13章 深い傷
女性は結衣に、林紗佳と名前を告げ、城田と同じ教師をしていると話した。
「潤の彼女なんでしょう?」
結衣は紗佳の言葉に黙って下をむいていた。
さっきからこっちを見ている澄んだ瞳が、自分の醜さをひとつずつ指摘しているようだ。吸い込まれそうなその視線になんとか疲れた目を合わせると、あっという間に自分は彼女の影になる。
キレイな人。
こんな傑作と出来損ないの自分を並べるなんて、神様は酷な事をする。
「潤は私の事なんか、初めから好きじゃなかったのよ。」
紗佳はそう言った。
「彼はなんでも器用にこなすじゃない。何をしても安心できるっていうか。だから、きっと幸せにしてくれるんじゃないかって私の勘違い。ねえ、あなたは潤のどんな所が好き?」
「なんていうか、なんだろう。」
結衣が言葉に詰まっていると、
「不器用ね。潤はこんな子のどこが良かったんだろう。」
少し沈黙が生まれた後、
「ひどい格好ね。せめて髪くらい染めたらどう?」
紗佳からいい香りが漂う度に結衣は恥ずかしくなって、前髪を触わるふりをして顔を隠した。
「最後の恋だって思ったのに。」
紗佳はため息をついた。
「あの、」
結衣は紗佳に言葉を投げかけると、
「振ったのは私よ。それを言いたかっただけ。」
紗佳が言った。
紗佳の車を降りて、自分の車にむかう。
凍ったアスファルトが月の光りに照らされて、キラキラと光っている。
はぁ~っと息を吐いて手を温めると、白くなったため息はぽとりと地面に落ちた。
あんな風にどこから見ても絵になる女性と、不恰好な自分が同じ人を好きになるなんて。城田は本当の気持ちを隠して、自分の所へきたのかもしれない。それはそれで、いいのかな。いや、よくないよ。どうやって城田の気持ちを確かめたらいいのかな。確かめた所で、その先に納得する答えがあるのかな。
土曜日。
溜まっていた報告ものを処理するために、職場へやってきた。
静まり返った庁舎の中は、自分の足音が響いている。早く片付けて、家に帰ろう。今日は城田と会う約束をしているのだから。
パソコンにむかい、カタカタをキーボードを打っていると、元彼の笹本が結衣の方にやってきた。
「よう。」
「あっ、おはよう。」
笹本がここへくる用事はなんだろう。同じ職場と言っても、自分がいる場所は、他の部所の人とは関わりの少ない場所だ。
結衣は素っ気ない態度で笹本に挨拶すると、周りに誰もいないのを見計らって、笹本は結衣の隣りの席に座った。
「残業か?」
「うん。」
結衣は笹本と目を合わせずに答えた。
「お前が普通の格好してるなんて珍しいな。この頃はずっと作業着だっただろ。」
笹本はさっきから自分の方を見ている。
「もう3年になるな。」
自分の方に椅子を引きずって近づいた笹本は、
「先月子供が生まれたんだよ。」
そう言って結衣にスマホを見せた。
「おめでとう。」
結衣はスマホを見てすぐに、パソコンに視線を戻した。
「可愛いなとか、俺に似てるだとか、そんな言葉はないのかよ。」
笹本は結衣の目の前にもう一度スマホをむけた。
「可愛いね。」
結衣はそれだけ言うと、笹本のスマホを避けてるようにマウスを動かす。
「相変わらず冷たいな。別れる時だってもう少し泣くのかと思ったのによ。」
笹本の話しなんかに、乗せられている場合ではない。結衣は引き出しから、書類を出して読み始めた。
「女ってわかんねぇわ。」
笹本はまだ話しを続けている。
「お前、俺の事、まだ好きなのか?」
「もういいでしょう。仕事させてよ。」
結衣は席を立った。
「なぁ、連絡先って今もそのままか?」
結衣のカバンの中から着信が聞こえている。
「今度、2人で会わないか?」
ちょうどそこに岡島が来たので、笹本は去っていった。
「岡島さん、仕事ですか?」
「忙しくて先週の伝票、溜めてたから。」
「伝票打ちなら私がやりますよ。」
「本当に?それなら頼むよ。俺は予算の方を先にやってしまいたいから。」
岡島はそう言って席についた。
昼前に終わると思っていた仕事は、夕方までかかった。急いで玄関を出て家にむかうと、細かい雪が雨の様に降ってきた。
まつ毛の上に雪が乗っかり、瞬きをしているうちに、目に何かが入った。
「やばっ、」
片方のコンタクトが落ちてしまった。雪の中をぼんやりと立っていた時、結衣の前に車が停まった。
「何度も電話したのに。」
城田が結衣の腕を掴んだ。
「ごめん、気づかなかった。」
城田は結衣についた雪をほろうと、助手席に乗せた。
「ぼーっとして、どうかしたか?」
城田が言った。
「コンタクト、落としちゃった。」
結衣は片目を手で覆った。
「どうせ家についたら外すんだろう。」
