第4話 火種の集まり
「――ほら! この通り!」
家の壁にかけてある時計は既に昼下がりを過ぎた時刻を指している。一日目はまず本拠地である家で様子を見るべきと判断したラシェルは、ベランダと玄関に監視用の小さな使い魔を配置してその後家にこもる事で相手の出方をうかがう方策を取った。
今のところ玄関ベランダ共に異常はなく、魔法の干渉を受けた感覚もない。今日のところは相手も様子見だけで侵入を試みはしないのだろうかとラシェルは考えながら、少女二人にお得意のトランプマジックを見せて楽しませていた。
「おおー、凄いぞ!」
「…………」
「……あれ? お姉ちゃんの方は無反応?」
「……おねぇちゃんは手品の仕掛けが分かったから面白くないそうだ」
「えぇっ!? 結構自信あったんだけどなー」
妹のイノの方は手品に対して素直に感嘆の声を挙げるが、ねぇのオウギの方はというと何故かこちらの手を見透かしたように、手品のタネを当ててくる。
「おねぇちゃんは最初のカードは帽子に隠したんだって言っているぞ!」
「……当たっているわよ、まったく……」
ラシェルが被っていたとんがり帽子を外せば、イノが最初に指定していたハートの2のカードがそこに隠れていた。
これ以外にもラシェルは相手の心理を利用した手品などを披露してきたが、そのいずれもオウギによって種明かしをくらっている。
「お姉ちゃんの方の能力って心理透視かと思ったけど、単純な素早いカード飛ばしにも反応できていたし……一体何の力を持っているの?」
「おねぇちゃんは凄いぞ! 万能なんだぞ!」
イノの言葉は誇張をしているようにも思えるかもしれないが、現実イノとオウギが結合した『イノセンス』の状態を見たことがある者にとっては、万能という言葉が必ずしも間違っているとは言えないことが分かるだろう。
『究極の力』――それこそがイノとオウギ、イノセンスが生み出される際に科学者が企てたコンセプトである。そしてその名に恥じぬ戦いを、穂村とイノセンスは非公式ながらも行ってきたはずなのである。
ラシェルもまた穂村とイノとの戦いの断片から、この二人の少女の内に潜む力の強大さを知っている。今となってはただの不思議な力を持つ少女二人に過ぎないが、この二人が合わされば今でもSランクは間違いないだろう。
「まあそれでも、今は唯の子どもなんだけどねー」
ラシェルから軽く頬をつつかれてをむくれるイノだったが、それに怯えるラシェルではない。
「フフ……さーて、そろそろお昼を食べさせてあげないと、あいつに怒られちゃうよね」
ラシェルはそう言ってキッチンに立ち、穂村に負けないよう料理の腕を振るおうとしたが――
「この家、コンロが無いんだけど?」
「へ? しょうたろーはいつも自分で焼いていたぞ。火加減の練習になるって言っていたぞ」
「あの能力バカ……はあ、仕方ない」
時刻も既に一時を回っている。外に出るにしてもこれから先レストランが混む事も無いだろう。
「二人とも、外でお昼を食べましょ」
「えっ? でもわたしとおねぇちゃんはお金を持っていないぞ。しょうたろーが持っているぞ」
「大丈夫、私に任せて」
外の様子をうかがうべくベランダと玄関前に隠してある使い魔から外の様子をうかがい、そして念の為に家に留守番として攻撃型の使い魔を置いておいて、ラシェルはイノ達二人の手を引いて外へと向かう。
「いい? 絶対に私から離れないことと、レストランに着くまでにあれこれ見回ったりするということはしないって約束できる?」
「やくそく? わたしとお前で約束か?」
そういえば一切自己紹介していなかったことに、ラシェルは今更ながらに気がつき肩を落とす。
「はぁ……あのねー、わたしの名前はラシェルっていうの。覚えた?」
「らしぇる? お前の名前はらしぇるっていうのか! 覚えたぞ!」
「お前じゃなくて……全く、もう」
この時ラシェルは穂村に対し、まずはイノの言葉づかいを教えるべきだと思ったのであった。
「――へぇ、面倒なことしようなぁあの男。なんでAランクの護衛をつけとるんやって話や」
◆ ◆ ◆
「――とはいっても、近場で済ませるべきよね……」
勢いよく飛び出してきたのはいいが、ラシェルにとって穂村の住まう区域の近くの情報などあまり知ってはおらず、外に出たところで立ち往生してしまっている。
「どこかレストランとかないのかなー」
「ごはんを食べる所なら、この前しょうたろーといったお店のカレーライスというものがおいしかったぞ!」
