937:何かのインゴット
アラームが鳴って起きる。胃袋のほうは完全に良くなった。おそらく、靴擦れつぶしのためにポーションを飲んだことで胃袋の活動がより活発になっていたせいだろう。胃もたれの薬としても効果は認められるのか、それともたまたまタイミングが被ったのかは解らないが、睡眠もとれて良い感じに起きれたことに違いはない。
「あ、起きましたね。そろそろ行きますよ」
芽生さんはあれだけ食べて平然としている。やはりこの差は若さだろうか。俺もまだまだ胃袋は若いとは思いたいが、胃もたれとか油ものが食べられなくなるとか、そういうのは急に来るらしいからな。覚悟だけはしておこう。
「よし、体調もいいし足の違和感もない。午後からも頑張るか」
「その意気です。ついでに何かスキルオーブにも期待しておきましょう。そろそろ何かくれても良い頃合いかもしれません」
人、それをフラグと呼ぶ。今日は諦めよう。それはさておき今日の収入である。今日も安定した収入を得て帰りたい。午前中二時間、食事休憩一時間。そこから何時間働くか……後はそこだけだな。五時間働くと良い感じに一人一億ぐらいの収入になる。インゴットの取引が始まればそれに加えてもういくらか、という所だろう。
そろそろ保管庫の中のインゴットもおよそ一トンの重さになろうとしている。これ、査定が開始されたらまた持ち運びに一苦労だな。流石にこの重量をレンタルロッカーに入れっぱなしにするとロッカーが破損する可能性がある。何か方法を考えておかないとな。
「重いなら重い、嵩があるなら嵩があるでやはり面倒なことだな。保管庫の中のインゴットを丸ごとリヤカーに載せたら確実にパンクだ。何回かの往復をしながら運ぶフリをしないといけない」
「大変ですねえ目くらましも。でもインゴットの形にしてもらっていると言うことはそれなりの金額がつくものだと予想しておきましょう。もしかしたらこの世ならざる物質、欲しい人はたくさんいるはずです」
そうだなあ。あの二十個のサンプルでどこまで広まってくれたかは解らないけど、そろそろ結果なり、さらなる実験のためなりで追加の需要が発生しても良い頃合いか。あまり期待せずに待っていることにしよう。
再び五十五層に戻り、探索の続きを開始する。午後からゆっくり時間を使えるとなると、他に目印を追加してみて地図をちょっとでもマシにしようという空気になり、階段周りを掃除した後でドローンを飛ばして周辺の様子を確認する。しかし残念ながら骨以外に目標に出来るようなものは無かった。
「他に何もなし、と。シンプルで結構な話ではあるが楽しみは無いな」
「楽しみは後で現金で頂くから良いんですよ。今は精々モンスターの数が多いことに感謝しておきましょう。見渡す限りのモンスターはすべて我々の物ですよ」
「それもそうだな……今日は靴が足に合うかの判断する日だし出来るだけ動いて今日一日の仕事が終わったらまた足の調子を見て、また靴擦れが出来てるかどうかを確認するのが一番大事なプランだ」
「私も靴買い替えましょうかね。砂が入ったら戦闘毎に出せばいいからあんまり気にはしてないですが」
芽生さんは砂が入ったら出せばいいじゃない派らしい。それもそれでいい。でも、一年近く使ってへたれてきた靴も買い替え時ではあったし、他の階層では使い道がないかもしれないがこのまましばらくこの紐ブーツ型のを使い続けてみよう。問題が解決しなかったらまた次を考える、という方針で行く。
マップの骨に向かって、道中のモンスターを遠距離攻撃で相手にしながら倒し、近寄ってアイテムを拾う。またインゴットが出た。一キログラムだがそれほど体積は大きくない。鉄よりは……鉄よりはどうなんだろうな。密度や柔らかさも含めて専門外の話なのでこれがどう、と言ったような感想を絞り出すことが出来ない。
餅は餅屋。冶金学は冶金学の領分だ。こっちがやるのは追加の素材が必要になった時に追加でいつでもインゴットを供給できるようにしておくのが流れとしてはスムーズだろう。しかし、新素材の武器というのは気になる。
