最終話
魔法大学校を卒業したシャロンは、闇の筆頭魔法使いの座をマクファーレンから譲り受け、そのまま大学校で教鞭を執ることになった。シャロンは軍や魔法院、宮廷魔法使いからも引く手あまたの勧誘を受けたが、闇の魔法使いは隠密に長けていることもあり、国の暗部に関わる汚れ仕事も多いため、アーサーはあまりそれらの勧誘者にいい顔をしなかった。だが、シャロンの進路に口出しは一切せず、彼女が自分で決めるまでアーサーは静観していた。大学校を卒業すれば、弟子は師の手を離れるのが慣例である。シャロンがまだ自分の保護下にあった頃は、軍の勧誘にも目くじらを立て、あからさまに威嚇していたアーサーだったが、今回は彼女の決断を一番に尊重していた。
アーサーは光の筆頭魔法使いとして、再び宮仕えを始めた。以前のように、王宮に研究室は構えず、シュイッドの森の家から王宮には通っていた。週に何度かは大学校での講義も担当しており、忙しいながらも朝と夜は必ずシャロンと家で過ごすことを徹底している。
カレンは天候や風を先読みして、それを人々に知らせる〈風読み〉になった。毎朝の新聞には彼女が前日に記した天気予報が載るため、シャロンはそれを切り抜きする楽しみを得た。さらに彼女は縁があって、ひとりの弟子をとった。カレンと同じ風使いの少女だ。少女の名はヴァイオラといって、カレンの実家であるベルモント子爵領で風の魔力を暴走させてしまったところを保護された。
カレンとお揃いの薄紅色のローブを身に着け、彼女の後ろをトテトテと歩いてついてゆく姿は何とも可愛らしい。養護院育ちのヴァイオラは両親の顔を知らずに育ち、歳は七、八歳頃ではないかといわれているそうだ。
「それで? 晴れて両想いになったお二人は、どこまでいってんの」
「……く、口づけは、してくれる」
「してなかったら驚きよ」
昼下がり、大学校の研究室に遊びに来てくれたカレンとヴァイオラをシャロンが紅茶と焼菓子でもてなす。ヴァイオラは頬袋を栗鼠のように膨らませながら焼菓子を夢中で食べていた。シャロンとカレンが声を潜ませ、少女に聞こえないように下世話な話をする。
「……女としての魅力が、ないのかもしれない」
「ばかね。何言ってんの。シャロンのスタイルで勃たなかったらアーサー様のほうが不全よ」
幼気な少女には本当に聞かせられない話をカレンが平気で語るから、シャロンのほうが冷や汗が出そうだった。
「結婚しないの? まあ、一緒に住んでる時点で、もうしているようなものなんでしょうけど」
魔法使いは、思春期や青年時代に魔法学園や大学校に通うこともあって、気心の知れた魔法使いどうしで結婚することも珍しくない。そんな彼らの多くは弟子をとる前に結婚し、子宝に恵まれ、もしその子が魔法使いならば、育てながら弟子にすることもある。
「……何だか、これ以上望むのが、怖くて……」
「かーっ、シャロンはほんと無欲なんだから。もっと強欲になりなさいよ! 我が儘になって! 男は結局頼られたい生き物なんだから!」
「……カレンは、今、好きな人はいないの?」
「はんっ、私よりも肚の据わった男がいないのよ」
どうやら魔法学園や大学校にも、カレンのお眼鏡に適う男はいなかったらしい。カレンの唯一の不幸は、アーサーの兄であるジークや、自身の兄と弟に囲まれて生活をしていて男の目が肥えていることである。ベルモント子爵の四人の子どもたちは、みな見目麗しく優秀で、カレンの兄は商科大学校を卒業したあとは跡継ぎとして領地に戻っており、姉のエレノアは王立学園を卒業して結婚するまでは王宮に勤めていたし、そして弟は医科大学校に現在通っている。シャロンは、カレンの姉の結婚式で彼らを目にしたことがあるが、ホリンシェッド家も含め、何とも華麗な人たちだろうと思った。まさに住む世界が違う華やかな世界に、シャロンはひとり気後れした。
