ると、本来光がさすことで美しい情景を作っていた天井が影の大群にぎちぎちに塞がれていた。
まさにアリ一匹とて通さないといった様子である。
「……あららー、まだたくさんいたのね」
時田の軽口をよそにして穂村は一旦その場に立ち止まり思考を張り巡らす。辺りを見回してみるが続々と影が集結し穂村を取り囲む包囲網が強くなるだけである。
「他の出口もおそらく塞がれているか……チッ、このままぶち破るぞ!」
「しょうたろー! 大丈夫なのか?」
「心配すんな……先にちゃんと穴開けていくから耳塞いどけ!」
穂村は再びイノを左手でしっかりと抱きかかえ、その場に膝をつく。そして空いた右手をだらりと下におろすと、その右腕に力を込める。
「ぐ、あぁぁ……!」
穂村の右手が溶岩の様に臙脂色に鈍く輝きだす。グツグツと水が沸騰するような音とともに、何かを溜め込むかのように右手に生まれた球体が膨らんでいくのがわかる。
「……噴火……砲!!」
そして右手を突き上げるかのように、穂村は勢いよく天井へと振りぬいた。
噴火口からすさまじい爆炎が一直線に立ち昇る。その行く手を阻むものを、ひとかけらも残さず焼き尽くし突き進んでいく。
そして空から差し込む光が、穂村達を照らす。
「――クッ、行くぞ!」
穂村はまだ冷めぬ右腕を振るうことで排熱をし、急いで空へと飛びあがる。
しかしすでに残った影が、その防御壁を生成し始めている。
「間に合わないぞ!」
イノに言われた通り、このままでは間に合わない。
「おあぁぁああああー!!」
穂村は更に火力を上げ、その身が引き裂かれかねないようなスピードで飛ぶ。
――間一髪のところで、穂村達はその窮地を脱出した。