暖かいね
「暖かいね」
と、彼女は笑った。
「いや、寒いだろ」
と、俺は笑わなかった。
「そうかな?」
と、彼女はやはり笑った。
「そうだろ」
と、俺はあくまで笑わなかった。
まるで真逆な言葉。
それでも。
俺たちは並んで歩いた。
―― ☆ ―― ☆―― ☆ ――
「今日の試合、頑張ってね!」
「…………」
朝っぱらからわざわざ訪ねてきたと思ったら、いきなり、何だ。
俺が剣呑な目を向けるも、彼女はあくまで彼女だった。
「私、応援してるから!」
「応援してんじゃねえ」
「えー」
えー、じゃねえよ。
「今日は何の日か、分かってんのか?」
「今日は春風高校と秋水高校のバスケの試合だよね」
「そうだ。で、俺はどこ校だ?」
「春高だよね」
「そうだ。で、お前はどこ校だ?」
「私は秋高だね」
「…………」
「…………?」
「応援してんじゃねえ」
「えー?」
彼女は小首を傾げた。
こいつ、本当に分かってんのか……?
「何で自分の学校応援しないで、ウチの学校応援してんだよ」
「え? 別に春高を応援してるわけじゃないよ?」
「あ?」
「君を応援してるんだよ!」
「同じことだ、バカ」
「いったーい!?」
指で弾かれた額を大袈裟に押さえる彼女。
ヤレヤレと、俺は首を振る。
全く、どうしてこいつはそんなに俺がいいのか、自分のことながら理解できない……。
「ねえ」
「何だ」
「シュート、打つよね?」
「当たり前だ」
頷くと、彼女は瞳を輝かせながら顔を近づけた。
「ね、ね! そのシュートは、誰のため?」
「春高のため」
「えー」
「えー、じゃねえよ」
「ウソでも私のために打つって言ってくれても、バチは当たらないと思うよ?」
「誰がそんなこと言うか」
「ぶー」
不満げに頬を膨らませる彼女。
……不覚にも、その仕草が可愛らしいと思ってしまったり。
まあ絶対に口にはしないが。
それよりも。
「じゃあな」
「あ、もう行っちゃうの?」
「今何時だと思っていやがる」
いい加減、体育館の入り口にたむろするチームメートたちの視線が痛くなってきた。
とっとと練習始めるぞ、という形相だ。
リア充爆ぜろ的な視線も混じっている気がするが。
―― ☆ ―― ☆ ―― ☆ ――
ハアハアと、俺は息を切らせながらチラリと得点板を見やった。
だが何度見ても並ぶ数字が変わるわけでもない。
98‐97
俺たち春高が、1点の先制を許している。
さらに言うなら、残り時間はもうわずかしかない。
「クソッ!」
吐き捨て、俺は再び駆け出す。
さすがはバスケの名門か。
俺たちが一年間必死こいて練習してきたってのに、これか。
しかも腹立たしいことに、連中は明らかに手を抜いている。
いや、手を抜いていると言うより、つい先日考えたフォーメーションを試しているかのような。
俺はチームメートからもらったパスをドリブルし、ゴールしたまで駆け抜ける。
どうやらディフェンスに重きは置いていないようで。
「ふっ」
息を吐き、レイアップでボールをゴールに放り込む。
だがそれは、まるでヌルリと纏わり付くような相手ディフェンスに防がれる。
なるほど。
俺は頭の隅で理解する。
防御の主力はこいつか。
で、他の四人が攻撃特化。
「ったく……!」
何て作戦考えやがる。
とても正気とは思えない。
見れば、奪われたボールはすでに俺たちのゴール前まで移動していた。
激しすぎるオフェンスを、チームメートたちが必死で押し返し、何とかボールを奪い取る。
瞬間、ディフェンス担当が走り出し、ボールを奪いにかかる。
ヌルリと纏わり付くような不気味な動きと共にボールが奪われる。
同時にオフェンスにボールが渡り、再びゴール下での攻防が始まる。
そこに俺も割り込むように介入する。
それを見越してか、チームメートの一人が相手に邪魔されながらも俺に向かってパスをする。
それを俺は一歩外に出ていた仲間に受け渡す。
同時に俺は走り出す。
並走。
ドリブルする仲間と共に、俺はゴールを目指した。
だが向こうも、そう易々と行かせてはくれず。
例の不気味なディフェンスがボールに張り付くように並走していた。
思わずと言った風に。
俺にパスが回ってきた。
受け取るも、ここからだとゴールから遠すぎてとてもじゃないがシュートは無理だ。
ドリブルでゴールに近付こうとするも、視界の隅にはすでにあいつが迫って来ていた。
ヤバイ!