オウギも以前食べたカレーの味を思い出したのか、口の端から涎を垂らしてはごしごしと袖で拭っている。
「それって近くにあるの?」
「ここからすぐ近くにあるぞ」
「じゃあ、そこに行きましょっか」
近くにあるのなら丁度いい、そこでお昼を済ませようとラシェルはイノに言われるがまま、近くの定食屋の方へと足を進めていくこととなった。
「――ここだぞ!」
「へぇ、結構古ぼけた隠れ家的なレストランって感じ?」
「ここのカレーライスがおいしかったぞ!」
ラシェルの袖を引っ張りながら、イノは早速その古ぼけた定食屋へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませー」
「カレーライスください!」
「イノちゃん、まずは席に座ろうね」
ラシェルは奥にいる男性店員に向かって申し訳なさそうに頭を下げたが、店員はイノの様子に対してではなくラシェル自身に対して苦笑いをしている。
「……?」
ラシェルは店員の様子に首を傾げつつも、イノとオウギを連れてテーブルの一角へと座る。そしてメニュー表を見つめながら、午後から警備をどうしようかなどと考えていた。
「へぇ、結構メニューが豊富じゃない」
「わたしとおねぇちゃんはカレーライスだぞ!」
「分かっているって! ちょっと私にも決める時間をちょうだいよ!」
しかしイノは穂村からこういう時の対応を学習していたのか、他のテーブルの台ふきをしていた中年の女性店員へと声をかける。
「えーと、注文お願いします!」
「はいはい、相変わらず元気なお嬢ちゃんだこと」
「カレーライスのあまくちを、みっつください!」
「カレーライスの甘口を三つね。お水はあっちにあるから、自分で注ぐんだよ」
「わかったー!」
「えっ!? ちょっ、せめて一つ中辛にしなさいよ!」
ラシェルじゃ注文に割って入ろうとしたが、既に女性店員は厨房の方へと向かっており、声をかけようにもかけづらい状況に。
「らしぇるが注文遅いのが悪いのだぞ! しょうたろーはメニューを決められない時にはいっつも全部決めているぞ!」
「そんなの無茶苦茶でしょ……」
いつの間にか自分の分にまでカレーライスを注文されたことに納得がいかないものの、既に注文は通ってしまっているところから渋々料理を待つことに。
「私このオニオングラタンが食べたかったのに……」
「じゃあそれも注文するのか?」
「しないわよ! 二人前も食べられる訳無いでしょ!」
ラシェルは二人のペースにのまれて調子を狂わされながらも、契約通りに任務を果たそうとしていた。
「……それにしても、何もアクションが無いわね」
料理を待つ間にも二人のマイペースな行動には目を奪われるが、ラシェルはそれとは別に例の人さらいの男が現れる様子がないことを不思議に思っていた。
「いくら人さらいのプロだからって、Aランクには挑まないってことかー?」
人さらいの能力である『縦横無人』の全貌はいまだに明らかになってはいないものの、少なくとも断片的な情報から対処法は導き出されている。
まず一つ目は行動範囲の自由度の高さ。垂直な壁だろうが天井だろうが、相手は自由に動き回れる。そして二つ目が、目の前で人を消す力。これはとても注意しなければならないようで、接近だけは避けたいところ。
しかし一つ目の能力が、こちら側が距離を取る際の大きな負い目となってしまう。こっちもいざとなれば箒があるものの、三人乗りで上手く落とさずに凌ぐには少々無理がある。
「……結構面倒な組み合わせなんだよねー」
考えられるのはあえて閉所で戦う事で敵の機動力を潰し、そこから一切近寄らせずに倒す方法。しかしこれはハイリスクハイリターン。攻撃の抜け目から接近された時点で負けの可能性が濃厚となる。
「うーん……」
「はい、カレーライスお持ちしました」
「おおー! 待っていたぞ!」
ラシェルが感嘆の声を挙げてスプーンを手に取っている間にも、ラシェルは一人考え事にふける。
「もぐもぐ…………どうしたのだ? 食べないのか?」
「あー、カレーきていたのね。後で食べるわ」
「熱いうちに食べたほうがおいしいってしょうたろーが言っていたぞ」
そう言っているイノはというと、スプーンの上に乗ったカレーをふーふーと息で冷やしているご様子である。
オウギの方はただひたすらに黙々とカレーを口に運んでおり、時おり口の端を満足げに緩めている。
