第10話 探し求めるもの
穂村達が病院前に到着するも、病院の中から人の気配がしない。
時刻は九時を過ぎている。本来病院はまだ閉まってはいないはずである。
「……っかしーな……病院まだ開いてるはずだろ?」
「あぁー、ここの病院ね。アタシも最初の能力検定受けたのはここの病院だったわ」
「そうかよ……俺もだけどな。あのおっちゃんに能力名も決められたし」
「アタシは珍しい能力だったから、ここ以外にも転々とされたけどね……」
穂村は特に病院というものに対して思い入れなど無かったが、時田は少し感傷に浸ったような声を漏らしていた。
穂村の発火能力は特別珍しいものでは無いが、時田は検定を受けた当初は能力者として別格の扱いだった。
時間を操る能力など時田の他にはおらず、それこそ能力者専門の研究所などで検査を受けてもいたりもするのだろう。
穂村は黙ったまま時田を降ろすと病院内へと入っていく。ロビーに置いてきたはずのイノの姿は見えず、ラシェルも同様にいなくなっている。
しんとした待合室に、穂村の呟く声が響く。
「……イノがいねぇ」
「あーあ、アンタがアホやってる間にさらわれでもしたのかしら」
「何だと!?」
時田の言葉に異論を唱えたかったが、事実イノ達の姿が見えない。穂村は診察室にずっといるはずの牧野なら知っているのではないかと思い、診察室へと向かう。
――診察室にもイノ達の姿は見当たらず、代わりにいつも通りにカルテを見つめる老人の姿があった。
「おい、おっちゃん!?」
穂村の声を聞くと、牧野は狐につままれたような顔をして穂村の方を向く。穂村は自分の顔に何かついているのかと身の周りを見るが、服を脱いでいる事以外は特におかしい所など無いはずと考えた。
「おっちゃん! イノを知らねぇか!?」
牧野は穂村の声を聞いてやっとのことで我に返る。そして平静を保ちつつも、穂村に対して逆に問いを返す。
「……お前さん研究所で治療を受けていると聞いたが?」
「ハァ?」
今度は穂村が驚く番だった。
治療も何も、さっきまで戦って今からここで治療を受けようとしていたからだ。
「俺達さっきまで時田と戦ってたぜ?」
「そうよ。ま、アタシがまた勝っただけだけど」
「うっせぇなぁ」
「……ではさっきの少年の言葉はどういう事だ……?」
さっきの少年の言葉とは何のことであろうか。その言葉の背後に、何故かイノの姿がよぎる。焦りと不安が混じり合う心境でありながらも、穂村は牧野に詳細を問う。
「……おっちゃん、そいつ何て言ってたんだ?」
「ああ……確かお前さんが道端で倒れていたから、第八研究所で治療をしているという事と、あの小さい子……イノだったかな? その子と魔法使いの名前を本人が口に出して、連れて行くって言っていたが?」
時田は第八研究所の名を聞いて、眉間にしわを寄せる。
「第八研究所はアタシも一度行ったことあるけど、怪しげな雰囲気だったわね」
最悪の結果だ。おそらくその研究所こそ、イノを監禁していた研究所だ。ではその少年の名前は何だ。
「確かその少年は、穂村の友人で――」
「そんな事どうでもいいからそいつの名前を教えてくれ!」
「確か――」
――之喜原涼、だったか。
穂村はそれを聞くと、急いで病院から飛び出そうとしたが、時田がその右腕を引っ張って足止めをする。
「邪魔すんな時田! 俺は最悪のミスを犯しちまった!」
しかし時田はその手を緩めることは無く、穂村は半ばむりやり引き留められることになる。
穂村の目には明らかな焦りの色が見えている。時田の手を振り払って今すぐにでも飛び出したい気分だった。
「何だよ! 今の話聞いただろ!? イノが危ねぇんだ!」
「落ち着きなさい。本当にあの子を連れ去って行くのが目的なら、何でわざわざ場所まで分かるような事をしたのよ?」
時田の冷静な判断を聞いて穂村は進む足を止め、時田の方を向きなおす。
「じゃあ逆になんでおっちゃんに研究所の場所まで教えたんだよ。その理由をお前が分かるのか?」
「アタシにだって分かるわけないじゃん。だからって正面から突っ込んでいくのも間抜けだと思うけど」
打つ手無し。だが今の穂村にわかることが一つだけある。
「……間抜けだと分かっていても、馬鹿だとしても俺はそこに行く。イノと約束したんだ。絶対に守ってやるって。あいつの両親と会わせてやるって」
穂村は右手をぎゅっと握り締め、その手を怒りに奮わせる。それは誰に向けられるでもなく、自分に向けられたものだった。
そしてそれは決心の表れでもあった。穂村は今から、罠と分かっていながらも第八研究所に向かって行く。そこに守るべき者がいるのだから。