普段柄に雷切を纏わせてここまで無理なく進んでいるが、もしかすると五十七層以降は雷切が通じないモンスターが現れるかもしれないし、その際は直刀でも威力を発揮できないかもしれない。そう考えると早い目にインゴットを流通させてサンプル品でも良いので切れ味や破壊力の面で実戦テストをする必要も有るだろうし、やたら硬いモンスターが出てきた時に雷切では対処できない可能性もあるし、もしかしたら雷属性に対して耐性を持つモンスターだって出てくるはずだ。用心に越したことは無い。ギルド経由でそういう装備を作っているところを紹介してもらってインゴットの供給をする代わりに優先的に装備を作ってもらうという手も有りだろう。今後は……いや、そもそも五十七層にも入り込んでいないんだ。無駄足になる可能性だってある。地道に一つずつこなしていこう。
インゴットと魔結晶がどんどんたまっていく。保管庫のおかげで重さを感じる事は無いが、これがインゴット何十個も背負って違和感なく探索を続けることは難しいだろう。そういう観点からでも保管庫のズルさが際立つわけだが、査定カウンターにどっさりと持ち込むわけにもいかない。やはり査定解禁になってから何往復か適当なところに……例えば他の探索者が入り込まない三十五層あたりに溜めこんでおいたという言い訳を駆使してリヤカーに乗る分ずつちょっとずつ査定にかけていくか、ゴブリンソードを確保させてもらった時みたいに、今だけ関係者を主張して直接ギルドの倉庫に放り込み、査定結果を出してもらう、というパターンも考慮してもらえるかどうか、ギルマスと相談だな。
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午後からの仕事がそこそこ終わった。どうやら靴が馴染んできているということが足裏の感覚から感じられる。この調子なら二、三日で完全に足に馴染んでくれそうな気がする。心配事が一つ減ることで探索にも身が入ろうというもの。骨と階段を往復してドロップ品を溜めていく。ある程度拾い集めたところで、ついにインゴットが千個を超えた。単純計算で一トン。車一台がそれより重かったことからも、まだまだ保管庫の余裕はあることが証明されているのでもうちょっとばかり中身が一杯になってこれ以上ドロップ品を拾えないと言うことはもうしばらくなさそうである。
しかし、どれだけの質量が入るんだろうな。保管庫もいくつかレベルアップをしている間に容量も増えているのだろうか。今度真剣に何がどのくらい入るか、というのは試験する必要があるかもしれないが、試験場が無いことが謎を深めている。いっその事自衛隊の協力で戦車が入るかどうか、なんかで確かめられそうではあるが、細かく刻んでいくのか、一気に放りこんで限界まで入れてみるのかも確かめなければならないし、放り込んでいる間に保管庫のスキルの使用限界が来るかもしれない。なかなか難しい所だな。
しかし、喉が渇く。糖尿病にかかるほど不摂生はしてないが、やはりマップのせい……あ、忘れてた。
「しまった、せっかくの休みなのにやっておくタスクを一つ忘れていた。健康診断の予約に行くのを忘れていた。次の休みだな。今度は忘れずメモっておこう」
「忘れ物の始まりは老化の第一歩ですからね。自分で検査しなきゃいけなくなった分面倒だったりするんですか? 」
「うーん、自由に時間が取れるようになった分前よりも潰しはきくようになったかな。しいて言うなら、会社の健康診断を受けてる間も仕事時間になってたからその分労働が減って楽だったのは確かだ」
「洋一さん、そういう要所要所でサボるのをよしとする部分がありますよね」
「今の仕事は休んだ分収入に直結するからな。かといってそこまで根を詰めて仕事しないと食っていけないわけでも無いからその点では気楽になったな。病院に通う回数は減ったがその分健康的な生活をしているはず、という裏付けのために毎年やることにしようと思ってる」
何か忘れてるような気がしてたんだが、そうか健康診断だったか。食糧の買い出しに行く前に予約しておくべきだった。今日帰ったら近くでやってる病院を探して明日の内に予約を入れて、遅れて出勤、という形で対応していこう。メモヨシ。
◇◆◇◆◇◆◇
途中芽生さんのステータスブーストの段階アップを挟んで、お互いに四回のレベルアップが完了。そろそろ五十七層を覗きこんでもいいのではないか、というのが見えてきたところで帰りの時間だ。帰る前にもう一度靴の調子を見るが、右足は問題なし、左足は……よし、靴擦れは発生していない。靴がなじんできた証拠だ。これでまた一つ気楽にダンジョン探索が出来るようになった。
