第9話 穂村正太郎の意味
――廃材置き場は再び高熱と炎に包まれ、もはや太陽の表面に立っていることを錯覚させるほどだった。
それまで資材廃材が乱雑に置いてあった場所など、綺麗さっぱり、平らに整地されてしまっている。
そして拳が振り下ろされた中心部には真っ黒なクレーターができており、まるで深淵へとつながっている様にも錯覚させる。
――そこに時田の姿は見えなかった。穂村は宿敵を消滅させたことに心を震わせ、歓喜の声を挙げる。
「アハハァ、これでオレ様は晴れてSランクに――」
「アンタは、本当にそれでいいの?」
いなくなっていたはずの時田は立っていた。爆心地で、その体をボロボロにしていながらも再び立ち上がっていた。
「アンタ言ってたでしょ!? 絶対『焔』でアタシを倒して、Sランクになるって! そんな訳の分からない『力』に頼ってでも倒すのが、アンタのやり方だったの!?」
「うるせぇ! ボロ雑巾の癖に今更命乞いか!?」
「アンタに言っているんじゃない! 『焔』に、穂村正太郎に言っているのよ!」
時田は問いかける。表面に出ているアイツではなく、穂村正太郎に問いかける。
「ハッ、穂村はとっくにオレ様の――」
そこまで言い放ったところで、穂村の両手はなぜかその言葉に反応するかのように震え始め、穂村はそれに焦りを感じる。
「アァ!? う、うるせぇうるせぇうるせぇ!! どう足掻いたってコイツはもう出てこねぇんだ!」
「本当に良かったの!? アンタの事なんかどうでもいいけど、こんな訳の分からない奴に乗っ取られるのがアンタの臨んだ事なの!?」
――“違う”
穂村の頭の中に、雑音が走る。
「ッ!? テメェもう喋んな!!」
焦りが入った穂村は魔人の左手を振り回し、目の前に立っている時田を吹き飛ばそうとした。しかし何度力を振るおうと、時田はその場に立ちふさがる。
「こんな奴に乗っ取られて、あの子はどうするつもりなの!?」
――“俺は、イノを――”
「も、もうこれ以上、コイツに話しかけんな!!」
穂村は更に火力を上げ焼き払うが、時田が消し飛ぶことはない。その身を何度も焦がしながらも、時田は決して倒れることはない。
「アンタがそこでふてくされようが知ったこっちゃないけど、あの子の面倒くらいは最後まで見てやりなさいよ!! それがアタシの知ってる穂村正太郎じゃないの!!」
「うるせぇっつってんだろ!!」
火の魔人は天を仰ぎ、ひときわ大きな火球を生み出し始める。
辺りに散らばっていた炎は全てその火球へと集約され、残されたのは黒く焼けた大地だけ。
それは時田を完全に拒絶するための一撃。否定するための一撃。巨大な太陽が、時田の頭上にでき始める。
「テメェ、もう消えろよ……!」
頭上に大きな影ができる。悪意を持った太陽が、時田の頭上へと掲げられる。
熱気が渦巻き粉塵舞い散る中、時田は諦めの表情を浮かべた。そしてもはやこれまでと小さく呟く。
「………………あーぁ……アンタのこと……結構気に入ってたのになぁ……」
魔人はその一撃を、時田へとぶつけようとするが――
「……テメェ、もう……諦めたんじゃねぇのかよ……!?」
穂村正太郎は再び、足掻き始めた。その心のなかで、閉じ込められた檻の中で。
――“俺の身体を……返せ!”
