(1)
戦場に身を置いて、わかったことがある。両者の力が拮抗している場合、戦争は泥沼化し、何か決定的なことが起こらない限り、終わらないのだ。
アーサーがひと時も前線を離れられなかった理由もわかる。
もはやこれは、光と闇、アーサーとジル、二人の戦争だ。どちらか一人、死んだほうが負ける。
イヴァン帝国軍の制服は白だ。さらには外套と軍帽まで。まるで己の清廉潔白を装うように。それとは対照的に黒づくめの王国の魔法使いなんて、いわゆる悪魔の徒にしか見えないだろう。
神々の世では、いったいどうやって争いに決着をつけていたのだろう。それこそ途方もない年月を争っていたのだろうか。
ジルを殺せば、アーサーは生き残るし、レオルグも負けない。
――本当にそうだろうか。
帝国の戦力が大幅に削られるのは明らかだろう。しかし帝国は、既に〈魔法使いに頼らない戦争〉に舵を切っている。十手先の未来を見ている。
「これ、まだ試作品なんだけれど」
前線から帝都ゼンヴァールに戻ったシャロンは、宮廷の執務室で、ジルにある拘束具を見せられた。それは深紅の鉱石を削って作られているようだった。
「魔法使いの魔法を、封じる魔道具。魔封具っていえばいいのかな」
この部屋に入ってから感じていた違和感の正体が判明し、背中に悪寒が走る。身の毛がよだつような恐れを、その魔封具からシャロンは感じた。これ以上それに近づいてはいけない、と本能が警告する。
「この物質は十年ほど前に発見された。レオルグ側でも研究は進んでいるだろうけど。目には見えぬ祟りって、本当はこういうものを指すんだろうね。僕は、魔法使いの狼藉に怒り、この星がこれを生み出したのではないかとさえ思うよ。これを着けられた魔法使いは、魔力を思うように扱えなくなる」
この枷を、首に、四肢に着けられて、アーサーは殺されるのだろうか。それとも、これを弾薬に混ぜ、撃たれたところで動きを封じられるのか。もしこれが大量生産できる段階にあれば、王国の敗北は必至であるように思えた。
王国では、罪を犯した魔法使いを捕らえるとき、それを打ち消す力をもった魔法使いが行う。「尻拭い」に向かわされたアーサーを、見たことがある。
しかし、捕らえるには当然ではあるが、相手より魔力量が上回っていないとならない。小さな炎が洪水の前には無力であるように、砂上の楼閣が暴風に攫われるように。だから、魔法使いには明確な序列がある。目には見えない、魔力を感じることで、己の力量を知る。それはもう、言葉で論理的に説明できたり、数値化できるものではなく、魔法使いを目の前にして初めてわかるものだ。
アーサーの力は、ジルに勝っていた。
つまり、アーサーは、帝国の科学に負けたのだ。
この、科学の発展を止めたらいいのか。研究所や工場を爆破でもさせたらいいのか。技術者や研究者を殺せばいいのか。それらの所産を無に帰せばいいのか。
いったい、どうすればいいのだろう。
生半可な覚悟で〈闇の回廊〉を渡ったわけじゃない。アーサーを救う。これはシャロンにとって絶対的決定事項だ。
――覚悟を、決めなければならない。血塗られた路を征く、覚悟を。遅すぎる決断だ。
甘ったれるな。非情になれ。先生を救うためなら、何だってやる。――でも。
イヴァン人がみな、極悪非道だったら、よかった。
心の底から、憎めたら、よかった。
シャロンはこの三年間、イヴァン帝国に生きる民の姿を間近で見てきた。第三皇子の副官として、闇の魔法使いとして、敬意を払われ、尊敬の眼差しを向けられた。命を救った者には、涙ながらに謝意を伝えられた。レオルグ人の傭兵であるにもかかわらず、侮蔑の目を向けられたことは一度もない。それは皇子の威光があったからにほかならないが、彼らに比べたら、レオルグ王国の高原地帯に暮らす村人のほうが、シャロンにとってはよほど有害で、悪だった。
少しずつでも、この世界がシャロンの知っている未来と変わってきているなら、歯車はいつか崩壊する。いつそのときが来てもおかしくない。戦場においても、ジルから目を離すわけにはいかない。ゆえに、戦争が再び始まったら、魔封具の開発を叩くことはできない。
今しかない。
「この研究に、興味があるのですが……」
