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19 親友と後輩のありがたみ

「ただいま」

 鮫島先輩との会話を終えた俺は、悠姫とは帰らず一人で自宅に帰って来ていた。まあ、喧嘩中なのでこうなるのは仕方がない。

 玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えると玄関のすぐ近くにある居間に入った。バッグをソファに置くと、深く座り込んだ。今日はやたらと腰が重い。気のせいではなく、そう感じる。それが、身体的なのかそれとも精神的なのかは判別できないが。

 そんな重たい気持ちを軽くするために、気晴らしがてらテレビの電源を点ける。映った番組はニュース番組ではあるが、それでも重たい体が少しだけ軽くなるような気がした。

「お帰り、聡。はい、麦茶」

 台所で晩御飯を作っていたらしい母さんは、帰ってきた俺のために麦茶を注いだグラスを目の前に置いた。俺は礼を一言いうと、グラス掴み注がれている麦茶を一気に飲み干した。母さんも麦茶が欲しくなったのか、自分の分も入れ飲んでいる。

 ああ、疲れた体を冷たい麦茶が気晴らし程度ではあるが癒してくれる。

 飲み干した俺は、息を大きく吐くと、ずっと俺の近くで様子を窺っている母さんの顔を見る。すると難しい顔で母さんは腕組みをしながら、不満そうに尋ねてきた。

「聞いてないわよ、悠姫ちゃんが留学するなんて。何で教えてくれなかったの?」

「……俺も今日聞いたんだけどな、母さん」

「そうなの。意外だわ」

 何が意外だと尋ねてやりたかったが、今までの経験からそれが何を意味するのかをすぐに直感する。

「何でもかんでも知ってるわけじゃないぞ。それこそ、母さんが知らないってのも意外だな」

 母さんも母さんで、悠姫の家族とは仲が良い。というより、父さんもだが小学生からの付き合いらしいので、仲が良くて当たり前だ。

 つーかそっちの方が、付き合いが長いのだから意外性はそちらの方が大きいはずだ。

「急だったのよ。聡になら、どうするかどうとか話してると思ったのに」

「悪かったな。つーか、そっちの方が付き合い長いはずなのに、何で俺が謝らなきゃいけないんだか」

 まったく、俺は母さんにも頭が上がらない。あと、父さんにも。あーあ、本当にやれやれだ。

「付き合いの長さならね。そりゃ、言ってくれなかったことには水臭いとは思うわよ。けどね、悠姫ちゃんに関しては聡の方が上よ」

「そう言うと思ったよ」

 その言葉に母さんは目を数度瞬かせると、あらまあ、と呟く。驚いていることが丸わかりだ。いや、隠す気がないだけか。

「随分と話が分かるわね。どうしたのよ、今日は?」

「……まあ、色々とあってね」

 視線を母さんから外しながら呟く。その際母さんは、面白いものを見たかのように口元を綻ばせていた。まったく何が面白いんだか。

「そう、色々ね。覚悟が決まったようね」

 俺は眼を細め、口の端から端までを盛大にへの字に曲げ、母さんの顔を見据えた。母さんはけろりとした顔で、自分の為に注いでいた麦茶を飲んだ。

 何で俺の周りには、人格がマトモな人がいないのだろうか。まあ、そもそもそう言った人物と互角に渡り合っている俺も、相当変人なのかもしれないが。

 まあ、そんな毎日も悪くない。飽きない日々と言うのはかけがえのないものだ。

 ――かけがえのないものか。

 ふと、思い出した。

 今日、鮫島先輩に言われたことを。


『君はどう思っているんだい? 駒村くんのことが好きなのか、嫌いなのか?』


 その問いに俺は、鮫島先輩に答えた。

 散々、考えた末に。

 その際、自分がどれだけ心に蓋をしていたのかを思い知らされた。ずっと考えていたのに、答えるのに大分時間が掛かった。

 ――蓋なんて簡単に開けられるはずなのにな。

 その通りだ。だから、自分を騙していたことに対して、情けないと思う。

「健闘を祈るわ」

