第31話 姫柊花音の本性
しばらくしてから、世一にぃが帰ってきた。
仕事終わりにしては随分と早い気がするが、早上がりでもしたのだろうか。
社会人経験のない私にはその辺りの機微はよく分からないけど、帰ってきたのならきっとそういうことなんだろう。
しかし、学生は別だ。
学生の早上がりには、何か特別な理由が存在してしまうのだ。
体調不良、怪我、仮病、家庭事情、そして——————それらに該当しない事情。
きっと、世一にぃは私が家に帰ってきているのは知っているはず。だって、玄関に靴が置いてあるから。
だとすれば、問い質されるのも時間の問題……って、あれ。そういえば私、どうやって家に帰ってきたんだっけ。
「花音、帰ってきてるのか?」
扉の向こうで世一にぃの声がする。
どうしよう、世一にぃにこれ以上の迷惑はかけられない。
分かっていたはずのことなのに、まるで予想外の出来事に直面したかのように体が硬直して言うことを聞かない。
でも、このままでは余計怪しまれてしまう。
そんな私に残された応えは、精一杯の嘘だけだった。
「……うん、体調悪くて帰ってきた。でも、大分マシになってきたから大丈夫」
「……そうか。まあ、無理だけはするなよ」
「うん、ありがとう」
私の声を聞いてから、世一にぃの足音が遠ざかっていくのが分かった。
正直驚いた。こんなにあっさりと終わるなんて思っていなかったからだ。
いや、もしかしたら全てを知っている上で関与してこないのかもしれない。
以前の家族会議で、マサくんとの今後の関係は私自身の力で何とかしたいと話は纏った。
だから今回、世一にぃは何も聞いてこないのかもしれない。
でも、本当に何も知らない可能性だってある。
分からない。
分からないといえば、マサくんのことも分からない。
マサくん、本当はイジメたくなるほど私のことが憎かったのかな。
今まで私に見せてくれた態度も、全てが表面だけを取り繕った偽物にすぎなかったのかな。
分からない、分からないよ。
分からないのは、酷く恐ろしくて怖いことだ。
だから私は、中学時代のあの失態から何一つ成長していない。
私、私は、今も未だ——————人見知りのままだ。
その人を怖がり、その人を遠ざけ、そしてその人を拒絶した。
相手を理解するには、その人の真意に触れなければならない。
でなければ、相手を理解したとは言い難いからね。
でも、私はその真意に触れるという行為を極度に恐れた。
簡単な話だよ。
相手の真意を知れば知るほど、自分が傷つけられる。
私はあの日、知ってしまったんだ。
中学生の頃、男性からの人気が高かった私は毎日のように告白をされていた。
当時の私は、人見知りな上に特定の誰かと付き合うことなんて考えられなくて、全ての告白を角が立たないように丁重にお断りしていた。
その二つの事実が、一部の女子生徒から反感を買ってしまったのだろう。
ある日、「お高くとまっている」「調子に乗っている」「私たちのことを嘲笑っている」と因縁をつけられてしまったのだ。
もちろん、私にそんな自覚は一切なかった。
でも、彼女たちはそう感じた。
そう感じた以上、それが事実になってしまうのが世の掟だ。
そう、世の全ては受け取り手のご都合解釈で決まってしまうのである。
彼女たちは被害者であり、私は加害者。
加害者なのだから、相応の報いを受けても仕方ないよねってイジメすらも容認してしまうのがこの社会なんだ。
だから何もしていない悪い子な私はイジメられ、私という社会不適合者は社会から隔離されてしまったのである。
もう二度と、あんな思いはしたくない。
今度は失敗しないようにと、私は世一にぃの母校である今の高校へと進学を決めた。
社会から隔離されないように、分厚い偽りの仮面を被って……。
でも、それも失策だったのかもしれない。
私は、偽りの仮面を被ってマサくんに近づいた。
『悪目立ちしているマサくんに優しくする良い子な私』という嘘を纏うことで、社会から隔離されることはないと考えたからだ。
だって、被害者に手を差し伸べる。
それが、社会が望む人としての正しい在り方だから。
でも、やっぱり考えれば考えるほど自覚してしまう。
社会は、あまりにも理不尽で、正しさの矛盾で回っているのだと。
被害者に手を差し伸べることが社会的な救いだというのなら、どうして私はマサくんに嫌われてしまったのだろうか。
マサくんは、どんな思いで私の声を、眼差しを、行動を受け止めていたのだろう。
もしかしたら、余計なお世話だったのかもしれない。
だとしたら、分からない。もう何もかも分からない。
私はどうすれば良かったのかな?
どうするのが正解だったのかな?
本物の私も、偽物の私も、社会的には間違えていたのかな?
私って、本当に——————社会に必要な人間なのかな?
その疑問の応えは、すでに開示されている今だ。
なら、私の選択は——————全て間違えていた、というわけだ。
それなら、もう……、何もしたくないし、何も考えたくない……。
そして私は、どうしようもない現実から目を背けるように部屋に引きこもった。
それから何日か経った合宿講習前日、その人は突然にやってきた。




