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魔法使いと弟子  作者: シシトウ
7章 初陣
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(2)



     *



「魔法使いはいつでも前衛さ。優秀な魔法使いは一人で歩兵二千人分程度の働きをするといわれている。ホリンシェッドともなれば、一個師団相当かそれ以上とも」


 イヴァン帝国軍の魔法使いはザトラス砦に集結していた。各々がマスクと遮光ゴーグル、手袋を身に着けている。(はた)から見れば、人相も、性別さえわからないだろう。


「初陣だね。怖い?」


 手袋を身に着けるシャロンの手が震えているのにジルが気づく。普段は飄々と道化を装っているように見せて、こういう機微にジルは敏い。模擬戦闘の経験は多かれど、シャロンにとって生死を懸けた実戦は初めてだった。


「僕はホリンシェッドと相対するのは避けられない。死にたくなければ僕のそばにはいないことだ。守ってあげられないのはごめんね」


 ジルはシャロンに、自分の補佐をしろとは命じなかった。副官であればいついかなるときでも上官に仕えねばならぬというのが遵守すべき軍規である。それは初陣のシャロンに対する温情か、はたまた未だに覚悟の決まっていない者をそばに置くのは足手まといだとの認識か。――おそらく後者なのだろう。シャロンはガチガチと震えそうになる奥歯を食い縛った。

 夜明けとともに砦から前線へと移動する。辺りの天気は雷雨で大荒れだった。風が吹きすさび、地鳴りさえ聞こえてくる。戦闘服の上に雨衣を身に着けてはいるが、被ったフードからは常に雨粒が滴っていた。


「ったく、光の魔法使いの何が嫌かって、空を、天候を牛耳られるところなんだよね。そもそも風と光の魔法使いは、地に降りて来ないからな」


 そこが、模擬戦闘と実戦の違いだ。魔法大学校での模擬戦闘は地面から長く足を離してはいけないという縛りがあったが、この戦場には当然それがなかった。

 塹壕の中でジルが不満げにこぼすのを、シャロンはどこか遠いところに意識を置いて聞いていた。しかし意識は瞬時に現実――戦場へと引き戻された。



「来るっ」



 ジルが短く叫ぶのと同時に、辺り一面が光った。

 次の瞬間、見たこともないほどの巨大な稲妻が、空から降ってきた。

 そのとき躰を闇と同化させたのは、本能だった。それでも、全身に痺れが走るのは避けられなかった。

 雷鳴が天地に轟き、地響きだけでなく、大気が揺れている。

 シャロンが次に目を開けて、周囲の様子を窺ったとき、つい先ほどまで動いていた魔法使いたちが衝撃に吹き飛ばされ、所々焦げついた死体となっていることに気づいた。元素変換が、間に合わなかったのだ。

 シャロンの真横で舌を打ったのはジルだった。


「ホリンシェッドが来たぞ! 動ける者は応戦! 黒焦げになりたくないなら気を抜くな!」


 ジルが言い終わる間もなく次々と上空から雷撃が降り注いでくる。ジルの闇の魔法が瞬時に塹壕の上に展開され、雷が吸収されていった。その間に、光と風の魔法使いが塹壕から飛び出ていき、空の彼方へと消えていく。

 シャロンは尻餅をついたまま無意識に後ずさりをした。心臓がこれ以上ないくらいに高鳴っている。周囲では銃撃の音や落雷が絶えず轟いているはずなのに、自分の鼓動と呼吸音しか聴こえなかった。

 ドンッと背が塹壕の壁に触れる。しかし明らかに土壁の感触ではなかった。シャロンが後ろを振り向く。

 そこに()()()のは、服が焦げつき、皮膚に樹状のような雷紋が現れたまま呼吸を止めた若い女魔法使いの死体だった。シャロンとそこまで歳が変わらないように見えた。

 半開きの口からはだらりと舌が垂れ、閉じない瞼は白目を剥いていた。

 ゾッとシャロンの背すじに悪寒が走り、腹の奥底から胃液が込み上げてくる。思わずシャロンはそれを地面に吐いた。









「――軍人は人を殺すのが仕事だよ。給料分は働いてもらわなきゃねえ」


 日が落ち、砦に戻ったジルが、暗闇で蹲っていたシャロンに声をかける。シャロンはあれからろくに動けず、ひとり塹壕の闇の中で閉じこもっていたのだった。


「まあいい。そもそも闇の魔法使いは前衛向きじゃないのはわかる。体力が余っているのなら遺体の回収を頼むよ。歩兵がだいぶやられている」


 夜目が利く闇の魔法使いが夜に動くのは理に適っていると言える。シャロンはむくりと立ち上がり、無言のまま空間転移をして、再び前線に舞い戻った。今日のシャロンの()()()()具合は、ジルにそのまま契約を切られてもおかしくないほどだった。大方、ジルは予測していたのだろう。兵士や魔法使いの死に直面したシャロンが、使い物にならなくなることを。