穂村は再び頭を抱え、内側から突き上げてくる衝動にその顔を歪ませている。
時田は穂村に何が起こったというのかよくは分からない。
だが確実に分かることが一つだけある。
「クソ、クソクソクソォ! あの女に言われたぐらいで『絶望』から抜け出て来てんじゃねぇ!! テメェ自身に意味なんざねぇんだよ! 今までオレ様が『力』の意味をテメェにくれてやってきたんだ! テメェ自体に――」
――“意味は無い……確かにそうかもしれねぇ。俺に本当に意味が無くなったのなら、このままお前に明け渡してもよかった……けどよ、今はまだその時じゃねぇ”
穂村は初めて、自ら意味を持つことになる。それは――
「――イノとの約束を果たすまでは、俺はまだ戦わなくちゃいけねぇんだ」
瞳から紅は消え、髪の色も元の黒へと戻ってゆく。魔人は足元から崩れていき、元の灰の山へと戻ってゆく。
――穂村正太郎が、戻ってきた。
「……遅かったじゃないの」
「わりぃ、ちょっとセンチメンタルになってた」
「……アンタみたいなやつでも、一応そうなるのね」
「うるせぇ!」
いつも通りの会話をかわした後、穂村は自分の目的を思い出す。イノを、彼女を守らねばならない。
「……俺は病院に戻るぞ。イノのとこに戻って謝んねぇと」
「その前にアタシに謝りなさいよ」
時田の言う通り、確かにせっかくの服がボロボロになっており、肌の露出も増えてしまっている。穂村は目のやり場に困りながらも、自らを引きずり出してくれた時田に、お礼と謝罪の言葉を述べる。
「そのー、なんつーか……ありがとうな。お前があそこで声かけてくれなきゃ俺は人殺しにもなってたしよ、お前のおかげでまた出てくることができた。それとスマン……服が――」
「そうそうアタシのコート! 高かったのよ!? オーダーメイドで二十万ダラーしたんだから!」
時田がコートのことを指摘しているのを見て、確かにコートを羽織っていない不自然さに気づく。
「……そう言えばコートが無いな」
「アンタが焼いちゃったからね! しっかりと請求書送っとくから!」
「ハァ!? 二十万とか俺これから三か月どうやって過ごすんだよ!?」
穂村が都市から得る奨励金は、家賃水道その他もろもろ差っ引けば月七万になる。そのうちほとんどが戦いによる治療費に消えていたのではあるが、このような形で時田に関する出費をしたことは無い。
そして今回の出費が明らかに所持金をオーバーしていることを忘れてはいけない。
「知らないわ! 飢えて死になさい!」
「お前悪魔かよ……」
「ハァ……数分前のアンタの方が、よっぽど悪魔だったけどね」
時田は最後にこう告げた後、今までの緊張が解けたのかボロボロになった体でその場にへたり込む。
「あーあ、『焔』がここまでしちゃったんだから、責任取りなさいよね?」
時田はそう言って妖しげな笑みを浮かべるが、穂村はその意味が分からずにとりあえずその場にしゃがみ込む。
「……とりあえず、病院まで飛ぶぞ」
「ふーん……今度は直に当たるから、興奮しないでね?」
「ハァ!? じゃあこれ着ろよ!」
穂村は例の髑髏のシャツを脱ぎ時田の方へと放り投げる。
露わになった穂村の上半身には、これまで戦ってきた傷がいくつも刻まれている。
そしてその中には、この前時田につけられたばかりの真新しい傷もあった。
「それ着とけよ」
「えぇー、コレ前々から言おうとしたけどさぁ、服のセンス無さすぎ」
「うるせぇ!」
穂村はそう言って時田から背を向ける。おそらく着替え終わるまで振り向くつもりは無いだろう。
時田は焦げ跡の付いたボロボロの服を脱ぎ、もらったシャツに文句を垂らしながらも袖を通す。
「……着替え終わったわよー」
「それじゃ……ってお前!」
シャツの胸の部分が不自然に膨らんでいるのは男としては目のやり場に困る――と言うよりも、明らかに制服を着ていたときよりも大きく見える。
「あぁー……アタシ着やせするタイプだから。いわゆる隠れ巨乳ってヤツ?」
笑い交じりに言われても穂村としては困る。
このまま背負って行っても穂村が変態としか思われかねない。
「大丈夫だって。『焔』がこれに欲情してきても、アンタなんて撃退できるし」
「欲情も何もしねぇから!」
「えぇー? アタシの身体に魅力が無いってことぉ?」
「そうじゃなくてだな――」
このままだと押し問答になりかねかいことから、穂村は時田を無理やり抱きかかえ病院の方へと飛び上がる。
「そっかー、前でアタシを見つめたいんだー」
「そうじゃねぇから、黙ってねぇと舌噛むぞ!」
穂村はその場を飛び立とうとしたが、時田との会話でまだ一つだけ聞いていないことがあったのに気づく。
「……そういえばお前、最後に俺に向かって何て言ったんだ?」
「……秘密ってことで」
「ハァ? なんだそりゃ」
時田はそれ以上の詮索を避けるかのように、お茶を濁すような言葉を放つ。
「まあまあ、いいじゃんいいじゃん」
穂村の見えないところでその顔を少しだけ赤らめるが、穂村はそれに気づかずに両足の炎をジェット機のようにしてそのまま高速で飛び立っていった。