20 星に願いを
注がれる陽と駆け抜ける風が気持ちよかった。
地平線の方を見ると太陽は、まだ半分以上はあるが沈みかかっている。きっと、このまま太陽は沈み、また昇るのだ。それは変わりのない現象として流れていく。
いわゆるそれは日常という言葉そのものだろう。
だけど、それでも日常は変化する。
太陽が西から東に昇ることはなくとも、人や町並みは時と共に移ろいでいる。それもまた当たり前のことだ。
しかし、ちょっと矛盾している、と思う。
変わらないこともあれば変わることもある。一体どっちが正しいのだろう。そんな疑問が、ふと涌き出た。
「まあ、矛盾しているからこそ助かっている部分はあるんだ」
正しいかどうかは別として、重要なのは変化するにしてもしないにしても大事なものを持ち続けられるか。そこが最も大切なことだ。
では、俺はどうなのだろう。
変わらないにしても、変わるにしてもその大事なことと言うものを持ち続ける以前に、持っているのだろうか。
――まあ、それを確かめるためにもここに居るのだが。
今俺は、悠姫の家の前にいた。
悠姫を待っているのだが、なかなか出てこない。さっきから、近江祭で街の中心に向かう老若男女の姿を追うだけだ。
「うーん、なかなか出てこ――」
いよいよ我慢しきれずに、内心を呟こうとしていた時だった。突然、家の玄関の扉が開く。
現れた人物はもちろん悠姫だ。
悠姫は桃花と同じように浴衣姿でいる。藍色でアサガオの模様をあしらった浴衣だった。妙にその落ち着いた浴衣が、悠姫に似合っていると思う。
それに加え、花の形をした髪飾りも着けていて悠姫の皮らしさを際立たせている。
「さっちゃん……!?」
すっかり見とれていた俺に、悠姫はびっくりしたように気が付き話し掛けてきた。意識を引き戻された俺は、平然とした態度で軽く右手を挙げて、
「よう! これから、行くのか?」
喧嘩をする前と同じ調子で話し掛けた。
そんな調子の俺を訝しむように、悠姫は様子を窺っていたが、やがて大きく息を吐いた。多分あれは、さっちゃんだから警戒しなくても良いとかなんとか、と思っているのだろう。
「うん……これから行くんだけど。それが、どうしたの?」
「いや、その件については桃花に代理を任せたから行かなくていいぞ」
「え? どういうことなの、さっちゃん?」
首を傾げ尋ねてくる。まあ、当たり前と言えば当たり前のことだ。急にこんなことを言われれば、困惑しても仕方がない。
対して俺は返答を、別に、とだけ短く答えた。そして、一層が困惑度を増した悠姫に近づく。
そして、俺は何も言わず悠姫の手を握った。
「さ、さささ、さっちゃん!?」
盛大に驚く悠姫。
いや、これも致し方ないか。突然手を握られれば、さっきと同じで驚かれても無理がない。
が、だからと言って俺は手を離すつもりはなかった。
俺はニコリと笑いながら、悠姫に告げる。
「さて、行こうぜ!」
「え、えっと、どこになの、さっちゃん?」
「着いて来れば分かるさ」
そうして、俺はそのまま悠姫の手を握ったまま歩き出した。
恥ずかしがっている割に、悠姫は一度もその手を振り払わなかった。
歩き始めてからかなりの時間が経った。
それは、わざわざ時計で時刻を確認しなくても分かるくらいに。悠姫の家で見た夕日は、もう完全に沈んでいる。
そんな中俺は悠姫を連れて、かっぱ山――本当は近江山と呼ばれる山を登っていた。いくら道が整備されているからと言っても、やはり坂道はきつい。俺と悠姫の額には海へ旅行しに行ったときに流したような、汗を流していた。
「本会場に行くなら、バスを使えば早いのに……なんで歩くの、さっちゃん!」
「お前な、バスは確かに便利だけど、お祭りの移動で人が多いぞ。便数は増やされてるんだろうけどさ」
俺と悠姫の会話は、喧嘩中のものとは思えないほど饒舌で、いつも通りだった。まだ。完全に許してもらったわけではないけど、少しだけいつも通りに慣れたのは嬉しかった。
「う~、馬鹿なさっちゃんにしては筋が通っている」
「悪かったな、馬鹿なさっちゃんにしては筋が通っていて」
いつもの冗談の言い合い。
「うん」
「……、」
いつもの調子での会話。短い間にしても会話をしていなかったせいで、今の会話はとても楽しかった。
その調子のまま歩き続け、俺と悠姫の二人は遂に本会場である近江公園にたどり着いた。
「さてと、もう少し歩くぞ」
