表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法使いと弟子  作者: シシトウ
3章 魔法使いの弟子
9/30

(3)



     *



 シャロンがシュイッドの森に来てから、五年の月日が流れた。


「先生、朝です! 起きてください!」


 寝ているアーサーの毛布をシャロンが容赦なく引っぺがす。十歳になったシャロンは、快活な少女に成長していた。折れそうなほどに細かった手足は健康的に肉がついてすらりと伸びている。腰まで伸ばした白金の髪は、その背で緩く波打っていた。


「先生、今日は魔法大学校での講義のあとに、宮廷の魔法院でいくつか決裁していただくのと、軍からも手紙が届いています。魔法戦闘の指導にご助力願いたい、と」

「――嫌だ」


 寝台の上で丸まったアーサーが、目を開けないまま掠れた声で呟く。アーサーは光の魔法使いのくせに宵っ張りの朝寝坊だった。だが物音には敏感なので、シャロンがアーサーの部屋に入ってきたときには既に目を覚ましていただろうに、起き上がるのは億劫なのか、こうしてシャロンが毛布を引き剝がすまで微動だにしない。昨夜も遅くまで地下の実験室にこもっていたのをシャロンは知っていたが、彼の仕事に穴をあけさせるわけにはいかないので、シャロンは心を鬼にして、毎朝アーサーを起こす役を買って出ていた。ちなみにロバートは、寝起きのアーサーは機嫌が悪すぎるのでそもそも近づかないようにしている、と以前のたまっていた。触らぬ神に何とやら、だった。


「今、イヤと仰いました? 私の空耳ですか?」

「……嫌なもんは嫌だ。ご助力という名の、命令だ」

「ご理解なさっているようで何よりです」


 最近、こういう軍からの手紙は多い。アーサーは手紙を開きはするが、最終的には直談判されてやっと依頼に応じるため、弟子のシャロンが自然と両者の窓口になっていた。シャロンの口から伝えられたほうが、師のアーサーも従ってくれる確率が高い、との言説が宮廷や軍ではまことしやかに囁かれていた。そしてそれは気のせいなどではなかった。


「ほら、先生。今朝はパンケーキ、きれいに焼けたんですよ。蜂蜜とバターも用意してあります。一緒に食べましょう。冷めちゃいますよ」


 シャロンが厨の火元に立つことを許可されたのはつい最近だった。火の魔法使いであればアーサーも特に心配しなかったかもしれないが、自分の見ていないところで火を扱わせたくないと言って、アーサーはシャロンをかまどの前に立たせなかった。最近、シャロンが闇の魔法を使って瞬時に火を消すことができるようになったのを見て、アーサーはようやく首を縦に振った。過保護のわりに、朝は一向に起きてこないが。

 ロバートにそれを伝えたら、「シャロンに起こされたいんだよ」と彼は顔をニマニマさせて笑った。だがそのあとどこからか現れたアーサーに、「――おっさん。今、首を動かすなよ」と暗器で背後から首を刺されそうになっていた。

 シャロンから肩をぐわんぐわんと揺らされてやっと観念したのか、むくり、とアーサーが起き上がる。ふあぁ、と大きなあくびを漏らし、眠い目をこすりながらシャロンを見て、「……おはよう」とアーサーが呟いた。


「おはようございます。新聞は食卓で読まれますか? それともお昼に大学校で読まれますか?」

「今から読む。ありがとう」


 アーサーが起きたらすぐに顔を洗えるよう、井戸から水も汲み終わっているし、新聞もシャロンが郵便受けに早朝取りに行って、高級紙も大衆紙も既に読み終わった。わからない単語が出てきたらその都度辞書を引いている。国内政治や各国の動向、貴族のゴシップから大衆小説の連載までシャロンは毎朝楽しみに読んでいた。

 このシュイッドの森の家まで、アーサー宛の手紙や新聞は、送り手側の魔法で毎朝郵便受けに届く。アーサーが手洗い場に向かうのを見送って、シャロンは朝食の仕上げに取りかかった。









