第1話 揺らめく焔
「――くそ! もう少しだったのによお!」
少年が暴れまわっているのは、病院のロビーである。病院はまだ正式に空いていないため他に人はおらず、ケガ人は少年一人だけであった。包帯をぐるぐるにまかれミイラのようになったその風貌はいかにも重症のように思えるが、当の本人は元気と血気が有り余っていた。
少年は物に当たることは無かったが、じだんだを踏んで辺りを歩き回っている。
「うるさいぞ、少しは静かにせんか」
しばらくすると診察室から老いた医者が現れる。医者のその落ち着いた風貌は、周りの者に安心感を与えているようにも思える。
少年は老人を見つけるとその方へくるりと体を向け、ずかずか歩いていく。
「早く治してくれよ!」
「まったく、そんなに急いでも何もないぞ」
「いいから早くしてくれよ! できるんだろ『巻き戻し』!」
少年は医者に向かって追い詰めるように言うと、医者の方は大きくため息をついてしぶしぶ応対をする。
「今のお前さんは頭に血が上り切っておる。そんなすぐにホイホイ治したところですぐに重体となって帰ってくるだろうに。まったくどうして毎回毎回こうなるのかね……大量出血、裂傷、そして今度は複雑骨折。少しお前さんには説教が必要だ」
彼はそう言うと少年を診察室に招き入れる。少年は不満げな表情を抱えたまま、診察室へと足を運んだ。
二人が診察室で向かい合うように座ると、医者の方は少年用のカルテを手に取りつつ取り留めもないことの様に少年に話しかける。
――カルテの名前欄には、穂村正太郎と記されてあった。
「お前さんも分かっているはずだ。この都市では力が絶対だと」
「チッ、そんなの当たり前だ」
「だったらなおさら彼女には勝てないことが、わかるはずだ――」
――力帝都市ヴァルハラ。どこの勢力にも属さず、どこの国にも属さずにこの都市は存在している。
総人口約六百万人。元首代わりに一人の市長がこの街を治めている。一見すれば無法地帯にも思えるこの都市で、唯一信頼できるものがある。
それは力。
腕力、能力、魔力、科学力、権力――何でもいい。力こそがこの都市における自分の存在の証。力こそがこの都市において唯一揺るぎ無いものだ。
誰しもが力を欲し、誇示し、証明する。そのためにこの都市は存在しているのだ。
そして力もまたランクというもので振り分けられている。
上から順に、S、A、B、C、D。持っている実力によって個人はそれぞれに振り分けられる。基本的に上に行くほどその絶対数は減り、その強さも指数関数的に上がっていき、性質もより異質なものへと変わっていく。
上の者となればその名も各区域へ轟くようになり、『理を覆す魔導王』『機械仕掛けの神』『がらくたの王』『この世で最も弱い暴君』『反旗を翻す者』『人型最終兵器』『全ての能力の原点』といった異名を持つ者さえも存在している。
このランクの大まかな指数として、Cランクはチンピラ数人とも渡り合える程度の力。Bランクは市民の大規模な暴動を一人で鎮圧することが出来る程度の力。Aランクは軍隊を相手に蹂躙できる程度の力。
そしてSランクは、どんな形であれこの世界を一人で動かすことができる程度の力とされている。
ここまでの説明でDランクがは省かれていたが、それにもちゃんとした理由がある。
Dランクとはただの一般人を指している。腕力も普通、能力など無く、魔法も使えやしない。真の意味での普通の一般人。この都市でも人口の五十パーセントを上回る数の人間がこれに当てはめられる。
ただ例外として特別な力を持っていようが競争する意思がない場合、審査を受けてここに当てはめてもらうこともできる。
このように不安定なパワーバランスの上ではあるものの、確実にこの都市の中で力というものは機能している。
そして人々は様々な思惑を胸に秘めて、あるいは単にこの都市の頂点を意味する『最強』という称号のために、日々戦い続けている。
そしてこの少年、穂村正太郎のランクはB。
能力検体名、『焔』。その名の通り炎を自在に操り、発火させることができる能力だ。
この都市では至って平均的なランクと言えるものだが、それでも一般市民の暴動を一人で鎮圧できるレベルの力を持っていることは間違いない。
