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第1話 反転した世界

 二つの影が街を疾駆する。全てが色彩を失って何処か無機質さと非現実的な雰囲気を漂わせる世界の街、そのモノクロに染まった家々の屋根の上を。

 そこは『反転世界』。感情、意思、そして魂といった精神的なエネルギーが力を持つ、物理的法則に支配された現実世界とは似て非なるもう一つの世界だ。

 その『反転世界』を駆ける、唯一有機的かつ現実的な色を持つ二つの影。

 よく見るとそれは人間だった。二人の人間はまるで示し合わせたかの様に一つのビルに降り立つと、一人がもう一人の下へと一気に跳躍する。

 跳んだ方の人間は、フード付きの足まで届く長い漆黒のコートを羽織り、目が隠れ腰まで届く程に長いぼさぼさの銀髪を無造作に振り回しながら疾駆するどこか不気味な雰囲気を纏った長身痩躯の男。

 彼はもう一人の人間と距離を詰めると、その両手に持った、一切の光を余さず呑み込むが如き漆黒に染まり昔の3Dゲームの如く大雑把なポリゴンで形づくられた様な見た目を持つ大鎌の様な武器を、その細身からは想像も出来ない程の速度で縦に振り下ろす。

 相対するのもう一人の人間は、今にも自分を切り殺さんと迫る鎌と同じくポリゴンの様な角ばった形と、しかし鎌とは違い透き通る様なクリアブルーで全体が構成された長銃の様な武器を右手に持っている。

 その長銃の彼はよく分からない英語のロゴが書かれている半そでのTシャツにジーンズというラフな格好をした、幼さは残るが整った顔付きで大よそ中肉中背だが若干背が低めな黒髪の少年だった。

 彼は振り下ろされる鎌に腹を向けるよう右に体を逸らしギリギリでそれを回避。その体勢のまま右腕を伸ばし長銃の口を、鎌を振り下ろして隙が出来た男に向けるとすぐさま引き金を引いた。

 轟く銃声と共に打ち出されるのは鉄では無く光の弾丸。

 普通の銃とは見た目も弾丸も明らかに違うそれは少年に殆ど反動を伝えず、そして放たれた弾丸は目の前の男の左肩へと高速で迫る。

 しかし男は弾丸の放たれる瞬間即座に鎌を手から離し、体勢を低くとりながら肩を掠める銃弾を気にも留めず踏み込み少年に肉薄。

 駆ける勢いでがらあきとなった少年の脇腹目掛けて渾身の右ストレートを放とうと右腕を後ろに引いて『溜め』の挙動を見せ――再度鳴り響く銃声とほぼ同時、まるで弾かれたかのような爆発的なステップで飛びながら一度手放した鎌を再度引っつかみ掻っ攫う。

 それと同時に先ほどまで男の立っていた地面が何かにぶつかったかのように抉れて爆ぜた。


(今のを避けるか……!)


 回避の可能性を考えていないわけでは無かった。

 しかし実際に避けられるとその人間業とは思えぬ挙動に驚愕の念を覚えざるを得ない。

 今の一撃の正体は少年の長銃から放たれた光の弾丸だった。

 彼が放つ光の弾丸、正確には彼の持つ長銃には『発射の直前に思念による命令を込める事で、発射後その命じられたタイミングで一度だけ弾丸の飛ぶ方向を変えられる』という特性が備わっている。

 男が武器を手離し身を屈めるのを見てその行動を半ば直感で先読みした少年は次の攻撃は躱せないと予測。

 故にその事実を逆手に取り、少年は回避を諦めしかして伸ばした右腕をそのままに2発目の弾丸を正面に撃ち込んだ。

 本来の進行方向とは逆向きに、なおかつ万が一回避された際に自分に当たらない様斜め下へと即座に向きを変える様に命令を込めた弾丸を。

 回避行動の一切を放棄した、ともすれば無謀とも言える賭けだったが少年の判断の早さを奏した。

 光の弾丸は少年の思惑通り、発射直後に方向転換。男が殴りかかる直前にその背後から高速で奇襲をかける。

 しかしそんな、必殺の一撃とも言える攻撃を男は、半ば強引だが躱してみせた。

 銃声か、気配か、もしくはそれ以外の何かを頼りに察知してみせたのか、少年には分からない。だが彼には今の攻防で分かった事も一つあった。

 それは今、自分が戦っている男が自分と比べて途轍も無く強いと言う簡潔にして絶望的な真実だった。

 ステップによる回避の後、軽く跳躍して隣のビルへと飛び移った男は疲労どころか息を乱すそぶりすら見せずそれどころか肩に足首を回してほぐしたり、それだけでなく手に持ってる鎌までもくるくると回して見せたりと、あからさまに余裕なそぶりを見せている。

