第十七話 不十分
「――ところで今日は、貴方に会わせたい人がいるの」
「会わせる? 俺が?」
病院のような殺風景さを感じさせる研究所内の食堂にて、騎西は人間としての食事に当たるハンバーグを頬張りながら口を開く。
「食べている時に喋っちゃダメだよ」
「うっせ…………っ、元ダストの人間に行儀の良い悪いを求めてんじゃねぇ」
人外である天使にマナーを説かれて不機嫌ながらに飲み込みつつ、騎西はそれまで動かしていた箸を止めて数藤の話に耳を傾ける。
「それよりも会わせてぇ奴って誰だよ」
「それが向こうからは貴方にはまだ話さないようにって言われてるのよね」
「はぁ? 誰かは言えないっつーのに会えっておかしくねぇか?」
正体不明の相手との顔合わせ。これまでも依頼主の詳細が分からないままにダストとしての仕事をこなした経験を持つ騎西にとってはそう珍しい話ではなかったが、今の力もろくに震えない状態で誰かと会う事のリスクを想像できない程騎西は鈍くない。
「詳細は教えられないけど、私としては貴方も会っておいた方が良いと思うわ」
「はぁ……?」
「……なるほどね。確かに会っておいた方がいいかも」
数藤の様子から何かを察したのか、それまで対面の席で頬杖をついて騎西の食事を眺めていた天使が口を開く。
「まずは本格的な前線復帰の第一歩。その為にもクローン相手くらいには勝たないとねー」
「あっ、ちょっと!」
「クローン……だと?」
数藤が隠そうとしていたことをあっさりとバラしてしまうセラフだったが、当の本人はわざとらしくキョトンとした様子であり、更にこう言葉を並べる。
「だって穂村正太郎のクローンだなんて、サプライズだとしても下の下。本物だと思って思いっきり戦うよりもある程度の仮想敵として、トレーニングがてらの方が今後の都合が――」
「なるほどな……あのクソ野郎のクローンなら、ぶっ潰しちまっても後腐れなさそうだ」
手に持っていた箸が、パキッと音を立てて簡単に折れる。それはそのまま騎西のモチベーションの高さも表している。
「はぁ……先方は伏せた状態での自然な戦闘を望んでいるのに」
「別に奴が相手ならどんなだろうと徹底的に潰すから関係ねぇよ」
「そうそう。ぼくもわたしもこの展開が見えていたからネタ晴らしした訳だし」
そう言ってセラフはさりげなく騎西の前にあるハンバーグプレートから揚げたポテトを一つ取って頬張っていると、騎西から怪訝そうな顔つきで一つの疑問をぶつけられる。
「……つーかお前、前々から思っていたんだが、先が読める能力者なのか?」
「え? いや、これは別にぼくやわたしからすれば普通のことだけど?」
本人曰く、この程度の先読みは少し集中するだけでこなせるのだという。人間でいうなら、自分の起こした行動で何が起きるかを予想するというものを、何が起こるか確定した未来を見ることができるところまで先鋭化しているようなものなのだという。
「つまりは複数の能力を持つ変異種ってこと――」
「それは違うね。まったく、人間ってすぐに自分の理解できる範疇にまで何とか収めようとするんだから」
収めようにも収められない――それは数藤が一番分かりきっていた。何せ目の前に立つ存在は『熾天使』と呼ばれ、そして自己認識としてもそれを否定しない存在。
相も変わらず背中から堂々と生やしている三対の白い翼。天使といえば想像される頭の上の神々しき光の輪。そして何より、天上における位階において第一位を堂々と名乗りをあげられては、誰も彼も否定することはできない。
「これだから人間って奴は……やれやれ」
「つーか、セラフっていう呼び方であってんのか? なんかそういうのって人間でいうなら課長とか部長とか、役職名みたいなもんなんだろ?」
相手が天使と理解しても、恐れることがない少年。故に彼は、Dランクからここまで駆け上がってきたのだろう。
暇な時間に天使について少しだけ調べていた騎西は率直な疑問を呈すると、目の前の天使はあっさりとそれを肯定し、なおかつその役職名で呼ぶことを是とした。
「うーん、正確に言えばこの世界の熾天使じゃないから、名乗りをあげたらこの世界のご本人登場となって面倒なことになるんだよね。だからあくまでぼくのわたしの名前はセラフでじゅうぶんに伝わる。まっ、「よっ! 課長!」くらいの気軽さで呼んでくれて構わないさ」
そう言いつつまたしてもポテトに手を伸ばすセラフに対して、騎西は流石に我慢が出来なかったのかあえてフォークでポテトを突き刺してそれを止めに入る。
「えぇーっ? ケチー!」
「ケチー、じゃねぇよ! てめぇが食いたい分はてめぇで取ってこい!」
「いいのかなー? こっちは天使なんだけどー? むしろきみ達人間が恭しく貢いでくるのが筋ってものじゃないの?」
「うっせ! 元はといえば頼んでもないのに穂村との戦いに乱入してうやむやにしやがって! お陰で俺はAランク止まりだ!」
「っはー、分かってないねまったく。止めなかったら今頃きみの残留意思なんて微塵もなくなっていたってのに」
「ケッ! 元よりあの場で決着をつけるつもりだったんだ。俺かあいつ、どっちかがくたばるまでな!」
(それはこっちにとって都合が悪いから止めたのに……って言ったところで納得しないだろうから黙っておこうっと)
どちらかの死を以て決着とする――それはセラフを含む、一部の存在からすれば都合の悪い結末が待ち構えている。だからこそあの場において頭二つどころではないとびぬけた力を持つセラフが間に割って入り、鎮圧を試みる羽目となった。
――そしてその結果、より強い『大罪』に餌を与えるようなことになってしまうという手痛い展開をもたらしてしまったことも、セラフは自覚している。
「とにかく、あの程度の力で決着をつけるなんて勿体ないよ。現に魔人の手を借りてとはいえ、騎西善人は更なるバージョンアップ――人間としての『進化』を遂げたんだから」
「……人間としての『進化』、ね……」
それはかつて捨てた研究に引っかかる部分があったのか、数藤は静かに言葉を復唱する。
「……とにかく、騎西君を救ってくれたことについては、私から代わりに感謝するわ。それと、追加でフライドポテトを注文してくるから待ってて貰える?」
「いいね、良きに計らいたまえ」
騎西の代わりにと注文を受け取った数藤に対して上機嫌となるセラフだったが、騎西はポテトを取られたことを忘れておらず――
「そこから一部回収するけどな」
「なっ!? けちー! 強欲ー!」
「悪いが俺は欲しいもんは何でも取ってきた人間だからな。てめぇにとられた分のポテトも、キッチリ回収してやる」