「あのさ、さっちゃん。本会場を見て回ったりするんじゃないの?」
「お前さ、俺たち一応喧嘩しているんだがな」
そこで、悠姫は思い出したように指を鳴らした。
おい、忘れていたのか。
まったく、良い根性しているな。俺が悪いといっても険悪なムードにしていたのはお前なのに。その本人がすっかりそのことを忘れているなんてな。
まあ、俺も少しばかり忘れかけていたのだが。
「まあ、いいか」
いいのだろうか、と思うが話を進めなければいけないので黙っておく。どっちにしろ、あの場所に行けばすべてに決着が着く。
「さて、行こう!」
「うん!」
俺は悠姫の手を引きながら、目的の場所へと歩く。
それからどれくらい歩いただろうか。
短い時間ではあるが、とても長い時間のように感じられた。温かくて、楽しくて、嬉しくて、俺はそう思いながら目的の場所を目指した。
悠姫はどう思っているのだろうか。
俺と同じように思っているだろうか。
さあ、どうだろう。
結局の所、人の心と言うのは何処まで行っても分からない。悠姫が怒った時、それは約束を守れなかったから怒っているのだと分かった。けれど、今は分からない。
表面的な部分をなぞり触れることは出来ても、核心に触れることはできないのだから。
でも、それで良い。
触れられなくても触れる努力をすればいいだけの話だ。
だから、俺は今の核心――本音を口にすればいいだけだ。
「着いたぞ、悠姫」
整備されていない森の中を歩き続け、ついに俺と悠姫は目的の場所に着いた。俺が悠姫を連れてきた場所は、小高い丘だった。周りには木々はあまり生えておらず空を見上げれば、満天の星空を望むことが出来る。
幾数もの星が輝いている。
輝きに違いはあれど、この真っ暗な空で眩しく輝いている。
もちろん彦星と織姫の星も。
「わあ……すごい」
その満天の星空に、悠姫は感嘆の言葉を漏らした。
「だろう。探すのに苦労したんだぜ」
覚悟を決めた日から、どこか良い場所がないかと探した。そして、見つけたのがこの場所だ。
「でも、さっちゃん、何でここに連れてきたの?」
「それはだな――」
当たり前の問いに、俺は表情を綻ばせながら呟こうとするが、少しだけ緊張が心の内を満たし、さっきまで饒舌だった唇を動かなくさせる。
――だーっもう、度胸だ度胸!
そう自分に言い聞かせ、俺は口を開いた。
頬を少しばかり朱に染めながら。
「悠姫に伝えたいことがある! 一度しか言わないから良く聞くように!」
「伝えたいこと?」
悠姫は真っ直ぐな瞳で俺を見据えながら、尋ねてくる。
「おう! 良いか、一度しか言わないからな!」
「うん、わかった。ちゃんと聞くね」
悠姫はこれから何を伝えられるのに分からないのに、俺の瞳を澄んだ眼差しで見てくる。それが、信頼なのだとすぐに分かった。
そして、その信頼が俺の行動を後押しした。
「悠姫、フランスに行って来いよ! プロの音楽家になれるチャンスだぞ!」
前回はここまでが俺の限界だった。
けれど、今の俺は違う。
足りなかった言葉を言うことが出来る。
それは、皆のお蔭だ。
淡島先生に鮫島先輩、修に桃花たちのお蔭だ。
だから、ここまで突き進ませてもらった皆のためにも――悠姫のためにも――自分のためにも俺は言う。
「だから、俺も追いつく! どんなに離れてもだ! 彦星と織姫みたいに一生懸命会えるように努力するからさ、行って来い!」
「さっちゃん……」
俺は手を繋いでいない右手で、悠姫の左手を掴み星空に向って伸ばした。何の星に向ってか、それは決まっている。
彦星と織姫の星に。
「それがさ、俺の夢だな。まださ、成りたいものはなくても、お前に追いつくから。これは約束だ。この前に見たいには絶対破らないから――」
だから、と言葉を続ける。
「追いつくから、行って来い!」
伝えきった。
そう思った。
届いたかどうかは分からない。
でも、言い切った。
だから、もう何の悔いもない。悔いを残して、スタートラインから走り出したくはないから。
「……さっちゃん」
ずっと何も言わず耳を傾けていた悠姫は優しい声で語りかけてきた。
「なんだ」
「さっちゃんってさ、フランス語喋られるの? 英語でさえ手こずってるような馬鹿なのに」
「今は喋ることが出来ないけど、覚えるよ!」
「本当?」
「本当だ!」
どんと胸を叩いて肯定する。
「じゃあ、本当に追いついて来てくれる?」
