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第7話 彼女の名前は竜胆『鏡華』

 巻波市。

 それは関東圏内のとある県に位置する、人口約10万人程の町だ。

 別に高層ビルの立ち並ぶ大都会というわけでは無いが、道を歩けば田んぼが見えたり電車が1時間に2、3本しか来ない様な田舎町でも無い。それなりに交通の便も良く、適当に5分10分ばかし歩けばコンビニの1件や2件が見つかる程度には栄えている町である。

 特筆する様な特徴は殆ど無く、強いて挙げるとするならば、海に面している為に地域住民なら海水浴が気軽に行える事ぐらいか。

 これが、巻波市を知る大多数の人間が抱く、その大よその概要である。

 だが、一部の人間にとってはもう一つ、そこに付け加えるべき事柄が存在する。

 それが『RWG巻波支部』の存在だ。

 巻波市の一角に建つアパート『もりびと荘』の地下に基地を構えるその組織は、反転世界に居を構える怪物『ディザイア』から人々を守る為に設立された国家直属の秘密特務組織『ReverseWorldGuardians』、略して『RWG』の一支部であり、巻波市とその周辺地域一帯の平和を人知れず支えているのだ。

 そんな平凡な表の世界と非平凡な裏の世界が同居する巻波市に建つ、市の中でも一番巨大な3階建てのショッピングモールの2階。主にファッション、ブティック関連の店が立ち並ぶその階で、裏の世界で幾体もの怪物ディザイアを屠ってきたはずの竜胆鏡夜は今『ランジェリーショップ』という、今の彼女にとって表の世界の怪物とも呼べるそれを前にして、絶望的な表情を浮かべていた。


 英語のロゴが入った水色の若干サイズが大きめなTシャツと、何回も裾を折り曲げて無理やり長さを合わせた茶色のズボンを着て、長い髪を高めの位置で一つに纏めポニーテールにした鏡夜は、明るいピンクの背景に白塗りの文字で店名が書かれたとあるランジェリーショップの看板を目の当たりにすると、ぜんまい仕掛けの玩具の様にぎこちなく顔を右に動かしてその視線の先にいるきららに問う。


「凄い今更なんだが……本当に行かなきゃ駄目?」

「本当に今更ねぇ、いつまでもそんなきつきつのブラじゃ嫌でしょ?」

「いや確かに息苦しいのはそうなんだが、着けてる事をあまり自覚したくないからあまりそういう事は言わないでくれ……」

「下着屋目の前にして何言ってるのよこの子は。ほら行くわよ」

「まっ、待ってきららさん!心の準備がっ、というかやっぱサラシ!ちょっと変でもサラシの方がっ――」

「ここまで来て往生際が悪いわよ、男なら腹括りなさい」

「男だから嫌なんだー!!」


 有無を言わさずきららに首根っこを掴まれ、怪物ランジェリーショップの中へと引きずられる鏡夜。

 男の時ならいざ知らず、細く小さくなった今の身体ではきららにすら体格で劣っており、もがく鏡夜の抵抗も空しく怪物は二人をその腹の中へと飲み込んでいった。



 鏡夜が恐るべき怪物に出くわす30分程前。

 鏡夜を引き連れて玄関から出てきたきららは、その横でスクワットに勤しんでいた鶴来に対して申し訳なさそうに苦笑しながら詫びの言葉を入れていた。


「御免ね鶴来君、別にそういうつもりは無かったんだけどすっかり待たせちゃったみたいで」

「いや良いっすよ、丁度良いトレーニングになりましたし」


 スクワットを止めて普通に立ち上がり、何て事の無い様子で言った鶴来に対し鏡夜の方は呆れた表情をしていた。

 

「お前な……こんなとこでスクワットとか何してるんだ」

「お前スクワット馬鹿にすんなよ?場所も手間も取らず手軽に足腰鍛えられるんだぞ」

「そういう問題じゃ無くてだな……」


 的外れな鶴来の言葉にげんなりとする鏡夜だが、きららの方は気にしていないらしく軽い調子で話題を切り替えた。


「ところで今から私達買い物行くんだけど鶴来君も来る?荷物持ちが居ると助かるのよー」

「荷物持ちて」

「あー、荷物持ちは筋トレになるから別に良いんすけど女の人の買い物には付き合える気しないんでパスで。というかまだ仕事あるし」

「あ、それだけどもう上がっていいわよ、鏡ちゃん見つかったから」

『え!?』


 きららの唐突な爆弾発言に目をひん剥いて彼女を見つめる鏡夜と鶴来。

 その視線を意にも介さず彼女は続きをっていった。


「ビルの陰に倒れてるのが見つかったんだって。それで命に別状は無いけど結構な重症だったのと出くわした奴がちょっと厄介極まりないのだったから、事情聴取と療養を兼ねて本部の方にもう移送されてったのよ。だから今日はもう上がっていいわよ、所長には私から言っておくから」