「うん、そうだけど。」
周りの景色はぼんやりしているのに、雪の白さだけが眩しくてやりきれない。
「なんか食べて帰るか?」
「ううん。夕飯の材料は買ってあるから。」
「そっか。楽しみだな。」
「ねぇ、城田さん。私といてもつまらないでしょう?」
結衣はうつむいてそう言った。
「なんでだよ。急にそんな事いうなんて、なんかあったのか?」
「なんとなくそんな風に思っただけ。」
頭の中には、綺麗な紗佳の横顔が浮かんでいる。紗佳が自分の前に来たと話したら、城田は職場で紗佳の事が振り返ってしまうだろう。これ以上、彼女の事を気にさせてしまったら、こんな自分なんか、すぐに捨てられる。本当、なんで紗佳の同じ人の事を好きになってしまったんだろう。
「つまらないかどうかって言ったら、つまらないかもな。」
「やっぱり…。」
結衣はあぁ~っと思い、目を閉じた。
「心配するなって。そんな浅い感情なんかじゃないから。もっと深い感情で人を想ったら、そう簡単には好きとか言えないよ。」
夕飯を終え、止まない雪をカーテンを開けて見ていると、浴室から城田がやってきた。
「紗佳が来たんだろう?」
城田が言った。
「知ってたの…。」
結衣は城田の顔を見た後、足元に視線を落とした。
「渋谷と会ったって、話していたよ。」
「キレイな人だよね。羨ましい。」
城田はクスッと笑った。
「何?」
「渋谷、紗佳も羨ましいって言ってたよ。」
「なんだろう。からかわれたかな。」
城田は結衣の肩を抱くと、
「少し太ったか?」
そう言った。
「ダメなの、太ったら?」
結衣は少し拗ねてそう言うと、
「嘘だって。」
城田は結衣を抱き寄せた。
「今の言葉、けっこう傷は深かったよ。」
結衣はそう言うと城田から離れ、ストーブの近くに腰を降ろした。
「今日は寒いね。」
結衣が言った。
「けっこう冷えてきたな。」
城田は結衣の隣りに座った。
「城田さんは冬は嫌い?」
「そうだなぁ。どっちかと言えば嫌い。」
「じゃあ、私とは合わないや。」
「渋谷は冬が好きなのか?」
「うん。夏は虫が多いからね。」
「夏は蜂退治とかしてるんだっけ。」
城田は結衣の髪を撫でた。
「蜂だって、嬢王蜂を守ろうとして必死だよ。生まれた時からずっと働き蜂って、泣きたくなるね。」
「仕事、辛いのか?」
「ううん。」
「俺が本庁で休んでた時の話し、聞いてたか?」
「それ、少しだけ聞いた。」
「そっか。」
「本当は、何があったの?」
結衣は城田の顔を覗いた。
「ごめん、嫌だったら話さなくてもいいから。」
結衣はそう言って目をそらした。
「ちゃんと話すよ。紗佳の事もあるからさ。」
城田は結衣の方に体をむけた。
「俺、わりと期待された方だったし、なんでもうまくいってて、仕事なんてこんなもんかなって思ってた時だよ。俺があの親子の家に行って、帰る時だよ。俺の服の袖を掴んだ男の子は、自分が母親に殺されるかもってわかっていたのかもしれないし、俺に助けを求めていたのかもしれないし、今でももう少しあの親子と話しをしていたら、あの男の子は生きていたのかなって思うと、だんだん辛くなってさ。時々夢に出てくるんだよ。渋谷と一緒にいると、そんな夢を見ても辛くないのに、ダメなんだよ、俺。」
結衣は城田の手を握った。
「そっか。城田さんはその子が言いたかった言葉を探しあげないと。」
「渋谷、この前また夢を見てさ、俺はあの子と同じように渋谷の袖を掴んでた。ずっと過去を離さないのは、俺自身なんだよ。」
「城田さん、」
「ん?」
結衣は城田の服の胸の部分を、自分に寄せた。
「してもいいでしょう?」
そう言って城田の唇に近づいた。
「いいよ、ほら。」
城田は結衣の体を引き寄せた。結衣は城田の肩に手をおくと、ゆっくり城田の唇に近づく。
お互いの唇同士が軽く触れると、城田は結衣の後頭部に手をあてて、深く口づけを交わした。
雪が降っているのも気が付かない静かな夜は、ストーブの明かりが2人を照らしている。
言えなかった言葉は、足元に積もっては溶けてなくなり、また明日の朝には足跡がつくほどに一面にまた白く敷き詰めているだろう。
本当に好きなのかって聞かれたら、なんて答えが正しいのか。運命だとか、真実の愛だとか言われても、それは少し自信がないや。
痛むくらいの恋をしている自分は、これ以上に辛い気持ちなんてないんじゃないかと勘違いをしている。
「城田さん、雪かきしてこないと。」
結衣は思い出したようにそう言った。
「今からか?」
「だって、玄関が開けなくなったら困るし。」
「大丈夫だよ。もうすぐ雪は止むから。」
城田は結衣をきつく抱きしめた。




