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魔法使いと弟子  作者: シシトウ
9章 シュイッドの森
28/31

(1)





 シャロンは四年ぶりに、〈闇の回廊〉の中を駆けていた。

 思えば、シャロンにとって闇の魔力は、初めから、シャロンを傷つけるものではなかった。

 ずっとずっと、シャロンの身を守ってくれていた。

 でも、どう扱えばいいか、わからなかった。この力がなければ、シャロンは呪い子と呼ばれることもなかっただろうし、人を簡単に消すことのできる恐ろしい力をもつことも生涯なかっただろう。平穏無事に、レオルグ王国の奥地で一生を終えていたかもしれない。あるいは、流行り病に伏して、幼少期のうちに死んでいたかもしれない。

 この力があったから、シャロンはアーサーに出会えたのだ。



(――お前を、呪いのように思っていたのは、私だったのかもしれない)



 心の中で、闇に語りかける。

 いつだって、ともにあったのに。シャロンは己の闇の力と向き合ったことなんて、一度もなかった。



(――大丈夫。ともに在ろう)



 これからもずっと。



(お前は、私で、私は、お前だから)



 不思議と、四年前のときのように、時空の流れへの畏れは感じなかった。むしろ闇は、帰り路を指し示してくれているような気がした。

 暗闇の中で、一点の光が見えている。あの光が出口だと、闇が告げている。

 光に、憧れた。アーサーに憧れてやまなかった。

 彼を見ていた。ただ、彼だけを追って、生きてきた。

 闇は光に惹かれずにはいられない。両者があるから、互いが区別され、名を得て、この世に存在できる。



 必ず、先生にまた逢える。

 あの光は、先生の、光だ。



 シャロンは、目の前に広がる光に向かって、まっすぐ手を伸ばした。









 出口を抜けた瞬間、誰かの温かさに包み込まれた。アーサーに抱きとめられていると気づいたのは、彼の声がシャロンの耳に届いたときだった。



「おかえり、シャロン」



 アーサーは、木の洞に置いていたシャロンの守り石を手に持ち、彼女の帰りを待っていたらしい。

 アーサーの肩や胸、腕にぺたぺたと触って、この感触が現実であることをシャロンが確かめる。

 夢では、なかった。

 シャロンは、シュイッドの森に、アーサーのもとに、帰って来られたのだ。



「……せん、せい、せんせいっ」



 アーサーの首元にシャロンが縋りつく。その勢いのまま二人は草むらに倒れ込んだ。

 生きて、二人でこの森に帰って来られた。

 嬉しさのあまり、シャロンは子どもみたいに声を上げて泣いていた。



「……大きく、なったなぁ」



 シャロンの成長と重みを実感しているのか、アーサーが彼女の背をポンポンと優しく撫でる。シャロンは自分がアーサーを押し倒しているような格好になっていることに気づき、我に返って急いで上体を起こした。


「す、すみません、はしたなく、抱きついてしまって」


 アーサーからすれば、十四だった小娘が、いつの間にか二十一になって現れたのだ。青天の霹靂もいいところだろう。



「……レオルグが負けたことよりも、シャロンの、七年の成長を見られなかったことだけが、心残りだ」



 はあ、とアーサーが大きな溜め息をつく。

 ――こんなことを言う人だっただろうか。いや、最初からこんな人だったような気がする。

 躰を起こしたアーサーと向かい合わせになり、ふふと二人で笑い合う。


「……先生は、〈光の回廊〉を、渡ったんですよね?」

「ああ。お前より一足早くここに着いたよ。俺もまだ誰にも会っていないし、今が何年後の世界かも正直わからない。季節が秋なのはわかるが」


 光の守り石を入れていた革袋をアーサーがシャロンに見せる。それはシャロンが木の洞に入れたときよりも幾分くたっとしているように見えた。シャロンが〈闇の回廊〉に飛び込んだあの日から、数年は経過しているように見える。