時田は穂村が止まらない事が分かると大きなため息をつき、牧野に何か替えの服が無いかを聞く。
「……はぁ、しょうがないわね……ここに女性向けの服無いの?」
「それは無いが、わしが昔着ていたロングコートならちょっと時間をくれれば出せるぞ」
「えぇー、今冬じゃないし……じゃあ『焔』がコートを借りれば? アタシこのままで構わないし」
「ハァ? それじゃまるでお前がついてくるみたいじゃ――」
「ついて来るから。言ったでしょ? アタシにも一枚噛ませろって。それとアンタ、第八研究所の場所知らないでしょ」
穂村はそれに対し黙ったままだった。確かに穂村は第八研究所の場所など知らない。牧野は二人が黙ったままなのを見ると、コートを出しに診察室の奥へと消える。穂村は牧野が消えていったのを確認して改めて時田に意思を伝える。
「……これは元々俺が決めたことだ。人工的なSランク生成の阻止とかそういう意味じゃねぇ……お前は俺に場所を教えるだけでいい。後は俺がカタをつけてくる」
「いやいや、相手にAランクがいたらどうするの? それに何回も言わせないで。アタシも一枚噛むって言ったんだから、歯形ぐらいつけさせなさいよ」
時田も引く様子が無いのを見て、穂村は頭を掻いてため息をついた。
「……チッ、分かったよ。お前は適当に暴れとけ」
「研究所ぶっ壊してもいいの?」
「勝手にしろ。俺はイノの救出と、ラシェルが裏切ってないかを確認する」
「ラシェル?」
自分が知らない人間の名前が出ると、時田は目を細めて不機嫌な態度になり始める。
「……誰? その人? 女の人?」
時田はその言葉にほんの少しだけ威圧感を交えているが、穂村はそれに気づくことなく淡々とその人物について説明をする。
「ああ、お前は知らなかったなそう言えば。そうだなぁ、お前と同じくらいの年の魔導師だ。まあそいつとの戦いがきっかけで『アイツ』が出てきちまったんだが」
「へぇ、つまりアンタが苦しんで、ア・タ・シもボロボロにされた原因を作ったのはソイツってことねぇ……」
「……お前どうした?」
「何でもないよ? 『焔』」
明らかに笑みの裏にどす黒い感情が見え隠れしている。
穂村はその触れてはいけない笑みについて突っ込むべきかどうか悩んだが、牧野が戻ってきたのでそれ以上の追求はできなくなった。
「……これでいいかな? 君にちょうど合うと思うが」
穂村の目の前に出されたのはフード付きの真っ黒なロングコート。試しに着てみたが丈が思ったより長かったようで、裾が地面に届きそうである。
「……おっちゃんこれ着てたのか?」
「ああ、昔は身長百八十近くあったからな」
今となっては縮まっている老人の過去など知ったことではないが、穂村はしっかりと袖を通す。
コートが肩にずしりとのしかかる。まるで今から起きる事の重さを表しているかのようだ。
だが穂村はしっかりとコートを羽織ると、診察室を出ていこうと足を進める。
「お前さん前はしめないのかい?」
「……さっきまでフルパワーの上飛んできたから排熱してんだよ。それくらいいいだろ?」
「変態と通報されたらアウトだけどね」
「ハァ……行くぞ」
すでにジョークを言える雰囲気ではないことを察した時田は、やれやれといった表情で肩をすくめると穂村の後をついて診察室を後にした。
夜であるのにもかかわらず、力帝都市はその光を失っていない。中心区の光は空に向かって伸びて行き、夜の雲を映し出している。
「……おっちゃん」
「なんだね?」
「コート綺麗に返せるか分かんねぇ」
「治療代に上乗せしておくから安心したまえ」
「ケッ……ちゃっかりしてんな」
穂村はひょうひょうとした返しを貰うとイノの奪還のため、第八研究所の方角へと飛び立っていった。
♦ ♦ ♦
ラシェルがゆっくりと目を覚ますと、まず両手足に自由がないことに気づいた。手足には拘束具をつけられ、壁に見事に貼り付けられている。
そして視界に映っているのは二つの巨大なフラスコ。フラスコの内一つはイノが、まるで生まれたばかりの一糸まとわぬ姿で浮かんでいる。そしてもう一つには――
「……イノちゃんがもう一人?」
「違うな」
ラシェルが向いた先には、パソコンをカタカタと鳴らしながら返事を返す男の姿があった。
「正しくは素体番号〇〇三二五――素体名『オウギ』だ」
男は顔をこちらへと向けることなく淡々と答えを返す。
男が興味を示しているのは、フラスコ内の二人が生み出すデータだけであった。
「ふむ……出力が少々不安定であるが、この程度なら誤差範囲内だろう。予定通り今から約十三分後に融合の術式を発動する。そして覚醒とともに生まれるのだ……『究極の力』が」
