第六章 二十話 熾天使
純白の三対の翼。ぱっつんと切られた前髪に、ショートボブの髪型。少年とも少女ともとれる中性的で慈愛に満ちた瞳。ぷにぷにと柔らかそうな頬にわずかに微笑む口元は、それだけで普通の人間の戦意を無に帰すほどに清らかで清純なものとしかいえないだろう。
そんな戦いとは真反対の存在がこの場にいるという異常事態に、流石の穂村も次の手が止まる。
「……セラフってなんだよ」
――“ちょっとばかり面倒な野郎が出てきちまったな……”
「面倒って、そんなこといわないで仲良くしようよ? アッシュ・ジ・エンバー」
「ッ!?」
――“なッ!?”
それは穂村正太郎にとっても、その中に潜んでいる『衝動』にとっても驚きを隠せない事態だった。
「あいつ、『テメェ』のこと知ってんのかよ?」
――“さぁな。オレ様はあんな野郎知らねぇがよ”
「さてと、騎西善人くんはー……ありゃりゃ、完全に機械化しちゃったかー」
機械の体に心などあるはずがない。しかし動揺しているのか、はたまた処理が追いついていないのか、拳を突き出したまま騎西善人は停止していた。
「……あれ? これ騎西くんじゃないね」
「ハァ? どういうことだ?」
「これは騎西善人の持つ『大罪』、飽くなき勝利への渇望、『強欲』が彼の体を動かしている」
戦う相手はとっくにすり替わっている。騎西善人ではなく、穂村の内側に燻る『傲慢』と同じ、『衝動』にして『大罪』と戦っていたということになる。
――“成る程、そういうことか。その割には、随分と弱ぇじゃねぇか”
「これはまだ完全には覚醒していない。覚醒すれば、この程度の力では済まなくなる」
セラフと名乗る天使のような存在は、そうして現在騎西善人の身に起こっている事象について説明を始める。
「具体的に言うと、きみの中の『憤怒』が暗黒の太陽を炸裂させた時点で騎西善人という人間は生命的に完全に焼死している。そして今彼を動かしているのは、騎西善人自身が最後に願ったプログラム――“穂村正太郎から勝利を奪い取る”というたった一つの命令が刻み込まれた大罪深き存在……『強欲』という『大罪』ただ一つだ」
「何だと?」
――“チッ……薄々感じてたが、やっぱり『アレ』がいやがったか”
穂村正太郎とアッシュ・ジ・エンバー。それぞれが目の前に立つセラフという存在から言い渡された説明に、それぞれ別々の視点から驚嘆の言葉を漏らす。
――“オレ様一人で御しきれるもんじゃなくなっちまうのも頷けるもんだぜ……”
「何言ってやがる? 『テメェ』も同じ『衝動』ってやつだろうが」
――“そっちの話じゃ――って、まあいい。今は目の前の『強欲』をどうするかだな”
何をどう言おうが、今気にかけるべきは目の前に立つ天使と機械。穂村正太郎の戦いは終わっていない。
「まあ、大体のところは分かった。つーことで、どけよ」
「えっ? 何を言ってるのさ?」
「どけっつってんだよ。相手が入れ替わってようがすり替わっていようが、騎西をブチのめすことには変わりねぇ」
――“オレ様的にも、サクッと潰しておきてぇのは変わらねぇな”
セラフが割って入ったことで丁度いい休憩にもなったのか、そして頭の方も冷やすことができたのだろうか、息も整った穂村は再び全身に蒼い焔を纏わせる。
「今度こそ決着をつける。てめぇがかばってるそいつも望んでいることだ」
穂村が望むのはあくまで完全な決着。どちらかが完全に敗北を認めるまで、その勝負を終えるつもりはない。
「うーん、それはちょっと駄目かなぁ」
しかしまさにそれを止めるべく、セラフという天使はこの場に降臨している。
「ぼくは騎西善人を護るためにこの場にいるっていうのに」
――“ケッ、一丁前に守護天使でもするつもりかよ”
「というより、この世界においてのわたしは守護天使でいるつもりだからね」
「ハッ、ぼくだかわたしだかイマイチ定まってねぇ野郎に……負けるつもりはねぇよ!!」
加速してからの回転裏拳。これで澄まし顔の頬を打ち抜いて化けの皮を剥がしてやるという穂村のもくろみは、天使の羽ばたき一つの風圧によって打ち返される。
「ぐッ!?」
「うーん、これはちょっと知恵が足りないかなぁ。きみと同等だった騎西善人くんを“護る”って言い切れる存在だよ? つまりぼくでありわたしの力はきみよりも遙かに上だということを推測できるようになろうね」
六枚の翼を軽く動かしただけで、暴風が戦いの場を駆け抜けていく。ろうそくの炎を軽く吹き消すかのように、穂村が纏っていた焔が一瞬にしてかき消されていく。
「とりあえずそこでのびてればいいと思うよ」
火を消してなおあまりある余波。それは穂村の肉体を吹き飛ばし、壁へと叩きつける力をも含んでいる。
「ごはぁッ!」
真っ赤にはじけた血の跡を残しながら、ずるずると壁からずり落ちていく穂村。そしてセラフは更に警告の意味を込めて、全ての羽を広げては光輝かせていく――
「うーん、今ので気絶すると思ったんだけど……とりあえず、もう少しダメージを与えておいて今度こそ再起不能になって貰おうかな」
穂村が帯びていた黒い翼。それと対をなすような純白の翼。しかし見た目とは裏腹の殺気立つ天使のオーラが、その危険性を十分に伝えている。
「それじゃ、一回程死線を彷徨ってみようか」
先程とは違う、何らかの力が乗せられるであろう暴風が、既に力なく壁により掛かる穂村へと向かおうとする――
「――って、痛っ!」
そんな天使の後頭部に向けて、鉄塊を振り下ろす存在が一人。
「あのさぁ……ぼくときどきわたしは、きみの為を思って穂村正太郎という存在を消し去ろうとしているんだけどなー。目的は同じ筈なのにどうして邪魔をするのかね――」
――『強欲』くんさぁ。




