848:緊急案件
五十一層への階段周辺に屯っていたシャドウバタフライをきっちり倒しきって階段を目視確認し、今回は来た道をそのまま引き返す形で戻っていく。ついさっきまで歩いてきた道なのでモンスターは湧いていないが、こちらの視界に映るものが少ないため、行きに比べて少しばかり不安は残る。
ちゃんとさっきの石筍にたどり着けるのかを確認しながら湧きなおしたモンスターに対処していく。もう慣れたとはいえ、シャドウバイパーには一発喰らうまでの猶予があまりない。三発当てれば倒せるとはいえ、近づいてくるまでの時間は割とギリギリの勝負だ。三発撃てなかったらかじり付かれるのは見えている。その前に倒すことに終始出来ているおかげで今のところ無傷で居られる。これがもう一階層二階層深く潜り込んで、三匹以上同時に出てくるケースが発生するのは間違いないのでそれまでに対策を考えないといけないな。
「うーん、三匹出てきた時の対処法が思いつかない。やはり近接で一匹仕留めることを考えないといけないな」
「二発目で足止め、という訳にはいかないみたいですから何かしら二人で一発ずつ当てられる余裕が欲しい所ですね」
「極太雷撃まで使用しないといけないと考えるとやはり少々手ごわいな。【毒耐性】があれば安全かもしれんが、三階層抜けきるためだけに買い求めるのもどうかとも思うし。やはり確実に勝てる火力を持ち込むべきだろう。その為にも近接でどのくらい戦えるかも調査しないといけないな。次回の課題にしておこう。今日は無理せずスキルだけで倒す」
「洋一さんのミルコ君への貸しを使って毒耐性を覚えてもらって私は後ろから応援という事でも良いですし。それに、こいつこそ毒耐性を持っているかもしれませんから落とすまで粘ってから先へ進むという手もありますよ」
なるほど、入手手段はともかく方法はいくつかあるということだな。一つに決めつける必要はないから手持ちの選択肢はいくつも用意しておくことにしよう。
歩きながらモンスター退治を続けて気が付いた。これ、【隠蔽】が無かったら索敵の範囲外からもっと多い数のモンスターに探知されてる可能性があるんだな。今更だがベターなタイミングで出てくれたものだなとサイコロを振ってるほうの神様に感謝しておこう。
無事に石筍までたどりつけたので、行きも帰りも五十一層へは気軽に行けるようになったことが判明した。後は五十層の地図を作るかどうかだが、それは高橋さん達に任せることにしよう。
往復合計数十回のモンスターとの戦闘をこなし終わって、全身甘い鱗粉でべとべとになりながらも四十九層への階段に戻ってきた。時刻は午後三時五十分。理想的な活動が出来たと思う。
「丁度時間だし帰ろう。キリが良いのが健康的な探索だ」
「一応匂いを持ち込まないためにここで体を洗濯しておきましょう」
階段を上がる前にウォッシュで服も体も綺麗にしておく。ウォッシュしても多少の甘い匂いが残ってしまうが、服と体の隙間に入り込んだ鱗粉、という事にしておこう。
「しかし、今日の収入はほとんど期待できそうにないですね」
「モンスターもそう多くなかったしな。稼ぎたいときは四十八層でいろいろやる、ということで」
「せっかくダンジョンに来たのにしっかり稼げないのは不満ですね。ダンジョン庁には早いとこ査定物品の鑑定を終わらせてもらわないといけません」
ふくれっ面の芽生さんをなだめつつ、エレベーター方面に歩いていくと、高橋さん達のキャンプに人の気配がする。今は在宅なのかな。
「こんばんわ。五十一層までの階段見つけてきましたよ……って、散々なことになってますね」
高橋さん達は全身テカテカのカピカピになっていた。どうやら鱗粉と真正面から戦っていたらしい。
「どうもです。この鱗粉何とかならないんですかねえ」
「ちょっと全員並んで……ウォッシュ」
メンバー全員にウォッシュを二回ずつ、そしてさっきまで屯っていた生活スペースにもウォッシュをかけて、シャドウバタフライの鱗粉を洗浄する。
「助かりました。生活魔法の便利さをここで知れるとは思いませんでしたよ。なんとか都合をつけたいところですね……やはり必須項目として上申しておきましょうかね」
