第十七話 異常な感情
通電も乏しい旧居住地区は、夜にもなればより一層寂れていく。そして穂村達が向かおうとしている場所――元々は高級マンションが建っていたところも、今となっては電気も通っていない。故に建物全体に幽霊が潜んでいそうなほどに、不気味な雰囲気を纏っている。
――普通のマンションの玄関も、今となっては地獄へと続く扉にすら思えてくる。
「ここにいるのか……」
「そういえばまさかとは思うけど、またイノちゃんとオウギちゃんが合体しているパターンじゃないわよね?」
「そうなったら、また引き剥がすまでだ」
現在ここにいるのは穂村に時田、そして守矢姉妹四人全員。穂村はせめてほのかくらいは置いて来てはどうかと言ったが、ほのかも能力者らしく戦う事は出来なくても皆を守る事はできるらしいとのことである。
「ほのかも、お姉ちゃんと一緒に戦えるもん」
「そうかい……まっ、せいぜい怪我しないようにな」
「……アンタ、イノちゃんの時もだけど小さい子に甘いわね」
「アァ? んな事ねぇよ」
穂村は何をいってんだと言わんばかりに苦い顔をして首をゴキリと鳴らし、そして改めて戦闘する意識を高めてさっそく中へと入ろうとした。しかし――
「ちょっと待ちなさいよ! アンタなんのために作戦考えたと思っているの!」
「あ、あぁ。そうだったな」
せっかく進めた足を数歩後ろへと下げる穂村。そして代わりに先に出るのは小晴が投影した無人偵察機。事前に手元に投影したモニターで、マンション内部の様子をうかがう。
「……一階は、ごく普通のマンションの構造ですね。廊下しかありません」
「一部屋一部屋見て行くしかないわ。片っ端からクリアリングしてから行くわよ」
「もちろんです……あっ!」
「どうしたの?」
時田が小晴の手元にあるモニターを覗き込むが、そこには既に砂嵐しか映っておらず、肝心の何が起きたのかという出来事を見ることが出来ずにいる状況である。
「どういうこと? 能力が切れたの? それとも――」
「一階の四つ目の部屋……そこだけドアが閉まっていたので、無人機に遠隔でドリルを投影させてこじ開けて中に入ったのですが……その途端に無人機からの通信が途絶えて、私も多分破壊されたのだろうなという感覚が伝わってきています」
「ていうか、アンタ感覚で分かるのならわざわざモニターを投影しなくても良かったんじゃ?」
「一応皆さんにも見ていただこうと思いまして」
「……なるほどね」
「さて、大体の目星は付いたみてぇだな」
わざわざドアを閉めた上で、中に入ればトラップを仕掛けられている。となるとそこが辺りだと穂村は一人決めつける。だが小晴がそれを制しにかかり、穂村はまたも足を止めざるを得なくなる。
「待ってください。他の部屋も調べる必要があるのでは?」
「さっきの部屋がダミーで、他に本命があるとでも?」
「否定はできませんよね?」
「……チッ、面倒くせぇ」
イノとオウギがいまだに敵の手に渡っている今、穂村の胸の内で焦げ付くような焦燥感が起こり始める。
「……もういい、俺がさっきの部屋に行って様子をうかがうから、お前等は他の部屋を――」
「だから、それじゃ結局意味ないじゃないの。アンタが進んだ先に他にも罠が仕掛けてあったとして、アンタはそれを確実に回避できるの?」
時田の目に映っているのは目標を前にして冷静さを欠いている穂村の姿。このまま先へ進ませてもそれこそ無意味だと分かっている時田は、先行く穂村の袖を握って足止めをする。
「…………」
「焦るのも分かるけど、アンタ今回妙に一人で突っ走ろうとしてない? ちょっとはアタシ達と協力しなさいよ」
「……クソッ!」
穂村は燃える拳を古びた壁に打ち付けた後、玄関近くの荒れ果てた花壇の縁に腰かける。そして指の骨を鳴らして自分の内に沸き立つ焦りをごまかしながら、その場にじっと待ち始める。小晴はその姿を見て急いで残りの部屋の捜索にあたり始めるが、時田はというと呆れた様子で穂村の隣に座り込む。