「いいよ。研究施設に連れて行ってあげる」
シャロンの申し出は、ジルに対する初めての要望だった。ジルは二つ返事でそれを了承した。――この人は、本当に自分のことが好きなのかもしれない。疑わしさを拭いきれないまま、ジルが素直に微笑むのをシャロンは見ていた。
「殿下!」
「ジル皇子殿下! よくぞお越しくださいました」
「邪魔するよ。ちょっと見て回らせて」
「ご随意に」
帝都から北に離れたベッフィンという街にその軍事研究施設はあった。ジルは施設の長から出迎えられ、そのほかにも多くの研究員らが二人を招き入れた。ジルが彼らに慕われていることが伝わってくる。
施設には、シャロンが見たこともない実験器具が並べられていた。まるで百年先の未来にやって来たようだ。イヴァンの研究は、レオルグの何馬身先を走っているのだろう。
「ああ、それには触れないほうがいい」
ガラス管の中で青白く発光する物体の前でシャロンが立ち止まる。どういう仕掛けになっているのか気になり、彼女が手を近づけたとき、ジルが静止の声をかけた。
「きれいな花には毒があるっていうだろう。それと同じで、その石は鉛の箱に入れていないといけない。レイディエイトという鉱石だ。少ない資源で、大きな力を産み出すことができる。使えば数年は人が住めない土地になるけれど」
――そんな、恐ろしい鉱石がこの世にあるのか。そしてそれを実用化の段階にまで漕ぎ着けているイヴァンの技術力の高さに、シャロンは驚きを隠せなかった。
「この世界には人の目に見えぬ力で溢れている。僕らが知らないだけで、その鉱石はこの星の誕生とともに在ったんだ。生命の進化に欠かせなかったともいわれている」
「この石が、あの魔封具に使われているのですか……?」
「いいや、魔封具に使われているのは、また別の種類のものだね。案内するよ」
手招きをされ、シャロンがジルのそばに立つ。空間転移をするのだろう。ジルはシャロンの腰を引き寄せ、闇の魔法を行使した。
二人が着地したのは、先ほどの施設からさほど離れていない場所に建てられた工場だった。何かを建造しているのか、金属や石を加工する音が工場の外にいても聞こえてくる。
「ここからは徒歩。魔法は一切使えないから、そのつもりでいるように」
ジルの背について、巨大な軍事工場に足を踏み入れたシャロンは、あまりの気持ち悪さに吐き気を催した。口を手で押さえ、青白い顔で歩く。ジルは何度も来ているのか、この異様な空気にも慣れた様子だった。
階段をいくつか上り、工場内部を俯瞰できる空間に出る。手すりの下では、白い防護服を着た人間が多数動いており、各々作業していた。
その中で、シャロンはこの不調の元凶とも思える物体を、見つけた。
中央に坐していたのは、血よりも濃い色をした、巨大な深紅の岩だった。
「……あれが」
「そう。魔法使いを殺すもの。僕たちは〈賢者の石〉と呼んでいる。君も予想しているだろうけど、僕らはこれを通常兵器に転用するつもりだ。まずは銃火器から。ただ、近くに在るだけで味方の魔法使いにも影響を及ぼすから、使い方には十分気をつけなければならないけれど。ちなみに、あれで作った弾薬に撃たれた際、咄嗟に元素変換を行おうとしても無意味だ。周囲の魔力を無効化するようなものだからね」
顔面蒼白になりながら、ジルの説明にシャロンが耳を傾ける。シャロンは、アーサーが背後から撃たれる姿を想像し、さらに顔色を悪化させた。
「……魔法使いは、科学の前には無力だよ。その躰が生身である限り」
魔法使いが生まれる国。魔法使いは生まれるが、その数が少ない国。彼らは既に〈魔法使いに頼らない戦争〉に重心を定め、生存戦略を立てている。
もし、これから戦場でアーサーに〈賢者の石〉が使われるようなことになれば。
盾になってでも、彼の命を救わなければ、とシャロンは胸に誓った。
一刻も早く立ち去りたかった工場を出て、ジルとシャロンは再び宮廷に戻った。魔封具の開発を叩くどころか、魔法が使えなければこれほどまでに自分は無力な存在だと容赦なく叩きつけられてしまい、とんだお笑い種だった。