アーサーと結婚するということは、自分もあの世界に足を踏み入れるということである。
家名ももたない自分と結婚することで、アーサーが周囲から何か言われたらどうしよう。彼の家格を下げてしまうのではないかと、シャロンは案じていた。
「結婚しないの?」
もう一度、カレンに尋ねられたのかと思ったら、声は彼女のものではなく、男性の声だった。
闇の魔法で、研究室に突然、ジルが現れる。
「で、殿下!」
「結婚、しないのかい? ホリンシェッドと」
我が物顔のように余った椅子に腰かけ、長い脚を優雅に組み、ジルが一瞬で研究室の主となる。ジルはいつも何かしらのお土産を携えてくるが、今回は王都でも人気の店で買ってきたらしいケーキだった。
「なんかぁ、これ以上望むのが怖いんですってぇ。贅沢な悩みだわぁ」
「そう。健気なシャロンらしい悩みだね。ああ、ごきげんよう。グレイバート嬢。お元気そうで何より」
「ジル殿下も。イヴァン帝国の西方軍司令様って暇なのかしらね」
一国の皇子に対しても猫を被ったりしないカレンは、そんじゃそこらの男よりも確かに肚が据わっているのだろう。カレンには、ジルとはアーサー繋がりで知り合った、と伝えている。あながち嘘ではないが、いつかボロが出るのではないかとシャロンはひやひやしていた。
「ジル殿下こそ結婚されないんですかぁ?」
「やれやれ。兄上たちと同じことを国外にいても訊かれるとはね。逃げてきた意味がないじゃないか。グレイバート嬢、僕はどうすればいいんだろうね?」
「おほほ。私だったら、もはや結婚目前の女に懸想している未練たらったらの男なんざ真っ平御免ですわ」
うふふ、あはは、とジルとカレンが互いに笑い合う。カレンはジルがシャロンに求婚した日から七年以上の年月が流れているとは当然知らない。
「僕は、シャロンが幸せならそれでいいのさ」
シャロンが用意した紅茶を口に含みながらジルが笑う。ヴァイオラはジルが持ってきたケーキをパクパク食べ、口周りに白いクリームをいっぱいに付けていた。カレンがそれをお手拭きで拭ってやる。
「それに、別れたくなったらいつでも別れるといい」
「そんなことには絶対ならないと思いますけどね」
ふふん、と鼻を鳴らしてカレンが一蹴する。ジルは「まあそうだろうけどね」と肩を竦めながら首肯した。
「君の幸運を、祈っているよ」
ジルがシャロンに、ふわりと優しい笑みを向ける。
ずっと、シャロンは思っていた。なぜジルは、自分を好いてくれたのだろうか、と。
初めは、警戒していた。互いに。それがいつ頃からか形を変えていった。
色んな世界を見せてくれた。シャロンの世界を広げてくれた。
――見るといい。この広い世界を。自らの眼で。そして感じるといい。森羅万象を。そこに生きる人の営みを。だが、目に見えるものだけに惑わされるな。事実と、歴史と、物語の違いを見極めるんだ。
ジルと過ごした四年間は、シャロンにとって、己の価値観に多大なる影響を与えたものだった。
彼の、嘘偽りなく自分を想ってくれる言葉に、シャロンはただ感謝した。
「ただいま」
「おかえりなさい、先生」
シュイッドの森の家に帰宅したアーサーをシャロンが出迎える。最近、アーサーは忙しくしていた。犬猿の仲とも言えたイヴァン帝国とレオルグ王国は、このたび軍事同盟を結ぶ運びとなるらしい。世界の形が変わっていくさまを、シャロンは目の当たりにしていた。
「セザールめ、こき使ってくれる」
はあ、と宮廷魔法使いの黒いローブを脱ぎながらアーサーが溜め息をつく。今日、アーサーはイヴァンの帝都ゼンヴァールまで赴いたそうだ。