 シュイッドの森から魔法大学校までは、シャロンは相変わらずアーサーに抱えられて通っていた。シャロンも五歳の頃からだいぶ背が伸びた。一度恥ずかしくなって、「あの、抱っこは、もう、いいです……」とシャロンは遠慮したが、「俺を足に使えるのなんて、今ぐらいだぞ。もう少ししたら、お前の魔法も安定するだろうから」とアーサーは意味深長に笑って言った。

 今日の講義は、魔法の実戦訓練が主な内容だった。軍から魔法大学校への要望で、以前より戦術や戦闘に関する講義が増えていた。

 同属性どうしの魔法使いの戦いはどちらかが体力を疲弊するほか決着がつかないことも多い。そのため軍に所属する魔法使いは、得物を必ずローブの下に隠し持っている。例えばナイフや剣など近接戦に特化した武器や、銃や弓などの飛び道具である。だからアーサーも、同じ光の魔法使いであるロバート相手には、魔法で痛めつけられないと知っているから、「刺す」と物騒なことをいつも言っているのだろう。

 魔法使いは自身の能力を過信する傾向があるため、得物の使い方を学生のうちから学ばせておくに越したことはないのは事実だった。魔法使いとはいえ、生身の人間であることに違いはない。油断していると、魔法ではなく物理攻撃で大損害を与えられてしまうという事態も想定される。

 剣や銃の使い方だけでなく、アーサーは躰の一部を一瞬だけ、元素(エレメント)に置き換えてそれを防ぐ方法を教えていた。これは高等魔法であるため、まだできない者が大半だったが、魔力量の多い者ほど勘所を押さえやすいのか、相手に小石を投げさせ、元素に変化させた躰の一部分を貫通させることに成功していた者もいた。だが、衣服の元素変換まで咄嗟に、かつ感覚的に行うのは難しいのか、腹と背の部分だけ衣服を焦がしたり、水浸しになる者も多かった。

 実戦では、光の魔法使いの攻撃や銃弾に対し、他の魔法使いは元素変換が間に合わないことのほうが多いという。アーサーは、「この元素変換が瞬時にできるようにならないと、そもそも魔法使いを戦場に出すことはできない」と告げた。大学校では高等魔法に分類されるが、軍では初歩中の初歩にすぎないという事実に、卒業を控えた四年生の顔は暗澹たるものだった。

 シャロンは、元素変換――つまり、自分の躰を含め、あらゆる物質を闇に変えるのは得意としていた。そしてそれを元どおりに戻すこともできる。不可逆から可逆へ、魔法使いはそれを事もなげに成し遂げる。だから、魔法、といわれるのだろう。

 学生との戦闘訓練で、アーサーが手をトラウザーズのポケットから出したのをシャロンは見たことがない。あらゆるものを焼き尽くすような火炎も、高圧でぶつけられた水も、立っていられぬほどの地震で足場を崩されても、すべて光の防御魔法ではじき、あるいは躱して、一瞬の隙を突いてアーサーが反撃する。

 しかし今日、教授どうしの公開模擬戦闘(デモンストレーション)の場面で、アーサーは最初から両手を出していた。相手は闇の筆頭魔法使いで、魔法大学校では物理学を担当している教授だった。アーサーも学生時代に彼の教えを受けていたという。

 制空に重きを置く光と風の魔法使いにとって、模擬戦闘では地から足を長く離せないのは不利である。しかしアーサーは微塵もそれを感じさせず、すべてを呑み込もうとする闇の魔法を相手に、魔法書には載っていないような高等魔法を次々と繰り出して応戦していた。

 光と闇の魔法がぶつかり合うのは、正に神々の戦いのようだった。アーサーが放った雷撃が闇の渦に吸い込まれていく様など、公開模擬戦闘にふさわしい圧巻のパフォーマンスであった。両者には割れんばかりの拍手が見学者から送られた。


