私だけ異世界転生しない件 2.井上遥
二人目の犠牲者は、新入社員の井上遥だ。
彼女が"転生"したのは、10日前のこと。就寝前に突然転生をしてしまったのだそうだ。
『寝る前にスマホで読んでた小説の中に"転生"してしまったようです』と、翌朝、アプリを通じて連絡があった。
彼女の転生先は、「嵐の夜に月は輝く」という恋愛小説。
ストーリーの概要は、豪雨の中道に迷った主人公が豪奢な館に辿り着き、その館の主と大恋愛を繰り広げる、ハーレクイン小説のような展開のミステリー小説だ。
『突然目の前が明るくなったと思ったら、土砂降りの森に放り出されて…っくしゅん』
どうやらその雨で体調を崩したらしく、いまは辿り着いた館で休養させてもらうことにしたとのことだった。
遥のアイコン--お気に入りのアニメキャラ--をクリックすると、ほどなくしてピコンと音がして、遥の顔が画面に映し出された。
『お疲れ様です』
「遥ちゃん。どう?その後」
『はい。もうすっかり良くなりました』
「よかった。その後、なにか進展はあった?」
『いえ、まだ。なにぶん、つい先日まで体調崩して、ほとんどベッドの中でしたんで』
「そうだよね。じゃあ、こちらからの情報を伝えるね」
私はそう言って、さきほどのチェンとの会話の概要を遥に伝える。
「--というわけで、チェンの仮説では、転生者としてのミッションをクリアすることで元の世界に戻れるのでは、とのことだけれど」
『…なるほど』
顎の下に手を置いて、遥は思案顔で呟いた。
『そうすると私の場合は…これから起こる事件を解決したらクリアってことになるのでしょうかね。それとも…』
「富豪との恋愛エピソードもクリア条件になるんじゃないの?」
『…うう…そうですよ、ね…』
遥は苦虫をかみつぶした表情をする。
『ナマの恋愛は苦手なんですよねぇ…わたし。でもクリア条件になるなら、富豪と大恋愛をしなくちゃなのか…どうしよう、ムリゲーっぽいかも』
「遥ちゃぁん…」
『とりあえず、チェンさんの仮説に従ってやってみます』
「うん、頑張ってね。あ、あと実は…」
『はい?』
遥ちゃんが返事をした直後、画面の奥でノック音が聞こえた。どうやら入室の許可を求める声らしい。
「あ、じゃあまた連絡するね。お大事に」
『はい。よろしくお願いします』
ピコンという音とともに、遥の画面がプツンと切れる。高橋さんが転生したことを伝えそびれたけれど、午後の定時連絡の際に伝えればよいかと思い直し、画面を切り替えることにした。