「母さんにも見透かされているとは、世も末だな」

「失礼ね。自分の子供の事くらいなんでも分かるわよ」

 そうだよな。自分の子供だもんな。何でもわかっていて当たり前か。

 それに比べて俺ときたら、自分の事がよく分からないなんて。ああ……本当に情けない。

 まあ……今はそれよりも。

 ――でもな、足りない言葉をどうするかな。

 結局そこがまだ、どうにもできていないんだよな。いや、半分は見つけれてはいるが、悠姫にはそれでも届きはしないだろう。

 顔を俯かせ考えるが、何も思いつかない。けれど、こればかりは自分で見つけるしかないんだ。鮫島先輩たちには頼っちゃいけない。

 そう思いながら考え込んでいる時だった。

 気晴らしのために点けていたテレビの向こう側から、つい耳を傾けたくなるような内容の話し声が聞こえてきた。

「次のニュースはですは、来週の八月八日に行われる――」

 すぐにこれだと思った。

 これなら、言葉が届く。

 そう確信した。




八月八日。

 ついに、近江祭当日が訪れた。二、三日前は最後の追い込みということでせせこましかったが、そんな中でも皆楽しんで祭りの準備をした。

 お祭りは準備中が一番楽しいというが、案外そうなのかもしれない。皆が一致団結となって、手を取り合いながらお祭りの準備をし、時間が足らないとなれば学校に泊まって深夜まで作業をすることはとても楽しいことだと思う。辛くても悲しくても、完成させた時は誰もが笑顔で喜ぶものだ。

 かくいう俺も、昨日作業が終わった際は安堵すると同時に、嬉しさというものが込み上げてきたものだ。

 ――まあ、本当に喜ぶのはお祭りが終わってからだな。

 遠足は家に帰るまでが遠足と言うように、お祭りは片付けが終わるまでが本当のお祭りだ。

 そんなことを出店している屋台近くの公園で、マツリの時間が始まる時間を待ちながら思う。

「それしても、お前には助けられた。ありがとな、修」

 今回、鮫島先輩に色々と押しつけられ、自分のクラスのことはすっかり修に任せっきりだった。その礼のつもりで言ったのだが、

「いきなりなんだよ、聡。頭でも打ったか?」

 修は眉根を寄せ、気味悪げに呟いた。

 失礼な奴だな、と思ったが、鮫島先輩にしても修にしてもいつも通りの姿勢を取ってもらえると嬉しい。

「で、用事ってなんだ?」

「え……ああ、そうだったな」

 俺と修がどうして公園にいるか、その理由は修に頼みたいことがあったからだ。俺は頭をポリポリと掻きながら、頭の上に思い浮かべた言葉を掛けようとする。

 そして、少し息を吸ったり吐いたりしながら、

「今日の屋台当番を俺の分までやってくれないか?」

「はい?」

「いや、だからさ、俺の分もやってくれないか? 幸い明日も祭りがあるからさ、明日の分は俺がやるから頼まれてくれないか」

 俺の補足事項を聞いても、修は話の真意と言うか内容が掴み切れていないようだ。

「だからさ――」

「いや、冗談だ。分かってるよ、お前の言いたいことは」

 だったら今の演技はなんだよ、と問うてやりたいが、俺は修の言葉の続きに耳を傾ける。

「別に明日のことは良いさ。まあ……なんだ、俺とお前は親友だからな。貸し借りの事なんて考えなくていい」

「……修」

 気心(きごころ)の知れた親友か。

 ――修も本当に良い奴だよ。

 淡島先生にしても鮫島先輩にしても、俺の周りは本当に良い人ばかりだ。俺は本当に恵まれている。先生にも先輩にも親友にもそれに――、

「お待たせしました、さっちゃん先輩!」

 そう、桃花もだ。

 ――俺は後輩にも恵まれている。

桃花は薄い桃色の浴衣(ゆかた)姿だった。桃花が浴衣でいるには訳がある。今回の近江祭は役員以外の生徒たちの意見で、屋台に出る女子たちは浴衣姿で店に立つことになったのだ。単純に客寄せという意味合いが強いが、割と女子生徒たちは乗り気だ。まあ、空いた時間に彼氏彼女と屋台を見て回るという筋があるわけである。

