16 馬鹿と先生
気が付いたら保健室にいた。
懐かしい天井を見れば気が付く。
自分のまわりをぐるりと見渡すと、パイプ椅子に座った桃花と修が俺を見ていた。その背後では、淡島担任が難しい顔をして立っている。
俺は右手をつき、上半身を起こした。
「さっちゃん先輩、大丈夫ですか?」
「ああ――ていうか、何で俺保健室にいるんだ?」
腕を組んで考え込むが、どうしてここに居るかに至った経緯を思い出せない。えーっと、昼食を食べていて――あれ、そこから何も記憶が辿ることが出来ない。
本当に何をどうやってこうなったんだ。
「聡……覚えてないのか?」
「ああ、何も」
修の問いに俺は頷きながら答える。
その返答を聞いた修は、そうか、と短く安堵した様にに息を吐きながら呟いた。何か、隠しているように思えるほどに、わざとらしい行動である。
二人の背後で黙り込んでいた淡島担任は、咳払いをして話し掛けてきた。その口ぶりは実に淡々としたもので、本当に淡々と語っていた。
「何も覚えていないのなら、いいわ。まったく、この娘が口を滑らせるから」
淡島担任は呆れながら、ポンポンと桃花の肩を叩く。
「まずいですよ、淡島先生!」
「おいおい、記憶を掘り返すような真似は――」
それがきっかけだった。
俺の中で眠っていた記憶が、氷解したように呼び起された。あの中庭で何があったのか――何を聞いたのかを。
「あ……あぁ……あぁ……」
そうだ。
思い出した。
『悠姫先輩二学期から留学しちゃうんですよ』
額に髪を掻き上げるように当て、淡島担任を睨みつけた。
「俺……気絶しちゃんたんですね」
「ええ、そうよ」
とても素っ気ない回答だった。
「性格悪いぜ、淡島先生」
不快気に半眼で睨みつける、修。その言葉の意味は、被害者(?)でもある俺にも理解できた。
詰まる所、何で思い出させた(・・・・・・・・)、と言いたいのだろう。
嫌なことなら、別に思い出せる必要はない。なのに、どうしてこの人はわざわざそんな意地の悪いことをしたのかが分からなかった。
「別にいいじゃない。忘れたようだから思い出させてあげただけよ」
「でも――」
「うっさい!」
「あいたっ!?」
何か言おうとした桃花を淡島担任は凸ピンで黙らせる。
――おいおい、それは体罰だと思うぞ。
修も同じことを思ったらしく、呆然としていた。
が、俺たちの胸中などつゆ知らず、淡島担任は鼻から息を大きく吐くと、腰に手を当てて俺を睨んでくる。
「単純だと思ってたけど、意外にも繊細な部分があるのね、松原」
「どことなく馬鹿にしているでしょ」
「ええ」
……ここまでストレートに物を言われると、深く傷つく。もう少しやんわりと言えんのかこの人は。
まあ、がさつと言う言葉が具現化したような人なのだから、期待するだけ無駄である。今は別の事だ。
「海で話してたことはこれなんですね。留学のことを話していたと」
「そうね。やっと決心がついたらしくてね」
淡島担任の言葉に、訳も分からす俺はキッと睨みつける。が、淡島担任は怯むことすらなく、なによ? と言葉を掛けてきた。
「いえ、別に。すみません」
自分が少し暴走していたことに気が付き、頭を下げる。そんな俺の態度に、淡島担任は何故か、つまらなそうな表情を受かべていた。
「そう。さてと、ちょっと、真鍋と宮﨏は外に出ててくれる」
「おいおい、仲間はずれかよ」
「そ、そうですよ!」
はあ、とため息を吐き、
「アンタたちは松原と違って、ちゃんと空気を読むためのアンテナを持ってると思うんだけど。『繋ぎ』は、私に任せときなさい」
「……分かったぜ。ほら、行くぞ、桃花」
納得した修は、納得できていない桃花が暴れ出す前に首根っこを引っ張りながら保健室から出て行った。部屋の戸が開くと同時に、外から熱せられた空気が入り込んで来て、部屋と廊下との気温差に気味の悪いものを感じる。
まるで、この先淡島担任から聞く言葉がそんなことのように感じられた。
「さて、何から聞きたい? それとも、何を言いたい?」
今、自分がどういった表情をしているのか分からなかった。近くに鑑があったが、顔を俯かせ尋ねる。
「どこに留学するんですか? というより、何があって留学するんですか?」
「この前の講演会に、偶々有名な音楽家が見に来てたの。それで、才能があるからって、誘われたらしいの。場所はフランスよ」
「遠いですね」
「そうね」
何の感情もこめずに彼女は答える。実に平坦なもので、気を逆撫でているようで今にも食って掛かりそうになる。
でも、何となく彼女の目的がそれなのだと分かった。何かを言わせようとしている、そう言う風に思える。だから、その誘いに乗ってやった。
俺は俯かせていた顔を上げると、鋭く睨みつけながら、
「なんで……何で言ってくれなかったんですか!?」
怒鳴りつけるように言った。
「個人情報の保護のためよ。それに真鍋たち同様、駒村に口止めされてたしね」
「悠姫が? どうして!?」
どうして……どうして、こんな大事なことを話してくれないんだよ。俺たちはずっと昔から一緒にいたのに、水臭いじゃないか。