「はあ……。ホリンシェッド先生、かっこよすぎない?」

「まだ二十二でしょ? 私ら同い年よ」

「しかも伯爵家の次男」

「嫁ぎたいぃ」

「爵位は先生のお兄様が継がれるのだろうけど」

「それでもいいぃ」

「あの家柄と能力で縁談が来ていないわけないでしょ。ほら、アーデンフィルド侯爵家って娘しかいないじゃない。最高の娘婿候補よ」

「聞いた聞いた。ホリンシェッド家には山のように釣書が届いてるって。縁談だけじゃなくって、他国の魔法院や軍からも引き抜かれそうになってるってウワサ」

「ひぃぃやめて。そんな状況、想像しただけでも恐ろしいわ。先生と戦って勝てるわけないじゃない……」


 見学の女生徒たちはほぼ全員、アーサーの戦う姿に見惚(みと)れていた。シャロンが後ろに控えていることにも気づいていないようだ。

 シャロンだって、初めてかっこいいと思った男性はアーサーだったし、今でも彼以上の魅力を備えた男に会ったことがない。女生徒や貴族の令嬢のみならず、国の重要機関や他国までが虎視眈々と彼の去就に注目していると知って、シャロンはなぜか、一抹の不安と心細さを感じた。

 今のところアーサーに一番近い存在は弟子のシャロンである、と断言できる。もう一緒に寝たり、風呂に入ったりはしていないけれど、アーサーの着替えだって何回も見ているし、朝にうっすらとひげが生えた貴重な姿だって毎朝見ている。大学校でのアーサーは、確かに壇上に立つ教授らしくタイを結び、アイロンを当てた清潔なシャツに身を包んできちんとしているように見えるが、部屋はすぐに散らかすし、面倒くさがりで、基本的に不器用だ。シャロンは知らないだけかもしれないが、この五年間で女性の影を感じたこともない。

 今となってはシャロンがアーサーの世話をできるようになったが、シャロンが小さい頃は、お漏らしの後片づけだって、アーサーにさせてしまったことがある。「壮大な世界地図だな」とアーサーはシーツを広げて笑っていたが、今思い出しても顔から火が出るかと思ったほど恥ずかしかった。

 家柄なんて、能力なんて関係なく、普段のアーサーがシャロンは好きだった。彼以外に大事な存在なんていなかった。


(……あの人たちは、先生と、肩を並べるんだろうな)


 女生徒たちは、シャロンよりもずっと背が高くて、女性らしい体つきをしている、とローブの上からもわかる。歳も同じで、アーサーの隣に並ぶと、さぞお似合いに違いない。

 シャロンは、「……いいな」と口の中で小さく呟いた。自分なんて、まだ腰のくびれもなければ胸も真っ(たい)らだし、誇れることは、アーサーの弟子、であるという事実以外に何もない。シャロンは、ただのシャロンだ。魔法大学校にまで通える者の中で、家名がない者は珍しかった。

 弟子は、師の背を追う存在だ。いつか、隣で肩を並べたいだなんて、思ってはいけない。これは、おこがましい願いなのだ。

 シャロンは何も持っていない自分の手のひらを見つめ、はあと深く溜め息をついた。









「……先生」

「ん?」


 翌日、朝食の場で新聞を読むアーサーに、シャロンは意を決して尋ねてみた。


「先生は、ご結婚、されるのですか」

「――誰かから、何か聞いたのか?」


 アーサーが、新聞を下げてシャロンを見る。彼の眉が訝しげに動いた。もう読み終わったのか、あるいは今はもう続きを読む気がなくなったのか、アーサーが広げた新聞を畳み始める。


「……魔法大学校で、その、先生に、ご縁談がたくさん来ている、と耳にして」

「――確かに縁談はいくつかホリンシェッドの家に届いているが、俺に来た分はすべて断るよう伝えている。お前が一人前の魔法使いになるまで結婚はしない」


 後ろ髪をガシガシと搔いて、縁談など至極煩わしいとでも思っていそうに、アーサーが眉を顰めている。最後に付け加えられたアーサーの言葉に、シャロンは、ほっと安心するのを正直に感じた。


