第十四話 頼り
「――ん? ここは……」
穂村にとっては見慣れない天井。清潔な病院の白い天井でもなければ、自分の家の天井でもない。薄汚れた、今にも落ちてきそうなほどにボロボロな天井。穂村はすぐに起き上がると、辺りをゆっくりと見渡した。
天井と同じ、薄汚れて壁紙も外れた壁に、埃がのった古いテレビ。
そして寂れたソファ。そこに座っているのは穂村が散々撒いたはずの人物。
「……なんでお前が」
「あら、起きたの? そこまで深い傷では無かったのかしら? 結構ボロボロだったのに」
それまで趣味の縫い物をしていた小晴であったが、穂村が起きるや否やすぐさま近くへと駆け寄り、額に手を当てる。
「……ちょっと熱が出ているわね。もしかして傷口からばい菌が入ったのかも」
「俺は元々平熱が高いだけだ。そんな事より、どうしてお前がいる」
「何を言っているのかしら。ここは旧居住区画よ? 私達がいて何らおかしくはないわ」
「何だと!? 俺はあいつと、ラシェルをブッ殺しやがったクソ野郎と戦っていたはずだ!」
「残念だがその件についてだが、我々が駆けつけていた時には既に貴様は負けて敵になぶられていたところだ」
声のする方を向くと、ホットミルクをお盆にのせた和美の姿がそこにはあった。
「正直な所、姉さんのようなSランクが割って入らなければ、貴様は今頃死んでいただろう」
「……そうかよ」
和美から受け取ったマグカップに、穂村は静かに口をつける。その胸中には、ただただ虚しさだけが残っていた。
――ラシェルが殺された。少なくとも穂村が信頼していた仲間が殺された。
彼女の死は、穂村にも責任があった。
「俺が、あいつを頼ったから……」
あの時と同じ、誰かを信用したから。穂村は同じ失敗を、力帝都市に来る前に犯した失敗を、二度も繰り返してしまったことになる。
「……チクショウが!!」
自分が寝転がっていたベッドに拳を打ち付けると、そこには暗い焦げ跡が一つつけられる。
「なっ! 穂村正太郎、貴様姉さんのベッドを――」
「いいのよ、和美。それより彼が今答えを生み出そうとしていることの方が大事」
小晴はただじっと待っていた。目の前の少年が、自分と同じかもしれない少年が、立ちふさがる問題に答えを出すのをじっと待っていた。
穂村は自分の力の無さを改めて痛感した。アイツがいなくなってから、自分自身の中では成長していたはずだった。
だが現実としてSランクに手も足も出なかった上、信頼していた仲間を失ってしまった。
――そして何より、守るべき小さな少女二人を奪われてしまった。
「…………」
「ん? どこに行くつもりだ」
穂村は無言で立ちあがると静かに玄関の方へと向かおうとした。だがその様子を見ていて不審に思った和美は、立ち去ろうとする穂村の背中に声をかける。
「…………」
「まさかリベンジに行くつもりではあるまい。止めておけ、今の貴様では到底――」
「黙れよ」
無理と言われようが、不可能と言われようが、穂村は何度でも立ち向かうのであろう。その姿だけは、その意志だけは、イノセンスを救い出した時と少しも変わることはない。
「俺はあいつに勝たなくちゃいけない。腕がもげようが、足が削がれようが、あいつだけはぶっ飛ばす」
「何を言い出すんだ! そこまでして戦う相手じゃないだろう――」
「お前が俺の何を分かるってんだよッ!!」
「っ……」
「イノとオウギがさらわれて、ラシェルは殺された……あいつだけは俺が斃す!! 刺し違えてもだ!!」
「待ってください」
和美と穂村の間に、今度は小晴が口を挟んでくる。
「貴方今、刺し違えてでもと言いましたね?」
「そうだよ。何か文句でもあるのか?」
「あります」
小晴は静かに穂村の元へと歩み寄ると、ボロボロになった穂村の身体をしっかりと抱きしめ、耳元でそっとこう言った。
「貴方がラシェルという人の死を悲しむように、私も貴方が死んでしまったら悲しくなります」
「くっ、お前はまだあったばかりだからそんなことねぇだろ」
「あります。それに私じゃなくても、貴方が死ぬことを悲しむ人は他にもいるのではないですか?」
「…………」
――果たして自分が死んで悲しむ者などいるのだろうか。穂村がそう聞いて最初に浮かんだのが、時田マキナの姿だった。
