855:大学での一幕
side:文月芽生
三月になり期末となってバタバタしている子もちらほら出始めた。期末考査の結果で単位を落としそうになり教授に泣きついて助力を請う生徒もあり、期末のこの忙しい時期に教授も普段からやっておけとあれほど言っただろう、といった感じで学部内もわちゃわちゃし始めた。
私はというと無事に良評価で通り抜けたため、今のところ学業においてはさしあたって問題はない。むしろ追試の内容を教えてほしいとこっちにヘルプを求められることまである。普段ダンジョンに通っているおかげで血の巡りも良いのか、ダンジョンに通っていなかった一年次二年次に比べて、勉強している時間こそ減ったものの成績が若干向上しているのは、ダンジョンでステータスが上昇しているおかげもあるんだろうか。
だとすると、トップパーティーと呼んでいいところまで成長した私はもっと賢い娘であってもおかしくはないんだが、そこまで劇的に賢くなる、という訳では無いらしい。ゲームなら賢さも同じように上がっていって世界有数の頭脳、という感じになる所だろうが、そうならないあたりは限度というものがあるのだろう。
そろそろ公務員試験の時期が近付いてきたため、過去問を解きながらヘルプを求められた学友に内容を教えつつ、自分の勉強もする。
「芽生ちゃん、公務員試験受けるんだね。何処目指してるの? 」
必死に勉強している割には彼女は他の事にすぐ脱線する。多分その集中力の無さが成績に響いているんだろうとは思っている。
「んー、ダンジョン庁かな」
「そういえば芽生ちゃん探索者だもんねー。稼げてる? 奨学金返すためって言ってたけど」
「あー、それはもう返し終わったようなもんだから大丈夫。返済開始になったら一括で返済する予定だから」
「おー、じゃあ結構稼いでるんだ。でも稼いでる割に質素と言うか、あんまり派手にならないね」
「まあねー。……っと、この辺はこんなものかな。後は論文か……記述は面倒なのよね」
基礎能力の部分は問題なし、と。過去問でも八割ぐらいは正解を導き出せているので、この調子でやっていけばもっと煮詰めることが出来るだろう。後は論文試験の記述に求められている解答の傾向を知っておくのが大事か。
「そういえば、メイク変えた? 」
「最近新色出たらしいからそれを買ってみた」
「いいなー、私普段のバイト代だとちょっと足りなくてさー。それでちょっとバイトを増やしたんだけど」
「それで赤点取ってちゃだめでしょ。今はそっちに集中すること」
「はーい……そういえば芽生ちゃん、新しい彼氏できた? 」
「できたよー、もうすぐ一年になるかな」
「やっぱり年上? いくつぐらいなの」
まだ脱線している。しょうがないから少しおしゃべりに付き合うか。キリの良いところで話を終わらせて、それから勉強に集中させよう。そのほうが効率的なはず。
「四十一よ。自称だけど」
「よんじゅ……かっこいいの? 」
「私から見れば充分魅力的。あっちの方も元気だし」
「その人もダンジョンで出会ったの? パーティーメンバーとか? 」
「そうよ。私が今こうやって掛け持ちのバイトなんかせずに落ち着いて学生やってられるのも、こうして公務員試験に向けて大人しく勉強していられるのも、ほとんどその人のおかげ」
ふと思い返してみる。あの時バッグの中身を疑問に思わなかったら。ウザがられるのを仕方なしに興味を先に立たせて問い詰めなかったら。その後の【水魔法】を断固として受け取らずに金に換えていたら。今私はこうやって落ち着いて勉強していられただろうか。銀行口座に山のように積まれている現金にしてもそうだ。私も洋一さんも、ここまで積み上げる事は無かったんじゃないだろうか。
そう考えると、あの時の私の選択は間違いなく褒められるべきではない話ではないんだろう。でも、そうしなければ今ここにこうしていることも無かったんじゃないか。そう考えると、今も洋一さんに食事やら寝床やら色々負担をかけていることも含めて頭が上がらない気持ちでいっぱいになる。
「パパ活って訳じゃないんだね。ちゃんと探索してるって感じがする」
