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怪奇小話  作者:
3/3

~廃墟~

 夢であることを自覚している夢を明晰夢と呼ぶそうだ。ならば私は今、明晰夢を見ているのだろう。

 周りには見たこともない街の景色が広がっている。頭上には太陽。しかし暑さは感じない。それはやはりこれが夢の中だからか。

 私がいるのはどこかの商店街だった。規則的に配置された建物とレンガの床。店はどこも開いているが、人の姿はない。シンとした商店街を、私一人が歩いている。

 そして私は何かに導かれるように、角を曲がり、薄暗く細い路地へと入っていった。しばらく歩いていると、視界が開け、とある建物が見えてくる。

 元は診療所だったのだろう。二階建てのコンクリートの建物だ。あちこちが煤こけ、崩落している。かつてここで大火災が起きたのだろうか。被害の爪痕も生々しいその建物に、私は迷うことなく入っていく。

 中もひどい有様だった。床のあちこちにはコンクリートのかけらが落ちている。壁は燃え尽きたのか、崩れ落ちたのか、むき出しの鉄筋の柱が立ち並んでいた。私が今いる場所は、まさに廃墟と呼ぶにふさわしい。

 だが、どうして私はこの廃墟へと足を踏み入れてしまったのだろう。いや、分かっている。これは夢なのだ。夢の中の行動に理由など必要ない。

 しばらく廃墟の中を歩き回ってみるが、めぼしいものは何もない。いつになったら目が覚めるのか分からないが、とりあえずこの場所から出よう。そう思い、踵を返したとき、すっと私の横に誰かが現れた。

 驚いて振り返ると、そこには十歳ぐらいだろうか。赤の生地に花柄の刺繍をほどこした着物を纏う少女が、私の顔を見上げていたのだ。肩にかかる艶やかな黒い髪、黒曜の輝きを放つ大きな瞳、まるで人形のように愛くるしい出で立ち。私はしばし呆然と少女を見つめていた。少女もまた私をじっと見つめている。何かを言わなければ。そう思い、口を開いたところで、視界が掻き消えた。何も見えない、聞こえない。黒い世界。そう、これは夢の終わり。意識が覚醒しようとしているのだ。

 そして、私の意識は現実へと舞い戻った。

 布団から上半身を起こし、私はぼんやりと先ほどの夢の余韻を噛みしめていた。不思議な夢だった。誰もいない、見たこともない街の景色。廃墟。そこで出会った少女。

 心臓が高鳴っていた。私にはそういった趣味はない。ないはずだ。しかし、脳裏にはあの少女の姿が鮮明に刻み込まれている。少女のことを思い返すと、動悸が激しくなり、心が締め付けられるような痛みを感じた。

 恋。そう、何故か私は夢の中で出会った少女に恋をしてしまった。



 それから何日か経ち、私は再びあの廃墟の夢を見ることが出来た。無人の商店街を抜け、廃墟へとたどり着く。少女はいるだろうか。年甲斐もなく、心躍らせながら、私は廃墟へと足を踏み入れた。

 廃墟の中は以前来たときとまったく変わりはなかった。壁もなく、柱だけが立ち並ぶ広場を、私は少女の姿を探して歩き回った。

 呼びかけてみようか。しかし私はまだあの子の名前さえ知らないのだ。

 とりあえず声をかけてみる。もちろん返事などあるはずがない。

 肩をすくめ、私は廃墟の中をもう一度歩き回ることにした。

 そうして足を踏み出そうとしたとき、足に軽い衝撃を感じた。見ると、そこには手鞠が転がっている。転がってきた方を見ると、柱に隠れるようにして、あの少女が私を見つめていたのだ。

 あぁ、やっと会えた!

 私の心が歓喜に震える。

 私は手鞠を取ると、少女の方にそっと歩み寄った。少女は逃げようとしない。不思議そうな顔をして、じっと私の顔を見つめている。

 私は少女に手鞠を差し出した。

 少女は手鞠と私を交互に見比べ、ぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべ、手鞠を受け取った。

 そして夢はそこで終わりを告げた。



 あぁ、早く彼女に会いたい!