「……アンタ、一体どうしたのよ。どうして勝手に突っ走ろうとしてるのよ」
「うるせぇ。お前には関係無いだろ」
時田の普段からの挑発的な瞳とは違う、まるでこちらを全て見透かそうとしているような真摯な瞳から、穂村は逃れるかのようにそっぽを向く。
しかし時田の目には既に観えていた。
――穂村の無謀な言葉とは裏腹の何かに怯えているかのような、何かを怖れているような憂いの表情を。
「……アンタの過去に何があったか興味ないけど、少なくともアタシはアンタより強いし、それにあそこにいる『投影』に至ってはアタシを上回るSランクよ。なんで足並みそろえることが出来ないワケ?」
「……うっせぇ」
穂村はとうとう会話すら拒絶するつもりなのであろうか、体操座りをするかのように両足を揃えて手を組み、その中に顔をうずめ始める。
言われなくとも穂村は分かっている。分かっている筈である。しかし内からこみあげる感情が、制御できずにいる。
「……ハァ、取りつく島もないわね……仕方ない」
時田はすっと立ち上がると、その場にうずくまる穂村の目の前に立つ。すると――
「ねぇねぇ『焔』。ちょっといい? ねぇってば!」
「ったく、なんだよ……」
時田の執拗な呼びかけに折れた穂村は、静かに顔を上げる。するとそこに広がっていたのは――
「ハァ? ――うわっぷっ!?」
「ほーら、少しは落ち着いた?」
「ばっ、何やって――」
「正太郎さん、一階の捜索終わりまし――って、何をしているのですか!?」
小晴が目にした光景とは、穂村の顔が時田のその豊満な胸に包まれているという光景であった。
当の本人はというと、その柔らかさよりも息ができずにいることの方に気を取られている。
「私の正太郎さんから離れてください!」
小晴は激情に突き動かされるととっさに手元に拳銃を投影し、穂村に抱きつく時田へと発砲する。
しかしそれを見据えていた時田は即座に時間を止め、穂村から数歩離れることで弾道から身体を外すことに成功させる。
「なによー、せっかくイイところだったのに」
「イイも何も、破廉恥すぎます!」
「でも当の本人はまんざらでもなさそうよ?」
時田の視線の先には顔を真っ赤にして花壇にへたり込む穂村の姿が。穂村は突然の時田の奇行に脳の処理が追いついていないのか、口をパクパクと動かすだけで言葉を紡ぎだすことができずにいる。
「お、おま、何を――」
「何をって、文字通り緊張をほぐしてあげただけ」
「て、てめぇ痴女かよ!」
「いやいや、これやる方も結構恥ずかしいんだけど」
そういう時田の方も頬を赤く染めている様子で、互いに顔を真っ赤にしながら先ほどの出来事を振り返っている。
「なんであんなことしたんだよ!」
「だから凝り固まった思考回路をほぐしてあげようとしただけじゃん。現に今アタシの胸のことしか考えていないでしょ?」
「そ、それとこれは違うっての!」
「だったらもっと普段からアタシ達の方を向いてくれない? どこでもない遠くを見て一人で考え事していないでさ」
「チッ、説得のやり方が無茶苦茶すぎるだろ……分かったよ!」
むちゃくちゃな方法ではあるものの、穂村の凝り固まった焦燥は時田の胸によって文字通りもみほぐされ、そこからの穂村はというと、いつもの調子を取り戻しつつあった。
「ったく、残りの部屋の探索も終わったんだろ? だったら目ぼしい所に立ち入るしかないよな」
「はい。やはり最初の部屋はダミーだったようで、こちらの部屋のタンスの裏に魔法によって異空間に転送される穴が隠されていました」
無人機から送られる映像には、あの小瓶を割って作り出したかのような魔法陣の穴が開いた壁が映し出されている。
