(2)
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魔法学園での寮生活は、つつがなく始まった。
ロバートに連れられ、シャロンが学園の門をくぐる。ロバートはシャロンが昨夜、ひとりでめそめそしながら荷造りしたトランクを持ってくれていた。
ロバートは宮廷魔法使いの証である黒いローブを身にまとっていた。いつかロバートも、戦地に向かってしまうのだろうか。シャロンがロバートの顔を物憂げに窺っていると、「――老兵は王都を守る役割を果たさねばな」と、シャロンを安心させるように笑って、彼女の疑問に答えてくれた。
ロバートはこれまで戦いに明け暮れた人生を歩んできたと言える。ちょうど魔法使いが戦争に投じられるようになった転換期に生を受け、戦闘や戦術に魔法が組み込まれるようになった時代の魔法使いだ。レオルグ王国の内戦に始まり、イヴァン帝国より遙か彼方に位置するカムリヤの植民地化を果たし、さらに二十年前にはソール地方の奪還に成功した。その後、ようやくロバートはアーサーを弟子にとったが、その弟子を連れて他国の情勢を見て回り、時には戦争に関わって、アーサーに実戦とは何たるかを経験させた。普段はおちゃらけているが、ただの老兵と評するにはまったくふさわしくない、歴戦の魔法使いだ。
今朝方、郵便受けを最後に覗くと、セシルから手紙が届いていた。セシルは今、二人目の子どもを妊娠している。光の魔法使いの夫は今回のソール戦線に召集されたらしい。夫が妻子を残して戦地に赴くことになり、自分も不安であるはずなのに、手紙にはシャロンを気遣う言葉が溢れていて、シャロンはセシルに心から感謝した。
学園は入退寮時の手続きなどを除けば、関係者以外立入禁止とのことである。シャロンが小さい頃からアーサーに連れられて自由に出入りしていた大学校とは少々毛色が異なるらしい。思春期の少年少女を守るためなのか、規則は厳格で、破れば保護者にも連絡がいく、とシャロンは寮母に説明を受けた。この場合の保護者はロバートである。
しかし、シャロンは既に闇の高等魔法である空間転移ができる。見たところ、闇の魔法を阻害するような光の魔法は学園にかけられていないし、寮を抜け出そうと思えばいつでも抜け出せそうである。隣に立つロバートを窺うと、ロバートは意味深長にウインクをしてみせた。
「週末にはこっそり王宮に遊びにおいで。一緒にお茶でもしよう」
お茶をする暇があるのか、とシャロンは一瞬首を傾げそうになったけれど、ロバートはシャロンと交流することが何にも代えがたいと思ってくれているのだろう。アーサーからも、何か言われているのかもしれない。
それと、自分の能力についても、むやみに他人に明かしたりしないほうがいいのだろう。学園では己の属性ごとに分けられる授業もあるそうだが、シャロンは、自分の闇の魔法について、粗削りな部分はまだ多かれど、大学校の学生に比べても遜色がないレベルでは、と客観視している。当然、軍からのスカウトもあったが、アーサーが軍の上層部に対し、文字通り本当の雷を落とし、睨みを利かせて以降は、二度と軍人から話しかけられなくなった。
寮は二人に一部屋が与えられているらしい。ロバートと別れ、シャロンはトランクを持って寮に入った。寮母に案内された部屋の前で、ひとり立ち竦む。既に、同室の少女は入寮しているらしい。
シャロンは意を決して、扉をノックした。
シャロンにとって初めての、同世代との邂逅だった。
「初めまして! 私はカレン。あなたが、アーサー様の愛弟子ね!」
扉から飛び出してきたのは、赤毛で焦茶の瞳をした少女だった。髪は肩に届かないところで切り揃えられていて、黒いベルベットのカチューシャには小粒の真珠がちりばめられており、何とも可愛らしい。
快活な少女は、カレン・グレイバートと名乗った。グレイバート家は、ベルモント領を治める子爵家だ。
「は、初めまして……。シャロン、です」
「シャロン! あのね、私あなたにずっと会いたかったの。仲良くしてくれたら嬉しいな」
カレンに手を取られ、「もっと気安く話して!」と両手で勢いよく握手される。彼女の明るさに、シャロンはひとり緊張がほぐれてゆくのを感じた。
手に自ら触れられたことに、少し涙が出そうになる。もう魘されることはないけれど、洞窟に閉じ込められ、「呪い子」と他者から疎まれたのは、シャロンにとって深い心の傷になっていることは確かだった。
部屋に招き入れられる。寝台と机、椅子、衣装棚が左右に一つずつ置かれていて、真ん中には腰高窓が備えつけられていた。近くには木が生えているのか、木漏れ日の混じった陽射しが部屋の中に入り込んでいて、ぽかぽかと暖かかった。カレンは、自分は左側を少し使わせてもらっているが、シャロンはどっちの寝台がいいかわざわざ尋ねてくれた。シャロンはどちらでもよかったので、窓に向かって右側の寝台を使うことになった。
カレンの寝台に一緒に座り、互いに自己紹介をし合う。自分は風の魔法使いであること。兄と姉が一人、弟が一人の四人きょうだいであること。今まで領地で暮らしていて、王都で暮らすのは初めてということをカレンは教えてくれた。
シャロンも、自分は闇の魔法使いで、師はアーサー・ホリンシェッドであること、シュイッドの森に住んでいて、王都にはアーサーに連れられてよく来ていたこと、などを話した。
