第五章 第十一話 据え膳喰わず
「今日は時田さんとのデートでしょ? 私がイノちゃんとオウギちゃん預かってあげるから、ちゃんと付き合ってあげなさいよ?」
――そんなことを言われてからまだ三時間も経っていないにも関わらず、穂村は女性向けの店舗が立ち並ぶ第八区画を、たった一人で歩いていた。
「…………」
――“……今からでも遅くねぇ。謝りに行けって”
「うるせぇ。これはてめぇには関係ねぇ問題だろうが」
――“このクソバカ野郎が。それとこれとは話が違ぇだろうが”
「…………」
当然ながら女性向けの区画を男一人でうろつくなど、他の者達からすれば奇異の目を向けられるだけでしかなく、穂村もそれとなくその視線を感じ取ってか自然と足早になり、そして遂にはその場からさっさと立ち去るべく飛び立とうとしたが――
「ちょいと、そこのお兄さん!」
「…………」
後ろからかけられた声に穂村は一瞬立ち止まったが、自分ではないとでも思ったのか、再び両足からジッポライターのような火花を散らし、そして宙へと浮かぶための炎を噴出させようとした。
「お兄さんってば! ……うーん、まあ逃げる姿を描くもまた一興。タイトルは……“据え膳喰わぬ恥知らず”――」
明らかな挑発。そしてその挑発の矛先はただ一人。
「おっと! 振り向きざまに火の粉をぶちまけるとは、よっぽどうちの“観察力”が刺さったみたいだねぇ」
(っ!? 観察力だと!?)
そんなもの、時田の能力でしか測られてこなかったはず。そして時田以外で観察力を振りかざす者を、穂村は知らない。
「何だ、てめぇ……!」
「っと、怒らせすぎちゃったかな? でもま、こんな場所を一人でうろつくような男に負ける訳もないし、一応は名乗っておこうかね」
黒い髪に蛍光色のメッシュ。チューブトップにアウターを一枚羽織って、しかも舌にはピアスがあけられているという奇抜な風貌が、苛立つ穂村の視界に入る。
「うちの名前は伊粗木長楽。『絵師』の名でやってるしがない絵描きだ……よっと!」
絵描きを名乗る伊粗木が手に持っているのはメッシュと同じ蛍光色をした絵の具が付いた絵筆。そして筆を振るえば、当然ながら付着している絵の具が辺りへと飛び散る。
「っ!? ちぃっ!!」
それは戦いに身を置いた穂村だからこそ直感的に感じ取ることができた脅威だった。そしてそれは見事に正解する。
「うわっ!?」
「きゃああっ! なんかシューって言ってる!?」
絵の具が飛び散った先――壁や床に飛び散った水滴と同じサイズの穴が空き始めたことに、周囲から悲鳴が上がり始める。
「うわぁっ!? 服が溶けた!?」
「くっ、化学薬品か……!」
「残念ながら硫酸とか塩酸みたいな単純なものじゃないんだなこれが。まっ、それらも出そうと思えば出せるけどさ」
伊粗木はそう言って再び絵筆を振るい、辺りに次々と腐食の穴を開けていく。
まるで散弾銃で撃ち抜くかのように一瞬にして不揃いの大きさの穴が次々とつくられる中で、穂村は炎で自らの身を包むことで水滴が到達する前に蒸発させていく。
「無駄無駄、気化した液体を吸っても同じ結果――」
伊粗木が話し終えるまでもなく、決着は一瞬にしてつけられる。
「がっ、は――」
「悪ぃが俺に手加減を求めるなよ」
ジェット機が突っ込んで来るかのような急加速と、腹部への一撃。ボディブローによる鈍い痛みはそのままに加速がつけられれば、伊粗木の体が宙に浮き、そしてそのまま地面と水平に吹き飛ばされることになる。
バァンッ!! という明らかに硬い壁に中身の入った袋が叩きつけられるような嫌な音が響き渡る。それと同時に伊粗木は壁からずり落ちるようにして崩れ落ち、その場に倒れてしまう。
「バカかてめぇ、その実力だと精々Bランク止まりだろうが。俺に挑めるレベルじゃねぇよ」
彼自身が過去に挑んできた数々の無謀な戦いの記憶を棚に上げて、穂村は冷酷なまでに圧倒的な実力差を見せつける。
「……チッ、救急車くらいは呼んでや――ッ!?」
突如として食い込む肉食の獣の歯。その持ち主はそれまでその場にいなかった筈の大型犬。
「ッ、炎装脚!!」
咄嗟に腕をかばいながらも、闘争心は決して消えず。何とか振りほどいた犬へ向けて、穂村は焔を纏った蹴りで三日月形の炎の熱波を繰り出した。
しかし――
「創生。ハンプバックホエール」
地面から飛び出してきたのは巨大なクジラ。第八区画の中には海に接している場所もあるが、穂村が今いる場所の近くに海など存在しない。
「なっ!? クジラだと!?」
その身を叩きつけた瞬間、何もない地面へとクジラは消えてゆき、代わりに巨大な津波が穂村の熱波を一瞬にして消し去っていく。
次々とこの場に存在する筈のない生き物が登場していく――この瞬間、穂村の脳裏に浮かんだのは一人の少女だった。
守矢四姉妹が長女であり、今の穂村と同格とされるSランクの少女。
「ありえねぇ! まさか、『投影』――」
「あら? 小晴ちゃんじゃないわよ?」
「だったら、誰だてめぇ!」
動物たちはまるで幻想のように消え去ってゆき、その後ろから代わりに聞こえてくるのは、小馬鹿にするような男の声。高めの声色に柔らかな物腰から、凶暴な獣をけしかけてくるような相手とは思えなかった。
「まったく、長楽ちゃんに新しいピアスをあげる約束が、まさかこんな乱暴な男に捕まっていたなんて、信じられない!」
男はどうやら伊粗木と落ちあう約束をしていたようで、時間になっても来ないところから、捜索をしていた様子。
「おい、勘違いして貰っちゃ困るが、先に戦いを仕掛けたのはそいつで――」
「だとしても! Sランクに立つものならばそれなりの矜持を持ってもらわないと!」
すらっとしたモデル体型に、ショートヘアの金髪。黙っていれば誰もが認める美形男子といったところだが、オネエ言葉で話しかけてくるあたり、反応に困る部分も出てくる。
「しょうがないわね! このアタシ、弥代通司が、同じSランクとしてアナタに相応しい振る舞い方を教育してあげるわ!」
――弥代通司。またの名をファッションデザイナーTOHRU。
力帝都市における実力、S。能力検体名――
――『創生者』。




