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魔法使いと弟子  作者: シシトウ
3章 魔法使いの弟子
12/31

(6)



     *



 シャロンに初めて文通相手ができた。アーサーに報告すると、「そうか」と彼は優しく微笑んだ。

 早速、郵便受けにセシルからの手紙が届いていたので、シャロンがいそいそと返事を書く。お気に入りのインクで羽根ペンを滑らせ、封をするときは臙脂色の封蝋を融かし、アーサーからもらった印章を押す。シャロンは最初、それが何の印章か知らなかったけれど、光の筆頭魔法使いが代々受け継いでいるものだとセシルから教えてもらって、心の底から驚いた。いつもそこらへんにほっぽり出されているし、何なら掃除のときに踏んでしまったこともあるので、シャロンが別のはないかとアーサーに頼んだところ、今度は骨董品のような指輪型の印章を渡された。


「ホリンシェッド家の印章では……ない、ですよね?」

「ああ」


 アーサーはまったく気にしないだろうが、貴族でもないシャロンが、貴族の印章を使うのは憚られた。自分の名前の頭文字でも彫った印章を作ることも考えたが、シャロンは指輪型の印章に彫られていた意匠が気に入ったのでそれを使うことにした。真ん中に花が彫られていて、その周りは葉と茎の繊細な模様で取り囲まれており、母が「シャロンの花」と称したウォーティアの花弁に似ていたからだ。

 セシルから返事が来た。セシル本人もその花の印章について詳しく知らなかったが、セシルが夫と調べたところによると、どうもこの印章は、数百年前の王家の末姫が使っていたものであるらしい。なぜそんなものをアーサーが持っているのか、アーサーに尋ねると「へえ、よく調べたなあ」と彼は口の端を上げてニヤリと笑っただけだった。もしかすれば試されていたのは、セシルたち夫婦だったのかもしれない。

 手紙を書いて封をしたあとは、いつもアーサーに手渡す。アーサーはそれを光の魔法を使って、セシルのもとへと送り届けてくれる。

 しかし、手紙を魔法で瞬時に送ることができるのは、光の魔法使いの特権である。と思っていたら、実はそうではないらしい。


「シャロンもコツを摑めば、容易に送ることができるだろう。光と闇の魔法は、似ている部分も多いからな」


 アーサーが本棚の前で浮きながら目当ての本を探し出し、表紙を開いて内容を確かめる。表紙の題字には『光と闇の相関』と書かれていた。


「光と闇の魔法使いは、他の魔法使いとは一線を画していると言える。――時空を、司るからだ」


 アーサーが紙面から目を離さないまま、呟くように言った。シャロンには、まだその意味がよくわからなかったけれど、なぜか背すじにぞわりとした感覚が広がっていった。それは、本能的な畏れのようなものだった。


「外に一歩も出ないで、ここから大学校にだってお前は行けるようになる。闇の魔法は、空間と空間を繋げられるんだ。慣れた道や、一度行ったことのある土地ならば、繋げる想像もしやすいはずだ。……まずは、小さな無機物から練習してみるか」


 パタン、と本の表紙を閉じて、元あったところに本をしまい、アーサーが床に降り立つ。アーサーは外に出て小石を一つ拾ってきた。それをシャロンに渡し、「これを、ここから一歩も動かずに、いつも物干しに使っている木の(うろ)の中に置いてみろ」と何でもないことを告げるように言った。

 シャロンは魔力量こそ人より何倍も多いが、まだその力をうまく扱えるとは言いがたかった。しかしアーサーがやってみろと言うのであれば、やってみるしかない。

 手のひらの上で、闇の力を発動させる。いつも見慣れた、あの木の洞の中に、この小石を送る。目を閉じ、シャロンは頭の中で、自分の手のひらの上の空間と、外に生えた木の洞の中の空間を繋げた。