 光の守り石をシャロンの首に掛け、アーサーが彼女の手を取って立ち上がる。シャロンも十四の頃より背がいくらか伸びていたからか、彼の肩や顔を当時よりも近くに感じた。

 ふう、とアーサーが息をつき、シャロンに微笑みかける。


「……とりあえず、王宮に行くか」









 シャロンの闇の魔法で、二人はロバートの宮廷の執務室に現れた。もう、闇の魔法で誰かと空間転移を行うことにも、この数年でシャロンは慣れてしまった。

 突然の二人の出現に気づいたロバートは、掛けていた眼鏡を取り、ガタッと勢いよく椅子から立ち上がった。



「アーサー……シャロン……生きていたか」



 信じられないものを見るような目をしながら二人に駆け寄ったロバートが、彼らを包み込むように大きく手を広げて抱きしめる。ロバートは感極まっているのか、両眼から涙を流していた。シャロンの知る彼よりも、目尻の皺が増えているような気がした。


「アーサーは……〈光の回廊〉を、渡ったんだな」

「ああ」

「シャロン……。あれから三年、ずいぶんと探したよ。シャロンは、〈闇の回廊〉を渡ったんだね。無事に帰って来られて……本当によかった……。ずっと、後悔していた。あのときどう言えば、君の決意を押しとどめられたのか、と。……でも、押しとどめずとも、よかったのだね。シャロンに感謝だな」

「――そうだな」


 ありがとう、と二人から礼を言われ、シャロンが思わず首を横に振る。シャロンは、ただ、がむしゃらに、無我夢中に生きただけだった。

 シャロンが消えてから三年が経っている、ということは、アーサーとシャロンが降り立ったこの世界は、あの戦争から五年半後の未来ということになるのだろう。


「シャロン。髪を、切ったんだね。顔つきも凛々しくなって……。それに比べて、お前は、あまり変わっていないな」

「当然だろう。俺はソールから一足飛びに未来に渡ったんだ。躰は二十七歳と半年ってところだ。シャロンは……二十一歳半になるのか?」


 アーサーが即座にシャロンの躰の年齢を計算する。ロバートに会うのは、シャロンにとってはおよそ四年ぶりだ。

 そうか、シャロンは終戦から二年半と、過去の世界で四年を過ごしていたから、アーサーとの年齢差は六年半も縮まったことになるのか。あまりそれをシャロンは実感できずにいたが、アーサーはどう、思っているのだろう。シャロンはアーサーの横顔をちらりと見上げたが、彼の表情からは特に何も読み取れなかった。


「……そうか。ひとりで、ずいぶんがんばったのだね、シャロン」


 シャロンが過去の世界で孤軍奮闘していた姿を想像したのか、ロバートがシャロンの肩に手を置き、彼女を労う。「……本当に、二人揃って、よく帰って来てくれた」とロバートは再びおいおいと泣き始めた。歳をとってずいぶん涙腺が緩んでしまっているらしい。


「……俺が消えたからレオルグが負けた、とは言わないのか」

「――いくら魔法使いたちが強大な力をもっていようと、たった一人の魔法使いが消えて負ける国なんざ、(はな)からその程度の国だったということさ。……無知蒙昧な輩は、お前のことを、戦場から逃げた臆病者と罵るかもしれない。だが、多くは生きていてくれたことに、安堵を覚えるだろう」


 さっきは、レオルグが負けたことよりもシャロンの成長を見られなかったのが心残りだとぼやいていたアーサーだったが、やはりそれ相応の責任は感じていたらしい。国を背負って戦ってきた彼らにしか、その気持ちはわからないだろう。

 ロバートにくしゃくしゃと髪を撫でられていたアーサーが、少しだけロバートの弟子の顔に戻ったようにシャロンの目には見えた。

 レオルグ王国を取り巻く最新の世界情勢をロバートがアーサーとシャロンに説明する。アーサーにとって王国が負けたあとの世界は、大方予想通りの未来だったようだ。


「――ジル・セザールと話がしたい。頼めるか」

「わかった。陛下に話を通そう」


 アーサーとシャロンは二人とも、いわゆる戦場から直行してきた身だった。シャロンもアーサーについて国王陛下に拝謁することになり、急ぎ浴室で汚れを落とし、衣服を整えた。