「ちゃんとダンジョン潜ってモンスター倒して、ドロップ品拾って帰ってきてるわよ。おかげで余計なお肉も落ちてダイエットにもなってるし。ダンジョンダイエットってやっぱり効果あるのかな」
「芽生ちゃん、ダンジョンに通い始めてから充実してるよねー。それもその人のおかげなのかなあ」
洋一さんからしても、別に私である必要はなくて、例えば小寺さん達とパーティーを組んでオッサンズ・ファイブとしてダンジョンを駆け巡る事だってできるんだろう。そうなっていたら私は間違いなくもっと必死で勉強して、大学近くのオープンテラスで優雅にカフェオレを飲みながら勉強してる場合では無かっただろうな。
「ねーねー、いくらぐらい稼いだの? 」
「他人の年収を聞くもんじゃありません」
参考書の角を軽く叩き落とす。いてっと叫んだ彼女はふくれっ面で叩く事ないじゃない、と漏らしながらも笑顔を忘れない。下世話な話題も振りまきつつもふんわりしたこの雰囲気を醸し出すのがこの子の魅力というものだろう。これでもうちょっと頭が残念でなければ……いや、多少残念な方が庇護欲が湧くから男好みではあるのかもしれない。
「そういえば探索者サークルの坂野先輩、内田さんに交際申し込んだらしいよ」
「まだ引退してなかったんだ。ということはそのまま探索者になる感じなのかな」
坂野先輩にはいい思い出はあまりない。彼女と一緒にサークル活動の見学に行った時に全身を嘗め回されるような視線をもらったのと、サークル活動の体験のために探索者証を受け取るための講習に参加した時も当然のように隣の席に座り、何かと茶々を入れられたし、それから探索へ初めて向かった時もこっちをずっと見ていたような覚えがある。
多分私ならいける! と算段をされていたような気がする。これだから同年代は嫌なんだ。顔と体で真っ先に寄ってくるのは過去にも居たし、そういう相手ともあえて付き合ってみたこともある。結局は体目当てだったところが大きい。あまり私にとって利益というか得というか、そういうものを与えてくれる人ではなかったな。
その点洋一さんは見た目で判断……いや、実際はかなりのエロスを内包している人だったが、少なくとも第一印象にしても悪い感じでは無かった……そうか? 熊手でグレイウルフと戦っていた姿はとても珍妙では無かっただろうか。もしかしたらそれ以上に助けられたという吊り橋効果に陥っていた可能性もある。でもそのおかげで今があるのだとしたらいい吊り橋だったのかもしれない。
「僕が君の奨学金も返すよ、だから付き合ってくれないか、だってさ。もうちょっとムードのある言い方があると思うんだよね」
「で、内田先輩はそれ受けたの? 」
「まだ保留だって。今後の探索活動の如何によっては受けるとはぼやいてたけど、探索者ってある日突然無くなっても不思議じゃない職業じゃない? ほら、最近もなんかダンジョンが攻略されたって。全部ダンジョン攻略されたら探索者ってもういらない職業になっちゃうよね。そうなったらどうするんだろう? 」
新しくダンジョンが発生する可能性、というのは探索者内で、いやダンジョン庁内でもごく一部でしか知らない内容だ。新しくダンジョンが出来るから大丈夫だよとうっかり漏らすことはできないわね。どうしようかな。
「その時はどうしようかな。私もダンジョン庁クビになっちゃうね。他の省庁に回されたりするのかな」
「先のことは解んないよねー。……よし、ちょっとやる気出てきた。頑張るぞー」
ひとしきり喋って頭がすっきりしたらしく、黙々と追試の内容を復習し始めた。ようやくか。私も自分の勉強に集中する。
どうやら隣のテーブルには探索者サークルのメンバーが集まっているらしい。ほのかに臭う……ということは清州ダンジョンあたりで一泊してきた可能性が高いな。ちょっと聞き耳を立ててみよう。ステータスブーストっと。
ちょっとだけど、地上でもステータスブーストの恩恵は確実に表れているらしく、かなりの雑音が耳に入るが、それらを聞き分けて彼らの会話に集中する。
「もう一年坂野先輩居てくれないかな。もうちょっとでCランクになれそうなんだよね。坂野先輩はもうCランクだけど九層まで連れて行ってもらうにはちょうどいい引率役だし、実力のほうは問題ないし」
