第42話 妹の存在
ここで俺はみんなに問いたい。
家には誰もいないと分かっている状況で、「ただいま」と口にする人は一体どのくらいいるだろうか?
ちなみに、俺の答えは八割から九割ぐらいの人が口にしていると予想している。
幼い時に躾の一環として倣う家庭が多く、挨拶という習慣の重要性はその時点に個々の中で形成されると考えるからだ。
しかし、残りの例外が存在するのもまた事実で、きっと俺はその例外に含まれるのだろう。
俺が小学生くらいの時から、両親は家を空けていることが多く、妹である美彩の二人で過ごすのが日常だった。
その結果、俺は小さい時に倣うはずだった躾という名の勉強を怠ってしまったのである。
そんな日々のすれ違いから、両親は離婚という選択を取り、俺は父に美彩は母についていくことになった。
そして父は、自分と価値観が一緒である今の母と再婚し、現状は幾分かマシになったように見えた。
……そう、結局は見えただけで本質的な部分は何一つ改善されていない。
俺にとっての躾は、極力人とは関わらず孤独と闘うことだ。
この際、勝った負けたの話なんてものはどうでもいい。
大事なのは、孤独に慣れるということだ。
孤独に慣れさえすれば、何かに振り回されることもないし、自分自身が傷つくこともない。
全ては自分が中心で、自分の全てが世界なんだと。
そんな間違いだらけの悲しい躾を矯正してくれようと動いてくれたのが、目の前で腕を組んで仁王立ちしている美彩だった。
もし美彩がいなければ、俺は天涯孤独の身だったかもしれない。
「おい、ただいまって言えよ」
こんな感じで口の悪い妹ではあるが、それでも俺は美彩のお兄ちゃんであり続けようと心の底から誓うのだった。
それはさておき……。
「今更言ったところで何も変わらんだろうよ。てか、なんでここにいるんだよ」
「おいおい、あんちゃん。もうボケちまったんかえ? こりゃ、ウチが介護してあげなきゃいかんな」
別に、忘れたわけじゃない。
美彩の現状、俺の家に来た理由。
そして、学生という枠組みの中では片付けることが難しい問題。
だから美彩は、ここへ逃げてきたのだ。
そうすることでしか、自分自身を正当化することができないから。
「そうじゃなくて。俺が言いたいのは、家の中にどうやって入ったんだよって話だよ。お前、家の鍵持ってないだろ?」
「そんなことはどうでもいいでしょうが! それよりも、まず帰ってきたら言うことあるよね?」
いや、家の鍵問題をどうでもいいで片付けるのは流石に無理でしょ。
でも、美彩の望む返事をしないと話が前に進まなさそうだし……。
なら、必然的にやるしか選択肢ないよね?
「……ただいま」
「お帰りなさい、あ・な・た♡ ご飯にする? お風呂にする? そ・れ・と・も……」
「うわっ。キッツ」
美彩が最後まで言うよりも先に、なんか言葉が勝手に口から漏れ出たわ。
でも、これでなんとなく分かった。
多分コイツ、この新婚プレイを意味もなくやってみたかっただけだわ。
その証拠に、美彩はふくれっ面を浮かべていた。
「ちょっと、まだウチのターン終わってないんだけど?」
「この世界では、妹と新婚プレイをする事象自体存在しないんだよ。だからターンもクソもない」
「いやいや、存在しないと断言するのはまだ早いんじゃないかい? この世界。いや、この宇宙には無限の可能性が秘められているんだ! 一個人的な主観で物事を決めてしまうのは良くないと思うぜ?」
なんか、規模が大きくなっちゃったよ。
でも、美彩の言う通りだ。
「妹だからありえない」というのは、誰かが決めた一つの固定観念に過ぎない。
宇宙までとは届かずとも、世界のどこかには自分たちが信じて疑わなかった概念を覆す思考を持った人たちが実在する可能性も否定し切れないのは事実だ。
そうだとして、俺は美彩に言いたい。
俺は無理。断固として無理。
でもここで変に反論して、逆に反論し返されても面倒だから、一応肯定だけはしておくことにしよう。
「そうだなー、その通りだなー」
「適当だな、おい。そんなんじゃ、女の子からモテないぞ♡」
そう言いながら、俺の胸をツンツンと意地悪っぽく突いてくる。
俺はそれを乱暴に振り払って、言葉を後に綴った。
「はいはい、別に構いませんよー。それよりご飯を先にしようかな。腹減ったわ」
「仕方ない。ウチもご飯作るのを手伝ってあげるとしますかねー」
やれやれと言った感じで俺の方に手を置く美彩。
ふと、俺の中に疑問が浮かんだ。
「え? ご飯用意してくれてるんじゃないの?」
「え? ウチそんなこと言ったっけ?」
「いや言ってないけど……。え?」
「え?」
「じゃあ、風呂は?」
「いや、用意してないけど?」
「……え?」
「え?(笑)」
いや、何笑とんねん。
えっと、つまりは何も用意してなくて、本当に新婚プレイだけを楽しんでたってこと?
そんな無意味で無駄なことを、あなたはしてたの?
そりゃ、美彩はこの家の住人ではないからご飯を作れだの、風呂を沸かせだの口うるさくは言わないよ?
その要求は筋違いだと、ちゃんと分かってる。
でもさぁ…………いや、もういいや。
考えるだけ疲れるし、それこそ無意味で無駄なことだ。
とりあえず、ご飯を調達しに近くのコンビニにでも行くか。
踵を返して玄関を出ようとすると、美彩が急いで自分の靴を履き始めた。
「なになにコンビニでも行くの? ならウチも一緒に行く!」
「……先に言っとくけど、余計な物は買わないからな?」
「心配なすんなって、アイスとプリンとポテチとコーラを買うだけだから」
「それらを余計じゃないと言うのなら、もっと食生活を見直した方がいいぞ? 野菜を食え、野菜を」
「兄貴ー、もしかしてヴィーガンに目覚めたのかえ? その思想は尊重するけど、他の人に思想を押し付けるのは良くないと思うぜ☆」
親指をグッと立てながらキメ顔をする美彩。
シンプルに身体の心配をして言っただけなんだけど……、もう何でもいいや。
そして俺と美彩は、二人仲良く(?)コンビニへと向かうのだった。
ちなみに、想定よりも出費が嵩んだのは言うまでもない話である。




