第0話 戦いは日常の中に――
――この世は力だ。
力こそが全てだ。
力こそが資産。
力こそが日々を生きる糧。
力こそがこの世界における存在の証。
力なき弱者など――
家畜の様に死を待つがいい――。(プロパガンダ「力帝都市」より一部抜粋)
「――んんーっと、もういいかしら?」
朝の光が巨大な都市を照らす。高層ビルがその全貌を現し、始発の電車が警笛を鳴らす。そして朝の出勤のため、大通りでは人が足早に行きかう。
その都市の一角、人がいない公園で一組の男女が対立する。
対立の場はまるで戦場のように荒れていた。滑り台は黒く焦げ落ち、シーソーは嵐が通ったかのようになぎ倒され、砂場はクレーター状に抉れている。一体どんなことをすればこのような惨状となりえるのか。知っているのはその場に立っている者だけ。
「勝手に勝敗決めてんじゃねぇよ……!」
そう言って立ち上がろうとしている少年の見た目はというと、目も当てられないほど悲惨なものであった。
真っ黒だった髪は赤い液体で染められ、どこでその傷をこしらえたのかダボダボのカーゴパンツと、灰色の焔をバックにした黒いドクロのシャツをボロボロにしている。
そして抑えている右腕からとめどなく流れるは鮮血。
おおよそ普通ではありえない絶望的状況。
それであるにもかかわらずその目に敗北の色は映っておらず、目の前の敵を射殺すかのごとき眼光を放っている。
対する少女の服装は学校の制服に茶色のコートを軽く羽織っているだけであるが、少年とは対照的にその服装には一切の傷もなく新品そのもの。身体にも傷一つなく健康体。
しかし挑発的な瞳で少年を見つめるその表情は退屈そうであり、暇つぶしに自慢のロングヘアーをクルクルと指でいじっている。
「――いい加減諦めたら?」
おそらくこの状況に飽きてきたのであろう、髪をいじるのをやめて少女が口を開く。しかし少年はこれを鼻で笑い、挑発をする。
「ハッ、まだ終わっちゃいねぇだろ? この程度で戦闘不能とかあり得ねぇだろ? 両足で立っている、左腕は使える……まだいける、まだ戦えるだろうが!!」
その声と同時に少年の左腕から火柱が立ち昇る。風を受けて舞い上がり、その攻撃性を露わにして。
しかし業火を前にしても恐れおののくこともなく、少女はやれやれといった表情で両手を横にやる。
「無駄無駄。アンタの力じゃ戦えないって。AランクとBランクじゃ天と地の差があるっていい加減学習しなさいよ」
その言葉に反応するかのように、少年の炎はさらに激しさを増していく。
「それは最後までやって見なけりゃわかんねぇだろ!」
ぼろぼろになった肉体を振り絞り、最後の気力をもって少女へと飛び掛かる。
少年の全力を込めた最後の一撃。
極限まで力をこめた左手を大きく振りかぶり、少女の頭に極大の火球が振り落される。
――はずだった。
「――一時停止」
少年はその左手をすんでところで止めた――否、正しくは止められた。
少年の左手だけでなく、全身の動きが空中で留まっている。
だからといって少年が宙に浮いた体制のまま地面へ着地をするかと思いきや、それすら起きる事も無く空中に静止している。
彼だけでは無く、周り全てが止まっていた。風も止み、炎もその形を留め、木の葉も空中に止められている。
「…………さて、物理のお勉強でもしましょ」
そんななか、少女だけが動き出した。
「ニュートンの運動方程式。簡単に言えば質量×加速度=力となる式よね……さて、今回それを実践してみましょうか」
少女は本来ぶつけられるはずの左手をひょいとかわし、少年のすぐ目の前までによる。そして右手の人差し指でと親指ででこピンの形をとると、少年の額へと近づける。
「この場合、質量は私の指先分。速度はゼロ秒間に五センチ指先が動くと仮定します。加速度は一秒間の速度の増加量だから、この場合ゼロ秒間に五センチという計算になるわね」
少女はグググ、と指先に力を入れる。
「加速度はゼロ秒の二乗ぶんの五センチ……まあ無限と考えていいわね。そしてこれを式に当てはめると――」
少女が指をパチンと弾いた瞬間――
――少年が消えた。
――そして少女は、消えた少年の行き先を知っていた。
全てが動き出した瞬間――少年がその場から消えた時から既に少女の視線は後ろに建っていたビルへと移っており、轟音と共に叩きつけられている姿を最後まで見届けていた。
地鳴りが響き渡り、街が揺れる。そんななか少女は当然といった表情で立っている。
「アハハッ、破壊力は無限大になっちゃうよねー。まあ、実際は少しいじって手加減したから死んでないとは思うけど」
少女はクスクスと笑い、勝負に決着をつける。自らの血に沈む少年は返事も何もできず、ただ瓦礫にもたれかかったままである。
しばらくの間少年が動かないのを観察すると、少女はその場に背を向けひらひらと手を振りながら立ち去っていく。
「これで百七十四戦百七十四勝目。アンタは百七十四敗。まぁ、いい運動にはなったわ。じゃあね、『焔』」