15 理解はできても
大事な『もの』ほど、それが大事だと気が付かない。
それを大事だと気が付くのは、失ってからだ。
あの時はそう思った。
八月に入った。
肌を焦がす陽光は、衰えるばかりかさらに増している。訊くところによると、この暑さのお蔭か、全国各地が猛暑日になっているらしい。まあ実際、ここ数日の陽の強さとアスファルトから立ち上る熱波は、七月以上に俺たちを苦しめている。おかげで近江祭の準備のために毎日学校に通う学生にとっては、かなり辛い所行だ。
が、そうは言っていても近江祭の準備はしなければならない。学校が決めたことであっても、皆祭りを楽しみにしているのだから。
俺は実行委員として、皆をまとめながら出し物の準備を進める。屋台の準備は出来ているので、皆して今はこっちに打ち込んでいた。
ちなみにウチのクラスの出し物はお化け屋敷だ。学校の一部を使ってお化け屋敷をやることになっている。悠姫たちとの旅行の時に行ったお化け屋敷の経験もあってか、それなりに良質のお化け屋敷が出来てきている。
俺は暑さから制服を脱ぎ、その下に着ているTシャツ姿で作業をしていた。自分の得意分野である美術を生かして、口裂け女のお面や背景を作っている。
「にしても、良質のお化け屋敷ってなんだろうなあ……」
作業の最中、ふとそんなことを呟いた。
「ちゃんと人を怖がらせられるってことじゃないのか」
別に返答を期待していたわけではないが、修は答えてくれた。
「なるほどな。うん、言われてみれば、そうだな」
確かにと思う。
お化け屋敷と言うのは、ある意味人を驚かせるためにある。なら、良質と言う一点を突き詰めるならば怖がらせることだ。例え、出し物の背景や衣装が雑でも、怖がらせることが出来れば立派に良質と言えるだろう。
「いやーそれにしても、お化けが苦手な奴が率先してお化け屋敷を作らなあかんどーゆーことかいなー」
「お前、口調がおかしいぞ」
はて、なんだろうな。分からないので首を傾げる。
そんな様子の俺に、修は眉を眉間に寄せながら溜めた息を吐く。そして、疲れたように語りかけてきた。
「どうしたよ? 最近お前様子がおかしいぞ」
「そんなことないさ。俺はいつも通りだ」
「……そう言う風には見えないがな」
やれやれとばかりに呟く。
修の態度に今度は、俺が眉間に眉を寄せる番だった。何か文句の一つでも言ってやろうと口を開く。が、言葉が出てこなかった。
教室の戸がいきなり開き、次の瞬間には耳鳴りがするような大声が教室中に響いたからだ。
「さっちゃん先輩‼」
「な(ふぁ)……なんだ(ふぁんだ)?」
入口近くにいたので、頭の揺れようが酷い。ものすごく、くらくらする。
そのまま俺はくらくらする頭で、桃花に尋ねた。
その桃花はと言うと、頬を膨らませながら、
「さっちゃん先輩、何言ってるんです? 日本語を喋ってください。ついに、日本語が喋られないくらい馬鹿になっちゃったんですか?」
怒っても良いだろうか。それに、誰の所為だとこの娘は思っていらっしゃるのだろう。まあ、言っても無駄なので流して置く。
「違うぞ。お前の大声の所為で頭がくらくらするんだ。やっと、治まったぞ」
「まあ、いいじゃないですか。元気があるって証拠で」
元気がありすぎるんだよ、お前は。
まあ、いいか。
俺は息を吐くだけに留めておいて、腰に手を当てると再度用件を尋ねる。
「で、何か俺に用があるんだろう。なんだ?」
「あ、はい、そうでした。これから、視聴覚室で実行委員の集会があるらしいんですよ。で、さっちゃん先輩を呼びに来たんです!」
そうか……けど、可笑しいな。だったら、別に放送でもいいはずだ。
うー……ん、ものすごく嫌な予感がするな。
こめかみ辺りを人差し指で揉みながら、俺はそう思った。が、その予感はどれだけ外れてほしいと願っていても、現実のものとなった。