(そうか。先生のお兄様も、結婚適齢期、というやつなのか)


 噂に上っていたホリンシェッドへの縁談は、すべてがアーサーに向けたものではなかったのだろう。アーサーには二つ歳の離れた兄がいることをシャロンは知っていた。アーサーの家族は、アーサーだけが魔法使いであるという。彼が生まれる前に他界していた曽祖父が、高名な光の魔法使いであったらしい。

 シャロンのように山を消しはしなかったが、アーサーも幼少期に家を一棟(ひとむね)爆破させたことがあるという。幸い、怪我をした者は誰もいなかったが、幼少期は力を抑えるため、家に代々伝わっていた闇の守り石を首から提げていたとのことだった。

 家族間の中は特段悪くはないという。ただ、両親は普段王都から離れた領地にいるし、十のときに家を出てからは、アーサーが自分の(みち)を歩み始めたのもあり、関係は少々希薄だという。それはアーサーの性分によるところが大きいのだろう。


「本当、ですか?」

「ああ」

「一人前の魔法使いには、何歳くらいでなれますか?」

「さあ。十七とか?」


 アーサーがシャロンの淹れた紅茶を口に含みながら首を傾げる。十七歳。アーサーが、魔法大学校を卒業した歳だ。

 シャロンが十七の頃にはもう、アーサーは三十路の一歩手前。子は宝だ。赤子の死亡率は決して低くなく、無事に産まれても健康的に育つとは限らない。二十代の前半で結婚したロバートも、最初の子を産まれてすぐに亡くしているという。その後、彼は二人の子に恵まれたが、結婚は躰が成熟して以降は早いに越したことはないのだろう。アーサーが二十代のうちに結婚をせず、子も残さないのは魔法使いにとっても、国家にとっても損失な気がしてならなかった。


「俺は結婚に興味がないからいいんだよ。長男でもないし、継ぐ爵位もないから。それに、偉大なる魔法使いは血統がすべてじゃない。現にお前のように市井から生まれてくる者もいるんだ。魔法使いの子が魔法を扱えるとは限らないしな。隔世遺伝が多いのは事実だが」


 シャロンの表情が曇っていくのを見逃さなかったアーサーが、肩を竦めながら事実を語る。

 確かに、アーサーの言うように、子が元素の力をもって生まれるかは、まさに天の采配である。王族や貴族だから多く生まれるというわけでもない。実際、王族の元素使いは今の時代にいないという。ただ、アーサーは魔法院や王族からもさっさと結婚して子を成すことを切望されているらしい。それもシャロンは噂で知ったが、全部が全部嘘ではないように思えた。アーサーの子が魔法使いにならなくとも、その孫やひ孫が彼のような力をもって生まれてくるのを周囲は半ば確信しているのだろう。


「他人の言葉や根も葉もない噂を信じるな。俺の言葉を信じろ」


 アーサーの、銀鼠色の瞳がシャロンをまっすぐ見つめる。シャロンは彼の瞳の色も好きだった。彼女は「――はい」と小さく頷いた。

 アーサーは、シャロンが他にも色々な噂を耳にしたことを察しているのだろう。人の口に戸は立てられないが、噂には必ず憶測や話者の主観が入り混じり、尾ひれがつく。シャロンだって、すべての噂を鵜吞みにしたわけではない。ただ、貴族にとって結婚とは、個人を超えて家どうしの結婚といわれるように、アーサーの意志を超えたところで決められることもあるのではないか。昨夜は眠りにつくまでそんなことを悶々と考えてしまい、埒が明かないので、こうして本人に尋ねることにしたのだ。

 もし近い将来、アーサーに好いた女性や婚約者ができたとしても、おそらく彼はシャロンに嘘偽りなく伝えてくれるだろう。シャロンはそのとき、心から「おめでとう」と言えるだろうか。

 淹れたときはいつも通り香りよく感じられた紅茶が、今飲んだら、シャロンの舌には、苦く、渋く感じた。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