 対して少年は絶えず汗を流し、断続的に肩で息を繰り返しているという分かりやすい消耗ぶりだった。

 それに加えて実はもう一つ、彼我の戦力差を表す明確な事実がそこにはあった。


(あいつはまだ、『能力』を使っていないはず……)


 彼らの持つポリゴン風の異質な武器。『セイバー』と呼ばれるそれらの武器にはそれぞれ特殊な『能力』が一つ備わっている。

 少年が持つ長銃のセイバーの能力は先ほども見せた弾丸の誘導能力。

 しかし男の持つ大鎌のセイバーは未だにその能力の片鱗すら見せていない。

 自分が知らぬ間に使用された可能性もあるが、まるで遊んでいるかの様な男の余裕ぶりを見る限り『能力を使うほど本気を出していない』と思う方が筋は通っていると思われた。

 もっとも余裕そのものがある種のブラフの可能性も有り得なくは無いのだが、だとしても敵の底が未だ見えず、こちらは捨て身で叩き込んだ一撃すらも回避されたという事に変わりは無い。


(どのみち俺が今勝てる相手じゃあない、仕方ないがここは離脱が最優先)


 先ほどと同じく少年の判断は冷静かつ早かった。

 戦況からの一時離脱と『組織』への状況の報告、増援の要請。それらのビジョンを脳裏に描き、その為の思考を始める。


(敵は油断している……どんな実力者だろうと油断があるならそこには付け入る隙があるはず。奴を狙う様に見せかけて足を止める事に徹する。その間に出来る限り距離を離して――)


 しかし少年の思考はそこで途切れる。男が少年の居るビルへと向き直り、軽く膝を曲げたのが見えたためだ。

 更に男は右手でセイバーの柄を持ち、体の後ろに回す。その独特の体勢は敢えて挙げるなら、所謂『居合い切り』の体勢に似通っているものだった。


(あんな遠くであんな構え……『能力』でも使う気か?だがこの距離なら視認してからでも対処出来るはず……いや、してみせる!)


 少年は強かった。それなりには、強かった。しかしなまじ強かったが故に、『次元の違う』相手という物とは今まで相対した事が無かった。

 だからどんな相手だろうと、それこそ自分より強かろうと少なくともその強さに対する思考は出来る。

 思考が出来れば戦術が組み立てられる。戦術が組み立てられれば判断が出来る。判断が出来れば適切に行動を起こせる。そう少年は考えていた。

 そして『実践』という形でその正しさは証明されてきた。

 そんな少年の冷静で早く、しかし遅いその思考が今この瞬間には仇となる。

 男の構える大鎌型のセイバー、その刃が黒く輝きだす。『黒く』『輝く』という、矛盾している様でもそう言い表すしかない現象を見せる男に対し、少年はあくまでも敵の能力を見切り適切に対処を行う為、全神経を男の一挙手一投足に集中する。

 本当はこの時点で何もかもかなぐり捨てて、背を向けてでも逃げるべきだった。

 しかし少年は知らなかった。この世の中には『次元の違う』人間が存在する事を。今それが、自分の目の前に居る事を。

 故に少年は未だその場から逃げない、見切れもしない攻撃を見切らんとするがために。

 向かい合う少年と男。男の刃が漆黒の煌きを見せた後に訪れた、一瞬だけの静寂。

 そして――。


(え?)


 男の右腕が消えた。

 少年がそう思った瞬間実にあっけなく、少年の視界も意識も黒い光に塗りつぶされた。




 全てが黒一色の闇が覆いつくす中、自分だけがそこで佇んでいる。

 いや、ぼんやりとだけどちょっと遠くにもう一人。

 でも誰だ?目を凝らしてよく見てみる。

 あの姿は何処かで……いや、あれは――。


(――俺?)





 黒く塗りつぶされていた意識と視界が、緩やかに開けていく。

 薄ぼんやりと開いた眼から見えるのは両端に高く聳える黒い壁と、その隙間から見える色彩を失い曇天の様に濁った灰色の空だった。

 どうやら今自分は仰向けに倒れているらしい。いつからこんな所で?そもそも何故倒れて――

 そこまで考えて、そして思い出した。


(そうか、俺はあの大鎌の男と戦って……)


 負けたのだ、完膚なきまでに。

 訓練で格上の敵に負けた事はあってもここまで何も出来ずに負けた経験は今まで一度も無かった。

 初めての完全敗北にぎりりと奥歯を噛むが、自分の中の冷静な部分が『今は感傷に浸っている場合では無い』と告げる。


(とりあえず『組織』に戻らないと……)


