第59話 久山雅春の始まり
「それじゃあ、話し合いが終わったら僕に一声かけてくれよ」
それだけ言い残して、職員の男性が扉を閉めて部屋から出ていく。
案内されたのは、日差しが届かない最奥の部屋。
いうなれば……独房部屋だ。
その独房部屋に俺とおっさん、テーブルを挟んで向かい合う形で座っていた。
ちなみに、足元にくっついていたはずの女の子はいつの間にかいなくなっていた。
「ハッ! 果てには幼女にまで捨てられたか。つくづく女運がないねぇ~」
おっさんが、愉快そうに鼻を鳴らす。
だからと言って、俺がおっさんに対して感情的になることはなかった。
「まあ、離れていくのはあの子の自由ですし、俺が気にすることでもないと思いますがね」
「相変わらず可愛くねぇガキだな。ガキはガキらしく黙って大人に馬鹿にされておけよ。そのうちいいことあるかもしれないぞ?」
「結構です。それより、さっそく本題に入りたいのですが……」
「そう急ぐなよ。急がなくてもすぐに話を聞いてやるからさ」
「それなら尚更——————」
俺がそう言いかけたところで、閉められていたはずの扉がゆっくりと開いた。
職員の男性が戻ってきたのかと思ったが、そうではないらしい。
俺の瞳に映るのは、薄桃色のウサギの人形を大事そうに抱えた女の子。
——————そう、女の子はウサギの人形を取りに行っていたのである。
扉を閉めるや否や、俺の元へと一直線にやってきて一生懸命膝の上によじ登ろうとしてくる。
見ていられず、俺は手を貸すように女の子の両脇の下から抱え上げて自分の膝へと座らせた。
……心配になるぐらい軽すぎた。
「この子はさ、いつもウサギの人形を持ち歩いているんだよ。話し合いなんてしてたら、この子が入りづらくなるだろ?」
「……まるでここへ戻ってくるのが分かっていた様子ですね。さっきの一連のやり取りは必要なかった気がするんですが」
「まあ、いらなかったな。俺にとってはな」
やけに含みのある言い方をする。
このおっさんの考えていることが、俺にはまるで読めない。
でも、これでようやく話が先に進む。
とりあえず、俺は膝の上にいる女の子に優しく語りかけた。
「これからこのおじさんと大事な話をするんだ。良い子にしていてくれるかな?」
「……うん」
「ありがとう」
ウサギ人形の両手をイジイジしている女の子の頭を優しく撫でる。
……髪柔らかすぎだろ。顔立ちも整っているし、この子は絶対に美人になるだろうな……。
そうなれば、間違いなく俺の天敵になるな、うん。
「随分と扱いに慣れているんだな。その優しさを素直に向けられたらいいのにな」
「同年代の女子とこの子とでは全然違いますよ。何というか妹みたいというか……」
「なるほどな。妹相手ならそういう態度になるんだな、お前は」
「……そうなのかもしれませんね」
「ハッ! 岬守美彩にも同じようなことをしてるのかよ。よほどのシスコンだな」
女の子の頭を撫でていた手が止まる。
俺の心臓が大きく脈を打つ。
あまりの衝撃に思わず立ち上がりそうになったけど、女の子のことを考えて何とかその場に留まった。
コイツ、今、何て言った?
