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深恋  作者: 早能 せい
2/14

2章 乾いた涙

「そんなの明日でいいだろう。どうせ、郵便の締め切りはもう終わったんだし。」

 夕方、封筒詰めをしている結衣に山岡が言った。

「明日は明日の仕事があるから。」

 結衣がそう言うと、

「渋谷、もっと穏やかに仕事できないのか?」

 山岡は結衣の机の上の封筒を半分手に取った。

「これ、どうやって入れるんだ?」

「いいですよ、私の仕事ですから。」

 結衣は黙々と封筒に文書を詰めていた。山岡は先に詰めた封筒の中身を出して、入っているものを確認した。

「よし!30分で終わらせるぞ。」

 山岡は書類を詰め始めた。

「あら、2人で残業?」

 すっかり帰る支度をした影山が2人の近くにやってきた。

「俺の仕事を渋谷が手伝ってくれてるんです。残念ですね。来月からいないなんて。」

 山岡の影山に少し含んだ様な言い方をした。

「そんなの会計年度さんに頼めばいいでしょう?」

 影山が言った。

「まあ、そうですけど、最後の点検はやっぱり職員がやるべきじゃないですか。あとで何かあったら、責任取るのは職員なんだし。」  

 山岡の正論に、影山は何も返す言葉がなかったようだ。

「渋谷さん、山岡くんが隣りの席で災難だったわね。残業に付き合ってばかりいたら、彼氏なんてできないわよ。じゃあ、私これで。」

 影山はそう言い残し帰っていった。

「山岡さん、すみません。」

 結衣が謝ると、

「早く終わらせるぞ、店は19時に予約してるから。」

「店?」 


 午後7時半。

「渋谷、歩いてきてるんだろう?このまま行けるか?」

「本当にいくんですか?」

「俺、車を家に置いていくから、とりあえず一緒にこいよ。家の前にタクシー呼んであるから。」

 結衣は山岡に急かされるように、職員玄関を出た。

 山岡の車に乗ると、

「笹本、なんて?」

 山岡が言った。

「何がですか?」

「さっき、印刷室で笹本と話してただろう。」

 まずい、山岡さんに見られてたのか…。

「あっ、それ、製本機の順番の事です。」

 結衣は咄嗟に話しを誤魔化した。

「嘘つくなよ。そんな感じじゃなかったから。」

 ここは嘘を突き通すしかない。

「嘘じゃないですよ…。」

 結衣はそう言って平常心を装うと、山岡はそれ以上何も聞かなかった。

 

 小さな居酒屋に着いた。

 温かいおしぼりを手に取ると、結衣は眼鏡を外し、思わず瞼にそれをあてていた。

 店員に注文を頼み終えた山岡は、

「おい渋谷、女捨てたのかよ。」

 そう言った。

「疲れました。」

 結衣は眼鏡をかけ直し、まだ温かいおしぼりで、今度は手を温めた。

「山岡さん、いろいろありがとうございました。」

 そう言って結衣は山岡に頭を下げた。

「なんだよ、急に。まだ2週間は一緒だろう。」

 山岡が言った。

「今日、つくづく思いました。私達って、ただの駒なんですね。」

 結衣はそう言って山岡を見た。

「今更そんな事、かしこまって言うなよ。なんか悲しくなるだろう。」

「山岡さんは何年目ですか?」

「俺は税務にきてから5年目だ。」

「その前は?」

「その前は総務に3年いたんだ。異動が決まった時、まさか1階に降ろされるとは、けっこうショックだったよ。それでも、今の仕事は嫌いじゃないけどさ。」

「やっぱり、あるんですね。1階、2階の違いって。」

「そうだよ。仕事してる階と出世は似てるんだ。」

「へぇ~、そうですか。」

 ビールが運ばれてきたので、2人は乾杯した。今日はなぜか苦い味しかしない。

「私、なんかやったんですかね。」

 結衣が言った。

「なんもやってないよ。影山が渋谷を気に入らないだけだろう。」

「だから、影山さんに嫌われる事、なんかやったんですかね。」

「同じ課にいる女だから嫌うんだろう。友達としてはいいんだろうけど、職場には2人も女はいらないんだよ。あいつは同じ場所でしか仕事ができないから、税務課は影山がいる限り、しばらくは男の職場だな。」

「男女平等って何ですかね…。ずっと封建的なままだし、それを崩そうとしないのは、結局男と女が好きだとか嫌いだとかそんな感情なんですよね。」

「まぁな。そんな感情が、仕事を支えてるってもあるのかもしれないけど。」

「はぁ?」

「モチベーションが上がるだろう?好きな人によく見せたいって気持ちになると。」

「山岡さんの言ってる事、ひとつもわかりません。男は格好つけて、女は先に甘えたもん勝ちなんですね。泣いてしまえば、皆許してくれるんでしょう?」

「渋谷も泣けば良かったじゃん。今ならギリギリで、慰めてもらえるかもよ。」

「そんな事、したくありませんよ。」

 結衣は枝豆に手を伸ばした。

「腹減ったろう。たくさん食べろよ。」

 山岡は2杯目のビールを頼んだ。

「明日も仕事ですよ。ペース早くないですか?」

 結衣が言った。

「飲まなきゃやってられないだろう。渋谷で8人目だよ。毎年毎年、途中で異動やら、休職やら。退職してった奴もいたな。会計年度だってしょっちゅう辞めていくし、その度に俺に仕事が被ってくるなら、最初から男連中で分ければいいだろうって思うんだよ。人事担当も懲りないな。」

