14 雨が降っていた
雨が降っていた。
それも、土砂降りだった。
一つ一つの雨の滴が、アスファルトの地面を叩きつけるように降り注いでいる。
旅行から戻って数日、梅雨のシーズンが戻ってきたかのように雨が連日降っている。別に降ってくれても構わないが、今日くらいは晴れてほしかった。せっかく悠姫と出かけるのだから。
が、文句を言っても空は晴れない。雨が降り続けるだけだ。
「気持ちまで沈んでたら、いけないよな」
こういう時は気持ちだけは、明るくしないと。
そう自分に言い聞かせ、俺は傘を開いた。そして、雨の中を歩き始め――ようとした時だった。携帯に設定している着メロが、鳴り始めた。
「何だよ、こんな時に」
ぶつくさ文句を言いながら電話に出る。
『松原、時間ある!?』
「うげっ!」
いきなりキーの高い声が、耳に響き鼓膜を揺らす。
思わず雨が降る地面に、携帯を落としそうになった。
「あ……あの、淡島先生ですか?」
ようやく頭を揺らす衝撃が去った俺は、電話の相手が淡島担任だと認識した。そりゃそうだ。電話越しでもバカみたいな声で叫ぶのは、俺の知り合いにはこの人しかいない。
『そうよ。文句ある』
「いえ、単なる確認ですよ。淡島先生の番号なんて登録してませんから。で、用件は一体なんですか?」
本題を促され、淡島担任は気まずそうに暫く黙りこんだ。そして、覚悟したように前置きをしながら、
『……えーっと、怒らないでくれる?』
「話の内容によります」
一体この人は何を話そうとしているのだろう。
前置きがこれだと、本題の話と言うのは何か不味いことなのだろうか。いや、そもそもなんで俺に電話を掛けてきているんだ。その時点から、地雷の予感しかしないだろう。
そんな考えを頭の中心を過る。
出来ることならば避けてほしいのだが。
『それほど不味くないと言うか……いや、完全に不味いか』
「はあ……どっちですか?」
どっちつかずの言葉に思わずため息吐く。相手は目上でしかも担任であるにもかかわらず、俺は大きくため息を吐いた。
その反応に淡島担任は、言葉を詰まらせる。多分、電話の向こうでは誰も目の前にいないのに、視線を逸らしているだろう。
何時まで経っても話の中身を言わない淡島担任に、やれやれと思った。が、何時までも待っていられないので、話を進めるために此方から本題に入ることにした。
「とても、話しづらいことは分かります」
『………………でしょうね』
でしょうね、ではないのだが。
「で、俺に電話を掛けてくると言うことは、よっぽど面倒なトラブルがあるんですよね」
『そ……そうね』
声がものすごく裏返っている。
この反応の仕方から確実に俺が関わっていて、またトラブルが想像以上に面倒だという事が分かった。
「大方、パンフの事ですよね」
『………………………………、』
不自然なまでの長い沈黙。
どうやら図星のようだ。
俺は眉間のあたりを人差し指で軟らくさせながら、はあと何度目か分からないため息を吐いた。
「わかりました。とりあえず、学校に行きます」
『すまないわね』
珍しく謝罪する淡島担任に、気味の悪いものを感じた。
その事をおくびにも出さなかったが。
「あのう……淡島先生。本当ですか?」
茫然としながら俺は再度確認を取った。
わざわざ土砂降りの中を歩いてきた俺の耳に届いた話は、想像以上の問題だった。少しばかりではなく、想像の斜め上を越えている。
一体何の話かと言うと、
「本当よ。雷で学校のパソコンのデータが全部吹っ飛んじゃったのよ」
「吹っ飛んだって……嘘でしょ!?」
大きく眼を見開き、声を上げ叫ぶ。事実を告げる淡島担任も、女性に似つかわしくない焦り顔でわしわしと髪を掻いている
俺が呼ばれた理由。それは今の短い会話の通り、学校のパソコンのデータが消えてしまったのだ。しかも、俺の作成したパンフもろとも。
「あ、あの……バックアップとかは?」
僅かな望みを掛けた問いに、淡島担任は無情にも首を振る。肯定を意味する縦にではなく、否定を意味する横に。
