第12話 ゲームオーバー
揺れはエレベーターに乗っていた穂村の方にも伝わっていた。エレベーター自体は頑丈なようで、そのまま滑り落ちることは無さそうである。しかし肝心の振動の方はというとというと地下から伝わってきている様である。
「おいおい、まだ俺が着いてねぇってのに……」
エレベーターは加速すること無く下っていく。穂村はその遅さにまだかまだかといら立ちを募らせている。
しばらくしてエレベーターが巨大な扉を前にして、音を立てて停止する。
鉄でできた堅固な扉。ここの内部であるならば、大抵の衝撃などを外に漏らすこともなさそうである。
そして穂村は、その頑丈で屈強な扉の前へと足を進める。
「ここにイノが……」
穂村が深呼吸をして腹をくくると、扉の横にあるレバーを降ろす。
扉は地鳴りとともに音を立てて開き、中の全貌をあらわにする。
「……ここは……?」
真っ白な室内。
四方ともに何もなく、まるで無の世界に降り立ったかのようである。穂村がその中に足を踏み入れると、扉は再び閉まり始める。
地響きが白の空間を揺らす中、穂村はまっすぐ前を見る。
「……」
扉が閉まる音が鳴り終えると、穂村の視界の先に一人の少女が映る。
真っ白の長い髪を肩にかけ、まるで絹のようなきめ細やかな肌をした少女が白い布だけを纏って立っている。
そしてその姿は、穂村も知っているはずの少女に似た姿。
「……イノ……か?」
「……」
少女は返答を返さない。ただ黙って目の前の存在を見据えている。
穂村が一歩一歩ゆっくり近づいて少女を確かめようとした時、聞き覚えのある声が室内に響き渡る。
「久しぶりだね、『焔』」
「……お前は……レストランのロボット野郎か」
通信越しの声が、覚えてくれたことに対する喜びの色を交えて話を続ける。
「よく覚えていてくれたね。その通り、そして私が素体を欲していた張本人だよ」
「どうりで耳に残っているはずだぜ。クソッたれの声がな……イノはどうした」
「ああ、『イノ』なら今目の前にいるじゃないか」
穂村は再び少女を見るが、イノと同じ金色の髪ではなく、体つきも幼いものとは違って少し成長している。
そして何よりも、穂村が知っているイノは、あんなに落ち着いた性格ではない。
馬鹿にされたかのように感じたのか、穂村は呆れを交えた声で言い返す。
「オイオイ、俺が知っているイノはもうちょっと小さくて、あんなに利口そうな奴じゃねぇぞ?」
「フフフ、まあ外見からすれば君の言うイノとは違って見えるだろう。だが確かに、その子はイノだ。ほら、自己紹介をしなさい」
少女は声に反応すると、無表情のまま口だけを動かし事務的な自己紹介を始める。
「検体番号〇〇〇〇一。検体名『イノセンス』。我は素体番号〇〇三二五、素体名『オウギ』をベースとした肉体に、素体番号〇〇〇九二九、素体名『イノ』を付加結合させた存在」
「……意味分かんねえ」
今まで聞いたことの無い単語の羅列の中にイノの一言が入っているだけで、その全貌を見渡すことができそうにない。
「ククク、分かりやすく言ってあげようか?」
笑い声は邪悪なものとなり、穂村に残酷な真実を叩きつける。
「そいつの中に、イノが組込まれているという事だよ」
「……は?」
穂村はそれでも理解ができなかった。
『イノセンス』の中に、『イノ』がいる? 意味が分からない。肉体は一つであるというのに二つの人格が入っているという事なのか。
――“テメェにもっと分かりやすく教えてやろうか?”
穂村の頭に再びノイズが走る。今まで忌々しき存在だったそれは、今必要な情報を伝えようとしている。穂村はその声に仕方なく応じ、更にわかりやすい答えを求めた。
――“オレ達によく似ている。一つの肉体に、二つの魂――アレは『イノ』と『オウギ』の魂が混在した『バケモン』ってワケだ”
その言葉を前にして、穂村は全てを理解した。
「ッ…………ハッ……ハハハ……っざけんなよ……ふざけてんじゃねぇぞ……!」
言いようのない、理不尽な怒りが満ち溢れる。穂村の周りに憤怒の熱がうねり始める。
穂村の中のアイツは、それを愉快といった様子で捉えている。
――“ヒャハハッ、あのイカレ野郎、人体実験でもしやがったのか!?”