「えええそんなあっさりと!……ま、でも見つかって良かったわ。あいつが居ないと張り合いが足りないしな!」


 鶴来は結構な事態だった割にざっくりとした説明をされて驚いたものの、『竜胆鏡夜』が生きていたと言う事実に対しては素直に喜びを見せた。

 一方で『竜胆鏡夜』本人は、急いできららを引きずって鶴来と距離を離すと小声で、しかし慌てた声できららに問い詰める。


「アンタいきなり何言い出すんだ本当に!」

「しー、こういう事にしといた方が色々楽でしょ?大丈夫、RWG巻波支部うちの所長とも口裏は合わせてあるから」

「え、えー……」


 口に人差し指を当ててウインクをするきららに鏡夜は釈然としない面持ちを見せるも、彼女の言っている事そのものの正当性については理解出来た。

 確かにこのまま行方不明扱いとして延々と捜索され続けても、本人はここに居るのだから間違いなく見つからない。

 それに、RWGの『本部』に居ると具体的に言われればそれ以上の事など誰も問い詰めないだろう。本部は距離的にも遠いからわざわざ出向く人間もそうはいないはず。

 更に言うならそれなりに期間がかかってもおかしくない『事情聴取と療養』を理由にした上、具体的な期間について明言していない辺り中々に用意周到である。これならいつ男に戻っても余計な綻びを生む事は無いからだ。

 しかし勝手に本部の名前を使うのは良いのだろうか、それとも既にそっちにも根回しをしているのか。

 子供みたいな顔して妙に年季の入った様な手際の良さを見せる義母が鶴来の下に戻っていくのを、鏡夜はため息をつきながらついていった。

 

「はぁ……全く、そういう事なら先に言っておいてくれれば……」

「だって驚かせたかったし?」

「確信犯か!」

「お、戻ってきた。何かあったのか?」

「……諸事情だ」

「何か分かんないけど分かったぜ!」

「え、いいの?本当に今のでいいの?」

「それよりもさ、えーっと……」


 適当にも程がある誤魔化し方をする鏡夜とそれをあっさり受け入れる鶴来に軽く困惑するきららを余所に、鶴来は鏡夜の方を見て何かを言いかけるがすぐに口ごもる。

 その様子に鏡夜はクエスチョンマークを浮かべるがきららの方は合点がいったらしく、頭を掻いて悩む鶴来にフォローを入れた。


「鏡華よ、鏡にちょっと複雑な方の『はな』で鏡華。お兄ちゃんと同じく鏡ちゃんって呼んでるからそこら辺若干ややこしいんだけどね。あ、『はな』は体の『鼻』じゃないからね?」

「え゛っ」

「そうか、改めてよろしく!それと兄貴見つかって良かったな、鏡華!」

「え。あ、ああ……」


 またか義母よ。

 さっきと言い今と言い一体何処にそんなものを考える時間があったのか、真顔で嘘設定を吐き続けるきららに鏡夜、もとい『鏡華』は軽い眩暈を覚えた。


「というわけだから、こっちの鏡ちゃんとも仲良くしてあげてねー?」

「任せといてください!何せあいつのライバルですから!」


 何でお前はそんな自信満々なんだ、というか義母よ『とも』ってなんだ『とも』って。誰がいつそこの馬鹿と仲良くなったというんだ。

 眩暈が増しそうな二人の会話をBGMに、鏡夜は額に手を当てて考える。

 自分はもしかして大変な過ちを犯してしまったのではないか。妹だと騙る前に、少なくとも一考はしておくべきだったのではないか。


「というわけでやっぱ買い物についていったりはしない?下着も買うのよ?見れちゃうかもよ鏡ちゃんの下着」

「うぇ!?い、いやなおさら行けないっすよそれは!」

「でも裸は見たんでしょ?口では真面目そうにしててもやる事はやってるじゃないの」

「いやわざとじゃないんですよあれは不可抗力で……っていうか見てない!決して見てないですから!」


 何か引き返せないところに足を踏み入れてしまった様な気がする。

 そう思いながら『竜胆鏡華』がやるせない表情で一人虚しく見上げた空は、しかしそんな心境など知ったことではないと言うかの如き雲ひとつ無い青空だった。





 あの後鶴来と別れ、徒歩3分で着く最寄りの駅から電車で揺られること約10分。そしてそこから1分も歩かないうちに、巻波市の大体中央辺りに建つ市でも一番大きい3階建てのショッピングモール『ジーオン』に着いた鏡華はげんなりとした顔で、対照的にきららは楽しそうな笑顔で見上げていた。