「とってるわけないでしょ! こんなことになるなんて想定していないもの!」
「じゃ、じゃあどうするんですか!? あれ作るのに結構時間が掛かってるんですよ!」
悠姫の提案で海へ旅行に行くことになった為、俺は日々の予定を常に切り詰めながらパンフ作りに精を出していた。事実、旅行に行っていた時にも皆が寝た後に、こそこそとどういう風に作るかを考えていた。
それだけやって完成した物が雷一つで消えてしまうことに、本気で頭を抱えそうになった。
「どうにかしてくださいよ、ウォッカ仙人! 仙人の力でデータを復元してください!」
無理だと分かっていても、すがるように俺は淡島担任に切羽詰まっている自身の本音をぶつける。
が、淡島担任はどうでも良いことに対して返答をしてくる。
「甘いわね、松原! 今の私はウォッカではなくワイン仙人だ!」
「どうでもええわ、そんなもん!!」
あーだこーだ、と慌てふためく俺だったが、ある名案を閃いた。名案と言うよりは、ただの時間稼ぎだが。
「ま、まだ、配布日に余裕はありますよね!? 二、三日あれば、どうにか――」
もう一度作ることが出来る、と言いかけた所で言葉を遮られた。
「無理。提出日は明日。松原も分かっていると思うけど近江祭は有名な祭りで、その都度その都度配るのが大変だから一気に配るのよ」
「じゃ、じゃあ……」
半分泣いているような声で、俺はその先を口にした。淡島担任は申し訳なさそうな顔をしながらも、視線を逸らし頷いた。
「今日中に作れと?」
「そう」
短い肯定の言葉を突き付けられ、俺の頭は真っ白になった。
無理だ。無理すぎる。
俺はそう思った。視線の焦点をどこに合わせればいいのか分からないまま。
世界は非常だ。
そして、無情だ。
生まれて初めてそう思った。
どんなに頑張っても、その頑張りに比例するだけの幸福が起きない。ただただ、反比例するばかりだ。
俺はパソコンの画面に向き合いながら、そう何度も何度も心の中で呟いていた。
「そりゃまあ、基本ソフトだけが残ってるのはせめての救いだけどさ……」
一から作ると言うこと自体に変化はない。データの一部でも残っていればまた感情が違ってくるのであろうが、そんな都合のいいことはない。
はあ、と大きなため息を吐く。
が、ため息を吐いたところで状況が好転するわけでもない。好転するならいくらでもため息を吐いてやるが、残念ながら日本ではため息を吐くと幸せが逃げるらしいのでもう吐かないことにする。
ちなみにだが、今俺はこうしてパソコンの画面上でパンフを鋭意制作中ではあるが、淡島担任はというと、あの後逃げるように職員室に戻った。
まったくと思う。
普段あれだけ行動が無茶苦茶で、暴走気味なのにこう言った時だけはそそくさと逃げている。偶にカッコイイとこを見せたり言ったりするのに、今日の事で株が大暴落だ。俺の憧れを返してほしい。
「……ったく、あの先生は」
ぶつくさと文句を言いながら、作業を進める。
二度目の作業のためか、思ったより政策は好調だ。しかし、俺は困っている。実は、必要な資料を家に置いて来てしまっているのだ。
今はただ、題名の打ち込みと写真を配置している。
と、そんな時だった。パソコン室の戸が勢いよく開いた。
「さっちゃんせんぱーい! 頼まれた資料を持ってきましたよ!」
「おお、サンキュウ! 助かる!」
パソコン室の入口から現れたのは桃花だった。実は俺と家の近い桃花に、必要な資料を持って来てくれるように頼んでおいたのだ。
桃花は髪や制服の各所を雨で濡らしながらも、笑顔で俺の求めている資料を渡してきた。俺は受け取ると、あらかじめ保健室から拝借しておいたタオルを渡す。桃花は一瞬目をパチクリさせると、礼を言いながら嬉しそうに受け取り濡れた髪などを拭いた。
俺は受け取った資料を机の上に置くと、こめかみ辺りを掻きながら、
「悪いな。せっかくの休みなのに手伝わせちまって」
そんならしくない言葉に、桃花はなおも笑いながら、