俺が問いかけるよりも先に、おっさんが後に言葉を綴った。
「つまりはそういうことさ。身近な存在ですら知らない一面がある。だから不用意に赤の他人の言葉を信用しちゃいけないんだよ」
「……美彩のこと、俺たちのこと、どこまで知ってるんですか」
「そんなには知らないさ。ただ、知っていることをあたかも全部知っているように話をしているだけ。そうすれば、相手は勝手に勘違いして情報をケロッと吐き出してくれるんだよ。社会に出た時に役立つ会話術だから覚えておくといい」
「……そうならない場合も、時にはあるかもしれませんよ?」
「言葉に説得力がないな。でもお前は今さっき、引っかかった。違うか?」
それを言われると、返す言葉がなくなる。
確かに美彩の名前を突然出された時に、目に見える反応を取ってしまった。
であれば、おっさんの言うことは俺の言うことよりもずっと正しい。
社会というのは、結局結果が全てなのだ。
結果で敗れた以上、俺の言葉はどこにも届かない。
とりあえず、非を認めて謝っておくか……。
「もし謝ろうとしているのなら不要だ。そもそも謝って欲しくてマウント合戦をしているわけじゃないからな」
「……本当に、何でもお見通しなんですね」
「何でもは見通せてないさ。現にお前の悩みの具体的な内容を俺は知らないからな」
「正直どこから話していいのか……」
「悩みの発端となり得る内容を全部話せ。でないと何も分からない」
「……分かりました、話します」
そして俺は、我部と榊と喧嘩みたいになってしまった日のこと、美彩の誕生日プレゼントを選びに水瀬と買い物をしたこと、それをクラスメイトの誰かに盗撮されて悪意ある投稿をSNSで流されたこと、そして友達だと思っていたクラスメイトがその日に俺を尾行していたこと、それに俺は疑惑を抱いて嘘を吐いて今日一日一人で犯人捜しをしていたこと、何も結果を得られなかったこと、事細かくおっさんに話をした。
投稿も見せたし、何もかも、全て打ち明けた。
それらを踏まえた上で、おっさんは間髪入れずにすぐさま言葉を放つ。
「それだけかい?」
「……え? あ、はい。そうですけど……」
「だとすれば、情報の量と質を上げるべきだな。お前の話はあくまでもお前の話でしかないんだよ」
「……えっと、すみません。つまりはどういうことですか?」
「お前は、その我部という人間をどこまで知っている? 犯人がお前の後を尾行してまで盗撮するメリットは? その犯行動機は? 友達だと思っていたクラスメイトが尾行していた理由は? 挙げればいくらでもあるぞ」
おっさんに言われて、スッと腑に落ちた自分がいた。
確かに、俺の話は上辺だけの誰が見ても同じことを口にする中身がスカスカのつまらない話だ。
……なるほどな、情報の量と質を上げる、か。
そんなことを考えていると、膝の上にいる女の子が自分の頭をポンポンと叩く。
その意味を考える間もなく、俺は再び女の子の頭を撫で始めた。
「でも、お前はそれができるだけの器がある。その弱点もな」
続けて、おっさんが言葉を紡ぐ。
「お前は人の話を簡単に信じない。これは利点だ、そのまま継続しろ。情報収集をする上では大きな武器と言ってもいいからな。だが、その欠点を潰すようにお前は答えを出すのが早すぎる。その癖さえ治せば、お前は人としてちゃんと成長できる。俺が保証してやる」
「……一度やってみます」
「とはいっても、最初から一人でやるのは無謀だ。だから、今回だけ俺からヒントをあげよう」
そう言って、おっさんは天井を仰ぎながら口を開く。
「——————今回のキーは岬守美彩だ。アイツなら〝何か〟持っているだろうし、お前にとっては信頼のおける数少ない人間の一人だからな。アイツに話を聞いてみるといいさ」
「美彩が……。あまりピンとこないですけど、分かりました。その口ぶりだと、もう答えは見えているんですか?」
「何となくだがな。それに至るまでのプロセスがどうも紐づかなくてね。〝結論を急げば、その刃は必ず自分に向く〟つまりはそういうことさ」
根拠なき答えは、言ってるだけのただの戯言だ。
戯言は戯言で返される。
そうさせないためにも、決定的な証拠を集めろ。
きっと、おっさんはそう言いたいのだ。
今の俺には、よく理解できた。
それからおっさんは、何かを思い出したかのように再び口を開く。
「あとはさっきの話の中で一つ気になったんだが、お前は嘘を吐かれるのが好きじゃない。その見解で間違いないかい?」
「……まあ、そうですね」
「なのに、友達には嘘を吐いた。これは道理的に間違えていると思うんだが、その辺りをどう考えているのか教えてくれないか?」
「……」
応えに詰まる。
なんでか……分からない。
それが俺の持っている答えだった。
嘘を吐くことは絶対悪だと考えていたはずなのに、どうして俺はあの二人に嘘を吐いたのだろうか。
いくら思考を巡らせたところで、分からないものは分からない。
だって、今の今まで嘘を吐いたという自覚がなかったのだから。
「まあ、俺からすれば内容自体は正直どうでもいいんだ。肝心なのは、嘘を吐いた理由。自覚を持つことだ。それさえ自分の中で明確に持っていれば、嘘なんていくらでも吐いていいんだよ」
「……俺は、あまり嘘は吐きたくないです」
「嘘吐いてるくせによく言うぜ。まあ、自分の中でよく考えてみるといいさ。でもこれだけは言っておく。自己成長を望むのなら、絶対に嘘から目を背けるな。分かったかい?」
「……はい、分かりました」
嘘の話は、花音の兄である世一さんとも話をしたことがあった。
でも、その時の俺は世一さんの言葉を素直に受け入れることができなかった。
……なぜだろうか。
目の前のおっさんの話は、すんなりと受け入れられた。
その真理に気が付いたのは、もう少し後の話だ。
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