(3)
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先遣隊は、機動が他の属性よりも勝る光と風の魔法使いによって構成されていた。つまり、彼らは馬を必要とせず、自らの力で空を駆けることができる。しかし、高原地帯で山が消えたという報告が現地の役場から宮廷に入るまでに丸二日を要している。先遣隊が調査し、速やかにアーサーにまで情報が上がってきても、アーサーが現地に到着したのは山が消えてから三日経ってのことだった。
アーサーを含む五人の光魔法使いたちは、病の感染を防護するためにゴーグルとマスク、手袋を身に着けていた。麓の村は、村人の埋葬が追いつかず腐臭で溢れていた。
「ひどい……」
惨状を目の当たりにした一人の光魔法使いが吐き気を催したのか、うっとマスクの上から口を押さえた。
生き残りがいないか外から家々を覗き、足を踏み入れて調べるが、生きている村人はいなかった。致死率の高い病だ。感染してしまったがあと、三、四日で死に至る。先遣隊の仕事を疑うわけではないが、万が一の生存者を見逃さないためだった。たとえ、闇の魔力をもって生まれた子どもを〈呪い子〉として忌み、蔑んだ村人であっても。
アーサーは宙に高く飛び上がり、消えた山の跡を確認した。
巨大な漆黒の穴から、火炎のように闇の魔力が燃え、黒く揺らめいている。魔力がここまで消えていないということは、まだ、使い手も生きているかもしれない。
両手を闇の穴に向かって掲げ、アーサーは光の魔法をまっすぐぶつけた。攻撃力を最大限にまで高めた雷撃ではなく、闇を晴らす閃光だった。
しばらく光線を当て続けていると、闇の魔力が徐々に小さくなり、霧散した。
更地になった跡に、数人の人影が倒れているのをアーサーは見つけた。この闇の魔力の使い手は、人間を取り込まなかったらしい。闇は、すべての物質を取り込み、消し去ることのできる恐ろしい力であるが、使い手が他者への攻撃の意図を以て力を〈覚醒〉させたわけではないということが、この状況からして明らかだった。
しかし、どの人影も動かない。
(――間に合わなかったか)
「人がいる。向かうぞ」
他の光魔法使いに呼びかけたあと、アーサーは地に伏した人影に向かって自身を加速させた。
倒れていたのは、四人だった。
一人は子ども。男に抱かれて死んでいる。男もまた息をしていない。手や足の指先が黒く染まっていることから、病で死んだ父子だろうと推定する。
その父子から少し離れたところに倒れていた二人もまた、うつ伏せになった母娘だった。母親は既に絶命していた。腕に黒い出血班が残っていることから、死因が病であることは疑いようがない。しかし闇の魔力のおかげか、三人ともついさっき死んだような、躯が腐っていない状態だった。
その母親に向かって腕を伸ばし、母の手に縋りついていた娘を確認する。
間違いない。闇の魔力の使い手は、この娘だ。
強い闇の魔力の波動で、空気が揺れているようにも感じる。魔力をもたない者や、力の弱い魔法使いであれば、魔力酔いの症状でこの場に立つこともできないだろう。
アーサーは手袋を外し、娘の頸部に手を当て脈を確認した。拍は弱いが、生きている。
「おい、聞こえるか」
触れたら折れるかと思うほどに細い。抱き上げ、革袋から水を出し、娘の顔を、唇を湿らせる。この状態に陥って三日以上は経っている。生存者の村人から聞き出した情報によると、〈呪い〉が発覚してからひと月以上、山の洞窟に娘一人だけを閉じ込めていたらしい。だが、それでも生き延びられたのは、この母親が世話をしていたからに違いない。
――愚かだ。
闇の魔法を知らない村人も、自分とは異なる力をもった存在を恐れ、〈呪い〉と決めつけ、村から迫害し、山に閉じ込めたことも。幼い子どもにする仕打ちとは到底思えない。子は宝ではないのか。まだ、四つか五つそこらだろう。もしこの子が貴族の子に生まれていたなら、円滑に〈覚醒〉を促すことができ、力を暴走させることもなかったはずだ。
娘が、はっと目を見開いた。
しかし彼女が真っ先に見たのは、自身が握り締めた手の先、母親の姿だった。気を失っても、母の手は離さなかったのか。
「おかあさん、おかあさんがっ、うごかなくなって」
嗄れた声で、必死に叫ぶ。骨と皮しかない、飢餓状態で。まるで母猫を喪った仔猫のように、懸命に。
「――お前の母親は死んでいた」
アーサーがゴーグルとマスクを外し、娘に向かって呟く。アーサーに追いついていた他の魔法使いが、「ホリンシェッド様……」と口を挟み、すぐに噤んだ。娘にとり、酷な事実なのはわかっている。だが、アーサーは、誤魔化すことなく伝えた。
力を振り絞って母の躯に縋りつこうとする娘を宥めるように、アーサーが彼女の腹の前に片腕を通して、動きを抑える。これ以上、死体に触れさせてはいけない。
「しん、だ?」
地に両膝をつき、力が抜けたようにぺたんと腰を下ろした娘が振り返り、初めてアーサーを見た。橄欖石のような黄みがかった緑の瞳が、怯えで揺れていた。
「人の死を見るのは初めてか? 虫や小さな生き物が死ぬのを見たことがないか?」
娘からは土と黴と、屎尿の臭いがする。髪の毛も土埃にまみれ、娘の躰には蚤と虱もいるだろう。他の魔法使いたちは、娘からも、死体からも明らかに距離をとって立っていた。しかし実際は娘の力に押され、それ以上近づけないようでもあった。
「生きとし生けるものすべてに等しく訪れる、それが死だ」
娘が、ゆっくりと、アーサーから母親に視線を移す。動かなくなった虫や他の生き物の姿を、見たことがあったのだろう。だが、それと同じだと子どもに伝えるアーサーは、当然、配慮が足りないと言える。この場にロバートがいれば、「歯に衣を着せんかっ」とアーサーを小突いていたことだろう。
「……お前の母は、この地に還る。そしてその躯が小さな生き物たちの養分となり、新たな命が生まれる」
言葉が直截的すぎた自覚はあったのか、自身の吐いた言葉を補うように、アーサーが続ける。
「それに、お前の母の一部は、お前の躰の中にも生きている。生き物はそういう意味で不死身とも言える」
母親は瞼を閉じないまま息絶えたようだ。瞳孔が開いてはいるが、瞳の色が娘と同じだった。この娘の髪色も、母親から譲り受けたものだとわかる。親の情報は、子に受け継がれ、孫に、ひ孫に、子孫代々、延々と受け継がれていく。
母の手を握り締めていた娘の手が、緩む。アーサーは、娘の躰を背後から抱え込むようにして、二人の手をゆっくりと引き離した。母親の腕を、地面に静かに置く。
地に片膝をついていたアーサーが、膝を立てたほうの腿に娘を座らせ、目線を同じにする。
「俺は、宮廷魔法使いのアーサー・ホリンシェッド。お前を保護する」