「『究極の』……『力』……?」
そこでやっと男は後ろを振り向く。男は眼鏡のずれを直し、ラシェルの方を睨むかのような視線を向ける。
「全く……君が回収に失敗したのだからこのような手間がかかったのだよ」
「回収って……まさか!?」
「その通り」
男はフラスコ内の二人を見て、そして高らかに告げる。
「イノの回収を頼んだのは私だ。私の名は……あえて言うなら……アダムとでも名乗っておこうか」
「アダム……どっからどう見ても日系人なのに……?」
「名前など、すぐにどうでもよくなるものさ」
自らをアダムと名乗る男は、ラシェルのツッコミなども既にどうでもいい様であり、興味の全てはフラスコ内の少女へと向けられていた。
「私はこの研究にすべてを費やしてきた。金、地位、名声――そんなちゃちなもの全てを金繰り捨てて、ここ力帝都市で研究を続けてきた……そして今夜実るのだ、『究極の力』となって!」
アダムは口を歪め、大きな笑い声を研究室内に響かせる。
「今夜、新たな力の定義が出来上がる記念すべき瞬間を、我々は目撃することができるのだよ! それは誰も追い付けやしない、誰も勝てるはずも無い『神の領域』にたどり着くことに他ならない!」
それは狂喜。男は自らの科学力の素晴らしさに酔いしれ、口を歪めて笑みを浮かべる。
そしてラシェルはその狂気を以前にも目の当りにしていた。
それは穂村の紅き目にも宿っていた、圧倒的な力を――最強を欲する狂気だ。
「……おかしいでしょ……」
「何がおかしい? この都市は力を誇示する場所。それを私は遵守しているに過ぎない」
「だからって、こんな小さい子をおもちゃにしていいの!? 第一、この子の両親が――」
「ご両親ではなく、父親になら許可をもらっている」
男は笑みを崩すことなく自らを指さす。
「……私が父親だ」
ラシェルは一瞬言葉を失っていた。次にいう言葉が「最低の親ね!」でもなく「血も涙もない人でなし!」でもない。ただでできた言葉は一つだけ。
「…………狂ってる……」
その言葉を褒め言葉と受け取ったのか、アダムはご機嫌な様子でこの実験の全貌を語り始める。
「この子たちは厳密には人間とは違っていてね、素体の名の通り私が一から人工的に肉体を作り上げた。その後魔法――専門的に言えば魂魄術を使った魂の錬成を行ってこの子たちを作り上げたのだよ」
「それって禁呪じゃない!?」
人の魂を扱った呪文は倫理を脅かす禁忌とされており、使用することを禁止されている。ましてや魂の創造など禁忌中の禁忌。
「この子たち以外にも様々な子供を使って試してみたが……やはり私の創った子供というだけあってか、最終段階まで見事生き残ることができたようで、親として鼻が高いよ」
目の前の狂った科学者、いや、科学者ですらない外道に対しラシェルは口では形容しがたい怒りがこみ上げる。
「……あんた、実験を今すぐ辞めさせなさい!!」
やっと出てきた言葉に乗せられる感情は、怒りであった。力のためとはいえ自分の娘を素体と称して実験動物扱いする者に、親を名乗る資格など無い。
「――おお、氷雪よ怒り狂え! ――雹爆撃!!」
壁に手をつき、魔法陣を展開させる。魔法陣からはテニスボール大の雹が生み出され、それが今にも飛び出さんと魔法陣からのめりだし始める。
魔法陣を飛び出し、目の前の者を打ち砕かんとするが――
「……何で……何であんたがそこにいんのよ……?」
穂村正太郎が立っていた。髑髏のシャツをラシェルに見せつけ、右手の炎で飛び出す雹をすべて溶かしつくして。
「何で……あんたはイノちゃんを守るべきじゃ――」
「彼もまた、『力』に魅入られたのですよ」
物陰から一人の少年が姿を現す。銀色の髪に笑みを浮かべて、一人の少年が立っている。
「あんたは……」
「之喜原涼。彼と同じBランクです。彼にこの実験について話したところ、大変興味をお持ちになったようで」
「穂村……あんた、イノちゃんを守るんじゃなかったの?」
「言ったはずでしょう? 彼も『力』に魅入られ、そしてその力を試したいと」
之喜原は余裕の表情を崩さない。そして穂村は黙ったままルシェルを見ている。それが更にラシェルに苛立ちを植え付ける。
「あんた達全員人でなしよ!」
「そうですね……確かに私達は――」
穂村がくりだすボディーブローが腹部に鈍い痛みが響かせたところで、ラシェルの意識は途絶えてしまう。
そして最後に見たのは、之喜原がいつもうかべる作りものとは違う歪んだ笑顔。
「より強い『力』を求める『化け物』かもしれません――」