カレンの師匠は領地に住んでいて、昔は宮廷魔法使いでもあった女性であるという。ロバートと同世代で、風の筆頭魔法使いとして、彼と肩を並べていた時期もあるらしい。
「ホリンシェッド家が治めているストラフォードとは領地が隣でね? 私、お屋敷にも何度かお邪魔したことがあるの」
シャロンはアーサーとレオルグ王国の地理を一緒に勉強した際、貴族が治める領地名と、土地を治める貴族の家名はあらかた彼に教えてもらっていた。例えば、ストラフォード伯爵領を治めるのがホリンシェッド家、ベルモント子爵領を治めるのがグレイバート家、アーデンフィルド侯爵領を治めるのがウォルシンガム家である、というふうに。魔法学園には当然、貴族の令息や令嬢も数多く通うことになる。学園でシャロンが無知を理由に攻撃されないための、社会勉強とも言えた。
「アーサー様は、早くからストラフォードを出られていたから、私はお目にかかったことがなかったのだけれど……。お兄様のジーク様が、もうほんっとに、かっこよくて、優しくて!」
カレンの思い出語りに熱が入る。アーサーは兄のジークのことを、自分とは比べられないほどにできた人間、と評価していた。家族の中で唯一、魔力をもって生まれた弟のことを、いつも気にかけてくれていたという。小さい頃はよく一緒に遊び、兄から勉強を教わったり、本を読んでもらったりしていたとのことだった。その背を見て育ったからこそ、アーサーはシャロンにも自然と同じことをしてくれたのだろう。
「私の、初恋だったのに……っ」
わあっと、カレンが自身の顔を両手で覆った。
ジークは、とうとう昨年の春にベルモント子爵の長女と結婚した。結婚が決まったときは、伴侶を探していた全令嬢が泣いたといわれている。今年、めでたくホリンシェッド家の跡継ぎとなる長男も誕生しているはずだ。甥っ子の誕生に際し、アーサーが王都で誕生祝いの贈り物を買っていたのを思い出す。
「……カレンのお姉様が、先生のお兄様と結婚されたってこと?」
「そうよ! エレノアお姉様にかっさらわれたのっ」
結局、大量に届いた有象無象の釣書には目もくれず、ジークは気心の知れた幼馴染みと結ばれた、というわけだ。つまりアーサーとカレンは、義理とはいえ親戚どうし、ということになる。
ジークの結婚式には、アーサーも当然参列していた。シャロンは遠慮しようとしたが、アーサーは「いい機会だから」とシャロンをストラフォードに連れて行った。アーサーは王都の仕立て屋でシャロンに似合うワンピースを仕立てさせたほか、髪飾りやチョーカー、手袋などの装飾品まで一式揃えてくれた。
結婚式で、シャロンは初めてアーサーの家族とも対面した。穏やかそうな両親と兄のジークは三人とも黒髪で、アーサーは母親似、ジークは父親似であることがわかった。
しかし今シャロンが結婚式の情景を思い返してみても、カレンの姿はなかったように思う。カレンに訊くと、なんと、結婚式当日は高熱を出してしまい、寝込んでいたらしい。
「失恋で泣きすぎて熱が出るなんてマヌケよね……」
燃え尽きたような哀愁を漂わせながら、フッとカレンが小さく笑う。エレノアはカレンより八つ年上で、今は二十一歳とのことである。年齢的にも、ジークとエレノアは、カレンより釣り合ったのだろう。ジークはアーサーより二つ年上ということは、今は二十七か八のはずである。エレノアが二十歳になるのを待っての結婚だったようだ。
カレンの様子を見て、本当に好きだったんだな、とシャロンは思った。本気で、ジークのことが大好きだったのだろう。幼い頃からジークだけを見て、その背をずっと追いかけていたに違いない。
でも、カレンにどんな言葉をかければいいのかわからなかったので、シャロンは彼女の背にぽんと優しく手を置いた。その気遣いが伝わったのか、「ありがとう」とカレンが照れくさそうにはにかんだ。
カレンと同室になれたことに、シャロンはほっとした。
と同時に、これには、もしかすればアーサーの意図が働いているのかもしれない、とシャロンは気づいた。
おそらくそうなのだとしても、その配慮にシャロンは感謝した。ストラフォードに赴くのを「いい機会」とアーサーが言っていたのも、自分の家族だけでなく、もしかすればカレンともシャロンを引き合わせようと考えていたのかもしれない。
その日の夜、シャロンはセシルに手紙を書いた。セシルの温かい言葉に感謝していること、魔法学園の寮に入寮したこと、風の魔法使いのカレン・グレイバートと同室になれたこと、これから手紙は寮に送ってほしいこと、などを書き連ねた。アーサーにも手紙を書きたかったけれど、ロバートから聞いたところによると、これからはアーサーの魔法で直接手紙が届くのではなく、軍部を仲介することになるらしい。だから、もしアーサーに手紙を書いたなら、軍部に送るか、ロバートに渡すのがアーサーのもとに届く確実な方法とのことだった。
アーサーは、「手紙を書く」と確かに言っていた。ならば、最初は彼から手紙が届くのを待っていたほうがいいのかもしれない。
シャロンはいつも首から提げている光の結晶魔石を、ぎゅっと握り締めた。シャロンはもう自分で力を制御できるようになったため、この結晶魔石で魔力を中和する必要もないのだが、これはシャロンにとってアーサーの魔力を感じられる宝物、大切なお守りだった。
瞼を閉じ、石を両手で握り締めながら、シャロンはアーサーの無事を祈った。