「それと……はいこれです。綾乃先輩からさっちゃん先輩に、渡すよう預かった物です。なんか、進行役をやってくれって言ってましたよ」
やっぱりか。そんなこったろうと思った。
桃花は大方、交渉人と言ったところだろう。
俺はわしわしと汗で湿った髪の毛を掻きながら、
「なーんで、俺がそんなことやらなきゃいけないんだ」
「綾乃先輩は、他の学校との話があるらしいんです。それで、頼めば進んでやってくれそうなのは、さっちゃん先輩だけだって言ってましたよ」
「進んでって……」
いつも脅迫まがいなことをやってるくせに。それをどう曲解すれば、進んでやっているようになるのだろう。
まあ、良い。脅迫される前に、仕事を了承しておこう。
「わかったよ。脅迫の話を聞きたくないから、俺がやるよ」
「え!? そんな話聞いてませんけど」
桃花は可愛らしく首を傾げながら、そう呟く、
――クソ、上手く鮫島先輩に動かされた。
そう思ったが、もう遅い。すでに、了承してしまったのだから。
「さあ、さっちゃん先輩行きましょ!」
「おお――っておい、手を引っ張るなよ!」
「ああ、すいません。悠姫先輩に怒られちゃいますもんね!」
からかえる為か楽しそうに言う桃花。
しかし次の瞬間。教室中で作業をしていた皆の動きが、ピタリと止まった。そして、奇妙な静けさが、教室中に立ち込める。
眼を瞬かせる桃花は、
「あ、あのう……?」
状況を飲み込むこと出来ずにいた。
「桃花……一番触れちゃいけないことに触れたな」
動きを止めていた修は黙っている訳にもいかず、仕方がなく桃花に説明した。
「あの、どういうことですか?」
「それはだ――」
修の言葉を遮るように、俺から離れた場所にいる悠姫が口を開いた。
「さっちゃんが馬鹿だからだよ」
「へ? た、確かにさっちゃん先輩は馬鹿ですけど――」
まだ状況が理解できていない桃花の口を俺は塞ぐ。
「良いから、行くぞ」
そして、俺は桃花を引き連れ視聴覚室へと向かった。
悠姫はもう何も言わなかった。
「そうだったんですか」
集会が終わった後、桃花に昼食を一緒に食べようと誘われ、渋々学校の中庭に来ていた。そう、渋々だ。それに便乗してか、修も一緒に来ている。
中庭はあまり陽が射しこまないためそんなに熱くはないが、温めれた空気はここまでやってくる。おかげで先程から、持ってきたタオルで汗を拭ってばかりで、コンビニから買ってきたサンドイッチに手が伸びない。
対する桃花は、パタパタと団扇を煽ぎながらおにぎりを美味しそうに頬張っている。そして修は、もう汗などお構いなしに弁当を食べている。
俺もそろそろお腹がすいてきたので、汗に構わずサンドイッチの包装を解き口に含む。
「そういうこと。約束破ってからあんな調子なんだ。なあ、聡?」
「……ああ」
言い淀みながら肯定する。
そんな俺の様子を見てか、修はもう何も言わず食事を続ける。だが、桃花は手を止め、俺の顔をじっと見据えてきた。
「それで、謝ったんですか?」
「聞いてもらえなくてな」
俺は視線を横に逸らしながら答える。桃花の心の中を見透かすような視線に耐えかねたからだ。
あの雨の降っている日に、俺は悠姫に謝ろうとした。しかし、約束の場所である水族館で悠姫は、俺に顔を見もせずに帰った。
その後も、何度も何度も謝ろうとしたが、話を聞いてもらえていない。
「そう……ですか」
「そうだ」
サンドイッチを口の中で頬張りながらも、俺の心の内では悲しみや苦しみが渦を巻いて漂っていた。そんな情けないとでも言える俺を、修は横目で見ている。
「でも、仕方がないですよ」
「何が?」
桃花の唐突な言葉に眉を顰める。
桃花は団扇を煽ぎ続けながら、
「だって、悠姫先輩二学期から留学しちゃうんですよ」
「……え?」
桃花の言葉に目の前が真っ白になった。
何を言っているのか理解はできた。
ただ、信じられなかった。