最精鋭のパーティーが真剣に悩んでいるあたり、俺の想像以上にシャドウバタフライの鱗粉効果は絶大なのだろう。こういう環境的な要因で探索が難航するのはさすがに想定外だったに違いない。
「ミルコに頼んでみたらいいんじゃないですか? 」
机と椅子を用意して、ミルコ用のお菓子を並べてパンパン。
「ちょっと来てくれないか」
ついでにミルコを呼び出す。当たり前のように現れるミルコ。
「なんだい安村、新階層に用事かい? 」
「高橋さん達の四十二層のボーナスってどうなってるの? 」
本人たちそっちのけで聞きだしてみる。
「うーん、一応個人情報だから僕の口から言ってしまってもいいのかは戸惑う所だけど、本人たちの希望をまず聞いてからのほうが良いかな」
「だ、そうだけど、俺が聞いていい話? 」
高橋さん達に確認を取る。
「まあ、そのぐらいなら問題ないというか、自分から言ってしまいますが、まだ保留の段階ですね。上司へはダンジョンマスターからご褒美がもらえたから何を申告するのか、他の部隊との差が付くような内容になってもいいのか、それとも個々人で好きなものを選んでいいのか等いろいろ意見具申はしてあるんですが、まだ返答のほうが無い状態です。おかげでその貸しというか突破ボーナスが宙に浮いてる状態でして」
なるほど、軍人だもんな。職務中に提供されたものをそのまま受け取っても良いものかどうかは当然聞かなきゃいけないよな。
「軍隊ってのは何処の世界も面倒だよね。一々上司へのお伺いとか市民の声とかそういうものに影響されなきゃいけないなんて」
「同感だ、と素直に頷きそうにはなるが、まだ探索者ってものが一般的じゃないからな。D部隊の一部だけがダンジョンから利益供与を受けているとでも突っ込まれたら返答に困る所だが、さて」
高橋さん達に向き直る。
「どうです、この際探索に必要そうなスキルをそれぞれでもらってみるってことで。上へは必要に迫られたので仕方なく頼った、あたりで言い訳をつけておけば良いんじゃないですかね」
「それはそうなんですが……そうですね、確かにさっきの姿のまま地上に出るのもためらわれますし、ここは緊急性が高かったということでお願いしますかね……さて、一つは決まってるとして残りはどうする」
高橋さん達はそれぞれ欲しいものを相談し合い、生活魔法、毒耐性二つ、そして物理耐性を選択した。誰がどれを覚えるかまでは解らないが、毒耐性と生活魔法はベストチョイスだと思う。
「これで貸し借り無しってことで。後は安村への借りが一つ残ってるけどこれはこの前言ってた状況になるまで保留って事で良いのかな? 」
「そういう事で頼む。近々とまでは言わないが、そう遠くない未来に達成されそうだからな。そうなったら貢物も増えるかもしれないぞ」
「お、それは楽しみだね。わかったよ、しばらく待つことにするよ。じゃあね」
ミルコは帰って行った。
「じゃ、我々も地上に戻ります。ちなみに階段の位置ですが、南南東に十五分ほど歩くと石筍がみえるので、そこからは天井の大きいつららの影を目印にしていくと比較的わかりやすいかと思います」
「情報提供ありがとうございます。今回の事も含めて、お礼はいずれ精神的に何か返します」
「では精神的に期待してます。しばらくは二人で潜る際はここで、俺個人に用事の時は四十二層のノートに何か書いておいてくれると助かります」
「解りました。休憩が終わったら早速スキルの試運転もかねて行ってきます。では」
高橋さん達が敬礼をしてきたので答礼で返す。そのままリヤカーを引いてエレベーターに乗り、一層へのボタンを押す。
「エレベーターの中がまだ甘い香りしますね。ウォッシュも使い続けると精度が上がるんでしょうか? 」
「これからは風呂に入った後にウォッシュ、朝起きたらウォッシュと回数をこなして頑張ってみるよ。もしかしたら成長するかもしれないからな」
今日の出来高を確認するが……うん、やはりドロップ品が何一つ確認できないことを含めて、魔結晶しか収入にならない。これで魔結晶の色が変わっていたら今日の収入はシャドウスライムのくれたキュアポーションだけになるところだった。それにくわえて魔結晶はくれたことに感謝だな。