穂村が死んで、果たして彼女が悲しむだろうか。確かに彼女とはある意味この力帝都市で最も長い時間共に過ごしてきた。だが所詮はライバル関係、穂村が死んで涙を流すかは分からない。案外あっさりとやり過ごすのかもしれない。
次に浮かび上がってきたのは、イノとオウギ。頼れる存在が穂村しかいない二人なら、確かに泣いてくれるかもしれない。だがそもそも二人を敵の手から助け出さなければ、穂村は泣いてすらもらえない。
続いて頭に浮かび上がったのが、伽賀師愛。バトルマニアの彼女なら、穂村の師を残念がるとはいえ大泣きなどするようには思えない。
本当にこの力帝都市で、自分が死んで悲しむ者などいるのだろうか。
「…………」
そして最後に浮かび上がってきたのが、外部においてきた人物――力帝都市に移住するにあたって故郷においてきたとある少女の姿だった。
穂村の失敗によって、大切なものを失う事となった少女。だが故郷を出て行こうとする穂村の背中に掛けられた言葉は、たった一つの暖かな言葉だった。
――“また、遊ぼうね”。
「…………」
「……どうですか?」
「……チッ」
穂村は今、無謀にも死にに行こうとしていた。だが最後の少女の一言が、死へと続く道を歩もうとする穂村の心を引き留めた。
「……だとしてもここでいかないとして、だったらどうすればいいんだよ!」
「簡単なお話です」
小晴はにっこりとほほ笑み、そして穂村の手をとってとんでもない提案をし始める。
「私も一緒に戦います」
「……ハァ!?」
「ですから、Sランクである私も戦えば、互角以上になるはずです」
「なんでお前が俺の戦いに加わらなくちゃいけねぇんだよ」
「それは……これから穂村さんと共に苦難を共にするのですから……」
「お前まだそんな事――」
「姉さんの考えはともかく、このまま一人で行けば犬死には確実。それは貴様自身が一番分かっているはずだ」
穂村もそれを全く分かっていないわけでは無かった。だが穂村自身はそれこそが一番恐れていた事態だった。
これ以上誰かを巻き込んで犠牲にしたくない。犬死にするなら自分一人で十分だと、穂村は自身の中で答えを出していた……はずだった。
「分かっているはずだ。貴様は戦いに行っているのではない。死にに行っているのだ」
「……そうやって周りを巻き込んで、俺はまた誰かを傷つける。俺に三回目をやれとでもいうつもりか」
彼は彼自身なりに、穂村正太郎としてのジンクスを持っているが故に小晴や和美がついてくることを拒絶した。だがそれで一歩引くほど、Sランクは甘くはない。
「仏の顔も三度まで、というじゃないですか」
「二度ある事は三度ある、ともいうが」
「もう! いいじゃないですか! 絶対についていきますからね!」
「わかんねぇよ! 何がお前をそうさせるんだ!」
「そっくりその言葉をお返ししますよ」
実力で負ければ口でも負ける。穂村は乱雑に頭を掻いてため息を漏らしたが、とうとう観念した様子で小晴の方をじっと見る。
「……言っておくが、今度は死んでも俺のせいじゃねぇぞ」
「そもそも私は死なないです、安心してください」
ニッコリとほほ笑む小晴に対して不安しか残らない穂村であったが、それ以上は何も言わずに静かに玄関のドアノブへと手をかける。
「……俺は飛んでいくから、おいていかれても知らねぇからな」
「分かっていますって、それよりもどこにいるのかご存じですか?」
「何が?」
「イルミナスの本拠地、ひいてはリュエル=マクシミリアムの居場所です」
「…………」
向こうからやってきて穂村の知らぬ間に決着がついているのであれば、敵の本拠地など知る由もない。
「……しらみつぶしに探す」
「効率があまりよろしくないですね。旧居住区の人達を使って探させますので、正太郎さんは準備をしてきてください」
「何の準備だよ」
「心の準備です」
小晴はそれまでのにこやかな表情から一変して、穂村を試すかのように詰め寄って一言こう告げる。
「Sランクと相対する――最強と戦うための心の準備です」
「……そんなもん、とうにできてる」
――俺はあいつ等を助けるためなら、この身を懸ける覚悟なんてとうにある。




