上目遣いってやっぱさ、やばいよね
「見てて楽しいの……?」
「たのしい」
間髪入れずに頷いたら、彼女は「そんなものか」という不可解そうな顔をした。けれどそれ以上は突っ込まず、作業を再開する。
俺は絨毯の上で体操座りをしながら、色づいていく彼女の爪をじぃっと見つめていた。
シンナー臭いそのとろりとした液体は、昔よく作っていたプラモデルの塗装を思い出す。ノスタルジーだ。そんな面白さがある。
一度塗ったところにまた赤いのがのれば、某国産車にも負けず劣らずな艶やかな赤色が彼女の親指を染めた。聞けば二度塗りと言うらしい。確かに一回塗った時より、重ねがけした時の方が綺麗に塗れたんだっけ。
「よくそんなちっこいところ塗れるよなあ」
「まあ、慣れだよ、慣れ。最初は悲惨だったよ。ぜーんぶはみ出るし」
「そんなもん?」
「そんなもの。ほら、あんただってさっきプラモデルの話してたじゃん。最初作った時より、何回目かの方が上手かったんじゃない? 知らないけど」
「知らんのかい。……まあ、そうだった気もする」
「プラモデル遍歴しらないもん」
そう言って笑って、今度は透明なマニキュアを指につけていく。何のためだ? と聞けば保護剤みたいなものらしい。ニス掛けしない板はすぐ禿げるから、そんなものかと納得した。彼女は微妙そうな顔をしていたけれど。
小さな手が、プラモデルの小さなパーツと同じくらいの爪にゆっくりと透明を塗していく。正面で見ながら、シンナー臭さを感じながら、なんかすげえなあ、と語彙力のない感想を抱いたりした。こんなに綺麗に塗れるなら、今度塗装とかしてくれないかな、なんて思ったりもする。艶やかな赤にほんの少しのラメと透明の液体。三層で作られた彼女の指先はなんだか神々しい。
「できた。……うん、乾いてそう」
「おー、すげー」
「語彙力なーい。でもいい感じじゃない?」
「いいかんじ。なんかかっけー、車のボディみたいな艶感」
「……褒めてる?」
「めっちゃ褒めてるだろ!」
「ならよし」
ご納得いただけたらしい。
いつもはタイツで隠されている足が、惜しげもなく晒されて、しかも指先がぴかぴかのつるつるの色が乗っている。拝んだ方がいいかもしれない。
なんてあほなことを思っていたら、彼女が俺の足を引っ張ってきた。そして次の瞬間には靴下を脱がし、ぺいっと横へ放り捨てる。おいおい待て待て、どんなお誘いだ? と思っていたら、彼女の手がマニキュアの瓶を一つ手に取った。
「もしかして?」
「そのもしかして」
「どういうこと?」
「面白そうだし。でかくて」
「そりゃ塗り面積はでかいだろうけどぉ」
「見物料」
「うっす」
「黒塗られてたらカッコよくない? あんた黒好きでしょ」
「かっけー!」
完全に丸め込まれた。爪が黒くてカッコよくないはずがない。ガキの頃に黒に憧れなかった男児は少数派じゃないか? いや主語がでかすぎるかもしれない。少なくとも俺は黒と言われて大人しく足を差し出すことにした。
「大人しくしててね」
「うっす」
「動くな」
「うっす……」
くすぐったいかと構えていたが、爪なんだから感覚があるはずがない。
代わりにシンナーの匂いが足元から漂い始める。ゆっくりと、要らないくらい丁寧な動きで彼女が俺の親指を黒く染めていく。
「塗りやすいね」
「面積理由?」
「うん」
「やっぱ自分のは塗りにくいんじゃん」
「塗りやすいとは言ってない。あ、動かないで。足の甲に塗るよ」
「うっす……」
ちょっとカッコいいかもしれない、と思ったのは黙っておく。
しっとりとした彼女の手が、かさついた俺の足に触れているのはなんだか落ち着かない。だが自分の爪が黒色に染まっていくのはカッコいいから見たい。そんな葛藤を抱えたまま、人差し指、中指、薬指と塗られていくのを眺める。親指だけかと思ったが、全部塗る気らしい。
少しだけはみ出たところをなんかまた変な液体で湿らせた綿棒で拭って、落ちた黒色を彼女の指先が払う。くすぐったくて動きそうになったのを根性で止める。いや、片足の爪が全部黒くなったのめちゃくちゃカッコいい。これ赤でもよかったなあと思いつつ、もう片方も塗られていくのをぼおっと眺める。
柔らかい手が、塗る手を安定させるためか、俺の足の甲のうえで台のような形態になる。あ、やばい、いつも触れられないところだから変な気分になりそうだ。いかんいかんと首を振ったら、足にも伝わったのか睨まれる。……上目使いに見えて非常によろしくないので、「すまん」とだけ言った。
彼女の長い髪がはらはらと肩の前に流れてきて、彼女の横顔を隠す。正面にいるから分かるわけだけど、なんだかいい光景だと思ってしまう。これソファーに座ってなくてよかった。本当に。跪かせているような気分になって、さらに変な気分になったかもしれない。
「はい、できた」
「お。も、もう?」
「? そんなに早くもないでしょ。二度塗りもしてないし、こんなもんじゃない?」
「手抜きってこと?」
「おばか。途中飽きてたでしょ。切り上げてあげたの」
「わー、ありがたきしあわせー」
「あと2、3分は動かないでね。それ乾き遅いやつだから」
「りょーかいー」
彼女が黒いマニキュアの蓋を閉めて、箱に詰めていく。えげつない量の瓶が入っていたが、塗料と同じだと思えば納得はいく。
「なあなあ」
「どうしたの? お茶?」
「ちがーう。こっち来て」
「はあ?」
「俺動けないらしいからさー、お前が来て欲しいわけ」
「はいはい……、なに」
隣に座った彼女は、俺を見上げてなんだと首を傾げた。その視線は無視して、先ほどまで俺の足の爪を塗っていた小さな手を取る。彼女の不思議そうな顔が更に深まる。それをやっぱり無視して、俺はその指先に唇を落とした。
「は、……は? な、なに」
「え? したくなったから……?」
「理由になってない……」
ぷるぷると震えた手はそれでも引っこ抜こうとはしなくて、それにいい気になって、真っ赤に染まった爪の根元のうえにまた唇をくっつける。
ちょっと満足して、目線を上げれば彼女は指先とは違う種類の赤色で頬を染めていて、——やっぱりソファーでやらなくてよかったと思う。そして、足の指のマニキュアが早く乾けばいいのにな、と逃げたそうにしている彼女を縫い止めながら考えていた。