「買い物、いいえショッピングっていつしても心の底からワクワクするわよね。だって女の子だものね私達!」

「俺までナチュラルに含めるんじゃない、それと俺は心の底から帰りたい」

「性別変わってもつれないわねこの子ったら。いいの?そんなきついブラでいいの?」

「それは良くないがその前にこんな公衆の面前でブラだのなんだのそういう言葉を使うな!」


 公衆の面前でブラだのなんだのそういう言葉を使ってツッコミを入れた鏡華に、周囲の人間の視線が集まった。

 それに気づいた鏡華の顔がカァっと赤くなる。


「っ!……ああもう先行ってるからな!」

「ああちょっと一人で行くとナンパされるわよ!ていうか場所分かるのー!?」


 されるか馬鹿!と吐き捨てながら早足で先を歩く鏡華を、きららが慌てた様子で追っていった。

 これが、鏡華が怪物に呑まれる5分程前の出来事である。



 ランジェリーショップとは、早い話が女性下着専門店の事だ。ちなみにここで言う『下着』には、スリップやベビードール等、部屋着としての用途を持つ物も含まれるが、それについては今語るべき事では無いので割愛させてもらう。

 今重要なのは、そこに売っている物が基本的に女性下着のみであるという事であり、その店において当然男性というのは女性達にとって歓迎される存在ではない事。

 そしてそもそも男性に立ち入る用事など普通は無く、つまり大抵の男性にとってランジェリーショップとはある種の禁忌とも言える未知の領域だという事だ。

 不幸にもそんな禁域に足を踏み入れる羽目になってしまった、もとい無理やり引きずられてきた鏡華はその光景に思わず倒れてしまいそうになった。


 見渡す限りの下着、下着、下着!

 何というか全体が物凄いピンクっぽい。別に室内とか下着の色そのものがピンクというわけでは……いや確かに多いが、ピンク系統。

 しかしそういう事では無く、雰囲気そのものがピンクっぽいのだ。

 野暮ったいものから、エロっぽい……というかギリギリアウトではないのかこれという物までが所狭しと並べられている中、割と繁盛しているのかそれなりに多くの女性達があちこちでやれ見た目がどうだの穿き心地がなんだのと姦しく騒いでいる。

 正直自分には場違いにも程が有りすぎて、そこに居るだけでとても恥ずかしく居た堪れない気持ちになってしまう。

 入店してから3分も経っていないというのに精神に結構なダメージを負った鏡華は、店員を呼びに行ったらしく入店後すぐに離れたきららの後姿を見送った後、なるべく店の商品から目を背ける様にして近場の柱にもたれかかった。ここで一目散に逃げ出さない辺り、彼女の律儀さが伺える。

 そうこうしているうちにきららが店員を引き連れて鏡華の下に戻ってきた。

 それにしても今更ながら思うが、わざわざ店員を呼んでくるとは一体どういう事なのだろうか。


「この子がそうなんですよー、もう本当にこういう事には無頓着で」

「でもお姉さんに似た可愛い妹さんじゃない。大丈夫、私が責任を持って似合うの選んであげるから」

「やっだもー店員さんったら、『お姉さん』に似て可愛いだなんてお世辞が上手いんだからー!」

(その人義母だし年齢的にも無難に親子してるから!普通に砕けた喋り方してるけどほぼ間違いなく貴方より年上なんだ!)


 20代半ばと思われる美人な店員の言葉に、きららは『お姉さん』という単語を心なしか強調しながら満面の笑みを浮かべるが、真実を知る鏡華は脳内で異を唱えた。聞かれるとそこら辺にあるアレがアレな下着を穿かされそうだから絶対に口には出さないが。

 

「それじゃあ君、ちょっとこっちの試着室に行こうねー」

「え?あ、はぁ……」


 状況がよく飲み込めないまま、店員に導かれて試着室へと入った鏡夜。

 彼女が振り返った先には、両手でメジャーをピンと引っ張って伸ばした店員が笑顔で立っていた。



「わーコレ可愛いー、でもこっちのふりふりなのも良いですよねー!」

「妹さんぐらいの大きさなら色々と選択肢があるから迷っちゃうわよねー、いいなぁ私もアレぐらい欲しかったわー」

「やっぱ大きいって良いですよねー、あ。ほら鏡ちゃんちょっとこれ着けてみて!」


 きららの言葉と共に淡い青色の下着一式を押し付けられた後、無言で試着室のカーテンを閉めた鏡華はまるで死んだ魚の様な濁った目をしていた。

 入店して最初の方ではあんなに恥ずかしがっていたはずなのだが、今は下着を手にしてもその顔に何の表情も浮かべていない。

 どうも先程、試着室で服を脱がされ胸囲を測られている際に鏡華の羞恥心は振れに振れてついに振り切れてしまった様で、胸囲を測られ終わってからは下着を手に取りきゃっきゃとはしゃぐ店員ときららを、試着室から無表情でぼおっと見ているだけの人形になっていたのだ。測定した後すぐにも二人はDだの大きいだの言ってた気がするが、どんなやりとりをしていたのかは勿論殆ど耳に入っていない。