「いえいえ、近江祭の実行委員として手伝うのは当たり前ですから。それに、私に頼むってことは、先輩は信頼してくれてるってことですから嬉しいです」
「そっか。そう言ってもらえると助かる」
普段は良い話し相手(冗談を言い合えるので)の桃花から素直にそう言われると、此方としても幾分か気が楽になる。それに、良い後輩を持ったなと思う。
が、それは数秒の事だった。
彼女は二ヒヒ、と花の乙女にはあまりにも不釣り合いな笑みを浮かべる。そして、その笑みがいつもの調子だと分かり、その笑みに続く台詞も何となく想像がついた。
「ここで恩を売っておけば、さっちゃん先輩とデートが出来ますしね」
「お前なあ……」
さっきまでの俺の気持ちを返してほしいもんだ。とは言ったものの、俺もデートはともかく内心では、
――実際、何かお礼をしないといけないよな。
と思っていた。こうして手伝ってくれているのだから。
いくら恩がましい真似を桃花がしても、そこまで俺も恩知らずじゃない。礼には礼、ちゃんと恩義を尽くすつもりだ。
――でも、結構デカいよな……この借りは。
どうしたもんかと、素直に思うが、俺はそろそろ作業に戻ることにした。
「まあ、何かお礼はするよ」
その言葉に、桃花は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「でも、今日中に作ることが出来るんですか?」
作業を続ける俺の背中に、桃花は不安を含んだ声で尋ねてきた。
「あははは、出来るって言いたい所なんだけど……」
残念ながら虚勢を張れるだけの余裕はない。俺の不自然な沈黙で、桃花は大体の状況を察してくれた。
「大変ですね」
「まったくだ」
本当にそう言うしかない。
作業が終わったのは、もう五時を回っていた。
俺は机に突っ伏しながら、終わった―と本気で喜んでいた。そんな俺の隣では、桃花が同じように突っ伏している。
桃花には素直に感謝しないといけない。
あの後桃花も、資料にパソコンに打ち込むつもりで書いた部分だけを打ち込んでくれたのだ。分担作業で夕方までかかったとはいえ、桃花には多大な感謝をしないといけない。
こりゃ、ちゃんと借りを返さないといけないな。
ホント、良い後輩だ。
「さてと、こっちとそっちのデータを一つにしないとな。あと、コピーしておかないと」
もうデータが消失するのはまっぴらごめんだ。
「はい、わかりました。あ、さっちゃん先輩、携帯に着信があるんじゃないですか?」
「え? あ、ホントだ」
一体誰からだろうか? そう思いながら、流行遅れの携帯を手に取り、画面を開いた。
「あ、やべ、悠姫からだ!」
俺はこめかみから汗を流しながら、画面をスクロールさせる。すると、何十件も電話が掛かっていることが分かった。
――やべっ……忙しくて連絡するの忘れてた。
それに、作業に集中するために、いつもの着メロが流れないようにしていたことが気が付かなかった原因だ。
「悠姫先輩ですか?」
「ああ。ちょっくら、連絡してくるから」
携帯を持ったまま立ち上がり、パソコン教室の外に出る。別に、桃花に聞かれたらまずいという訳ではないが、アイツに迷惑を掛けられない。部屋中に怒声が響く迷惑というのは。
はあ、それにしても理由があるからと言って、アイツに何を言われるか分からないな。どうせ、馬鹿馬鹿と連続で馬鹿と言われるんだろう。
「さてと、怒られますか」
何故だか嬉しそうに呟きながら、俺は電話を掛けた。
それは多分、いつもみたいに文句を言いながらも、許してくれると思っていたからだ。
でも、俺は甘かった。
何もかも。
「悠姫、わる――」
謝ろうとしていた俺の言葉を、いつもと違った怒声が遮った。
「さっちゃんの馬鹿‼」
それだけで電話は切れた。どれだけの時間、携帯に耳を当ててももう悠姫の声は聞こえない。
「ゆう……き?」
茫然とする。
ただ、それだけだった。
その先にどうすればいいのか分からなかった。
雨が降っていた。
土砂降りだった。
外が?
いや、違う。
なら、どこに?
それは。
心に(・・)。