 あの男を野放しにしておく訳にはいかない。

 あの出鱈目な強さもそうだが、突然襲われてそのまま戦闘に突入。敵が一言も喋らず、こちらも攻撃を捌くのに手一杯で問答にまで頭が回らなかったので、男が何の目的で動いているのかが全く分からなかったのもかなり厄介である。

 目的が分からないという事はいつ何をしでかすか分からないという事と同義だからだ。

 一刻も早く『組織』に今回の事を伝える為に体を起こそうとするが、軽く力んだぐらいでは全く言う事を聞かない。

 それでも身体を動かそうとすると、まるで自分の身体では無い様な、例えるなら重たいきぐるみに入ってそれを無理やり動かそうとする様な、そんな重さと束縛感を全身に感じた。


「くぅ……あっ……」


 声帯も上手く機能しないのか声が途切れ途切れになる上にいつもより甲高くなっているが、それでも必死に声を上げながら体中に力を入れて何とか上半身を起こす。


「……ん?」


 今、体を起こしたのと同時に、胸が垂れ下がったというか何かに引っ張られたと言うか、なんとも表現のし難い感覚を感じた気がする。


(何か怪我でもしたか?いやしかし……)


 一体どういう怪我をしたら今のような感覚を感じるのだろう。兎に角、この妙な『違和感』の正体を確かめる為に顔を下に向けて――


「…………は?」


 思わず出てしまった間抜けな一声。

 その原因は今視線の先にある胸、正確にはそれにくっついている『あるもの』にあった。

 その名は『乳房』。俗な言い回しをするなら『おっぱい』である。ちなみに、今目の前にあるそれは大きさも形も中々の上物と言える代物である。

 しかしそんな平時なら見とれそうな魅惑のおっぱいも、自分に付いているなら非常事態。

 あまりに唐突な出来事に思考回路がほぼ真っ白になる中、それでもごく僅かに残った冷静な部分がせめて現状の把握に努めようと視線と感覚を全身へ向けていく。

 筋肉の付きにくい体質ながらもそれなりに頑張って鍛えていたはずの腕や脚は枯れ木の様に細くなり、掌も随分と小さくなった。

 それに健康的な黄色の肌は、日に当たっていないもやしの様に白く、頼りなさげになっている。

 髪の毛も色こそ変わってはいないが以前に比べて随分と長くなったらしく、意識して見ずとも視界を度々遮るわ頭は若干重いわで実に億劫だ。

 『おっぱい』に遮られて視界には映らない、いつも股の間で堂々と鎮座していたはずの『息子』の安否を確かめる為、両の太ももを擦り合わせる。

 消息不明だった。

 喪失感に震える手をそれでも僅かな希望に縋ってか、それとも現実を直視してその希望を断ち切る為か、もしくは単なる流れ作業的なものなのか。

 自分でも何故そうしたのか分からない、だが『確かめなければならない』。そう思った。

 右手をそっと股の間に近づける。


「……無い」


 その細い肉体のわりにたわわに実った両の乳房を、それぞれの手で軽く持ち上げる。


「……ある」


 重く、そして柔らかかった。


「……………………」


 彼の、いや今は彼女と言ったほうが正しいだろう。

 彼女の名は竜胆鏡夜りんどうきょうや

 何の因果かこの『反転した世界』で、何故かは分からないが『性別まで反転』してしまった、少年だった少女。


「……………………はぁぁぁぁぁぁ!?」


 ようやく回り始めたその頭が正しく現状を理解した時、以前よりも可愛らしくなった声で発した鏡夜の叫びがモノクロの空に吸い込まれていった。

【今日の戯言コーナー】

どうも初めまして、ハルです。

のっけからバリバリの中二系アクションっぽい始まり方しているのにこういうのも何ですが、ぶっちゃけた話嬉し恥ずかしきゃっきゃうふふな感じのTS物書きたくてこれ書いているのでまぁ後々そういうアレがどんどん出てくるはずです、多分恐らくきっと。

まぁとりあえずはまだまだ最初という事で色々説明不足な点もあったりまだまだTS物っぽい事もあんま出来ていなかったりしますが、次回も読んでいただければ幸いです。

 ちなみにこの謎コーナー、作者があとがきとか漫画についている作者コメント的なアレとかなんかそういうニュアンスのものが好きなのと、まぁなんかこういうの作っておいたら色々出来るかなぁという、趣味と実益を兼ねて作ったものなのですが、正直その内ネタ切れになる気しかしないのは何故でしょうね。


14/2/7追記:読者層的に考えてあまりにも目を惹かないであろう1話だった事に漸く気づいたため、こっそりプロローグなる物を追加したんだとかなんとか。

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