「……とにかく今はこの子達を守れているし、先のことは今考えても分からないか」
ラシェルは考えるのをやめてカレーライスを一口頬張ると、やはり中辛を頼むべきだったと少し後悔するのであった。
◆ ◆ ◆
「――ほな、さいならー」
「じゃあな」
今日もまた無事に一日を終えることが出来た穂村は、いつも通りの帰り道を少し急ぎ足で帰っていた。
「チッ、今日に限って補習とは……ラシェルのやつ怒っているだろうな……」
この日の時間は既に六時を回っている。例によって特別ルールが適応されてしまう時間帯だ。
午後六時以降、自宅自室内及び病院にいる相手とは戦闘行為ができない。穂村はこれを狙って家に二人を滞在させている。
「……まあ、相手にとっちゃ元々関係ねぇか」
相手はこっちの事情など考えるはずもない。わざわざ時間外だからといって襲撃に来ないなどありえない。
「あんまし目立つからやりたくなかったんだが……」
戦闘時以外にこれを使うのは燃料の消費を考えると気が進まない。だがこうなってしまっては仕方がないと穂村は考えると、面倒ながらも地面を強く蹴る。
すると両足からバーナーのように炎が吹きだし、穂村は辺りの視線を集めた状態でそのまま力帝都市の夜空へと飛び立っていった。
「そういえばあいつ家にいるんだろうな?」
穂村は連絡を取ってみようと、ポケットにある携帯端末を手に取ってラシェルに連絡を取ろうとしたが――
「あがっ!?」
「へぇー、何これ? 何であんたが魔女の携帯番号知ってんのよ?」
「がはっ、時田!? お前なんで俺の背中に乗っかってんだよ!?」
空を飛んでいる穂村の背中の上で、いつの間にか時田がくつろいでいる。
「なんでって、なんかジェット音がうるさかったから上を見たら、たまたまアンタがそこに飛んでいるからよ」
「だからって乗車許可を出した覚えはねぇぞ!?」
「えーっ、いいじゃん別に」
穂村としては積載重量が増えた事で消費される燃料が増えるのはあまり好ましいことでは無い。
「それよりアンタ、どうしてあの魔女の連絡先を知ってんのよ?」
「ハァ? お前には関係ねぇだろ」
「大アリよ! アンタがどうして敵だったやつとつるんでいるのって話よ」
時田は研究所でラシェルと会ったことがあるものの、その後も穂村がラシェルと付き合いを持っていることに不服らしい。
「そいつは今回俺が依頼した相手だ。下手なことするな」
「えっなにそれ。依頼ってどういうこと? アタシを差し置いて依頼ってどういう事よ!?」
何が彼女を怒らせたのであろうか。時田に背中の上でぐりぐり暴れられ、穂村はその地味な痛さに体勢を崩してふらついてしまう。
「ちょ、お前暴れんなよ! 落ちるぞ!」
「フン! だったらちゃんとした言い訳を聞かせなさいよ!」
こいつにイルミナがまだ活動していることは言ってもいいだろうが、イノとオウギの世話の話を聞かせるのはマズイだろうと穂村はこの時考えた。
「……実は――」
「ウソついたり隠し事していたりしたらこの場で後頭部にでこピン確定だからね」
「…………実は昼間に俺が学校にいる間、ラシェルにイノとオウギを預かってもらってんだよ」
「え? どういうこと?」
「組織を抜けた之喜原から、まだイルミナが二人を追っているって話を聞いたんだ。その為だ」
「……アンタそれ騙されているんじゃないの?」
「騙すにしてもわざわざ狙っているとか言うか? 逆ならまだしも」
「ッ、その上更に敵だった奴に預けるなんて、アンタ頭おかしいんじゃないの?」
「ハァ、一応選んで頼んでんだぜこっちは。お前は俺と同じ高校生だからこんなこと頼めないだろ?」
「えっ? あいつも高校生じゃないの?」
「あいつ、大学生だったよ」
穂村の言葉を最後に、二人の間に長い沈黙が続く。
「……と、とにかく、信用とは別の話になるわ」
「じゃあお前もこの後会ってみればいいだろ。とにかく、携帯を返せ」
穂村は時田の手から携帯をとると、早速連絡を取ろうとした。すると既にラシェル側の方から携帯に呼び出しがかかっている。
「ん? “ちょっと話があるから来て。家の近くの定食屋にいるから”って、これ栗城のとこの定食屋か?」
「誰それ?」
「俺の後輩だ。両親が経営している定食屋でバイトしているんだよ」
「へぇー……じゃあそこに行きましょ」
「そうだな」
穂村はついでに夕食をそこで済ませようと、急いで街の夜空を飛びたっていく。
この時の穂村は知る由もないだろう。これから先に恐ろしい修羅場が待っているということに。