一層に戻り出入口から退ダン手続き。受付に行くと少し不思議な顔をされる。
「……なんか甘い匂いしません? 」
受付嬢に指摘される。やはり気になるらしい。
「そういうモンスターが居たんですよ。これでも綺麗にしてきたほうで」
「じゃあ、これからは甘い匂いがしたら深いところまで潜ってきたと考えていいんですか? 」
「匂いのほうは努力しますよ。とりあえず今のところはこんな感じで」
すれ違う探索者からも匂いに気づかれてか、こちらを振り返るような人がちらほら。なんでこんなに甘い匂いの香水つけてるんだろう? と疑問を持たれているのかもしれない。これはちょっとカイゼンが必要な部分だな。そして査定カウンターに到着すると開口一番。
「甘い匂いがしますねー。お菓子でも食べましたかー? 」
「こういう匂いをつけてくるモンスターが居るって事で納得しておいてください」
「そうですかー。にしてもお腹空く匂いですねー」
色々言われながらも魔結晶とキュアポーションをいくつか査定に出す。一部は毒喰らった時用の予備として保管しておくことにした。
ほぼ待ち時間なしで今日の査定金額、千三百六十六万二千円。ほぼ魔結晶という割には稼げた。これであの謎ポーションが査定開始になれば、まとめて納品する事で過去一の収入を期待できることになるだろうとは思うが。
レシートを芽生さんに渡すとちょっと不満顔。俺も同じ感想だよ。
「あれだけ鱗粉まみれにされてこの収入ですか。やっぱり魔結晶だけだといまいちですね」
「そうだなあ。今のところ収入面ではやはり四十八層が一番儲かるな。あとはドロップ品にどれだけの値段が付くかだな。それに期待するところ大だな」
「牙、そんなにいいお値段になりますかね。ジャイアントアントの牙の値段を考えるとそう高くないもののようにも見えますが」
「そうだなあ……とりあえずギルマスのところへ行くか。ドロップ品のサンプル提出と、五十層以降に潜り始めたという報告と、それからまあ色々御用伺いも込みで色々しないと」
何はなくともまずはドロップ品の鑑定をしてもらうことが大事だ。ただ保管庫に溜めこんでいるだけでは、他の探索者が同じ階層に潜れるようになるまで廃材置き場と化してしまう。ちゃんと納品する物は納品して、効能や効果を確かめてもらって、それから値段が決まる。そのサイクルをちゃんと確立する必要があるからな。
「そうですね、暇ですしついていきます。でも甘い匂いは早く落としたいところですが、これちゃんと洗って落ちるんですかねえ」
「着替えてからおいで。またウォッシュかけるから」
「そうします。先に行っててください」
芽生さんは先に着替えて、着替えた後のスーツを再度ウォッシュすることにした。俺も家に帰ったら早速ウォッシュで綺麗にして、匂いのほどを確認しないといけないんだが、鼻の間にまだいくらか鱗粉が付着しているらしく、鼻の喉側の穴から甘い香りが逆流してくるので鼻うがいが必要かもしれないな。鼻うがいセット、念のため保管庫に入れておこうかな。
「ギルマスまだいますよね? 」
「いますね。なんか今日は部屋に籠って一日じっとしてます。何か忙しい出来事でもできたんじゃないですかね。いつものお仕事は終わってるはずですから、もう帰り支度を始めてても良い時間だとは思うんですけど」
支払いカウンターで聞いてみると、何やら忙しいご様子。月一の報告会の準備だろうか。まあ勝手知ったるなんとやらだ。いつも通りノックしてはいると、ギルマスは机に文字通りかじりつくようにパソコンの画面を見ている。
「失礼します……と、お忙しそうですね。新しい層に潜り始めたのでその報告に来たんですが」
「あぁ安村さん、大変だよ、大賑わいだよ、今日の昼からこっちはお祭り騒ぎだよ」
「落ち着いて落ち着いて。何があったんです? 」
「熊本第二ダンジョンが踏破されて、今絶賛崩壊中なんだ。外からの映像を回してもらって今ギルドマスター以上のメンバーが集まって様子を見てる最中なのさ」
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