第3話 それぞれの価値観
「ああー、どうしよどうしよ……この服装おかしくないよね……?」
部屋に置いてあるくま五郎のぬいぐるみに日がさし始める。そんな早朝に魔女の制服を着ては、鏡とにらめっこをする一人の少女の姿があった。
「冷静に考えたら私、男の部屋に入るのって初めてなんだよね……って、そういう意識をしたら負けよラシェル! 冷静に、普段通り!」
あれだけ穂村の前で堂々としておきながら、今更に部屋に入るのが恥ずかしいからキャンセルなんて言えるはずもない。
ラシェルは何とか鏡の向こう側の赤面を消し去ろうとしながらも、いつものお出かけ以上に念入りに服装の確認を行っている。
「……大丈夫だよね? それにしても、簡単に女の子を部屋に入れられるってことは、そういう事に慣れているのかな……ダメ! 考えるより先に行動!」
変な妄想を膨らませながらも、ラシェルは玄関に立てかけていたいつもの箒を手に取り、帽子掛けにかけてある帽子を目深にかぶって玄関を後にしていった。
◆ ◆ ◆
「……よしっ」
依頼主の部屋のドアの前、意を決してラシェルはインターホンを鳴らす。
「……なんだよ朝早くに……はい」
インターホン越しから悪態が聞こえた気がしたが、ラシェルは依頼の件で来たことをインターホン越しに伝える。
「わ、私よ! 依頼の件でちゃんとイノちゃんの護衛に来たわよ!」
「あー、そうか……ちょっと待て、玄関開けるから」
インターホンの向こう側の声が妙に眠気を交えていたことが気がかりだったが、ラシェルはとうとう他人の家に入るのだと緊張を昂らせる。
そしてしばらくすると、ドアがゆっくりと開く。
「……おう、入れよ」
寝起きなのかまぶたを擦りながらドアを開ける穂村の姿に、ラシェルは今まで緊張していたことが馬鹿らしくなると共に、そのふざけた服装にツッコミを入れる。
「……なんであんたまだパジャマなのよ」
「うっせぇ。お前だってなんで七時に来てんだよ。朝早すぎだろ」
「ハァ!? こっちは気をつかって朝早く来てやったってのに、そんな言い草は無いでしょ!?」
そっちの事情に興味など無いといった風に穂村は大きく欠伸をしながらも、取り敢えず四人分の朝食を作ろうとキッチンへと向かう。
「そういやお前朝飯食ってねぇだろ?」
「あっ……う、うん……」
「じゃあテーブル出してそこに座っててくれ。簡単だが目玉焼きとパンくらいは出してやる」
言われた通りにラシェルは立てかけてあったテーブルを置いてテレビの近くに座ろうとすると、今まで眠っていたのであろう護衛対象二人が目を覚ます。
「ふぁあ……まだ眠たいぞ……」
床に敷いてあった布団が盛り上がり、中から二人の少女が顔を出す。
「今日は起きろ、イノ。お前達が昼間ひまにしているから遊び相手をしてくれるってよ」
「うぅん……あっ、お前は!」
「おはよう、イノちゃんに……オウギちゃんでいいのかな?」
「…………」
オウギは言葉を返さないものの、頭をゆっくりと縦に振る。それからしばらくして穂村がテーブルの上にパンと目玉焼きを並べるのを見ると、イノとオウギは食器棚からフォークをだし、素早くテーブルの所定の位置に座り込む。
「すまねぇ、適当なもんしかねぇけどよ」
「別に構わないけど……」
他人の家、ましてや異性の家で朝食を食べることになるとは思っていなかったものの、意外とすんなり馴染めている自分もいる。ラシェルはカリカリに焼けた食パンを口に運びながら、そして意外に穂村の料理がうまい事に悔しさを交えながらも実際にどう動けばいいのかを聞くために穂村に話をきりだし始める。
「で、お昼の間つきっきりでどうすればいいの?」
「いや、ただ面倒を見るだけっつうか、適当にしていていいぞ。外に連れ出すなら出してもいいし。一応これ合鍵な」
「え、ええっ!?」
穂村の家の鍵を渡されたラシェルは顔を真っ赤にするが、穂村にとっては何が彼女の顔を赤くしているのかが分からず、首を傾げるばかり。
「なに挙動不審になってんだよ」
「……あんた、人を信用しやすいタイプ?」
「ハァ!? そうじゃねぇだろうが!? 俺の家で預かってもらうんだからよ――あっ、そうか!」
ラシェルはようやく女性を家に上げることの意味と人に簡単にカギを渡すことの意味に気がついたかと思ったが、穂村は別の意味で気がついたようだ。
「別に俺の家じゃなくてもいいのか。俺が学校帰りにお前の家によって、イノ達を連れて帰れば――」
「ハ、ハァ!? なんであんたに私の家を教えなきゃいけないの!? しかもそれってなんというか、この二人が私の子どもみたいに――」
「それについてはお前がこの家にいても同じ結果だろうが……しかも大学生で五歳児くらいの子持ちとか普通なら考えつかねぇことくらい分かるだろ……」
もっともなツッコミだが何とも納得しがたい所がある気がする。ラシェルは渋々スペアのカギを穂村から受け取り、制服に着替えて出ていく依頼主の後ろ姿を見送る事に。
「じゃあ、適当にしていてくれ。何も無かったら五時半には帰ってくるからよ」
「しょうたろー! がっこーがんばるんだぞ! おねぇちゃんも頑張れだって!」
「お前こそそいつの言う事はちゃんと聞くんだぞ」