 シャロンは国王陛下に初めて拝謁した。イヴァン皇帝やロバートよりもさらに十は年上に見える好々爺だった。アーサーの貴族としての立ち居振る舞いを真似しながら、シャロンも陛下の前で跪く。王は二人の生還を祝福し、労いの言葉をくれた。二人が禁術を使ったことの咎めはなかったものの、その情報の扱いには今後も十分に気をつけるようにとも言い含められた。ただ、アーサーは訃報が一度流れているため、周囲への説明では、〈光の回廊〉を渡って時を超えたのではなく、闇の魔法に五年半囚われていた、ということになった。シャロンも同様で、闇の魔法の実験に巻き込まれ、三年が経過したというところに落ち着いた。

 翌日、光の魔法使いが無事に帰還したとの報せが王宮から発され、レオルグ王国民は感動と希望に湧き立った。









「やあ。戦場で顔を合わせて以来だねえ。アーサー・ホリンシェッド殿。僕の婚約者を道連れにし、自分だけはのうのうと五年前の過去から舞い戻ってきたというわけか。光の魔法の禁術で時を超えた? まったく、レオルグ人は何をコソコソと研究していたんだ」

「……誰が、誰の、婚約者だ」

「あれ、口が利けるんだね。イヴァン語がわからない愚鈍な奴と思っていたよ」


 終戦から五年半後のジルは、元ヴェルダ辺境伯の居城を拠点とし、変わらず西方軍司令を務めていた。確か年齢は、三十二になっているはずである。だが彼の容貌は、シャロンが知っている頃と何ら雰囲気は変わっていないように見えた。強いて言えば、後ろで一つにまとめていた長い髪が短く切られていて、少し顔が引き締まったように思える。王国の諜報部員による事前情報によると、まだ結婚はしておらず、二人の兄から度々せっつかれているらしい。

 アーサーとシャロンは、このたびレオルグ国王の通達のもと、正式にこの城へ訪問していた。

 アーサーと揃いの色のローブを身にまとっていたシャロンは、フードを深く被ったまま、二人の舌戦を聞いていた。戦場では互いに殺し合いをしていた二人だが、まるで喜劇のような言い合いをしているのが、少しだけおかしかった。

 さらに、ジルは禁術の存在を把握していた。帝国でもそれ相応の研究はされているのだろうが、ジルにその情報が伝わっているということは、王国の魔法院や大学校の中に帝国の諜報部員が潜んでいることの証とも言える。諜報合戦はお互い様の節があるものの、情報の漏れにアーサーも当然気づいているのか、先ほどから少々苛ついているように見えた。



「弟子が、世話になったようで」



 頬をひくつかせるように笑ったアーサーが、身をずらしてシャロンを前に誘導する。

 アーサーの後ろに控えていたシャロンは、深く被っていたフードを取った。

 ソール戦線で殉職したと思われていた副官の登場に、ジルが驚きで目を見開く。



「ミランダ……っ」



 シャロンに駆け寄り、ジルが彼女の手を取って両手で包み込む。


「生きて、いたんだね。ずっとずっと、探していたよ……。命を賭してレオルグの光の魔法使いを打ち負かした者として、イヴァンでは〈すずらんの君〉を勝利の女神として奉っている」