 今自分の感じる気持ち。これが無我の境地や悟りと呼ばれる地平なのだろうか。

 どこか『ゴデバー』のチョコが食べられたと思った時を思い出す虚無感を抱きながら、押し付けられた下着を適当に壁のフックに引っ掛けて試着室の中でもそもそと着替えだす鏡華。

 しかし無造作に服を投げ捨てて肉に食い込む程きつかったブラのホックを外した瞬間、くびきから解き放たれたかの様にぷるんっと揺れてブラを弾きながらその形を元に戻した双球を目にした鏡華は、自らの魂の内に眠る獣が唸りを上げて目を覚ましたのを自覚してはっとした。


 視線の先にある二つの球体、すなわち乳は、自分の体だとは思えないくらいにエロティックだった。

 日に焼けておらず傷一つ無い、白く艶やかな肌と大きすぎずしかし決して『巨乳』の枠からは外れない絶妙なサイズ。そして見事なお椀型の全てを併せ持ったその乳は見ているだけで、触れれば絹を触ったかの様にするりと滑る肌の感触と、押せば押すだけ優しく沈んで包み込む極上の柔らかさを思い起こさせる。

 軽く体を揺らすとそれに合わせて乳もぷるぷると形を変えていく。その生き生きとした躍動感と揺れる度に滲み出てくる性的魅力は、鏡華の視線を誘蛾灯に導かれる蛾の様にふらふらと誘い揺らした。

 今までは状況が状況だった為に気にしてはいられなかったのだが、こうまじまじと見ていると本当に素晴らしいものなのだと思う。

 鏡華の中身は、あくまでも竜胆鏡夜と言う『男』である。もっと正確に言えば、『思春期真っ盛りの男子』だ。

 男性が女性への性的興味が芽吹きまた最も高まるのが大体その時期であり、鏡華も、いやここはあえて『鏡夜』と呼称するが鏡夜だって、あまりそういうものとの係わりが無かったのと本人の真面目さ故に他の同年代のそれより薄くはあったが、当然幾らかの興味は持っていたわけで。

 

 ごくり。

 喉を鳴らす音がいやに大きく耳に響く。

 体が変わっても男の時の様に、こういう事を思えるのだという事に少し安堵を覚えて、しかしそれは目の前のそれに対する好奇心と情欲にすぐ塗りつぶされて。

 手に持っていたブラをその場に落として完全に空いた両の手を開き、下から支える様にそっと持ち上げると思っていた通りの……違う、それ以上の柔らかさと滑らかさが掌を通して脳に伝わり興奮を加速させた。

 指で肌を撫でる度、肉に沈み込ませる度に背筋がぞくりとする。寒気とも怖気とも似て非なるその甘美な痺れが、脳を甘く溶かして侵食していく。

 いつしか鏡夜ははぁ、はぁ、と断続的に息を荒げながら、掌を滑らせて上へ上へと進めていた。その視線は、椀の頂点に釘付けになっている。

 果たして頂点に辿りつき、その指で摘もうというその瞬間。


「鏡ちゃーん」

「っうわあああああ!!」


 間延びしたきららの声で正気に返った鏡華は思わず後ずさったせいで背中から壁にぶつかり、そのままずるずると壁にもたれかかりながらへたり込んだ。

 顔を真っ赤にして驚きと呆然が入り混じった様な表情を見せる鏡華に向かって、きららは目を細めながら言う。


「……私ね、貴方がそういう事に興味を持ってくれていた事自体に怒るつもりは無いしむしろ嬉しいくらいではあるんだけど、それでもTPOは考えるべきだと思うのよね、うん。そういう事だからとりあえず早く着替えてね」

「ちょっ、待って今のは誤解っ――」


 鏡華が慌てて腰を上げながら弁明をしようとするも、その前に言う事を言い終えたきららがカーテンを閉めて彼我の空間を隔てた。


 見られた。自分がアレをアレしそうな所を親に思い切り見られてしまった。

 がくりと膝をつき、真っ赤を通りこしてもはや青白くなってしまった顔で項垂れる。


(あ……あれなら、首を括るのにちょうど良いかも知れないな……)


 脱ぎたてほやほやのレモンイエローのブラを、その視界にふと捉えて思った鏡華だった。

【今日の戯言コーナー】

別にジークGオンとかそんな事は言いませんヨ……?

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