 心の中でどんどん膨れ上がる少女への想い。仕事のときも、食事のときも、あの少女のことばかりが浮かんでくる。少しでも長く彼女のいる世界に留まりたい。あの廃墟へ行きたい。少女に会いたいという渇望がとめどなく沸き起こってくる。

 そんな私の願いが通じたのか、私は再び廃墟の夢へと誘われた。



 言い方はおかしいかもしれないが、夢の中で私は目を覚ました。現実から夢の世界へと意識がシフトしたのだ。

 私がいたのは無人の商店街ではなく、廃墟の中だった。小さな部屋のようなところで、私は床に座り込んでいた。その隣にはあの少女が寄り添うように座っている。廃墟の中は今まで以上に暗かった。崩れた天井からは陽光ではなく、月の光が降り注ぎ、廃墟を照らしていた。

 どうやら今は夜のようだ。

 少女との間に会話はない。だが、不思議と私は満ち足りていた。ただ少女と同じ空間にいられるというだけで、途方もない幸福感が押し寄せてきた。

 もう彼女の名前などどうでもよかった。彼女の正体が何なのかもどうでもいい。ただ、私は彼女の傍にいて、彼女を見つめ続けていられるだけで満足だったのだ。



 やがて現実の私は睡眠薬に手を出すようになっていた。これを飲めば、すぐに眠ることが出来る。そして少女に会うことが出来るのだ。

 夢の内容は日によって違う。一緒にかくれんぼをして遊んでいるときもあれば、ただ寄り添って会話するだけのときもある。

 そう、私はついに少女と会話することが出来たのだ。少女の声は鈴を転がしたように愛らしいものだった。話す内容は他愛もないことばかり。動物のことや星のこと、少女が知らないことを、私はいくつも教えてあげた。そのたびに少女は瞳を輝かせ、万輪の花のような笑顔をこぼすのだ。



 体が慣れてきたのか、睡眠薬の効きが弱くなっている気がする。自然と服用する量が増えていくが、私は気にしなかった。

 それからも少女との逢瀬は続いた。私は少女のことが好きだ。愛している。そして彼女もまた私を好いてくれている。とても満ち足りた時間。永遠に続いてほしいと願うほどに。

 睡眠薬の量は増え続けていた。今では仕事も辞め、部屋に閉じこもり、朝から晩まで眠り続ける日々を繰り返している。

 だが、それが何だというのだ。私は彼女に会いたい。会いたいのだ。



 ある夜、少女は何故か悲しそうな瞳を私に向けてきた。

 どうしたのかと尋ねると、少女はこのままじゃ戻れなくなるよ、とそう言った。

 戻れなくなる。それはどういう意味だろうか。

 夢から覚めることが出来なくなるということか。ならば問題はない。彼女とずっと一緒にいられるのならば、それ以上に望ましいことはない。

 そういう意味の言葉を少女に返すと、少女は嬉しそうな、それでいて悲しくて泣きそうな、そんな複雑な笑みを浮かべたのだった。



 今では現実よりも夢の世界の方が私に充足感を与えている。現実と夢の境界が揺らぎ、私の体は、魂は、夢の世界に染まりつつあった。なるほど、これが彼女の言う戻れなくなるということか。不思議と恐怖はなかった。むしろあの世界の住民になれることを嬉しく感じる。

 さぁ、またあの子に会いに行こう。現実という夢を抜け出し、夢という現実へ。

 今日はあの子と何をして過ごそうか。そんなことを考えながら、私の意識はぼんやりと現実から遠ざかっていった。



 〇月☓日、都内のアパートで衰弱死している男性の遺体が発見された。部屋に荒らされた形跡はなく、彼の部屋からは大量の睡眠薬が発見されたことから、警察は自殺の疑いと見て捜査を続けている。


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