「おう! 約束だ!」
「そっか」
「おう」
「やっと願い事が叶ったよ。私が短冊にずっと書き続けていた願いが」
そう呟きながら悠姫は涙を流していた。
とても嬉しそうに。
俺は眉を顰めながら尋ねる。
「短冊に書いてた願いって?」
「だから、さっちゃんの願いが叶いますようにって書いてたんだよ。ずっと、ずっとね」
「そっか……ありがとな」
悠姫は涙を流しながら、どういたしまして、と答える。
それから少し沈黙が続いた。
何の沈黙か。
それは実に簡単で、わざわざ語るまでもないと思うもの。
悠姫はきっとその言葉を待っている。
俺はこの言葉を言わないといけない。ずっと、見て見ぬふりをしていたのだから。自分の気持ちを誤魔化していたのだから。
俺は覚悟を決めその感情を表す言葉を口にする。
「悠姫、俺はお前のことが好きだ」
とても、飾り気のない言葉だ。
とても、ありふれた言葉だ。
聞けばみんなそう思うだろう。
星の数ほど告白の言葉はある。
きっと、そうだ。
けれど、俺もきっと悠姫もこれで良いと思った。下手に飾るよりも、その言葉の意味が一番分かる形の方が俺たちには良い。
「さっちゃん、私もね君のことが好きだよ」
「良かった~。嫌いだと言われたらどうしようかと思った」
「私もなんて言われるかドキドキしたんだよ」
そうお互いに言い合って、俺たちは笑った。
楽しそうに。
嬉しそうに。
今までの凝り固まった何かが、心からか洗い流されたおかげだと思う。
悠姫もきっとそうだ。
「そういえばさ、さっちゃん」
「ん?」
「これで、私の願いは全部叶ったんだよ。前に、星に手を伸ばしてるけど、どんな願い事をしているみたいなこと聞いたよね。二つあるって答えたけど、もう一つがさっちゃんから好きだって言われることなんだよ」
「そっか」
「うん。でもさ、さっちゃんは私に追いつきたいっていう願いを、必ず叶えられる?」
おいおい、何を縁起の悪いことを、と本気で思った。
が、悠姫の横顔を見ると冗談だと分かる。だから、俺は悠姫が望んでいて、俺も望んでいる答えを口にした。
「大丈夫さ。こうやって、手を伸ばせば――努力し続ければいつか叶うさ!」
「うん! そうだね、さっちゃん!」
悠姫も力強く頷く。
それがとても嬉しかった。
「それに、それこそ今日は七夕なんだから、彦星と織姫に願えばいいさ」
「え、今日って七夕じゃないよ」
悠姫の言葉に俺は、そうでもないんだと返す。
実はと呟きながら、
「月遅れって知ってるか? 昔と今とじゃ、七夕の日が違うんだ。で、昔だと今日なのさ」
これはこの前のテレビで言っていたことだ。完全に受け売りだが、今はそれでも良いと思った。
「それに、仙台じゃ今日七夕祭りをやってるしな。八月八日も七夕の日なんだよ」
悠姫は感心しながら、耳を傾けていたが、
「でも、ここ仙台じゃないから彦星と織姫は見てくれてるかな?」
と疑問を口にする。
そんな不安を漏らす悠姫に、俺は大丈夫だと語った。
「もう少ししたら、気が付いてくれるさ」
「どうい――わあ!」
悠姫が真意を尋ねてこようとした時だった。
星空と言うキャンパスの上に、花が咲いた。
「なあ、気が付いてくれるだろ」
「うん、そうだね。ああ、綺麗だね花火!」
「だな」
お互いに感嘆の言葉を漏らす。
見上げた先の星空――キャンパスの上に咲いたのは花火だった。赤や緑と言った花火が空を彩っている。
俺が修たちに頼んでまで変わってもらったのは、さっきのことを納得させるために花火を見せたかったからだ。
「でも、おまじないってのは欲しいな」
俺はぽつりと呟く。
おまじない? と花火を見ていた悠姫は首を傾げる。
俺はだーかーらーと呟きながら、
「――こうだよ」
そう呟きながら、俺は悠姫にキスをした。
不意を突かれ悠姫は眼を瞬かせたが、やがて瞼を閉じる。そして、俺が離れると、悠姫は頬を朱に染め上げながら睨んできた。
「さっちゃんの馬鹿! いきなりだよ! でも――」
ゆっくり言葉を貯めながら、彼女は告げた。
「キスまでさせてあげたんだから、絶対に追いついてね‼」
俺は口の端を綻ばせながら頷き、
「ああ、絶対に追いつくよ!」
悠姫にそう言って誓った。
大丈夫だ。
こうやって握った掌も。
伸ばした手も。
宿した思いも届いたのだから。
この先も諦めずに伸ばし続ければ。
手はあの彦星と織姫の星に届くさ。