そんな彼が先ほどなす術もなく負けた少女は、現時点でどれほどの力を持っているのか計り知ることはできないだろう。
「……君が異常に彼女に執着する理由がわからない。ランク上げなら地道にした方が――」
「それじゃ遅せぇんだよ。俺は早く上に上がらないといけねぇんだ」
「目的のために焦る気持ちもわかるが、このままだと次は病院につく前に死ぬことになるぞ。ほれ、『秤』の奴らもしっかりと見ておったわい」
穂村の目の前に置かれたのは、先ほどの戦闘戦績が書かれた紙であった。そこには『総合評価 B』とはっきり書かれている。
「どうあがいたところで、今のお前さんはBランクだ」
「…………」
穂村は分かっていた。今の力であの少女には勝てない事を。ただの発火能力ごときで彼女に傷をつけることなど不可能なことを。しかしそれでも戦わざるを得なかった。
「はぁ……仕方ない」
医者は大きくため息をつくと、少年の顔の包帯だけ巻きとる。すると先ほどまで瓦礫でズタズタとなって目も当てられなかったはずの顔が、傷一つ残さず綺麗に元通り戻っている。
「全部取ってくれよ」
「ダメだ。どうせすぐに挑みに行くだろう? それに、今週分のカウンセリングも済ませておらんからな」
しかし穂村には別に急ぐ理由があった。
「学校があるから遅れちまうんだよ」
「それなら心配ない」
医者は壁にかけている時計を指さす。
「もう九時をまわっているからな。一限目は始まっているだろう?」
「…………」
数泊おいて、穂村の顔に焦りの表情が浮かび始める。
「それを早く言ってくれよおっちゃん!」
穂村は急いで診察室を飛び出そうとするが、医者はそれを制止する。
「まあ待て、今から行っても遅刻は確定だ。それより今月の支払いを――」
「じゃあな、支払いはつけといてくれ! またな!」
包帯を中途半端に巻いたままの少年は怒声を後にして、朝日に照らされた街中へと消えていった。
♦ ♦ ♦
「――ということから――」
午前九時半。すでに学校では国語の授業がおこなわれていた。窓際の換気装置が回転する教室では、最後列の席を一つ空けてあとはすべて埋まっている。
前では若い女性が煙草をふかしながらその手を働かせ、そんな中各々が板書をノートにうつしたり、近くの友人と内緒話をしていたりといった授業風景がうかがえた。
そのような比較的物静かな授業風景をかき乱すかのごとく、廊下から騒がしい音が教室近くへと向かってくる。
「先生! 遅れてすみません!」
「遅い! 三十分遅刻だ!」
授業中だというのに煙草を吸っている若い女性教師がいえた言葉ではなかった。たばこの先から流れる煙が、穂村を指さすような形になって注意をする。その姿に穂村は低姿勢となって必死の言い訳をする。
「すいません! 朝っぱらからちょっとバトってたんで……」
「全く、お前はBランクなのだから、ちょっとは自覚を持って行動しろ!」
佳賀里炉。
能力名『喫煙者』。
Cランクの能力者であり、穂村のクラス担任をしている。
「すいません……」
「まったく……」
普通戦っていたなどという空想的な言い訳は通用しないのであろうが、この都市ではそれが立派な理由となる。
理由故に仕方ないと佳賀里は大きなため息をつくと、出席簿に遅刻の理由を記録する。それを見ながら穂村はそそくさと席に着こうとするが、その前に佳賀里から肩を握られる。
「待て、その前に煙草に火をつけろ」
今まで吸っていたものを灰皿に押し付け、佳賀里は新たに煙草をくわえなおすと穂村の方へ顔を寄せる。
「俺はライターじゃないんですから……」
「まあまあ、お前につけてもらうと美味く感じるのよ」
「いい加減タバコを止めないと、生徒に悪い影響が――」
「分かってるわかってるって」
お茶を濁すかのように佳賀里が言うと、穂村はしぶしぶ人差し指と親指を擦り合わせ、煙草に火をつける。
それを満足げに受け取ると、佳賀里はまた黒板に板書をし始め授業を再開した。
このように穂村の通う高校は、主に能力者が通う高校となっている。
先ほどから普通に出てきている能力者であるが、彼らの出生を知れば自ら望んで力を得てきたという訳ではない事が分かるであろう。