「どう? 偵察……いや、勉強になった? あ、彼らが防護服を着ていたのは、魔法使いでなくとも、将来〈賢者の石〉が躰にどんな影響を及ぼしてくるかわからないから。念のため」
「――私を、疑っているのですね」
「心外だなぁ。曲がりなりにも求婚している身だよ。僕は、君に」
執事によって部屋に運び込まれたカップを手に取りながら、ジルが笑う。第三者が同じ空間にいる状況で、求婚しているだの何だの口にしてもいいのだろうか。貴人は使用人の目をあまりにも気にしない傾向がある。しかし執事は何も聞いていないふうを装って、普段と変わりなく己の職務を全うしていた。シャロンの分のカップと受け皿も用意して、執事が音もなく部屋を退室する。
「この三年間、近くで観察していたけれど、君はどこにも手紙を出さないし、誰かと連絡を取っている様子もない。一番君と話しているのは僕だと断言できる」
「……手紙を出していないと、なぜ断言できるのですか」
「光と闇の魔力で手紙を出すときの魔法信号って、捕捉できるんだよ。ひとりひとり、波形が違うこともわかっている。だから、帝国軍の魔法使いは手紙を出したいときに魔法は使わない。軍内郵便に出す。魔法を使えない歩兵と同じく」
なぜ、シャロンはそんなことさえ知らないのか。情報統制されていたのだろう。しかし、一度でもシャロンがどこかに手紙を出そうとしていたら、たとえ闇の魔法を使っていても、軍内郵便を利用していたとしても、検閲に回されただろうことは想像に難くなかった。
「……なぜ、今になって、私にそれを教えるのですか」
「……だって、公平じゃないだろ。僕は君に誓約を強いているのに。手の内を見せないのは」
ジルが珍しく尻すぼみに話し、肩を落としながらカップに注がれたバルカを口に含む。バルカとは、バルカの黒い種子を煎じた飲み物であり、主な産地はイヴァンの植民地の一つであるティルハナシュだ。
誓約に対し、ジルがそういった後ろめたさを抱いていたことに、シャロンはまず驚いた。だが求婚している身でありながら、ジルが未だ誓約を外せない理由も、シャロンは理解していた。もし万が一、シャロンが帝国を裏切った場合、火の粉が真っ先に降りかかるのは帝国民だと、ジルはわかっているのだろう。
ただ、できうる限りの誠意を示そうとしているのは、シャロンにも伝わってきた。
「……僕は、君の家名も知らない。……好きな花は、わかる気がする。一度ウォーティアの花を見て、表情が和らいでいたのを憶えている。本を読むのが好きなのも知っている。君が暇さえあれば帝国図書館に通っていることも。でもそこで誰かと接触している様子もないし、借りられた本に細工が施されているわけでもない。あ、僕は尾けたことがないよ。その手の者がいるから」
早口で捲し立てている間に、余計なことまで言ったことに気づいたのか、ジルは「……ごめん」と謝って、片手で自分の両目を隠した。いつもの泰然とした態度からは想像もつかないほどうろたえて見えるジルに、シャロンもどう接すればいいか、わからなかった。
「……家名は、ありません。貴族の生まれではないので」
「ああ、そう……」
シャロンが貴族か貴族でないかなど、どうでもよかったのか、ジルは生返事をして、両目を隠していた手を下げた。
束の間、両者の間に気まずい空気が流れる。いつもであれば、ジルが話して、シャロンは相槌を打つくらいだったから、シャロンも何か話題を提供できるわけでもなかった。
もしここで、師の名前でも訊かれると、どうなるのだろう。嘘をつくことは誓約違反になるのか。ジルを裏切ったことになるのだろうか。
沈黙を破ったのはジルだった。
「……もしかして、君の師匠って、プロスペローって名前だったりした?」
ジルの突飛な質問に意表を突かれたシャロンは、思わず「ふふっ」と声に出して笑ってしまった。プロスペローとは、『ペンと杖』に登場する魔法使いの名だ。ミランダは、その魔法使いの娘の名だった。シャロンがよく図書館で『ペンと杖』を借りていたこともジルは知っているのだろう。
ジルが、シャロンの笑顔に目を瞠り、ポカンと口を開けたまま固まる。しかしその後、我に返ったジルは、愛おしいものを見るように目を細めて笑った。
それは、シャロンがジルに初めて見せた笑顔だった。