俺はスピードを上げるも、向こうも向こうで足の動きを早めた。
追いつかれる!
俺は焦りを感じた。
だが。
「 !」
声が聞こえた。
名前、だったと思う。
それも、俺の名前。
見上げる。
そこに、いた。
二階ギャラリー。
ゴールの真後ろ。
応援する春高のブレザーに混じった秋高のセーラーは、よく目立った。
彼女は周囲の視線をまるで気にする素振りも見せずに、大きく手を振っていた。
思わず。
俺は走り出した。
今までにないスピードだった。
そして。
いまだかつてない跳躍力だったと思う。
「おおおおおっ!!」
ガコンッ、と。
俺は始めてその音を間近で聞いた。
手の平にゴールのリングがぶち当たる。
ダンクシュート。
真上から誰とも区別できない歓声が降ってきた。
「うおっ!?」
バランスを崩し、俺は床に尻餅をついた。
何せ二メートル以上の高さからの自由落下だ。
無茶苦茶痛い。
痛みに耐えながら、俺は視界の隅に映る得点板を確認する。
98‐99
残り時間8秒。
逆転勝利を確信した。
―― ☆ ―― ☆ ―― ☆ ――
「…………」
「もー。そんなにふて腐れないの」
「……………………」
並んで歩く彼女の声がやけに優しく聞こえた。
「でも惜しかったねー。101対99だっけ」
「……嫌味か」
「あ、ゴメン……」
俺の不機嫌丸出しの声に、彼女は萎縮した。
その仕草に、俺も八つ当たりもいいところかと少し後悔する。
あの後。
残り時間8秒となっても、秋高の奴らは諦めなかった。
だがまさか、あの不気味なディフェンスに持っていかれるとは思わなかった。
試合が再開された瞬間、気付けばボールは相手フィールドまで移動していた。
そして次の瞬間には、あいつの超ロングシュートがゴールに吸い込まれるように決まっていた。
この時点で残り時間2秒。
さすがに、あそこからさらに逆転する力量は持ち合わせていなかった。
「……ったく、何なんだあの野郎……」
「まあ彼、一年生だけど先生にも一目置かれてるらしいからね」
「…………」
あいつ、一年かよ。
二重にショックだっての。
「あ」
すると彼女は俺の沈黙をどう解釈したのか、嬉々とし詰め寄ってきた。
「もしかして私が他の男の子の話したから妬いた!?」
「ちげえ」
「照れなくてもいいんだよ?」
「ちげーっつの」
「いったーい!?」
うん、我ながらいいデコピンが入った。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙。
俺たちは変わらず、並んで歩く。
しばらくして。
「くちっ」
小さなクシャミが聞こえた。
見ると、彼女は小さな手を擦り合わせ、吐息で温めていた。
「……おい、手袋どうした」
「うーん、忘れてきちゃったみたい。体育館、暖かかったし」
「で、脱いでそのままにしてきたと」
「うん」
「はあ……」
俺は大きく溜息をつく。
もういい加減秋も深まり、冬に片足を突っ込んでいるという時期なのに。
「……ほれ」
「え?」
「貸す」
俺は嵌めていた自分の手袋を渡す。
彼女は受け取ったものの、珍しくオロオロと困ったような顔をした。
「でも、寒いでしょ」
「余計な心配だ」
「心配に余計も何もないでしょうに」
むう、と唸りながら彼女は手袋を見つめる。
が、すぐに嬉しそうに笑って左手だけに手袋を嵌めた。
「?」
どうせ嵌めるなら両方嵌めたらいいだろうに。
そう考えた矢先。
「はい」
「あ?」
彼女は無理やりに、俺の右手に手袋を嵌めた。
その意味不明な行動に困惑していると、彼女は右手で俺の左手を掴んだ。
掴み、そのまま俺のコートの左ポケットに自分の右手ごと俺の左手を突っ込んだ。
「ね。こうすれば暖かいでしょ」
「…………」
言葉もなかった。
別段文句も言わなかったからか、彼女はそのまま歩き出した。
「まだ寒い?」
「寒いだろ」
「そっか」
言うなり、彼女は体を密着させてきた。
左半身に、彼女の温もりが伝わってきた。
「…………」
俺は何も言わなかった。
ただ俺たちは、並んで歩く。
「暖かいね」
と、彼女は笑った。
「いや、寒いだろ」
と、俺は笑わなかった。
「そうかな?」
と、彼女はやはり笑った。
「そうだろ」
と、俺はあくまで笑わなかった。
まるで真逆な言葉。
それでも。
俺たちは並んで歩いた。