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魔法使いと弟子  作者: シシトウ
8章 光と闇の戦争
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(2)



     *



 帝国のことを知れば知るほど、決心が揺らぐ。

 生きている人々と関わるたびに、王国に生まれた自分と何が違うのだろうと意識させられる。

 敵のことなんて、詳しく知らないほうが、良いのかもしれない。

 同じ人間だと思わないほうが、易々と殺せるだろう。虫けらとでも思っていないと、殺すことなんてできない。


「なぜ君は、レオルグの民でありながら、レオルグと戦うことを選んだ?」


 停戦協定が結ばれて二か月後、イヴァンは再びソールへの侵攻を開始した。理由は一つ。〈賢者の石〉を使った兵器の最終調整が済んだためだ。この戦いは、これからの戦争の形を変える転換点となるだろう。ついぞシャロンには、この戦争を避ける手段が思いつかなかった。

 二月(ふたつき)ぶりにザトラス砦に戻ったジルとシャロンは、砦の上から、前線に移動する歩兵とそれを空から守る光と風の魔法使いの姿を見ていた。


「知りたかったからです、もっと……」

「世界を?」


 ジルの問いにシャロンが頷き、目を伏せる。

 知りたかった。レオルグの敵のことを。その敵国が戦う理由を。

 王国は、取り残されていた。魔法使いが多く生まれる国では、すべて魔法に頼るのが当たり前だった。だがイヴァン帝国は、王国よりもずっと先の未来を見ていた。


「私は、師を喪って、この国に来て、初めて、自分が机上でしか勉強をしたことのない、愚か者だと気づきました」


 白と黒、善と悪の二項対立で世の中がはっきり分かれると思っていた。王国の功罪を、帝国の功罪を見てきた。現実の世界での〝正しさ〟なんて、方程式できれいに表せるようなものじゃない。誰もが納得する美しい解なんて存在しない。人の想いと記憶と矜持が、あらゆる立場で複雑に絡み合って、国語りが形作られてゆく。知る、ということは、知ったものに対する責任をもつこと、曖昧さを受けいれ、考え続けることではないのか。もっと広い世界を見てこいと、アーサーが言った意味を、シャロンは探していた。


「いつも通りの明日が来るとは限らないと、師から言われていたのに。私は、師が死ぬことはないと、疑いもしなかった」


 アーサーの死はシャロンにとって、生きる希望を、明日への指針を喪ったようだった。アーサーの訃報を知ったのは、奇しくもウォーティアの花が咲き始めた、春先のことだった。それでも、強く在れ、と彼が望んでいたから。十五歳からこの六年間、シャロンは迷いながらも、間違いながらも、今を生きていた。



「――レオルグに、帰る?」



 ジルの呟きに、はっと現実へと引き戻され、シャロンが隣に立つ彼を見上げる。

 シュイッドの森が、脳裏にちらついた。


「……ご冗談でしょう?」


 この帝国の核心とも言える発明を知ったシャロンを今さら敵国に帰すなど、帝国の大将としては愚の骨頂だ。「まあ。訊いてみただけ」とジルが大げさに肩を竦めてみせる。



「私に、帰る場所は、ありません」



 未来を大きく変えた瞬間、歯車が壊れ、シャロンは闇の渦に呑み込まれるかもしれない。だが、一生を〈闇の回廊〉に囚われる覚悟は疾うの昔にできていた。

 再び〈闇の回廊〉に足を踏み入れたとして、シャロンの知っているシュイッドの森に出られるとは限らない。百年後の未来かもしれない。百年前の過去かもしれない。

 だから、禁忌なのだ。自分が生まれた、元の時代に戻れた者の記録は、残っていない。

 シャロンの力が強く、才能と、運があったから。この時代に流れ着けた。

 でも次は保証できない。

 ずっと、ずっと、時の迷路をさまよい続けるのだ。この命尽きるまで。



「もう一度尋ねるよ。君は、同胞を殺せるか」



 シャロンが今、決めなければならないことは。もう一つの覚悟だ。



「はい」



 人を殺す、覚悟を。

 アーサーに仇なす者を。そして自分を殺そうとするレオルグ兵がいれば、返り討ちをする覚悟を。

 ――アーサーを殺そうとするジルを。



「いい返事だ。――闇の魔法使い、ミランダ。僕の補佐を命ずる。任務は僕の力の増幅、敵兵の処理、味方の救助だ」



 ジルは、もっと早く、この命令をすることができたはずだ。同属性の魔法使いは二人一組で基本動く。だが、ジルも、そしてアーサーもだが、力の釣り合わない補佐を連れていても足手まといになる場合は、一人で行動せざるを得ない。まだ魔法操作に荒々しさは目立つものの、シャロンはジルよりも魔力量が多く、補佐として命じられるほどの実力を備えている、とジルが認めた証とも言えた。

 アーサーを庇った瞬間に、己の心臓が闇に還ったとしても。

 この男から、今度こそ離れるわけにはいかない。



「――御意に」



 シャロンはジルに跪き、臣下の礼をとった。









 停戦協定を破り、イヴァンがソールに侵攻して、三か月が経過した。

 シャロンは、初めて人を殺めた。



「殿下!」



 ジルと行動をともにし、自分たちを追い回すレオルグ軍の魔法使いの群れを、闇の魔法で一網打尽に消した。

 それは、ほんの一瞬だった。

 震えが、止まらない。

 あの中には、学園や大学校でともに過ごした者たちの縁者もいただろう。光の魔法使いとして従軍しているセシルの夫も、もしかすればいたかもしれない。

 初めて、人を、消した。この世から。

 ――いや、本当に、初めて、だったのか?