「黙れっつってんだろ!!」
穂村の強い足踏みにより、足元が黒く焼け落ちる。真っ白な部屋に、大きな黒点が現れる。
右手に炎が宿り、それが内でくすぶっている感情を表すかのように大きく膨れ上がっていく。
「イノを何処へやった!! イノを……返せよ!!」
通信越しの声を殺しかねないほどに加熱した穂村の威勢は、冷酷で残酷な現実によっていとも簡単に鎮火される。
「それは無理な話だ。二分前なら素体の融合は解除できたがもう遅い。今から始まるのは段階的な力の解放だ。それよりも『焔』に提案があるのだが――」
――もはや穂村にそれ以上の情報は入ってこなかった。
たった二分遅れたために、穂村は約束を破ることになってしまった。
通信越しに未だ音が聞こえるが、もはやどうでもよかった。どうでもよくなってしまった。
穂村はただ膝から崩れ落ち、たった一人の少女すら助けられなかった自分に失望し、絶望した。
「ハハ……アハハ……」
それは狂ったゆえの笑い声か、絶望ゆえの涙か。穂村の胸に濁りきった感情が渦巻き、肉体を這いまわる。
「俺は……俺は……」
「――という訳で、早速であるがイノセンスの試験相手になってもらおうか。では只今より第一回目の戦闘実験を開始する。目の前の敵を倒せ、イノセンス」
「指示内容の掌握を完了。戦闘態勢に移行する……敵の性質をスキャン開始…………完了」
イノセンスが機械的な処理を行い終えると、身に余るほど巨大な大剣が空間をつき破って表れ、その小さな左の掌に収められる。
剣が表すのは『正義』。憤怒を断ち切り、正義を示すための大剣。
「対象の性質は憤怒。よって正義の剣が最も適していると思われる……今より敵対勢力一名との戦闘を開始する」
少女は一瞬にして穂村の目の前まで詰め寄り、左手を振り上げる。
穂村はそれを前にただ茫然としていたが――『アイツ』が、瞳の色が紅く染めるとともに顔つきを変えてゆく。
「――チッ、クソが!」
すんでの所で穂村は剣の一撃を回避し、自分で自分に悪態をつき始める。それまで穂村がいた場所は大きく裂け、白い床に黒の亀裂が壁まで走っている。
まだ完全に力の解放が行われていないというのにこの破壊力を持っているという事は、少なくとも現時点でAランククラスの力を持っている事は容易に想像できる。
「オイ! テメェ何ボケッとしてんだよ!?」
――“…………”
「チッ、ダメだなコリャ……まぁ意外な形だが、オレ様が再びこの肉体を支配できたってワケだ」
穂村はそう言って目の前の敵に対して反撃の蹴りを繰り出すが、本来出るはずの炎の鎌がそこから出てこない。
イノセンスはただの蹴りを軽くかわして後退すると、左手の大剣を空間にしまい込み、様子が変わった穂村の観察を始める。
「……アァ!? 穂村能力切りやがったな!? そんだけの意思があんなら、何故アイツと戦わねぇ!?」
――“……俺はイノとは戦えねぇ”
「んなこと言ってもムダだムダァ! 既にガキは取り込まれちまってんだ!」
「対象の罪状が変異。憤怒から高慢へ。『信念』の槍の召喚を開始……完了」
空間を突き破って表れるは槍。
己が信ずるものを最後まで貫き、高慢な愚者を突き刺すためのもの。
「チッ!」
右手に槍を携えて、白い少女は剣舞を舞うかのように鎗を振るう。穂村はその一撃一撃を間一髪でかわしていくが、確実に追い詰められていることだけは確かだった。
「クソが! オレ様の力を使ってもいいが、そん時に穂村がジャマするかもしれねぇしよぉ……!」
振るう鎗が空間を引き裂き貫いてゆく。傷つけられた空間が修復されていないところを見ると、一撃でも喰らえばその時点で終わりだという予想が簡単にできる。
その攻撃が確実に穂村を一歩一歩と追い詰めて行き、そして『焔』の力が使えない今の状況がイノセンスの後押しをするかのように穂村を死の縁へと追いやっていく。
とうとう壁際まで追いつめられ、穂村は息をのむ。
「――信仰の一撃」
鎗が閃き、穂村の身体を貫かんと一直線に突き出される。
神速、光速、神の一撃。人が避ける事など不可能のほどの速度で繰り出される最速の穿通撃。
万事休す。そう思われた時の事だった。
「――ったく、アンタ何ぽけっとしてんのよ」
この場にいるはずのない時田が穂村のそばに立っていた。
イノセンスは反対側の壁に巨大な十字の傷跡を残している。そしてその傷跡を見て、反対側にいる二人を見て首を傾げている。
「どういう事よ」
「アァ? あのクソガキの中にイノってヤツが取り込まれてんだよ」
「……アンタまた出てきたの」
「穂村はショックで出てこれねえんだとよ」
「それにしても、アンタ今回はやけにおとなしいじゃない」
それもそのはずで、能力もロクに使えず、かつ未だ解放が残っている敵を相手に余裕しゃくしゃくという訳にはいかない。
「あれはガキ二人を融合させた結果できたバケモンだ。もはやイノの名残は残っちゃいねぇ。外見が似ているだけの全くの別人だ」
「……イノだけを切り離す方法は無いの?」
「知るかよバァーカ。コレの製造主にでも聞いてみろよ」
「相変わらずムカつくわね……でも、それしか方法が無いみたいね」
時田は再びその場から消え、その場に残っているのは穂村とイノセンスだけになる。
邪魔者がいなくなったことを把握したイノセンスは、そのまま攻撃を続行しようと一歩前へと踏み出そうとしたが――
「うぅ、あぁ……ああぁぁ!!」
「……どういうこった?」
少女は突如頭を抱えて苦しみ始め、内に潜む何かを閉じ込めるかのように体を丸める。身体を震わせ、何かに怯えるかのように縮こまってゆく。
「どうやら第二段階に入ったようだな」
機械によるノイズが乗った声が室内に響き渡る。そして同時に、少女の背中に純白の翼が伸び始める。
それはまるで蝶が羽化するかの様で、縮まった羽をゆっくりと伸ばすかのように、内に秘められた力が開放されてゆく。
「痛い、痛いよぉ……ぁ……」
――“イノ!?”
少女は苦痛に表情を歪め、その瞳から一粒の涙があふれ始める。穂村は一瞬でもあふれ出たイノの言葉に、動揺を隠せずにいる。
「しょ……たろ……ぉ……たすけ――」
少女の言葉はそこで途切れ、力は第二段階へと進行を完了する。完全に羽化したその姿は、どこか神々しきものを感じさせる。
「――第二段階移行完了。敵対勢力、依然として存命。戦闘続行する」