リヤカーをエレベーターに入れて一層へ行く間に荷物の整理。今日も大量のドロップ品に埋もれての帰還だ。一億あるかどうかというあたりだろう。
荷物を整理すると夕飯のカツサンドを二人ほおばり始める。エレベーターの中が揚げ物のにおいに包まれる。
「確かに帰りはエレベーターの中でも良いとは言いましたが、この匂いを後数十分耐えなくてはいけないんですかね」
「そこは解決法を見出した。食べ終わったらちょっとやってみよう」
ワイバーンカツの美味しさを堪能した後、生活魔法で揚げ物の香りに意識を集中させてウォッシュを試みる。しばらくすると匂いが薄れていった。どうやら成功したらしい。
「香りが消えていきましたね。どうやったんですか」
「ウォッシュの原理をちょっとだけ解明できたんだと思う。これ、自分が汚れだと思ってる指定したものを黒い粒子に変化させるようにできてると思うんだよ。その応用で、空気中の揚げ物の香りに意識を集中させてみたら出来るようになった」
「やりますねえ。ということは汚れやシミなんかも黒い粒子化されてるってことなんですかね」
「多分ね。詳細までは解らないけどそういうことだと思う」
ワイバーンの香りが消えて無臭とまではいかないものの、自分たちの生活臭だけになったエレベーターの中、また読書を始める二人。無言でペラペラとページをめくる音だけが響く。二人しかいないんだから盛大にイチャイチャするのも有りかどうかで言えば有りだが、ダンジョンマスター達にそんなサービスシーンを見せて視聴率を稼ぎたいという気持ちが無いのでそうはなっていない、というところだろう。
一層に戻って退ダン、査定、しばしの時間待ち。そして結果が帰ってきた。今日のお賃金、一人当たり一億千九十七万円。うん、充分だ。後一時間粘ってからでも同じように稼げただろうが今日はそういう日ではない。
着替えてきた芽生さんにレシートを渡し、支払いカウンターで振り込み。これで今日のお仕事完了だ。明日こそは病院に行って予約を取る作業を忘れないようにしないとな。
「さて、お腹も膨れましたし帰りますかね。本日のこの後のご予定は? 」
「病院調べて明日やってるかの確認、やってたら明日予約、それが終わったらまたダンジョンかな」
「また四十二層ですか。良く飽きませんね」
「一日ドウラクの身を何個集めるかどうかで目安を決めてるからな。それに羽根集めもあるし、やることは各階層でそれなりにあるからね」
金額がそれほど高くない割に潰しが利かないのはダーククロウだが、毎日通えばいいだけの話。スノーオウルは一日か一晩で集中して狩れば充分な数を確保することが出来るしこれもドウラクと同じで中々に楽な集め方が出来る。パチンコ玉があるうちは問題なく集め続けることが出来る。あとはまあ、その時々に応じてって所だろうか。
現状の戦力でこれ以上下の階層で戦う理由はそれほどない。しいて言えば鱗粉の需要がありそうかなあ、という程度である。今度気が向いたら五十層あたりも一人でぶらついてみて戦っていけるかどうか確認するのも悪くないな。
帰り道のバスで軽く寝て、駅で芽生さんに起こされて別れて自宅へ。今日もしっかり働いた。明日も働こう……と、その前に病院だったな。
日ごろから食べるものには気を付けてはいるが、少しばかり脂分が多い気がしないでもない。健康診断の前だけ食事を質素にしたりしても食生活の見直しにはならないんだから、ローテーションレシピも見直す必要があるだろうな。ちょっとそこを見直す決心をしよう。たまには茹で肉のサラダで過ごしてみるとか、そういう配慮も大事だ。一品サラダ系でも満足できるものを何か考えてみることにしよう。
今度の休みは茹で肉レシピを考案する。それで行こう。どの肉が湯がいただけでも美味しいと呼べるかどうか、それを見極める日だ。肉祭りでもある。茹でるが駄目なら蒸す。ちょっと細かめに刻んだ肉を並べて蒸し器で蒸してそれにたれをかけて食す。三食それにチャレンジ、ということにしてみるか。先の予定を立てたところで今日はゆっくり休むとするか。
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