 五つの頃に、山を一つ消した。奈落の底に落とした。あのとき、犠牲になった者は本当にいなかったのだろうか。山には人間以外の生き物も多く住んでいただろう。

 とっくに、人殺しだったのかもしれない。この手がきれいだったことなどなかったのだ。


「……あはは」


 シャロンは手袋を嵌めた両手を見つめ、乾いた笑いを浮かべた。涙が両眼から、手袋の上に落ちていき、濡れた染みを作る。だが、自分可愛さの感傷に浸っている時間は与えられなかった。アーサー・ホリンシェッドが、すぐ目の前の空に現れたのだ。



「やあ、久しぶり。って言っても三日かそこらか。お元気そうで何より」



 天と地に、光と闇の魔法使いが立って、睨み合っている。ジルはアーサーを見上げ、戦場に似合わない挨拶をした。

 アーサーは、何も聞こえなかったか、あるいは聞こえていて無視したのか、片手を空に翳し、一気に振り下ろした。雷撃が、二人を目がけて走る。


「敵とは話す口もないってね」


 ジルが張った闇の結界にシャロンも力を貸し、大きな闇の壁を作って無数の雷撃を吸収する。しかし、上空に浮かんでいたアーサーの姿が消えた。と思った次の瞬間、背後で閃光が弾ける。


「ミランダ!」

「皇子、危ない!」


 シャロンは咄嗟に声を漏らした。互いが互いを庇うように闇の魔法を展開し、アーサーの猛攻を防ぐ。



 先生は、どこだ。今どこにいる。



 辺りを見回すと、自らの真上で、アーサーがゴーグルを外し、シャロンを凝視していた。

 雨衣を身に着けていると、体つきもわからない。ましてや魔法使いは砂塵や突風、閃光を防ぐゴーグルとマスクを常に身に着けている。ジルの補佐は男とでも思っていたのか。声で女とわかったのだろう。アーサーが、(おんな)子どもに優しいのをシャロンは知っている。でも、戦場でその優しさは無用だった。現にアーサーは、女魔法使いであっても容赦なく息の根を止めてきた。

 アーサーからの次の攻撃も一瞬だった。四方八方からの雷撃を闇の魔法で消し飛ばし、シャロンはアーサーを少しでも遠ざけようと、彼に向けて闇の魔法をがむしゃらにぶつけた。

 闇が光を追う。これでアーサーが奈落の底に突き落とされたら、どうなるのだろう。いや、そもそも、最強の光の魔法使いが、そんな簡単に闇に捕まるなんてありえない。

 シャロンの追撃を躱し、アーサーは退避した。

 呼吸すら忘れていたのか、シャロンが地面に両膝をつき、大粒の汗を落としながら、ぜえぜえと肩で呼吸する。この状態で戦い続けられるはずもなく、シャロンはジルに後ろから抱きかかえられ、前線を後にした。









「あれから前衛を押し進めることができたよ。ミランダのおかげだ」


 砦の中に与えられたシャロンの部屋で、ジルが金属製の小型水筒に入れた酒を口に含みながら戦況の報告をする。今日の力を使い果たしたシャロンは寝台から起き上がれないまま、その報告を聞いていた。まだ全身が熱をもっているものの、一度は尽きた魔力が細々とではあるが、徐々に回復してきているのを感じる。


「まさか、ホリンシェッドの弱点は、女だったのか? そんな甘ったれたやつか?」


 部屋に備えつけられた椅子に逆座りをして、ジルが背もたれに頬杖をつく。ジルは、シャロンと相対したアーサーの行動に納得がいかないようだった。

 あのとき必死だったシャロンは、状況を客観的に分析できるだけの視野をもってはいなかった。だが、これまで戦意が喪失したイヴァン兵の上にも、無情に雷撃が走ったのをシャロンは見たことがある。戦場のアーサーは、残忍で無慈悲だ。


「……殿下、しかし、これまで女の魔法使いもやられています。何人も」

「それは、奴に女だと気づかれない段階だったかもしれないだろう?」

「小柄な者も、髪が長い者もおりましたし、魔法の優劣に性別は関係ないので」

「ふうん」


 女だからといって敵を易々と見逃すほど、アーサーは甘くない。それはアーサーの戦争経験にも痛いほど根づいているはずだ。



「じゃあ、声か」



 ジルの出した答えに、シャロンは一瞬ドキリとした。

 アーサーの魔力が籠められた光の結晶魔石は、未来のシュイッドの森に置いてきている。万が一にも、アーサーが弟子のシャロンと勘づくようなものを、今のシャロンは何も身に着けていない。

 それに、あんなに短い叫び声で気づかれるだろうか。しかもイヴァン語だ。母語のレオルグ語を話すときの声とは調子も、その高さも違う。

 ――ただの杞憂だ。

 魔力の形質だって、属性が同じであれば自分の魔力との違いを感じられることもある。現に、ジルの闇の魔法に触れていると、自分の力とは違う流れをほんの僅かにシャロンは感じる。だが魔法使いにとって魔力とは体に流れる血液のようなものであり、舐めてみてもすべて同じ味に感じる。それと同じで、魔力の形質の違いなんてほぼわからないだろう。


「疲れているところに邪魔したね。今日はゆっくり休むといい」


 ジルが椅子から立ち上がり、シャロンの髪に優しく触れ、彼女の瞼を下ろす。夜中に急襲があれば眠りは否が応にも妨げられるため、寝られるときに寝られるすべをシャロンはこの一年で身に着けていた。

 瞼を下ろしたシャロンの額に、ジルが口づけを落とす。瞼を再び開ける気力すら残っていなかったシャロンは、大学校の入学式で今生の別れとなった際にされた、額へのアーサーの口づけを思い出した。









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