 次の瞬間、小石がシャロンの手の中から消えた。

 アーサーと目を合わせ、二人で家から出て近くの木の洞を覗く。

 先ほどまで手に持っていた小石が、確かに木の洞の中に在った。

 成功だった。

 アーサーが、ヒュウと甲高い口笛を吹く。


「勘がいいな、シャロン」



 すごいな。一発でできるとは、正直思っていなかった。



 自分のことのように嬉しいのか、破顔したアーサーがシャロンの髪をくしゃりと撫でる。一度で成功したことよりも、アーサーが喜んでくれていることのほうが嬉しくて、シャロンも思わず「えへへ」と笑みをこぼした。シャロンの力が成長とともに安定してきている証だと言えた。

 人間のような動体は目印になりにくいが、木や建物、それこそ郵便受けのようなものは闇の魔法の目印にしやすいのだという。


「闇の魔法で送るほうが、他の魔法使いにも捕捉されにくいしな。光の魔法使いは、何をするにも目立つんだ。正直羨ましいよ」


 アーサーが大げさに肩を竦めてみせる。それは、隣の芝生は青い、というか、ないものねだり、とも言えた。シャロンには、やはり光の魔法のほうが羨ましく思える。アーサーと同じ属性というだけではなく、光の魔法使いは色んな場面で他の元素使いより(まさ)っていると感じる。機動や敏捷性は群を抜いているし、何よりあの空を飛べるのだ。

 一度、風の魔法使いが空を飛べるのは何となくわかるが、なぜ光の魔法使いは空を飛べるのかアーサーに尋ねたことがある。アーサーは、「一般の物理法則を超えた力を〈魔法〉と俺たちは称しているが、まず光には、重さがないからな」と淡々と答えてくれた。要するに、自分の躰を光とある程度同化させることでアーサーは簡単に浮いてみせるが、紛うことなく光の高等魔法の一つである。そして光の宮廷魔法使いにとっては初歩中の初歩であるらしい。

 対して闇の魔法は、光さえ干渉できない力をその場に生み出す。光の魔法が直線に作用するのであれば、闇の魔法は風呂敷のように場を制御する力だと言える。


「当然、飛行や浮遊には魔力を消費する。光の魔法使いは短期決戦に向いていて、闇の魔法使いは持久戦向きなんだ」


 華々しい模擬戦闘に向いているのは光の魔法かもしれないが、実際の勝負は一瞬で決着がつくものではなく、使い手の魔力と体力次第なところがある。したがって、持久戦になればなるほど闇の魔法使いの優位性が増す。

 もしシャロンが光の魔法使いであれば、どんな人生を送っていただろう。呪い子と忌み嫌われることもなかっただろうか。でも何かの拍子で力を暴走させ、誰かを傷つけてしまっていただろうか。ただ、アーサーが幼少期に邸宅の一棟を爆破させた原因は魔力の覚醒ではなく、実験、であったらしい。「……星を、つくってみたかったんだ」と、アーサーが少し恥ずかしそうにボソッと呟いたのをシャロンは憶えている。純粋無垢と片づけるには些か危険すぎた実験かもしれないが、師匠にも純真な頃があったと知ってシャロンは微笑ましく思った。

 でも、シャロンが闇の力をもってこの世に生まれなければ、あのとき力が覚醒していなければ、今こうしてアーサーと過ごす未来は永遠に訪れなかっただろう。

 木の洞の前で、アーサーが色んなものを転移させてみるようシャロンに促す。花や木の実といった有機物から、空を飛ぶ蝶まで。そして手のひらの上から栗鼠を転移させることもできた。

 最終的に、シャロンは大学校にまで自身の躰を転移させることに成功した。


「これで、俺の足もお役御免というわけだな」


 先に大学校の敷地にある中庭で待っていたアーサーが、転移した勢いのまま抱きついてきたシャロンを受けとめる。これでシャロンはアーサーの手足を借りないで、慣れた土地であれば瞬時にどこにでも行けるようになったのだ。一人前の魔法使いに一歩近づけて嬉しい反面、もうアーサーと行き帰りの道中にお喋りすることもないのだと気づいて、シャロンは少し寂しく思った。それはアーサーも同じなのか、子の成長した姿に喜ぶ父親のように、いや、それはまるで弟子の成長を喜ぶ師の姿そのもので、アーサーが目を細めてシャロンを見つめている。


