第33話 春の想い
私も、彼女も、互いに向かい合って座ったまま一言も言葉を口にしない。
ずっと俯いている私を彼女がジッと見つめている、お互いが相手の出方を伺っているような状況だ。
なんだろう。悪いことはしていないはずなのに、まるで取り調べを受けているような気分……。
茶菓子とお茶を持ってきた世一にぃは、さっさと部屋から出て行っちゃうし……、せめてこの状況を招いた責任ぐらいは取って欲しかったんだけど……。
いや、それは違うか。
この状況を招いたのは、大元を辿れば私自身だ。
世一にぃは関係ない。むしろ、クラスメイトとの話し合いの場を設けてくれたことに感謝すべきだ。
でも、これからどう話を展開していけばいいのかが分からない。
もし仮に私の今の気持ちを彼女に打ち明けたとして、彼女はどう思うだろう。
受け入れてくれるかな?
それとも、突き放されるかな?
きっと、後者だろうな。
この短い人生の中で、間違った選択しかしてこなかった。
だから、きっと、私の今の気持ちも社会の観点からすれば間違えているのだろう。
なら、最初から誰かに打ち明ける必要なんてない。
間違えた選択を誰かに間違えていると指摘されるほど、冷酷で残酷な現実なんて最初から欲しくないから。
「……ハハ、なんかごめんね。急に押し掛けたみたいになっちゃって。冷静になって考えてみれば、アタシのしてることってひめのんの意思を踏みにじる行為だよね……」
「いや、そんなことは……」
そんなことは大いにある。
大いにあるが、大いにあると応えられるほどの元気は今の私にはなかった。
「ありがとうね。アタシ、このままひめのんとの関係が切れちゃうのが嫌でさ……」
「桜花さんは優しいね。心配してくれてありがとう、でも私なら大丈夫だから。明日からちゃんと学校に行くから」
「……嘘。ひめのん、今嘘吐いたでしょ。全然大丈夫じゃない」
「嘘じゃないよ。ちゃんと明日から学校に行くから」
「……ひめのん。明日が何日か知ってる? 明日から合宿講習だよ? いつも通り学校へ行っても、一年生は誰もいないんだよ?」
「あぁ、そっか。もうそんな日にち経ってたんだね。大丈夫、ちゃんと準備して合宿講習行くから」
「……もう、嘘を吐くのはやめてよ。ちゃんと私と話そ、ね?」
「嘘じゃないよ。ちゃんと準備して――――――」
そう言いかけた次の瞬間、話の続きを遮るように目の前に座っていた彼女が乱暴に立ち上がった。
私を見下ろす彼女の双眸が少しだけ揺らいでいるような気がした。
「なんで……、なんで嘘ばっか吐くの! ひめのん全然大丈夫じゃないよ‼」
「……嘘じゃないよ」
「それなら、なんで準備する物とか集合時間を聞いてこないの? 聞いてこないってことは最初から行く気がないってことでしょ!」
「……」
彼女の言っていることは正しい。
正しいからこそ、何も言い返すことができなかった。
いや、言い返す言葉が見つからなかったのは、きっとそれだけじゃない。
自覚はある。
私は、桜花さんに対して恐怖心を抱いてしまっていた。
私の知っている彼女は、どんな人にも分け隔てなく暖かな春のような笑顔を向けられる、まるで陽だまりのような優しい女の子だ。
だが、今の彼女は対極的に違う。
短い付き合いだけど、こんな感情的な彼女を私は知らない。
「アタシはただ、ひめのんの力になりたいだけなの。だってアタシたち――――――友達でしょ?」
……友達? 友達って何?
相手のことを理解していなくても、力になりたいと思えれば、それは友達になるの?
だから私は、マサくんと友達になれなかったの?
