秘めた手と道標1
えっ?
私の心の声に反応したかのように、ゆっくりと本が落ちていく。
左右の本はしっかりと隙間なく並べられているし、本棚を揺らしたり私が本を引っ掛けたわけでもない。
あまりにも不自然に、ある意味自然に本は落下していく。
ことん。
静かに、ほのかな光を帯びて床に落ちた本は、着地と同時に光を失っていた。
もしかして、私、魔法とかのスキルが上達した?これってすごいことじゃない?
落ちた本を拾うと表紙に書いてあるタイトルに目をやった。
「人気の指輪と剣の日常スタイル指南書」
人気の指輪というのはまだわかる。人気のブランドや人気のデザインの事だろう。
でも剣?やっぱりここの本の品揃えがわからないし、他の本屋では見たことがない本ばかり。そして、意味もわからない。
人気の指輪ブランドと剣の共通点が全く見当たらないし、それを日常使いとしてどう取り入れていくか?なんだそりゃ。
これが物語なのか、参考書なのか。物語ならタイトルがめちゃくちゃでも別に違和感はない。ただ文字通り指南書なのだとしたら、どんなことが書いてあるのだろう?
見たい、見たくてたまらない。見なきゃいけない。
なぜだろう、意味不明なタイトルだから中身が見たいという衝動だけではないこの感情。
あまり高くなかったら買うのもありかな……立ち読みとかまずいしな。そんなことを考えていた私の後ろから
「あーあのう……」と、話しかける声がした。
うわぁ!
思わず大声が出そうなほどびっくりした。あの店員さんが真後ろに立っていたからだ。
「あっ……すみません!本落としちゃって!買います!買わせてください!」
結局かなり大きな声で、しかも怪しさ満載のたどたどしい口調でお辞儀までして返事をした。
ふっ
頭を上げた時、あの紫のビー玉が私の顔をまじまじと見て
そして笑った。
「買うとか、そういうのはしなくていいです。君、面白いね。」
顔から火が出そうだった。いや、実際出ているかもしれない。
もう顔どころか、身体もめちゃくちゃ熱くなっているのがわかる。
「いえ!この本すごく読みたいですしっ!買います!買わせてください!」
更に大きい声で、拾い上げた本を彼に押し付けるように渡した。
彼は一度本を手に取り、そしてそれを私に押し戻した。
「本を気に入ったんだから、これはあなたの本です。俺はその事に何も言えないし言うつもりもありませんから。」
彼の言葉にほんの少しの違和感を覚えたが、とりあえずもう一度彼に本を渡し
「すみません、ちょっと不審者みたいになって。本当にタイトルが気になって。読みたいので買います。会計お願いしますね。」
今度はできるだけ平静を装い、落ち着いた声で話した。
「会計……あっ!そうか!そうですね!こちらへどうぞ。」
人の事は言えないが、大丈夫かなこの人。どことなく会話が噛み合ってない気もするし。
店員さんは店中央の先ほどいた位置まで戻り、机の下でゴソゴソと手を動かしていた。
「会計です。どうぞ。」
ずしっとおもむろに布の巾着を机の上においた。金属のこすれる音がガシャガシャと鳴った。
「これは?お会計って本を買うほうが払うんですよね?」
私、今普通のお買い物の流れを言ってるよね?いつから買う側がお金を支払われるシステムに変わったのだろう?
「あと、入り口は店の突き当りに扉があるので本を押し当ててもらえば大丈夫です。」
私の顔は、おそらくめちゃくちゃアホ面だったと思う。さっき大声を出したときよりも口を大きく開けていたかもしれない。
彼はさも当たり前のようにこの一連の流れを私に話しているが、そもそも入り口は入ってきた扉のことではないのか?ちなみに入ってきた扉は店の突き当りではない。しかも「出口」ではなく「入り口」と。これ以上なんの入り口があるのだろう。店が実は広くて扉が2段階にあるとか?
「あ……またやっちゃった。これだから、よく周りから説明が足りないとか、丁寧に案内しろとか言われちゃうんですよね。すみません。」
足りないどころではなく、はじめから、1からお願いします。
「まず、あなたが落としたこの本。実は俺も中身は知らないしタイトルの意味もわかりません。なぜなら、俺はその本に全く興味がないから。」
彼はニコニコと本を指差しながら言った。
私はといえば「あなたが落とした」と思われていることにとても罪悪感と、そしてそれを否定しなければと今度は少し青くなったかもしれない顔を向けて話した。
「言い訳に聞こえるかもしれないけど、私本には触ってません。届かなかったし、(来いって言ったら)落ちてきたんです。」
来い、の部分はゴニョゴニョとわざと小声で聞こえないように話した。
「落ちてきた?落としたのではなくて?」
彼は驚いたように言った。
やはり、店の本を落とされたとそう思っているのだろうか。だから買うって言ってるのに……。
「それはものすごくレアケースですよ!本を選んだのではなく本に選ばれたんですね!先代からそんな話は聞いていたけど、まさか自分がお目にかかれるとは!」
紫の瞳を更に一層キラキラと輝かせながら私を見た。
もう何を言っているのか私には理解できなかった。私だって魔法や剣の話、異世界の話となればそれなりに会話に参加できる自信がある。
ただ、それが本屋による本のための本の話みたいになってると意味が全くわからない。
「そういう事ならなおさら、すぐにあちらの扉を使ってください。俺も入り口で詳しいことを説明しますから!その本はしっかり持っていてくださいね!」
私は左手に本をぎゅっと抱えたまま、右手を彼に強引に引っ張られ奥へと進んでいった。