「……当たりだな」
「ええ、恐らくは」
それにしても、まさか斥候はこの穴を知らなかったのであろうか。それとも地下に潜らずとも分かるでもいたのであろうか。
「その辺については、私の能力でエコー探知機を貸しましたので」
「フーン、便利な能力ね」
「便利ですが、あくまで自分で想像できる範囲内のものしか投影できませんから」
市長の持つ『全能』とは程遠いものの、自分の想像できる物体を投影できる力はまさにSランクと位置付けるにふさわしい能力といえる。
「それで、地下にある事は分かったけど、こうして魔法陣の穴で続くことまでは分からなかったワケね」
「ええ。というよりも、地下に人影がある事と、出入り口が無いことはこちらとしても気がかりでしたが、こうして見つけられてよかったです」
「それにしても、魔法陣か……」
残念なことに、この場にラシェルがいればいない。つまりこの魔法陣が本当に敵本拠地に繋がっているという確信を持つことができない。
「この魔法陣ですらトラップの可能性があるんじゃないか? 本当に瞬間移動紛いのことができるのなら、わざわざすぐ上に立てる必要も無いと思うんだが」
冷静になった穂村の指摘は実に的確だった。ここまでトラップ重ねでようやく見つけた糸口ではあるものの、それを手繰り寄せた結果に死が待っていてはどうしようもない。
「でしたら、人柱を立てましょう」
「お前笑顔で何いってんだよ……」
呆れた様子の穂村であるが小晴は既に携帯端末を手に持っており、それで誰かを呼びだし始めている様子。
「ええ、貴方クライアントと繋がりがあったでしょう? ……もちろん、こちらも報酬を支払わせてもらいますよ? ……では旧居住区の高級マンション区画にてお待ちしておりますので」
小晴は端末をしまうと穂村の方を向いてニッコリと微笑み、問題の解決が早くもできるという事を告げる。
「一人、うってつけの方がいらっしゃいます」
「本当に大丈夫なんだろうな? 異空間に放り投げられたっきり戻ってこられないとかそういうことは勘弁してくれよ」
「大丈夫です。もうこれ以上正太郎さんの前で哀しい思いはさせませんから」
現状打つ手が一つしかない今、小晴の言葉を信用するしかない。穂村は再び黙ってその場に座り込むと、その人物の到着を静かに待つことにした。
◆◆◆
「すいません、遅れました――って、穂村! あんた二人連れて帰ったんじゃなかったんか!」
穂村はその姿を見るなり、急に不機嫌となる。小晴が呼び出したうってつけの人とはなんと、穂村と人さらいの件で争っていた鷺倉だった。
「うるせぇ。てめぇを雇ったボスが、直々にイノとオウギを攫ってったんだよ」
「そりゃ残念。俺としちゃザマァみろと言いたいところやけどな」
「んだとゴラ」
鷺倉の無神経な発言が穂村の逆鱗に触れる。穂村は立ち上がってずかずかと鷺倉の前へと歩き、そして整った襟首を右手でつかみ上げて鷺倉の顔を睨みつける。
「てめぇもう一回言ってみろ!! おいゴラァ! もう一回言ってみろよッ!!」
「っ、何じゃいいんか? 俺をぶっ飛ばしたら人柱おらんこつなるで? それに依頼主といまだに連絡つけられるのは俺だけやぞ?」
「……チッ!! クソがッ!!」
穂村は乱雑に鷺倉の襟首から手を離すと、それ以上苛立つ事が無いように、そして鷺倉の顔を見ないで済むように鷺倉から顔を背ける。
「さっさと終わらせろ」
「言われんでもするわボケ。姉さん、例の移動装置を渡してもらえますか」
「えぇ、これを持っていけば保険としては役に立つかと」
小晴から小さな機会を手渡され、鷺倉は一人マンションの中へと消えていく。
「チッ、ハズレだとしてもあいつが消えるだけなら確かにどうでもいいな」
と口では言いながらも、穂村は鷺倉の背中をいつまでも座ったまま見送っていた。