その本人が日中、アーサーを帝都に張りつけておいて、魔法大学校の研究室に現れたことは、言わないほうがいいのだろう。
ローブを脱いだアーサーの白いシャツ姿に、シャロンが後ろから抱きつく。
「先生……」
「どうした?」
アーサーの腹に回したシャロンの手に、彼の手が重ねられる。大好きな温かい手だ。
「今日、カレンと、話していて」
「うん」
「カレンが、弟子をとったって」
「そうか」
アーサーの背に横顔をくっつけながらシャロンが言葉を紡ぐ。
「私も……そろそろ、とらなくちゃ、いけない、って」
アーサーから教わったものを、教えられるのなら。次の世代に繋げられるなら。
きっと、それは師と弟子の絆を通して、何十年、何百年と世代を超えて受け継がれてゆくはずだ。死してなお人々に残る教えや想い、言葉というものは、なんて尊いものだろうか。
だから、魔法大学校の卒業生には、次世代を育てる義務が課されているのだ。
しばしの間、沈黙していたアーサーが振り向き、シャロンを正面から、ぎゅっと抱きしめる。
「――ハイランドに、行かないか」
……無理に、とは言わない。
少し迷うように発せられたアーサーの言葉は、シャロンにとって思いもよらぬものだった。
「お前の母の、墓がある」
母の墓があるとは初耳だった。てっきり母の躯は、疫病に斃れた他の村人たちと一緒に、ハイランドの土に還ったものとシャロンは思っていた。
「――行きます」
迷いはなかった。シャロンが返事をして、アーサーを見上げる。アーサーは、この一年で再び伸びてきたシャロンの髪を撫で、彼女の額に口づけを落とした。
秋晴れの空が美しい日に、アーサーとシャロンはハイランドに訪れた。山の木々は赤や黄色に色づいていて、南部の王都カレオンよりも、空気がひんやりと澄んでいるように感じた。
王都からハイランドまでは、アーサーの光の魔法でやって来た。アーサーに横抱きにされていたシャロンが、地面にゆっくりと降ろされる。
手を繋いで、かつての村を二人は歩いた。
聞いてはいたが、村には既に人気はなく、石を積み上げて造られた粗末な家々は、風雨に晒され、崩れ落ちているものが大半だった。
シャロンにとってここを訪れるのは、十七年半ぶりになるだろうか。
影踏みをして子どもたちと遊んでいたときに自身の闇の力が溢れてしまい、母とともに村人から棒でぶたれ、石を投げられ、村から追い出された日のことが蘇る。
洞窟の中のかびた匂いが、不意に呼び覚まされた。
冷や汗が、止まらない。
「大丈夫か」
シャロンの顔色を注視していたアーサーが、彼女の頬に手を当てる。アーサーは心配そうに眉根を寄せてシャロンを見ていた。
「無理するな。帰るか?」
「いえ……大丈夫です」
底冷えするような感覚を、アーサーの体温を感じて上書きすることで、何とか自分の中で治める。
村を抜けて、二人は開けた場所に出た。ここに、かつては山が在ったのだろう。
そこには、一面の花畑が広がっていた。秋に咲く燈穂花だ。赤い小さな花を穂のように垂らし、風に揺れている。
花畑の真ん中には、一つの墓石が在った。正方形の石には、シャロンも憶えていなかった母の名が、刻まれていた。アーサーが役場で調べてくれたのだろうか。
「こんな、立派なお墓を……」
あれから十何年も経っているとは思えないほど、母の墓はきれいな状態を保っていた。シャロンが隣に立つアーサーを見上げる。
「もしかして、何度も、ここへ足を運んでくださっていたんですか」
「――年に数度くらいだよ」
アーサーが肩を竦める。この花畑には、春にはウォーティアが、夏には雷蓮が、冬にはノクティスの花が咲くらしい。
「なぜ、私を連れて行かなかったんですか」