「人事担当はなんで税務に女性を入れようとするんですか?」

「最近は女の職員が増えたからな。上の考えは、窓口のある1階に物腰の穏やかな女を配置したいんだろう。」

「また、それ。女性職員の無駄遣い。」

「仕方ないよ。女の人は力仕事なんかできないから。農林や土木なら、勤められないだろう。」

 山岡は結衣のビールのおかわりを頼もうとした。

「山岡さん、私、もう飲まない。」

 結衣がそう言うと、

「じゃあ、ウーロン茶にするか。」

 山岡は店員に注文した。

「山岡さん、隣りの人がいなくなる度にこうやって愚痴を言うんですか?」

「渋谷が初めだよ。少しは期待したのにな。」

「それ、総務課長にも言われました。上手くやってくれると思ったのにって。」 

「課長が言ったのは仕事の事だろう。俺が言ったのは、…違うよ。」

「なんですか、それ。」

「まあ、食えよ。腹いっぱいになったら、話してやるから。」


 結局、山岡はベロベロに酔ってしまい、なんとかタクシーに乗せるとそのまま眠ってしまった。

「山岡さん、着きました。」

 結衣は寄りかかっていた山岡の体を起こすと、山岡は結衣の手を握ってタクシーを降りようとした。

「お疲れ様でした。」

 結衣は山岡の手を離し、タクシーの運転手に自分の家の行き先を告げた。

「大変ですね、市役所さん。」

 タクシーの運転手はそう言った。

「運転手さんと私、会ったことありますか?」

「ありますよ。よく福祉の窓口にいたでしょう?」

「あっ、そうですね。」

「最近、いないけど異動したの?」

「はい。今は別の所にいますけど、来月からは支所の方に行きます。」

「支所って言ったら、飛び地だろう。異動って言っても、転勤みたいなもんでしょう。あんた、ついてないね。」

「仕方ないです。命令ですから。」

「隣りの町は金があるから合併を拒否して、金のない小さな町同士がくっついて、おかしな世の中だよな、本当に。あんたは腐りなさんな。」


 次の日。

 朝早く仕事にきていた結衣に、山岡は1万円を渡した。

「何ですか、これ。昨日の分ならいりませんって。」

 結衣は山岡にお金を返した。

「ごめん、俺覚えてなくて。」

「だったら、忘れましょう。」

 結衣はそう言ってパソコンにむかった。

「今日は眼鏡じゃないのかよ。」

「はい。」

「あと2週間なんだから、目一杯化粧でもしたらどうだ?」

「してますよ、これでも。」

「どこがだよ。渋谷、女、サボってるな。」 

 結衣は少し山岡の言葉が気になったけれど、

「もう、仕事してください!」

 そう言ってその話しを切り上げた。

「渋谷、送別会の事なんだけど…。」

 2人の間に入ってきた川井が結衣に聞いた。

「なんですか!まだ何かありますか?」

 結衣が少し苛ついていると、

「ごめん。忙しかったな。」

 川井が言った。

「あっ、川井さん、すみません。山岡さんかと思いました。だって、さっきから山岡さんが、おかしな事ばっかり言うもんで。」

 結衣はそう言うと、

「そっか。俺と川井を間違えたのか。なあ、渋谷、せっかくだから盛大にやろうよ。」

 結衣の言葉を遮って山岡が答えた。

「ですよね~。俺もちょっと課長に言いたい事があって。」

 川井はそう言った。ムスッとしている結衣を見て、

「渋谷も言いたい事があるみたいだから。俺と川井で仕切るから、安心しろ。来週の金曜日、開けておけよ。」

 山岡はそう言った。 

「渋谷さん、総務課長から電話。」

 河田課長が結衣に言った。


 石山に呼ばれ、昨日の相談室に向かうと、支所の上司が石山の隣りに座っていた。

「はじめまして、支所長の澤山と言います。」

「はじめまして、渋谷と言います。」

「渋谷さん、家はどうするの?ここからなら毎日通えないだろう。」 

「そうですね。急だったので、まだ何も。」

「じゃあさ、教員住宅が空いているからそっちに住むのはどうだろう。ほら、学校も統廃合になっていくから、住宅が余ってきてるんだよ。」

「いいんですか?」

「いいよ。河田くんがいろいろ手続きをしてくれるそうだから、渋谷さんは引っ越しの日だけ決めてくれればいいから。」

 澤山はそう言った。

「渋谷さん、今のアパートは引き払うのかい?予定では1年間で異動にしようと思っているけど、新人がはいらなかったら、もう少し長くいてもらうつもりだから。」

 河田の言葉に結衣は、これが現実なんだと改めて思った。

「少し、考えます。」

「実家はこっちじゃないんだろう?」

 澤山が言った。

「渋谷さんは秋田だったよね。こっちの大学を卒業して、ここに入ってくれた。」

 河田が言った。

「そうです。」

「じゃあ、実家に戻るわけにもいかないか。二重に家賃がかかるから、アパートは引き払った方がいあかもね。もちろん、うちは最大の配慮はするつもりだけど。」

 澤山はそう言ったが、結衣は気が引けた。


 席に戻ると、

「なぁ、総務課長はなんて?」

 山岡が聞いてきた。

「家の事です。」

「引っ越すのか?」

「はい。」

「だって、少しの間だろう。来年新人が入ったら、こっちに戻ってくるって聞いたぞ。」

「ねぇ、山岡さん。税金って、何に使われてるんですかね?」

「なんだよ、小学生みたいな質問するなよ。」

「一生懸命働いて治めた税金が、私の引っ越しの肩代わりしてるなんて、変ですよね。」

「何言ってんだよ。渋谷だって税金納めてるだろう。」 

「よくわかりません。ここにいると病みますね。」

 結衣はそう言って電話を掛けた。


 昼休み。

 アパートの大家に連絡をすると、急過ぎると散々嫌味を言われ、食事をする時間がなくなった。




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