「さすがにここまできて卒業するなというのは無理があるだろう。でも、卒業後もちょくちょく顔を出すとは言われてるし、専業探索者になるそうだからこっちに予定を合わせて引率を頼むことはできるんじゃないかな。サークル活動費からもいくらか出す、ということで教官役をお願いするというのも有りじゃないかな」
大学卒業してもまだ来るつもりなのか。そう言う存在が居るというのはちらほら聞いたことがあるが、サークル活動名目としてダンジョンを探索していくというものがある以上、教官役として呼ぶなら文句のつけようがない。でも私はサークルメンバーではないから気にすることじゃないか。よそはよそ、うちはうち。
私自身今更サークルに再度入るという予定はないし、入ったところで追いついてこれるサークルメンバーを確保できるとも思えない。それに私がB+ランクで十層そこらへ潜ったとしてもお金にならない上に探索場所荒らしだと言われるのが関の山だろう。余計なことはしないに限る。私は世間に知られぬB+ランク。そういうことにしておけばよいのだ。
お腹が空いてきた。ついでに昼食もここで取ってしまおうか。軽く摘まめるものを二人分注文すると、受け取って席に戻ってきた。
「ほら、お昼ご飯奢るからもう少し頑張って」
「芽生ちゃんから奢ってもらえるなんて、これは単位落としたら人生が終わる奴だ」
「そう思うなら是非とも努力のほどを見せてほしい所だわね。頑張ってね」
「はーい……美味しい」
頑張ってという言葉は二秒でかき消され、食欲に支配されたらしい。腹が減っては何とやら、ともいうし、お腹が満たされたところでその後も頑張ってくれるならそれでヨシ。私のほうも頑張らないと……さすがに五月のゴールデンウィークからしばらくは試験勉強に向ける時間が長くなるかな。
就活はどうしよう。一般企業に就職するよりもこのまま探索者を続けていくほうが確実に儲かるから私が就活する可能性はゼロに近いと思う。ただ、教授からはそれでいいのかという目で見られるだろうし、その時は黙って探索者証を見せて一日潜っていくら稼ぐことが出来るかを示した上で今後もそっちで食べていく、という姿勢を見せる必要はあるだろうな。
洋一さんも今頃ドウラク相手にめいっぱい走り回っているんだろうか。こうして私が学生生活を続けている間も洋一さんは強くなっていく。私も何かしら同じような形で……あぁ、ダメだわ。荷物がドロップ品で一杯になって動けなくなる未来が見えている。やっぱり洋一さんの【保管庫】はそういう意味でもチートだわ、チート。
そのチートを万全に活かして探索者としてしっかりとした地位とそれに見合うだけの、いや見合う以上の報酬をもらっているわけなのだから、何がきっかけで成功するか世の中わからない、というのはその通りなんだろう。洋一さんだって私にすら【保管庫】を隠し通してソロ探索者として地道に頑張って、今頃になってCランクの試験を受けているような事態になっていたかもしれないのだ。
もし、最初に【保管庫】に気づいたのが私では無くて他の誰か……たとえば結衣さんだったら。単純に私の居場所が結衣さんにすり替わっていただけで終わるかもしれない。その時は私は公務員試験なぞ受けずに、地元の企業で収入の良さそうな所へ企業訪問、就活、OJT、と忙しくしているんじゃないだろうか。
こうやってのんびり同期の勉強の面倒を見る暇も無かったかもしれないと考えると、これもダンジョンのおかげ、と言えなくはない。ミルコ君の頑張りと洋一さんのスキル、そして普段の努力の結果なのだ。私だってちゃんと努力っぽいものはしている。
「芽生ちゃん、お水頂戴」
「はい」
目の前で【水魔法】で水を出す。ちろちろとカップを満たしほどほどのところで水を出すのを止める。
「便利だよねえ、スキルって」
「ダンジョン外で使うと眩暈がするのよね。贅沢な水だから有り難く飲んで、シャキッとして集中して」
「はーい……美味しくないこれ」
「贅沢言わないの」
一応、芽生さんにも大学の友達は居ますよー、ということで。出番は……今後は多分無いかな。
作者からのお願い
皆さんのご意見、ご感想、いいね、評価、ブックマークなどから燃料があふれ出てきます。
続きを頑張って書くためにも皆さん評価よろしくお願いします。