第十二話 都合のいい存在
「……正太郎のバーカ」
本来ならば二人で昼ご飯をどこで食べるか話し合っていたであろう時間帯を、時田マキナは第八区画を一人寂しく歩いていた。こちらは穂村とは対照的に、元々が女性向けの店舗が並ぶ区画故に、一人で歩いていても奇異の目を向けられることはない。
しかし今の時田の様相はというと、よくよく見れば失恋をした少女のような悲壮感が確かに漂っていた。
「なんなのよ、まったく……」
確かに自分もやり過ぎた部分はあったかもしれない。しかし穂村のあの反応は、同年代の男がするような反応とは少し異質なものだった。
「照れ隠しでもなく、アイツってば本気で怒っちゃってさ」
意識していた相手が素肌を晒しているとなれば、少しは照れや羞恥心があるものだが、穂村正太郎はまるでそういった性的なものを嫌悪しているような、そんな雰囲気すら感じる程の怒りを露わにして露出を怒っていた。
「あの怒り方、マジでアタシのおじいちゃんみたいだったわ。……ハッ! まさかアイツ、あの年でもう枯れてるの!?」
イヤイヤイヤ、そんなはずはない――と、ふと思い至った考えを時田は首を横に振って否定する。
「だって、実際途中までは照れてたりしたし……アタシのこと、嫌いってワケでもなさそうだったし……」
だとすれば何故、あの少年はまるで拒絶反応を起こすようにしていたのか。穂村正太郎にはまだ皆に語っていない何かがあるというのだろうか。
「本人に聞いてもあの様子だと答えてくれないだろうし……知ってるとしたら、子乃坂さん……?」
ここでよくよく考えてみたら、子乃坂と穂村の付き合い方にはある種のラインが引いてあるように思われる。元カノ、元カレと茶化したりする部分はあったが、二人が実際にどこまでの関係に至ったのかは共に語ろうとしない。そして何より子乃坂は穂村に対して世話を焼くといったことで迫ることはあっても、恋人としてキスをせがんだりといった肉体的な接触をしようとはしていない。
「……ホント、後々考えたらそういう所を観ている筈なのに、アタシも察しの悪い女ってコトかしら」
自分自身に皮肉を吐きながら、穂村のことをよくよく考えたら何も観てこなかったことを時田は少しだけ悔いていた。
「そりゃそうよね……元はといえばアイツが何度も挑んできたから興味が湧いたってだけで、アタシからは特に何もしていなかったのよね……」
何もしなくても、穂村は自分を頼ってくれる。それかもしくはこっちが当てにしても受け入れてくれる。これまでの時田にとって、穂村は都合のいい男としてしか見てこなかった。
しかし子乃坂という穂村と明確に関係を持った人間が新たに表れた途端、そんな時田との関係は一気に薄れていってしまった。そして最後の頼みの綱ともいえるSランクへの関門として戦う間柄も、いつの間にか向こうが頭上を飛び越えてBからSランクに通り過ぎてしまったことで、意味を無くしてしまっている。
「……そっか。そういうことだったんだ」
想いは最初から一方通行。片想いでしかなかった。それを時田本人は薄々感じ取っていたのだろう。だからこそ穂村正太郎の隣に子乃坂ちとせというかつて両想いだった関係が姿を現した途端、今までしてこなかったデートをしようなどと言っていたのだろう。それまでの単なる買い物付き合いだったものを、敢えてデートなどという言葉で言い換えてしまったのだろう。
穂村正太郎は確かに変わってしまった。しかし何よりも変わってしまったのは、自分自身だった。穂村正太郎という自分にとって都合よく好きに寄りかかれる程度の存在が、いつしか一緒にいてくれないと寂しいと思ってしまうくらいの依存先になってしまっていたのだと。自分と本気で向き合って欲しいと思ってしまっていたのだと。
「……もう、どうだっていい」
振り向いてくれなくたっていい。自分に夢中になってくれなくてもいい。だからせめて、以前のような関係にまではとどまって欲しい。今度は自分が、都合のいい女として振り回されてもいいから。
「……っ!」
ふと人混みの中で、背後からの視線を感じる。もしかしたら、もしかするかもしれない。
「っ、まさか正太郎――」
僅かな希望を持って振り返った先、そこに立っていたのは確かに穂村正太郎だった。
――しかし時田にとってはそれが、一瞬にして憎しみの存在となってしまっていた。
「……なんでまた、アンタのクローンが、アタシの前に立ってんのよ!!」
一度はデコピンで再起不能にしてやった。しかし時田の前に立っているのは、無傷の体で再生成されたクローン体。
「……いいわ。今度は再起不能じゃ済まさない」
時田の情緒を狂わせたのは、穂村正太郎。そして今、自分の目の前に立っていて欲しかったのも、穂村正太郎。
だがしかし、コイツは違う。
「アタシを怒らせようって事なら、アンタは今最善手を打ってるわ」
一瞬にして穂村の眼前にまで接近。その時時田が取っていた姿勢は、回転蹴りの予備動作。
「消し飛びなさい!!」
頭部を刈り取るようなハイキック。ただしその速度は音速を超える。
完全にクローンの頭部を捉え、そのまま打ち抜こうとした蹴りだったが、ここで時田はある違和感を覚える。
「なっ!? えっ!?」
それはまるで能力の進化を目の当たりにしているかのよう。以前であれば、Aランクの関門を張っていた程度の穂村であれば、この一撃で勝負は決していた。
しかしこれは明らかに違う。仮にこの状況を説明するとなれば、まさにSランクとしての穂村正太郎を相手取るような手応えに近かった。
「頭が、炎に……!」
時間を僅かに進めていくことで、削れた顔がそのまま赤い炎の揺らめきへと変化していくのを目にすることができる。そうして炎は時田の足に絡みつき、火傷を負わせようとしたところで時間は再停止される。
「っ、何よこれ……!?」
蹴っていた足を引っ込めて、そのまま更に距離を取る。相手はまるで今の穂村正太郎のように、体の一部を炎へと変化させることで物理攻撃を無効化している。
この短期間で本家本元の穂村正太郎と同等の防御法を取っていることに、時田は目を丸くする。
「っ……何だ、てめぇ……」
そして時が動き出すと共に炎で歪むその口から発せられる声は、確かに穂村正太郎の声だった。しかしこの少年の記憶の中に、時田マキナは存在していない。
「いきなり蹴ってきやがって。つーか、こいつ確か例のリストに載っていたよな……」
頭部を再生させ終えたクローンの穂村は、時田の目の前で携帯端末を操作し、とあるリストに目を通す。
「……いた、ってことは、こいつを潰せば正真正銘、俺は晴れてSランクってことだな」
今では懐かしさを感じる台詞だが、目の前の存在から発せられていい言葉ではない。
「アタシを前にしてそのセリフ……とことん虚仮にしてるってコトね……!」
憤りが積もっていくが、軽くあしらえる相手ではない。少なくとも目の前の穂村正太郎は、Aランクの関門を張っていた時の穂村正太郎を超えている。
「てめぇには何の恨みもねぇし、わりぃと思ってるが……ここで倒させてもらうぜ」
「上等じゃない……仮にアイツと同格だとするのなら、アタシも一切の手を抜く必要は無いって事ね!!」
Aランク。能力検体名『観測者』。登録者氏名、時田マキナ。
???ランク。能力検体名、『焔』。登録者氏名、穂村正太郎。
両者による戦いは、これより更に苛烈となっていく――