「あの……ときどきは、抱っこしてもらっても、いい、ですか?」


 シャロンがアーサーの正面に抱きついたまま、おずおずと彼を見上げる。アーサーは、一瞬きょとんとしたあと、ははっと朗らかに笑って、「ああ」と頷いた。



「すごいぞ、シャロン」



 アーサーがシャロンを抱え上げ、二人の目線を同じにする。出会った頃のアーサーは、まだ少年の面影が残る顔つきをしていたが、今ではもう「おにいちゃん」なんて気安く呼べない、精悍な、一人の男性だ。

 シャロンは初めて、アーサーの体躯を意識し、ドキドキと胸が鼓動するのを感じた。アーサーは魔法使いであるが、得物の扱いにも長けているし、軍人と定期的に手合わせしているのもシャロンは知っている。普段はローブの下に隠れているが、アーサーの背や腹は鍛えられていて硬いし、細身に見えて腕や腿には意外と筋肉がついている。現に、一人の少女を片腕で余裕綽々と抱えられるほどだ。

 間近でアーサーの顔を見つめる。きれいだ、とシャロンは子どもながらいつも思う。怜悧な刃を思わせる眼は、見る者を時折萎縮させているけれど、笑ったときは柔らかく弧を描くため、運よくそれを目にした女生徒たちから、きゃぁっと歓声を浴びていた。襟に付かない程度で揃えられた後ろ髪は、シャロンに指摘されなければよく寝癖が付いているし、不精だから前髪も普段から伸び気味だけれど、アーサーが本を読んでいるときにふと髪を搔き上げる仕草が、シャロンは好きだった。

 何だかアーサーを見ているのも彼から見つめられるのも恥ずかしくなってきた。紅く染まっているだろう頬を見せたくなくて、シャロンはアーサーにぎゅっと抱きついた。アーサーは同じようにシャロンが抱きついてきた昔を想い返しているのか、「……大きくなったなぁ」と感慨深げに息をついた。









 月の障りが来ても動じなくなった頃のことだった。厨に立っていたシャロンは貧血でふらりと倒れそうになった。その日は朝から腰が重く、下腹もじくじくと痛かった。さらに夜中遅くまで本を読んでしまい、睡眠不足も重なっていた。幸いアーサーにすぐ抱きとめられ、怪我こそしなかったものの、シャロンはアーサーに一日中安静を命ぜられた。


「頼むから、無理はしてくれるな。これからは、つらくなったらすぐに言え。我慢するなよ」 


 わかったな、とアーサーに念を押される。はい……、とシャロンは寝台の中で小さくなって答えた。アーサーの調合した痛み止めを普段から渡されていたのに飲んでいなかったのは、疾うに気づかれていた。

 おとなしくアーサーから渡された粉薬を飲んで横になる。すると、アーサーが部屋を出ないうちに、すうっと寝入ってしまっていたのか、次にシャロンが起きたのはもう夕暮れ時だった。

 アーサーはシャロンが倒れたことで、今日の外に出る仕事はすべて取りやめていたらしい。シャロンが一階に降りると、夕食の良い匂いが鼻腔をくすぐった。


「気分はどうだ?」


 そろそろ起きてくる頃かと思った。

 アーサーは本棚に掛けられた梯子に座って本を読んでいたらしい。ふわっと梯子から降りて、シャロンの前に着地した。体調は万全、とは言えないが、痛みも今はだいぶ落ち着いている。シャロンは「大丈夫です」と答えた。同時に、ぐう、とお腹が小さく音を立てる。


「ふっ、食欲があるのはいいことだ。食べようか」


 恥ずかしそうにお腹を押さえたシャロンにアーサーが笑いかける。

 アーサーが作ってくれていたのはシチューらしい。シャロンの好物の一つでもある。なぜ、アーサーがひと通りの家事をこなすことができるのかというと、ロバートとの海外遠征の中で身につけざるを得なかったからだと聞く。ロバートの手料理は壊滅的で、アーサーが料理や諸々の家事を覚えねば死活問題だったらしい。