 ――雷撃が、目の前に降ってきたあのとき。

 あと少し、躰を闇と同化させるのが遅かったら、間違いなくシャロンも焼かれていた。

 間一髪の出来事に、今さらながら躰が震えてくる。

 あの瞬間、シャロンは頭上の遙か彼方に浮かぶ、ひとりの魔法使いの姿を確かに見た。

 雷雨の狭間を飛び、まるで神のように地上の虫けらを見下ろす黒衣の魔法使い。

 戦場で見たアーサーは、恐ろしかった。誰よりも、強く。非情だった。

 まるで兵士一人一人の動きが見えているように、的確に光や雷を操る。

 そして、アーサーが王国軍の先陣を切っていたという事実。前衛を任されていることは知っていたが、まさか開口一番に相まみえるとは思わなかった。

 閃光に目がやられ、動きが止まった兵士も彼は見逃さなかった。次の瞬間には、心停止した死体が転がっていた。

 さらに、アーサーの放った光線で、何百もの兵士の首が、一瞬で胴体と分かれるのを見た。

 とてつもない、力だった。

 戦場での記憶が、否が応にも脳裏で再生される。シャロンは(かぶり)を振って、空間転移を繰り返しながら地面に転がる遺体を砦に運んでいった。中にはまだ息のある者もいて、シャロンは彼らを背負って衛生兵のもとに運んだ。もう、前線と砦を何往復したかは数えられなかった。

 でもシャロンが救った、この一人一人が、これからアーサーに牙を剝く存在になるかもしれないのだ。

 未だにわからない。どうすればアーサーを救えるのか。本当に、アーサーを殺せる存在が、この世にいるのだろうか。

 ジルを殺せばいいのか。もはや船上で初めて会ったときにジルを殺せていたら、この戦争はそもそも起こらなかっただろうか。

 あるいは、王国にとどまっていたほうがよかったのか。宰相に進言できる立場があればよかったのか。

 それか、初めからアーサーに懇願すればよかったのか。あなたは殺されるから、戦場に行かないでほしい、と。

 だが、アーサーが最前線で戦わなければ、王国はとっくに火の海だろう。火の海だけじゃない。水の魔法使いは海から津波を作れるし、土の魔法使いは大地を震わせる。まさに天変地異を神のごとく引き起こす。

 ただ、人間の体力は有限であることだけが救いだ。

 どんなに人間離れした力をもっていようと、魔法使いにも食事や睡眠、休息が必要である。今日一日動けなかったシャロンでさえ、こう何度も前線と砦を往復していれば、息が上がるのは避けられない。

 ――怖かった。恐ろしかった。

 甘ったれていた。アーサーの右腕になる、なんて豪語していた自分が恥ずかしかった。あのときアーサーは何を思っただろう。肩を並べて戦えると思っていたシャロンのことを。愚かにも、アーサーを守れると思っていた弟子のことを。

 明日にも、シャロンはあの稲光に貫かれて、死ぬかもしれない。

 それは、ある意味本望かもしれないが、まだここで死ぬわけにはいかなかった。



「ひっ……、っ……」



 涙が、止まらない。

 色んな感情が綯い交ぜになっている。恐れと、悔しさと、自分への怒りで、何もわからなくなって、目の奥が熱くなり、喉が狭窄する。

 レオルグ王国の兵士や魔法使いを何人、何十人、何百人と見捨てた。ジルの魔法に取り込まれ、闇に沈みゆく人間の群れを。

 自分だったら、助けることができたのに。



「怖かったね」



 明け方、魔力と体力を使い果たし、ふらふらになった状態で砦に戻ったシャロンを抱きとめたのはジルだった。彼女が深く被っていたフードを取り、その濡れた頬に彼が触れる。



「大丈夫。ミランダのおかげで、大勢が助かった」



 ジルが彼女の躰を抱き寄せ、その背を優しく叩く。

 ……本当に、助けられたのだろうか。自分は。誰かを。消えそうになっていた命の灯を。確かに繋げられたのだろうか。

 それがたとえ、レオルグの敵であったとしても。助けた、と言えるのだろうか。



 ――お前の力は、大勢の命を救い、守ることのできる力だ。



 師の声が、どこかでこだまする。

 シャロンは初めて、アーサー以外の腕の中で、意識を手放した。









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