第13話 超えていく者
「――一体どういう事よ!?」
モニター室に響く声は、明らかな怒りを持って放たれていた。
「アンタねぇ、この状況でまだ勝ち目あると思ってんの!?」
「ククク、イノセンスに貴様らが勝てるはずがない」
時田が襟首を掴んでいる相手は、ただへらへらと笑うだけで、時田の臨む答えを返そうとはしない。
ラシェルは未だに壁に貼り付けられたままとなっており、その状況から左の頬に赤い手形が追加されている。
「ど、どうして私はビンタされて――」
「アンタ! アンタのせいでアタシのコートがおじゃんになっちゃったんだから当然でしょ! これとは別にキッチリ請求するからね!」
「ひ、酷い……」
突然訪れた不幸に、嘆くラシェルを無視して、時田は男を問い詰める。
「そ、し、て! 誰が勝つとか負けるの話をしたの!? いいからサッサと助ける方法を――」
「一つ講義してやろう」
男は時田の手をはらうと、つかつかとその場を歩き回り、少女二人にある講義を始める。
「諸君は『運命』というものを信じるかね?」
「『運命』……?」
「何それ? 占いでも始める気?」
「ククク……」
男は空のフラスコを右手に取ると、時田にあることを問う。
「この宙に浮かせた状態のフラスコから手を離すと、フラスコはどうなると思う?」
「どうって、落ちて割れるでしょうね」
「そう、それがこの世界の決まり。ルール。運命。だがこれがイノセンスの手にかかれば別の結果を生み出すことができる」
「……どういう事よ?」
理解ができない時田に対して、男はただただ嘲笑う。
「もし君なら、時間を止めてフラスコを空中に留めることが出来るだろう。しかしこれを熱で変形させることはできない。もし『焔』だったなら、これを熱によって変形できるだろう。しかし空中に留めることはできない。つまり人は定まった運命しかとることしか、与えられることしか出来ない。だがイノセンスは違う」
男はそこから自らが生み出した力の結晶について、興奮気味に話し始める。
「イノセンスならばこれを空中に留めることが出来る。イノセンスならこれを熱して変形させることができる。イノセンスならば、これをカエルに変え、命を与えることが出来る。イノセンスならば、このフラスコで世界を崩壊させることができる! そう! イノセンスは対象の運命を、定めを! 自由に決めることが出来るのだよ!!」
男は狂喜に笑い、そして勝利を宣言する。
「教育途中の『イノ』が脱走したことは予定外だったが、それも『運命』により我が手に戻ってきた! もはや君達は、あの小さな素体によって倒される運命なのだよ!!」
「あっそ、言いたいことはそれだけ?」
しかし以外にも時田は、落ち着き払った答えを返す。
「ちゃんちゃら可笑しいわね。アンタ、それをアタシたちが受け入れるとでも思ってんの?」
「だっ、だから――」
「他人に決められた運命なんて、大人しく受け入れる訳無いじゃない。特に、あの男はね」
時田はそう言って、実験室にて向かい合う二人の姿を見つめていた。
♦ ♦ ♦
「――第二段階移行完了。敵対勢力、依然として存命。戦闘続行する」
イノセンスの口から、機械的な言葉が放たれた。
再び無表情となったその顔には、一筋の涙が伝っている。
その姿を見た穂村は見えない熱を体から発し始め、そこで初めて本気の戦闘態勢にはいる。
――“……やめろ”
「ガタガタ喚くな。オレが始末してやる」
――“やめろっつってんだろ!!”
「……テメェが一番苦しめてるって事がわかんねぇのか?」
無駄ともいえる悪あがきに、『アイツ』は初めて呆れ声を返した。
穂村は何も言い返せずに、黙ったままでいるしかなかった。
――“…………”
「アレ自体が今どんな気持ちでいるのかは知らねぇが、少なくともあのガキは逃げ出してぇくらいオヤジの研究が嫌だったんだろ? それこそ命がけになって出て行ったくらいだ。それが今アレの中にガキがいる。ろくに声も出せず、助けも呼べずに。それを見てなお、テメェは何もせずに苦しめ続ける……テメェ、下手すりゃオレより外道だぜ?」
――“……だったら、どうすればいいんだよ!!”
やり場のない苦悩に、『アイツ』はたったの一言で答えを返す。
「――ブチ殺す。それだけだ」
穂村は高熱で体を包みこみ、目の前の敵を殺す手段をとった。足元の燃えカスが、宙を舞い始める。
――“……待ってくれ”
「……アァ?」
――“もう一度だけ、俺にチャンスをくれ”
「アァ? チャンスなんざねぇよ。テメェはもうアイツを諦めたんだ」
――“それでも、それでも――”
――“俺は、あいつを救うって決めたんだよ!”
「……どうしてぇんだよ、テメェは」
――“あいつを救うために………………頼む、俺に――”
「――力を、貸してくれっ……!!」
「“いいぜ……その言葉、後悔するなよ!!”」
その髪色は黒へと戻り、鮮やかに紅く染められた瞳がイノを捉えた。
穂村の体は再び、荒々しき紅蓮の焔に燃え上がる。
今まで穂村が発動してきた紅蓮拍動の比では無いレベルの焔が、穂村の肉体を包み込む。
「オアァァァァァァァァァァァァッ!!」
全身が焼きつくされるような感覚が穂村を襲う。しかしそれでもなお、穂村の焔はとどまることを知らない。
「ッ!? 測定不可の事象発生! 危険度A――否、危険度Sランク!?」
今まで無表情であったイノセンスが、初めてその顔に驚愕という感情を表し始める。
「まだだ、まだいけんだろ!! まだ熱くなれるだろうがァァアアアア――!!」
足りない。まだ足りない。穂村は更に熱を上げて燃え上がる。
――ほんの一瞬、部屋が紅蓮に包まれる。
地下を煉獄へと変えるほどの熱量を放って、穂村正太郎は新たに立ち上がる。
「――俺はテメェをぶっ潰す!! そして、イノを救い出す!!」
イノセンスを純白の天使と見立てるのであれば、穂村正太郎は――
「――焦熱の紅蓮煉葬!!」
三対の紅蓮の翼を生やした穂村正太郎は、まさに業火を携えた悪魔と化していた。
「……………………行くぜ、イノ!!」
全ての熱を右手に収束させ、極大の火球を作り出す。
それを穂村は更に手のひらの内に収束させ、小さな太陽を作り出す。
「砕滅の、灼拳――」
穂村は右の拳を振りかぶり、紅蓮の翼を羽ばたかせてイノへと突進する。
運命に抗う少年は、全てを置き去りにして突き進んでいく――
「――爆砕ォ!!」
――力帝都市に二度目の夕日が沈んでいく瞬間を人々が目にしたのは、この時のことであった。