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結晶魔石が完成してから、アーサーはシャロンを街中や魔法大学校に連れ出すようになった。あの、「百年に一人の天才」と称された若き光の魔法使いが、小さな弟子を連れている。しかも手を引いて。アーサーの手が塞がっているときも当然あるが、そのときはシャロンが、トトトトッと彼の姿を一心に追う。まるで親鳥の後を追う雛のようだった。
大学校でアーサーは、最高学年である四年生の講義を担当していた。「高等魔法(実戦編)」「特効薬と毒薬」「レオルグ王国の歴史(古代史)」「光魔法と時空の関係」など、シャロンにはまだ理解が及ばない高等科目ばかりだったが、学生でもないのに講義室の片隅でアーサーの語りに耳を傾けられるのは弟子の特権と言えた。
講義に関係のある図鑑を眺めたり、アーサーが黒板に白墨で書き留めた言葉の意味を辞書で引いたり、自分で綴りを紙に書いて練習したりする。アーサーの講義は人気なようで、この講義のためだけに正課生の倍以上の授業料を納めた学外からの聴講生たちで講義室は溢れかえるほどだった。妙齢の女性の比率が多いのは気のせいではなく、アーサーを娘の結婚相手にと画策する親の差し金によるものだった。黄色い声に嫌気の差したアーサーは、毎回小テストを実施し、三回不合格した者たちについては講義室から容赦なく追い出していった。
「聴講は金さえ払えば誰にでも認められる権利だが、学ぶ意欲のない者は真剣に学問を追究せんとする正課生の邪魔になる。そもそも魔法使いじゃないのに魔法大学校に来る意味がわからない。法科大学校でも医科大学校でも陸軍大学校にでも好きに行ってくれ。貴様らに門戸は開かれている」
アーサーを誘惑せんと着飾った令嬢たちに対し、塵虫を見るような目でアーサーは吐き捨てた。そのときは、シャロンの背すじにも恐れで悪寒が走った。
「ホリンシェッド先生、質問してもよろしいでしょうか」
平和が戻りつつある講義は、自由闊達な議論の場が確保されていた。四年生にもなると、二十二歳前後の学生が多く、みなアーサーより年上である。しかし学生はアーサーを羨望と尊敬の眼差しで見つめていた。講義後はアーサーと一言だけでも言葉を交わしたい学生たちがアーサーのもとに詰めかけた。
ある日、アーサーと揃いの色のローブを身に着けた少女の存在に、ずっと気づいてはいたが、尋ねられなかった学生たちを代表して、ひとりの学生がアーサーに尋ねた。
「あの子は? 先生のご親戚ですか?」
「弟子だ」
「で、弟子っ!?」
アーサーの返答に講義室がざわめく。親戚の子守りでも任されているのかと学生間では推測されていたが、まさか弟子だったとは。結晶魔石で魔力を抑えられたシャロンは、学生たちの目にも普通の少女のように映った。
シャロンが大勢の学生たちにわらわらと囲まれる。学生はみな若く、小綺麗で、清潔感のある出で立ちだが、シャロンにとって好奇の目に晒されるのは、それが嫌悪の目ではないとわかってはいても、あの村での出来事を少し思い出しそうになり、恐ろしく感じた。
「君、幸運だなぁ。ホリンシェッド先生の弟子になれるだなんて」
「先生はすごいんだぜ? 開校以来の天才なんだ」
「先生の雷撃見たことある? 見てるだけで痺れるんだよ」
「あれは実際に闘技場全体が感電していたんだろ」
アハハ、と学生たちの笑い声が重なる。学生どうしで模擬戦闘を行った講義のことである。シャロンも離れたところから戦闘の様子を眺めていた。模擬戦闘は公平性を担保するために、闘技場の地面から長く足を離してはいけないという縛りがある。学生の勝者は最後、アーサーと戦うことになったが、アーサーの放った一撃で相手は気を失い、勝負は一瞬でついた。あまりの速さに一同は呆気に取られていたが、「殺さないほうが、加減が難しい」というアーサーの何気ない一言に、見学をしていた者を含め全員が顔を青ざめさせていた。
「シャロン、帰るぞ」
学生の輪の中心で俯いていたシャロンにアーサーが助け舟を出す。シャロンはピョンッと兎の耳のように背すじを伸ばし、帰り支度をしてアーサーのもとに駆け寄った。アーサーの影に隠れるように、シャロンが彼の脚にしがみつく。
「お前ら、あんま怯えさせんなよ」
「すみません、つい……。怖がらせてごめんね」
「ばいばい、またね」
学生たちが優しい声音で次々と謝罪を口にし、シャロンに手を振る。シャロンは小さく手を上げてそれに応えようとしたが、やはり注目されていることに耐えられなかったのか、再びアーサーの影に隠れ、彼の手をぎゅっと握り締めた。
「おにい、……せん、せい」
アーサーに宛がわれた研究室に立ち寄って、大学校の校舎を出たとき、くい、と繋いだ手を引いて、シャロンがアーサーを見上げた。しかしシャロンは言葉を詰まらせ、しゅんと顔を曇らせたまま黙り込んでしまった。
「……どうした」
アーサーが立ち止まり、片膝を地面について、シャロンと視線を合わせる。
シャロンのローブは、裾が地につかないように腰紐で着丈を調節していたが、まだぶかぶかしていた。シャロンが背負っているのは、辞書や図鑑、綴った紙束、羽根ペンとインク壺の入った革製の背嚢だ。アーサーが宮廷ご用達の鞄屋で誂えさせたものだった。講義の日は楽しそうに持っていくものを吟味し、ウキウキと自分で支度をしていたが、今のシャロンは何かが心に引っかかっているようだった。
アーサーがシャロンの両手を取って、ぎゅっと握る。それで、シャロンは口に出す勇気が湧いてきたのか、足元に落としていた視線を上げて、アーサーに尋ねた。
「先生、は、シャロンの先生、ですか?」
「……呼び方なんてどうだっていいが、まあ、そうだな」
実際、アーサーは師であるロバートのことを、おっさん、と呼んでいるし、改まった言葉も使わない。たとえ王族を前にしても、アーサーは話し方を変えない。それなりに敬意や誠意は表するが、媚びへつらうことはない。
シャロンは、アーサーと大学校に通い始めてから、周囲を注意深く観察し、学生たちの発言に耳を傾けていると、わかったことがある。
誰もシャロンのように舌っ足らずな喋り方をしないし、発音も洗練されている。みながアーサーを敬い、家名に敬称をつけて彼を呼ぶ。
シャロンはアーサーの親戚の子でも、家族でもなく、弟子なのである。アーサーは、シャロンの師なのだ。そしてそれは、あの優秀な学生たち全員が羨ましいと思うほどの立場であるらしい。
そう。アーサーは、家族では、ないのだ。
わかっていたことだ。母を亡くしたシャロンに血縁はいない。でも、アーサーは血も繋がっていないシャロンを引き取り、弟子にして、家に住まわせてくれた。そして自らの知識を、智慧を、技を、惜しみなくシャロンに分け与えてくれる。
シャロンには、何ができるのだろうか。何をアーサーに返せるのだろうか。
アーサーに何かを言いたくて、伝えたくて、でも結局何も言えなくなって、シャロンがアーサーの首元に縋りつく。アーサーも、強いてシャロンに尋ねなかった。彼女の躰をそのまま抱き上げ、光の魔法を発動させる。空を飛んで家路につく間、シャロンのお喋りに耳を傾けるのが習慣になっていたが、今日は静かな帰り道になりそうだった。