「……初めの何年間は、まだ、病が、この地に巣くっていたから、連れて来たくなかった。それに、この村は、お前を呪い子として扱った。さっきのように、つらい記憶を思い出させたくなかった」
アーサーが眉を下げて笑う。確かに、このハイランドという土地で、シャロンが村での日々を思い出すのは避けられなかっただろう。
だが、この場所は、清浄で、心地よい空気が流れていた。
母も、安らかに眠っているに違いない。
シャロンは、アーサーが、自分の母のことまで忘れず、ずっと気にかけてくれてくれていたことに、涙が、止まらなった。
アーサーがシャロンの両手を取り、彼女と向かい合わせになる。
彼の真剣な眼差しが、シャロンの潤んだ瞳を射抜いた。
「シャロン、愛してるよ。何よりも、誰よりも」
シャロンの手を取ったままアーサーが跪き、彼女の手の甲に口づけを落とす。
「俺と、結婚してほしい」
大好きな人が、この世界に生きてくれているだけでよかったのに。
その人から、これからもずっと、隣で生きてほしいと望まれるなんて。
そんな夢みたいなことが、自分に許されるなんて。
シャロンが泣きじゃくりながら、「……はいっ」とアーサーに返事をする。
嬉しそうに顔を綻ばせたアーサーが立ち上がり、シャロンを抱きしめた。
「――母君。シャロンを産み、育て、あのときまで生き永らえさせていただいたこと、生涯感謝する」
墓石に向かって、アーサーがシャロンの母に感謝の意を伝える。シャロンは嗚咽を漏らしながらそれを聞いていた。
「おかあ、さん」
言葉が、うまく出てこない。何を言えばいいかもわからない。
もう、母の顔も、霞がかかったようにうまく思い出せなかった。だがシャロンは、彼女の声を、不意に思い出した。
――普通の人間に、産んであげられなくて、ごめんね。
あのときのシャロンは、母が言った言葉の意味も、わからなかった。
でも、今は、胸を張って母に言える。
「わたし、生まれてきて、よかった。先生のおかげで、心からそう思えた」
アーサーの手をシャロンが握る。アーサーは力強く握り返してくれた。
決してひとりじゃないと思わせてくれる人。喜びを分かち合い、罪も何もかもを、一緒に背負ってくれる人。
その人が、これからも隣にいてくれること。
胸に提げた光の守り石を、シャロンが握り締める。
「わたし、幸せだよ」
シャロンは、この世界に生まれてこられて、心から幸せなんだと、この地に眠る母に伝えたかった。
王国一の光の魔法使いと闇の魔法使いが結婚する。
敗戦後の王国で、久しく浮いた話のなかった慶事は、王国中を駆け巡った。二人の魔法使いの結婚は多くの民から祝福された。
それから数世紀を経て、戦争における魔法の使用が全面的に禁止された。
王国は時代の波に呑まれ、殺戮の渦に抗うことも、逆に王国が率先して戦いを選んだこともあった。戦場から姿を消した魔法使いたちは、争い続ける人間たちをそれでも愛し、彼らに寄り添って生きた。
アーサー・ホリンシェッドはその生涯の中である歴史書を著した。
『ホリンシェッドの年代記』
それをもとに、いくつもの戯曲や物語が王国の内外で生まれることになった。
そして、ホリンシェッドとその弟子の恋物語は後の世でも語り継がれ、『魔法使いと弟子』は交響曲や歌劇にもなり、今なお国を越えて多くの人々に愛されている。
これにて本編は完結です。読んでくださりありがとうございました!
評価、ブクマ、リアクションもいただき本当に嬉しかったです。
番外編では二人の子どもたちのことが書けたらいいなと思っています。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。