――変異種という別称でも呼ばれる彼らは、その名の通り普通の人間としてではなく、人間という種から突出した、まさしく変異体と呼ぶにふさわしい存在である。
生まれ持って身に付く力は千差万別。単純に身体能力がずば抜けただけの者もいれば、穂村の様に普通の人間では考えられない力を与えられることもある。
そして生まれ落ちた場所によって変異種は、英雄と呼ばれ、化け物と呼ばれるのである。
穂村の家庭も本人を除けば単なる一般的な人間と同等の普通の人間である。
そんな中でたまたま生まれた穂村だけがこのような力を手に入れ、この世界に生まれ落ちた。
ある者は彼を見て業火を生み出す『悪魔』と呼び、ある者は彼を見て才に恵まれた『奇跡の子』と呼んだ。
穂村自身はというと、どうして自分がこの力を授かったのかを幼いころから知りたがっていた。更に自身が成長するたびに、その力に対してある疑問もわいてきた。
そして自らが得た力について調べている内にこの都市の事を知り、二年前――穂村がまだ中学二年生のころに引っ越してきた。
そんな穂村が今度こそ席に着こうとした時に、隣の親友《自称》が声をかけてくる。
「――で、誰と戦こうたんや?」
「いつものだ」
「まーた時田さんかいな。いい加減こりん奴やのぅ」
胡散臭い関西弁でしゃべりかけてくる少女が茶化すのを見て、穂村はムッとした表情で睨みを返す。
第一ボタンあけっぱなしの穂村と違ってきちんと学校指定の制服を着用し、髪もショートヘアに切りそろえた少女は、仮面のような貼りついたような笑顔を浮かべてこちらを見ている。その後隣の少女は授業中だというのに携帯を触りだし、何かを検索し始めた。
「……チッ、もうチョイだったんだよ」
「どこがや?」
そう言って少女は右手の携帯端末の画面を見せつけてきた。
そこには例の少女が瞬間移動をしたかと思いきや、自分が一瞬で壁に叩きつけられているといった内容の映像が、穂村をいらだたせるには十分なほどに何度も何度も流れていた。
しかし我ながらあっけなくやられているものであると、穂村はその動画を見て自分が情けなく感じた。
「無理や無理。あんなん勝てるわけあらへんやろ? 動画ですら何が起きたかわからへんのに、受けた本人がもうチョイやったとか思えるわけあらへんやん?」
穂村のまねをするかのように、少女は顔をしかめてセリフを言い返す。穂村自身も自分の無謀さを分かっていないわけでは無かった。
それでも、目の前の少女に言われるのは癪にさわるものがある。
「ケッ、Dは黙ってろよ」
「はいはい、学校のエースのお言葉や。一般人は黙っておりますよー」
へらへらと笑うこの少女の名は、伽賀師愛。
ランクD。
特筆すべき力、なし。
彼女は普段からいつもニコニコとした表情でいてその真意が読めず、古くからの付き合いであった穂村ですらその腹の底は何を考えているのか読めなかった。
古くからの付き合いといっても、住んでいるところも、いつから友人だったかも穂村はよく覚えていない。
ただいつの間にかこんな仲であったとしか言いようがなかった。
「で、どや? 時田さんとの関係は進展したんか?」
「は?」
「せやからさぁ、こう、戦いの中で芽生える恋心とか――」
「恋心を抱くような奴が、ビルの壁に張り付けをしたりするのか?」
それを聞いてやれやれといった様子で伽賀は首を振る。
「まったく、わかってへんのう。それも照れ隠しみたいなもんやったらどうすんねん」
「だぁから! あいつがそんな奴に――」
二人の頭上に黒い影が差しこむ。
おそるおそる上を向くと、そこには先ほどまで教壇に立っていたはずの女性が二人を睨んでいる。
煙草の煙をまとわりつかせ二人の上に影を落としているなか、煙草の灯す火だけがその怒りを現している。
「……あれー? そんなにやかましゅうございましたっけ?」
「おいおい、悪いのは伽賀だけにしてくれよ」
「うわっ! 穂村が友人を売りおったで!」
「そんなことはどうでもいい」
冷たい一言に二人の肩がすくむ。少しの間をおいて、佳賀里は二人に判決を言い渡す。
「二人とも廊下で立っていろ!」