マサくんの力になりたいとは、一瞬たりとも思えなかったから……。
「……ひめのん? 大丈夫?」
言いながら、彼女がゆっくりと近づいてくる。
だから私は、反射的に声を上げてしまった。
「こっち来ないで‼」
「……」
彼女がそれ以上近づいてくることも、何かを問いかけてくることもなかった。
幻滅……させてしまっただろうな。
私の姿勢は、これ以上の関係には至らせない完全な拒絶だ。
ここで私たちの関係が終わってしまっても何一つおかしくない。
でも、私自身この結末で後悔はしていないんだ。
私自身の口から終わりを告げてあげることで、彼女も私のことでこれ以上悩む必要も気にする必要もなくなるからね。
そう、これが私にとっても、彼女にとっても、終わりという名のハッピーエンドなんだ。
……なのに、どうして私の両手は今でも膝の上で震えて泣いているのだろうか。
「――――――ひめのん。大丈夫だよ」
言いながら、彼女の両手が私の両手を優しく包み込んだ。
「自分の知らない相手の一面を知るのは怖いよね。アタシだってそうだし、きっとみんな同じだから。でも、ひめのんの抱えてる気持ちを理解してあげることはできない。だって、ひめのんの気持ちをアタシたちが計り知ることはできないから。一人で気持ちを抱え込むことが悪いとは言わないよ? ただ、一人で全てを投げ捨てることだけは絶対にして欲しくないんだ」
彼女の両手に力がこもる。
なぜだろう。痛いから離してという言葉が口から出てこない。
喉元まで出かかっているのに、その言葉を素直に吐き出すことができない。
もどかしい、厭わしい、気持ち悪い。
気持ち悪いはずなのに、なんで私の両手は落ち着きを取り戻しているのだろう。
「大丈夫。ひめのんなら、絶対大丈夫だから。だから、もう一度私と一緒にひさるんに会いにいこう? そして二人で思いっきりビンタしてやろうよ」
「それは、ちょっとかわいそうな気が……」
「さすがに冗談だって。でもさ、それぐらいのことをひさるんはひめのんにしたんだから、ちょっとぐらい何かしても問題ないよね?」
彼女は両腕を身体の前で組みながら、自身に言い聞かせるように深々と二度頷く。
だけど、私は彼女の提案に素直に頷くことができなかった。
「でも、でもさ。私はいつも選択を間違えてきたんだよ。間違えて、間違えて、間違え続けて、今回もまた間違えた。そんな私が彼を咎める権利なんてないよ……」
そう、私が誰かを糾弾する権利なんてない。
権利はない、この時まではそう思っていた。
「……ひめのんは、完璧超人になりたいの?」
きょとん顔で彼女が問うてくる。
予想外の返しに、思わず動揺してしまう。
「え? えっと、その……私、何か変なこと言った……のかな?」
「いや、間違えを全否定するものだから、アタシはてっきり完璧超人にでもなりたいのかなと……」
「完璧超人になりたいとか、そういう話じゃなくてね? 私はただ、二度と間違えた選択をしたくないだけなんだよ。こんな苦しくて辛いだけの思いなんて、もう欲しくないから」
間違えは悪だ。
仕事でミスをすれば上司から怒られるし、犯罪を犯せば刑に罰せられる。
そんな当たり前を、社会の中で生きる私たちはよく知っている。
だからこそ、私の瞳に映る彼女の姿が、とても気高く、美しく見えた。
「間違えって、そんなに悪いことなの? 確かに、間違えることって苦しくて辛いだけだから、間違えた選択をしたくないひめのんの気持ちはよく分かる。でもさ、時と場合によってはアタシだって間違えるし、その他大勢の人も間違えた選択をしてると思うよ? もし間違えた選択をしてこなかった人がいるなら、よほどの強運の持ち主か、未来予知師か、ペテン師のどれかだね。いずれにせよ、社会のほとんどの人が間違えた選択をしてるってこと。だから、ひめのんに限った話じゃないよ」
「……それは嘘だよ。だって桜花さんは、そんな風に見えないもん。どんな人にも分け隔てなく笑顔を向けられる優しい女の子で……」
「なに、その完璧ヒロインは……。そんな女の子存在しないよ?」
「嘘、目の前にいるもん……」
「それはそれで嬉しいような、ちょっと申し訳ないような……」
そう言う彼女は、なんだか複雑な表情を浮かべていた。
事実を言っただけなのに、どうしてそんな表情を浮かべているのだろうか。よく分からない。
自分を持ち上げてくれる空気にいたたまれなくなったのか、彼女は咳払いを一回した後に言葉を綴った。
「ひめのんにそう思ってもらえてたのは凄く嬉しいけど、それは間違えを誤魔化すための一つの手段に過ぎないよ。ほら、むすっとしてるよりも、華やかに笑ってた方が角が立たないでしょ? 間違えはね、生きてれば通らなきゃならない絶対悪なんだから、間違えたと過剰に考え込まない方がいいと思うの。だったら、正しい選択に近づけるにはどうしたらいいかを過剰に考え込んだ方が建設的でしょ? 間違えは間違えたと思うから間違えた事実が残るのであって、これなら正しい選択だと自分自身を納得させることができれば正しい事実しか残らない。多分、みんなそうやって間違えという名の悪を退治してるんだよ」
「……もし、自分自身を納得させることができなかったら?」
「そしたら、引き続き研鑽を積むだけだね」
「よいしょ」と口にながら、彼女がその場からゆっくりと立ち上がる。
「もう帰るの?」
「うん、これ以上の長居はひめのんの身体に良くないからね。明日に備えてもらわないと」
「そのことなんだけど、明日は私……」
「うん、大丈夫。ちゃんと分かってるから。だから明日の夕方頃に迎えに来るよ」
「え、でも、明日って……」
私が言葉を口にするよりも先に、彼女がいたずらな笑みを浮かべながら言葉を紡いだ。
「明日から合宿講習だからね。それまでに悪は退治しておかないと!」
そう言う彼女が、可愛い小悪魔に見えたのはここだけの話。