「……いってらっしゃい」
「おう」
無意識に見送りの言葉を送ってしまったラシェルは、玄関のドアが閉じられた後にそのことに気がついて顔を真っ赤にしてしまった。
「……なんで私だけがこんなに意識しなくちゃいけないのよ!」
「なんで顔を赤くしているのだ?」
「してない!」
◆ ◆ ◆
「――っと、もう昼か……パンでも買ってくるか」
「あんさん今日は集中できとるようやな、珍しい珍しい」
演武を完膚なきまでに叩きのめして以来、学校で穂村に喧嘩を売る者はごっそりと減った。そのおかげか穂村も購買部で買った惣菜パンを教室でゆっくりと食べることが出来ている。
そして穂村のその平穏な姿をつまらなさそうにも、また面白そうにも見ている少女が穂村のすぐ隣にいる。
「伽賀から見た俺って何なんだよ……」
「うーん、問題児かね?」
穂村の隣の席で弁当箱を開きながら、伽賀は目は笑みを浮かべていながらも眉を動かし困ったような表情を作り出す。
「そんなに問題おこしてねぇだろうが」
「えぇー? 問題児やあらへんのやったら学校にしょっちゅう遅刻なんてせえへんし……ってそういえば今日は遅刻してへんな」
「ったく、俺だって真面目にしてんだよ」
「真面目にしとる奴の第一ボタンが何で空いとんねん」
穂村は伽賀の目の前で舌打ちをしながらも、落ち着いた昼休みの時間を満喫していた。
教室のドアを開けて、頼もうなどといった道場破り的な何かが来る気配もない。
この高校で力のある者の最高ランクはB。つまりAランクの関門でありBランクにて最強の穂村に敵う者など、現時点でこの学校にはいない。
それでも今までにこの学校にて戦いを挑んできた者は大勢いたが、いずれも穂村はその身一つで返り討ちにしている。そして現時点で最後に穂村に挑んできた挑戦者は、Cランクの発火能力の持ち主である演武で最後となっている。
「……ハァ、それにしてもなんでお前と二人で飯食わなきゃなんねぇんだ」
「そりゃあんさんが力を持つ生徒を片っ端からしばき倒したせいで、Dランクからは恐れられるわ、C、Bランクの連中からは嫌われるわでこんなんなるやろ。かといってご機嫌取りに来るような連中はというと、今度はあんさんの方が嫌いやしなぁ」
「チッ……まあそうだよな」
この学校の生徒の間において、穂村に対する扱いの大半が二極化している。
怖れられるか、憎まれるか。力を持ち過ぎた一人は、力を持たない大勢に嫉妬をされ、そして力を利用できない者から疎まれる。
少しはショックを受けるかと期待して伽賀はその様子を観察していたが、力帝都市であろうが自分が中学校以前から受けていた対応と変わらないことに、穂村は何も思うところなど無い様子だった。
そして穂村としては、むしろ伽賀を除けば自分に関わる者がいないことに居心地をよく思っていたほどだった。
「俺にとっては友達だとかつるむ相手だとか、どうでもいいけどよ」
「まあ、穂村さんは友達がいらんゆうことか?」
「そうじゃねぇよ。逆に俺からすれば、自分から危険なものに絡もうとしないのはむしろ賢いと思っているくらいだ」
「まあ実質あんさんの能力は『焔』という分かりやすく危険な炎の力やし、実際に見た者の大抵は近寄りがたくなるやろ。特にDランクが多いこの学校やと尚更に」
伽賀がケラケラと笑いながら喋り終えたところで、ここで穂村はふと旧知の仲に素朴な疑問をぶつけてみることに。
「じゃあなんでお前は普通に話しかけてきてんだよ」
「……それはな、危険でも面白いからや」
伽賀は一層笑みを増し、口元に近づけていた箸を止めて再び喋り始める。
「ウチらみたいな力の無い者が、Dランクがどうやったらこの力帝都市で楽しく暮らせるんや? 普通に楽しく暮らすんやったら、日本やとそこら辺の東京やらでも楽しゅう暮らせるやないの? けどここは違う。日本でもない世界でもない、この力帝都市『ヴァルハラ』だけが唯一、戦いと娯楽が一緒になった都市や。そこに運よく住んどいて、戦いを間近に見いひんのは愚の骨頂やとウチは思うで」
「……それが危険だとしてもか?」
「危険や言われても、現にあんさんの近くにおるウチには一切被害きてへんし、あんさんもウチには手を出さへんやろ…………まさか出すんか?」
「出すかよバァカ」
何か重要な理由でもあるのかと思えば、ただ面白いだけだという返答をくらう。穂村はあまりの馬鹿馬鹿しさにため息をついたが、裏を返せば彼女らしい回答だとも考えることができた。
だがその回答には、穂村にとっては気に入らない要素も含まれていたが。
「……チッ、やっぱりくだらねぇ」
「なっ!? くだらなくはないやろ!? ウチにとっちゃ大事な事なんやで!? valtubeで毎日ある今日のバトル特集見らんと寝られんねん!」
「そりゃよかったな。だが、飛んで火に行く夏の虫にはならねえようにはしろよ。俺もフォローする気はあんまりねぇし」
「なんやー、あんさん守ってくれるんやないんか―」
「ハッ、お前に限っては依頼料をふんだくるかもな」
「かーっ、きびしー!」
コーヒー牛乳を口に含みながらも、穂村はこの余裕のある時間に家ではどんなことが起こっているのか、少しだけ気がかりになっているのであった