「……はぁーぁ、もうあんさんのせいやでぇ」
「ケッ、知るかよ」
二人の学生は互いに責任を擦り付け合いながら教室の外へと消えていった。
♦ ♦ ♦
結局昼の時間まで廊下に立たされ続けた二人であるが、昼休みは互いに別行動をとっていた。
なぜかというと――
「穂村ぁ! お前をぶっ倒せば俺は一気にAランクになれるんだよぉ!」
「力比べに卑怯もクソもねぇってとこがここのルールのいいとこだよな!」
「ま、黙ってぶっ倒されてくれんならそこまで痛い目に合わずに済むかもなぁ?」
体育館裏で囲まれていた。
それもまるでお決まりの格好で、お決まりといった服装の大勢の不良に。
それぞれがバット、鉄パイプ、ナイフなどお決まりの凶器を引っ提げている。
「はぁぁ……諦めろよ。それじゃCランク級の装備にもならないぜ?」
穂村の方はというと――素手である。何の武器も所持せず、仲間も一切引き連れていない。
しかし彼は余裕の表情を浮かべている。
「大体よぉ、お前さえいなければ俺はこの学校のトップになれたんだ!」
「そうだ! 演武さんこそこの学校のトップに、発火能力最強になれたはずなんだよ!」
仲間内から演武と呼ばれるその男は、その手に大きな木材を持っていた。そして発火能力と言われた通りにその木材の先に火をつけはじめた。
木材に点火された火は轟々と燃え上がり、その熱気を辺りにまき散らす。
「おいおい、相変わらずでけぇマッチ棒じゃねぇか」
穂村は敢えて演武に向かって“マッチ棒”と馬鹿にするかのように挑発すると、これまた演武の顔がそのマッチ棒のように赤く染まっていく。
「お、お前はここで焼け焦げて死ね!!」
掛け声とともに、数多の殺意が穂村へと向けられる。
「……チッ、馬鹿が」
不良がその忌々しき宿敵に一撃を与えようとした時――突如巨大な火柱がその場に立ち上る。
「ヒィッ!」
「……もういい加減飽きてんだ……一瞬で片づけてやるよ」
その火柱で不良たちを後ろへ引き下がらせたところで、穂村は炎を右手の指先へと収束させていく。
不良たちはその情けない小さな五つの火を見て、嘲笑の声を挙げ始める。
「プッ、あんなマッチ以下の小さな灯でどうしようってんですかねぇ?」
「……誰の炎がマッチ棒だとぉ?」
「え!? すいません演武さん、そっちじゃないんです! ぎ、ぎゃああああ!!」
演武が部下に制裁を加えているなか、穂村は腕をだらりとさげて静かに呟く。
「F・F・F……」
穂村の指先がエンジンの様に不規則に点火し始め、やがて指全体を覆っていく。突然起きた不可解な現象を前に、不良の攻撃の手も止まりかかる。
「……ビビってんじゃねぇ! かかれ!」
演武の掛け声を皮切りに、不良が先ほどと同じように四方から攻め拠る。単調な一斉攻撃を穂村は軽くかわすと、カウンター代わりに右手の炎爪で敵陣を引き裂いた。
「ぎゃああああ!!」
悲鳴とともに不良の肉体に五つの爪痕が焼き付けられる。穂村は返す右手で更に十字の焦げ跡を描き出す。
「熱いぃ、水! 水ぅ!」
まるで舞を舞う踊り子のごとく、火の粉をまき散らして辺りにその暴力をまき散らす。
「ぐあぁ!?」
「馬鹿が、死に急ぎやがって――」
終わることなき炎の舞踏。その犠牲者はどんどん増えて行き、演武以外の全員がその舞の犠牲となった今、穂村の矛先は決まっている。
「や、やめてくれ……」
「安心しろ。もう二度と向かってこようと考えられねぇように体に刻み込んでやる」
指から今度は右手全体に炎をともす。その拳を強く握りしめ、火球となって燃え上がらせる。
「お、お願いだ! もう襲わねぇと誓うから――」
「遅えよ、バァカ」
拳を無防備な腹に突き立て、その右手を開く。
炎が放射状に広がり、演武の体を駆け巡る。
「がぁっ……あっ……」
演武の体に黒い花を咲かせ終えると、穂村はその場を立ち去って行った。
♦ ♦ ♦
――これがこの街における穂村の日常であった。
見知らぬ者から声を掛けられ、運が悪ければ勝負を持ち込まれる。
穂村はその力を以て、敵対者に対し最大限の武力を行使する。
そして最後に穂村は、必ずと言っていいほど相手の身体に火傷の傷跡を負わせた。