かくいう桃花も浴衣に気合いが入っていた。そんな桃花は笑顔で、浴衣の袖をパタパタと揺らし、走りながら近づいてくる。

「よう、桃花!」

「あれ、真鍋先輩もいるんですか」

「いちゃ、悪いのかよ。つーか、今なんかオマケみたいに言わなかったか?」

「気のせいですよー!」

 いや、絶対オマケ扱いしていただろう。

 まあ、今それは置いておくか。多分、この先再びその問題を持ち上げることはないだろうがな。

「それで、頼みごとってなんですか?」

「ああ、そうだった。どうでも良い修の問題は置いておいて、頼みごとを話さないとな」

「おい、お前もその扱いか」

 涙目で訴える修を、俺と桃花はクスリ笑い合う。

 ――悪いな、親友と言う言葉に甘えさせてもらうよ。

 俺は桃花の顔を見ると、口を開いた。

「お前さ、夜の六時から七時までの時間空いてるか? 出来れば、うちの屋台を手伝ってほしいんだよ」

「その時間帯ですか? ええっと……大丈夫です。でも、どうしたんですか?」

 桃花は小首を傾げながら尋ねてきた。俺の隣にいる修は何も言わない。もう完全に俺に任せているのだろう。

「一言でいうなら、覚悟を決めたってとこだな」

 桃花は一瞬だけ、驚きを両の目に宿した。だが、すぐにその感情をしまうと、手を後ろに回しながら、嬉しそうに呟く。

「……そう、ですか。やっと、覚悟を決めましたか」

「ああ、やっとな。これも全部皆のお蔭だよ。桃花、それに修――ありがとな」

 素直に感謝の言葉を告げる。

 その言葉を聞いた二人はお互いに顔を見合わせ、本気で珍しいものでも見るかのように俺を見ている。

 ――こいつらときたら。

 最後の最後までこんな態度を取られるとはらしいといえばらしい。腰に手を当てながら、そう思った。

 そして、そろそろなすべきことを実行するために歩き出そう――としたところで足を止めた。俺は一度桃花の方に振り返り口を開く。

「そういや、浴衣似合ってるぞ、桃花」

「え? ほほ、本当ですか!」

 何だ、今の驚き声は。

 思わず首を傾げながら尋ねる。

「どうした? 喜ばないのか?」

「う、嬉しいに決まってますよ! 最初に触れてくれなかったことには文句を言いたいですけど。でも、いつもみたいに馬子にも衣装だなんて言わないんですね」

 驚いたのはそういう訳か。確かにらしくないな。少しこれからやることに対して、緊張しているのかもしれない。

 俺は恥ずかしさから頭を掻く。この後どんなことを言って良いのか分からない。素直な気持ちを告げただけなのだが、らしくないとなれば恥ずかしさから口を噤ませても仕方がない。

 そう言ったことを読みとっているのかは分からないが、桃花は微笑を浮かべながら言った。

「さっちゃん先輩、この前の借りの事まだ覚えていますか?」

「ん? ああ、当たり前だろ」

 休みの日なのに朝から夕方まで手伝ってもらったんだ、忘れるはずがない。

「だったら、その借りを使わせてもらいますね。さっき言ったことを忘れてください」

 は? と一瞬首を傾げそうになったが、すぐにその意図を察知した。その様子を満足げに見た桃花は、口の端を綻ばせ桃花らしい人懐っこい笑みを浮かべた。

 そして、ゆっくりと口を開いた。

「バカでも真っ直ぐなさっちゃん先輩に、私は憧れているんですよ! だから、そんなさっちゃん先輩の言葉なんて聞きたくないですから、さっちゃん先輩の方で忘れてください」

 桃花……ありがとな。心の底から深く、そう礼を言う。

 ――また、大きな借りを作っちまった。

 いつか、特大パフェでも奢ってやらないといけないと思う。だから今、その厚意に答えるために、俺が言うべきことは、

「ありがとな、桃花!」

「どういたしましてです! さっちゃん先輩、頑張ってくださいね!」 

桃花は真っ直ぐな瞳でそう言葉を返してきた。

「ああ、分かった。本当にありがとな、桃花! 修もありがとうな!」

 俺はそう言い残して、走り出した。

 本当に、ありがとうな修、桃花、と心の中で何度も礼を言いながら。

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