 思いもよらぬ再会に感動するジルに抱きしめられ、彼の匂いに包まれる。その石鹸の爽やかな香りに、シャロンは懐かしさを覚えた。


「――弟子、だって?」


 しかし、脳がやっとアーサーの言葉を処理したのか、ジルがアーサーとシャロンを見比べ、二人の関係を推し量る。


「……師は、死んだ、と」

「それを、覆したくて、私は、闇の魔法で過去の世界に降り立ちました」


 シャロンの告白に言葉を失ったのか、ジルが再び目を瞠る。琥珀色の瞳が、微かに揺れ動いていた。


「……君は、未来から来ていたのか。……そうか」


 二人が船上で出会った頃を思い返しているのだろうか、ジルはしばし考え込むように口を閉じた。ジルにとってはもう、九年以上前の記憶だろう。

 アーサーがジルからシャロンを引き離し、二人の間にぐいと割り込む。


「セザール、シャロンとの誓約を解いてほしい」

「断る、と言ったら?」

「――俺は、一番穏便な方法を選んでいるつもりだが」


 二人の目線はほぼ同じだったが、ややジルのほうが少し背が高いらしい。ジルは腕を組み、片眉をくいと上げて、アーサーに冷たく笑いかけた。


「脅しかい? 誓約を無理に解こうとすれば、かけられたほうに跳ね返る。それをまさかこっちに飛ばせるわけでもなし……。は? まさか、できるって? 禁忌の魔法といい、報告にまるで上がっていないぞ」

「イヴァン帝国は、魔法よりも()()を重視されているので、ご存じないのも当然かと」


 アーサーがニコリとジルに微笑みかける。当然、目は笑っていない。二人の冷笑の応酬で、シャロンは周囲の温度が若干低くなったような気がした。


「ああ、ミランダ。いや、本当の名はシャロンというのだね。僕は、君と過ごした愛しき日々も、君の笑顔も、君の泣き顔も、寝顔すらすべて憶えているよ」

「おい。口を縫われたいか」

「ああ、あと、君の柔らかい唇の感触もね」


 最後にジルが取って付け加えた言葉は、完全にアーサーへの当てつけだった。

 先に手が出たのはアーサーのほうだった。ジルの胸倉を摑み上げ、舌を打ちながら彼を睨む。自分は何も手出ししていない、と己の潔白を示すようにジルは両手をひらひらと掲げてみせた。


「僕の一存で、今ここで君を投獄することだってできるんだよ」

「やってみろ。だが、軍司令の皇太子はなんというかな」


 不敬罪というものがイヴァン帝国にはある。それに、この部屋には当然、ジルとアーサー、シャロンの三人だけがいるわけじゃない。壁に控えた近衛たちは、〈賢者の石〉を使った武器を所持していることだろう。

 アーサーが挑発するようにジルに顔を近づけ、声を低く潜ませる。


「サナンが南下してきただろう。レオルグが、何のためにカムリヤを獲ったか、ようやくわかってきたようだ」


 アーサーの囁きに、ジルが頬をピクリと動かす。アーサーがジルの胸倉から手を離し、フンと鼻を鳴らした。

 乱れた制服を整えながら、「……あーあ」とジルが息をつく。


「本当にイヤな男だね。まったく。……はいはい。誓約を解くのに異論はないよ。シャロン、こちらを向いて」


 誓約の魔法をかけたときと同じく、ジルがシャロンの胸の前に手を翳す。すぅっと、彼の魔力が躰から抜けていくのをシャロンは感じた。

 名残惜しそうに、ジルの手がシャロンから離れる。


「シャロン、近いうちにまた会おうね」

「シャロン、もう二度と会わなくていい」


 アーサーが即座に否定する。性格は正反対のようだが、やはり両者は頭の回転が速く、似ている部分も多いのだろう。

 シャロンはジルの別れ際の言葉をただの社交辞令と受け取り、もう会うこともないかもしれないと思っていたが、わりとその後すぐ、ジルは闇の魔法を使って、アーサーがいない間にシュイッドの森の家を訪ねて来た。

 帝国の皇子を無下に帰すわけにもいかず、シャロンは紅茶を出して一応彼をもてなしたが、ジルはアーサーが家の扉を開ける寸前に闇の魔法を行使して帰っていった。

 その日以降、アーサーは家の外だけでなく中にも厳重な光魔法の結界を施し、シャロン以外の人間を家に寄せつけないようにしてしまった。









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