「さあて、ね。その答えは松原が一番分かってると思うけどね。馬鹿だけど」
「知りませんよ、そんなこと。それに、馬鹿にしすぎですよ、俺のこと。教師だったら、生徒の良い所を語ってほしいものです」
「アンタの良い所は、愚直なまでに馬鹿な所よ」
おい、どういう意味だ。本当に、教師の言うことかよ。
しかし、彼女はそのことを悪いとも思っておらず、平然と次の言葉を紡ぎだす。
「長所はどう考えたって馬鹿な所しかないわ」
「教師の言うことじゃありませんね。今時そんなことばかり言ってたら、すぐに体罰じゃなくても解雇されちゃますよ」
せめての皮肉とばかりに言い返した。俺も言われっぱなしと言うのは嫌だ。
「アンタの方が、よっぽど酷いこと言ってるわよ。まあ、そうね。こんなことを言ってたら、懲戒免職でしょうね。けど――」
一拍置いてから、淡島担任は答える。その数秒で彼女の眼付はさっきまでと変化していた。どこか温かい、優しい目つきをしていた。
彼女にしては珍しく。
「松原の良い所は、どう考えても馬鹿な所よ。アンタは自分や真鍋たちが、頭の良い奴だと思っているの?」
思ってるはずがない。俺は馬鹿だ。真鍋たちに至っては、まあ……知らないが、俺よりは幾分かマトモだと思う。
「ええ、否定しようがないくらい俺は馬鹿ですよ! けど、教師でも言って良いことと悪いことはあるでしょう!」
怒気を込めながら言う。しかし、彼女は優しい笑みを崩さず、そのまま語りかけて来た。ただし、次の台詞は全く予想していなかったものだ。
「松原。私は教師じゃないわ」
「は?」
突然の否定の言葉に目を白黒させる。素直に、教師じゃなかったらなんだというのだ、と思った。
が、俺の胸中など彼女は意にも介さずに言葉を続けた。
「私はね、教師じゃなくて先生よ」
「一緒でしょ。言葉が違うだけで、意味は」
「かもね。けど、この二つは似ているようで、実は全く別物だと私は思っている。教師っていうのは、書いた字の如く『教える師』よ。でも、先生っている字は『先を生きた者』のことを指すと私は思っているわ」
だから、それがどうしたんですかと? と尋ねる。
その問いに彼女は喜々としながら答えた。
「『先を生きた者』っていうのは、教育そのものなのよ。先生っているのは――私は、先の世を生きた人たちの知識を教えることだと思っている。もちろん、自分の体験も含めてね、対して『教える師』は、教えるだけの意味止まって、はっきりと誰の何を教えるのかを指していない。だから、私は先生でいたいのよ」
そして、淡島先生はそれに、と言葉を続けた。
「教師は上から目線で教える様な言い方に聞こえるから、同じ目線で色々と教えられる先生でいたいのよ」
そう話を締めくくる。俺は眼を閉じて、しばらく黙りこんで考えた。
――本当、敵わないな。
ゆっくりと息を吐きながら、自然と頬を綻ばせる。しかしだ。
「でも、馬鹿は許せませんね。同じ目線でいたいってい言ってるのに」
「仕方ないでしょ。事実なんだから」
プっ、と俺は息を吐き、訳も分からず笑った。そんな俺に、彼女はまた言葉を被せてくる。
「私はアンタを馬鹿だと思っている。だから私は、馬鹿は馬鹿でも賢い馬鹿に育てようと思っているわ」
俺は微妙な思いをしながら目を細めた。
いや……だって、
「結局の所馬鹿ですよね、それ?」
淡島先生は腰に手を当てながら、
「まあ、そうね。どう誤解しても曲解しても、馬鹿に変わりないわね。まあ、いいじゃない。賢い馬鹿は良いわよ。失敗をしても、そこから原因を探って成功へと繋げることが出来るわ。ただの馬鹿はそんなことをしないんだから、賢い馬鹿になりなさい」
俺は大きく息を吐き、そして吸い込みながら、ベッドから立ち上がる。まだ、淡島先生は動くのはよくないと思い静止させようとするが、構わず俺は立ち上がった。
そして、そのまま保健室から出ようと取っ手に手を掛けた所で、淡島担任は再び話し掛けてきた。
「熟成したワインは美味しいものよ。寝かせれば寝かせれば、それはもう美味しくなる」
いきなりの発言に、俺は一旦口をへの字に曲げながら、
「は?」
と本日の二度目の台詞を吐いた。
「生徒も同じで、学校と言う蔵の中で何年も寝かせて、良い味のする立派な大人になるわ。だから、アンタもそろそろ考えてばかりいないで、ちゃんと答え(・・・・・・)を出しなさい」
「……一つ聞いても良いですか」
内心でまったくと思いながら、俺は話し掛けた。
「なに」
「俺はどんな馬鹿ですかね? 賢いってことを省けば?」
「そうね、さしずめ――筋金入りの馬鹿ってとこかしらね。良いわよ、筋金入りは。筋金が入っているから、背筋真直ぐ立てるわよ」
筋金入りの馬鹿か……悪くはないな、と思う。
「じゃあ、淡島先生からお酒を取ると――カッコイイ先生ですよ。それじゃあ、行きますね」
そう言い残して、俺は蒸し暑い廊下へ出た。
淡島先生がどんな顔をしていたのか、それは分からなかった。
ただ、それでも早くお酒が飲みたい、とでも思っているに違いない。
「さてと、行きますか」
その時だった。
教室へ戻ろうとしていた俺の目の前に、
「さっちゃん……?」
悠姫が現れた。