「躰を冷やすなよ」


 夕食のあとは用意されていた風呂に入った。湯が張られた大盥の中にはアーサーの力で熱を発する小さな光の玉が一つ沈んでいて、湯が冷えないよう温かさが保たれている。便利な力だと思う。

 せめて湯上がりに浴室をきれいに掃除しようと、シャロンが濡れた髪をタオルで巻いたまま掃除用のブラシを持っていると、アーサーに即行で取り上げられてしまった。「冷やすなって言っただろ」と髪をわしゃわしゃとタオルで拭かれ、問答無用で食卓の椅子に座らされる。

 シャロンの前に差し出されたのは温かいミルクだった。くん、と匂いを嗅ぐと、蜂蜜の香りもする。何から何まで至れり尽くせりだった。申し訳なさそうに「すみません、ありがとうございます……」とシャロンがこぼすと、「素直に甘えておけ」と向かいに座ったアーサーが肩を竦め、頬杖をついた。


「先生、今日の、お仕事は?」

「ロバートに全部押しつけた」


 今日の午後は宮廷の魔法院に出向く予定があったはずだ。わざわざ宮廷嫌いのアーサーに頼むほどの仕事ということは相当高度なものであるはず。それこそ、筆頭魔法使いであったロバートでなければ替えが利かないほどの。急遽仕事を押しつけられたロバートのことを考えていると、シャロンが何を考えているのか手に取るようにわかるのか、「おっさんに同情は不要だからな?」とアーサーが不服そうに唇を大きく歪ませた。


「普段から押しつけられているんだ。こんなときくらい働いてもらわないとな」


 アーサーが、はあ、と溜め息をつきながらぼやいたそのときだった。

 バッと、アーサーが窓のほうを突然振り向いた。

 その俊敏な動きに驚き、シャロンも思わず窓に目を向ける。しかし窓の外に異変は何も感じられなかった。


「先生、どうされました?」

「――誰かに、見られているような」


 この家にはアーサーの強力な光魔法の網が張り巡らされている。触れたらビリッと感電し、しばらく動けなくなるため、魔法使いを含め、普通の生き物は容易に近づくことさえ叶わないはずだ。彼の探知網に、何が引っかかったのだろうか。


「鳥か、何かの小動物でしょうか」

「……さあな。嫌な感じはしなかったが」


 妙な気配が消えたのか、アーサーが再び頬杖をつき、ふ、と短く息を吐く。もし彼が少しの殺気でも感じていたなら、真っ先にこの家から飛び出していき、今シャロンの目の前に座ってもいなかっただろう。


「それ飲んだら今日は夜更かしせずに寝るんだぞ。いいな」

「……でも、昼に寝たから、こんなに早く眠れません」

「なら眠くなるまで一緒に本でも読むか? ただし、一冊までだ」


 アーサーが仕方なさそうに笑って提案する。シャロンはガタンと勢いよく立ち上がった。


「『ペンと杖』でもいいですかっ?」

「『ペンと杖』? 本当に好きなんだな」

「はい!」


『ペンと杖』はシャロンの好きな物語だ。この家で一番最初にアーサーから手渡された、魔法使いとその娘の物語。今でこそ、シャロンはひとりでも読めるようになったけれど、何百年も前に書かれた物語であるため、古い表現や単語はまだシャロンも辞書を引かなければわからなかった。

 シャロンはアーサーの洗練された発音が好きだった。アーサーはきちんと古の韻律に則って正確に詩を発音してくれる。そして、『ペンと杖』に登場する妖精の歌をアーサーが読み上げるときにときどき掠れる声が、シャロンはたまらなく好きだった。

 物語の世界みたいに魔法が杖と詠唱で発動されるものだったら、さぞアーサーの詠唱は美しいものであっただろう。実際は詠唱など必要なく、瞬きよりも速くアーサーは魔法を発動させることができるため、その姿に見惚れたり、声に聞き惚れるよりも前にすべてが片づいてしまうのだが。

 久しぶりにアーサーの寝台に一緒に入って、本を読み聞かせてもらう。挿絵に目もくれないでシャロンがアーサーの横顔ばかり見つめていると、視線に気づいたアーサーが「どうした?」と首を傾げて笑った。









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