654:鬼ころしでお買い物
寝起きは気持ちよく。それがここのところの大事な朝の儀式だ。今日は起きる時間を決めていなかったので自然に目が覚めるまでゆっくりと睡眠をとった。おかげで今朝の寝起きの良さはここ最近で最も良いと言えるだろう。
朝食を食べて昨日仕込んだトレントの実を取り出してドライフルーツとして保管庫に入れなおす。少し時間を空けると、芽生さんに連絡。何時に向かうかを調整して車で迎えに行く。あっちの最寄り駅まで来てもらった。駅前でボーっとしている芽生さんを見かけたのでクラクションでここにいるよと呼ぶ。
特に荷物も持たず、普段通りの服で駆け寄ってくる。助手席に乗り込むと開口一番。
「安全運転でお願いします」
やはりあっちへ行くときの交通事情は気になるらしい。だがこちらもそれを把握している。
「もちろん。隣には……二億五千万の価値ある品物が乗り込んでるんだからな」
「運転手はそれ以上ですけどね」
ごもっともである。安全運転で出発し、一時間半ぐらいかけて焦らずゆっくりと鬼ころしに向かう。途中には山も谷も無いが、どこから人や車が飛び出してくるか解らないし、隣の車も信用し合って運転している訳ではない。自分の運転技術を信じるしかないのである。
まあ、かといってそうそう簡単に事故現場に出くわすこともなく無事に到着したわけだが。久しぶりに来た鬼ころしは前に来た通りの外観で、変化は特に見受けられなかった。時間が中途半端だからか、客入りはそれほど多くないようだ。考えれば今は一番潜っている人が多い時間帯でもあるのか。好都合だな、今なら店員を拘束していてもあまり文句を言われそうにない。
「さて、まずは防具から行くぞ。メイン目的を済ませてからサブ目的だ」
「そういいつつ手に持ってるそれは何ですか? 」
芽生さんが俺の口と行動が一致していない事を早速指摘する。俺が手にしたのは剣の柄部分だけのものだ。日本刀の刃を外した物に近い。手にも馴染むししっくりくる。こういうのがちょうど欲しかったんだ。
「これは、他の人にとられないようにあらかじめ占有しておくやつだ。昨日のパワーアップのおかげで面白い事を思いついたので、後でちょっと試させてもらう」
「まぁいいです、何となく予想がつきましたので細かい事を言うのは今は止めておきます」
防具コーナーに行くと、ツナギ、ツナギ、ツナギ。ほとんどツナギである。ツナギフェスでもやってるのかな。前みたいに皮鎧だったりチェインメイルだったりいろいろ飾ってあったものは隅っこのほうに寄せられてしまっている。ちょうど暇そうに椅子に腰かけて一服している店員を見かけたので声をかけておく。
「なんかツナギの売り出しが大きく出てますが、何かあったんですか? 」
「あぁ、これね。地元の縫製企業さんがダンジョン素材のツナギを作り始めたんで、試しに当店で色々買い取って販売してるって寸法です」
「ということはバトルゴートの毛って奴ですか」
「確かそれです。で、それとは別に伸縮にかなり余裕のある素材が出回ってるらしくて。それについては教えてもらってないんですが、刃を通さずに伸びる素材って事で中々人気なんですよ。お値段はその分ちょっと高くつきますが、インナースーツと組み合わせて着ていただいたらちょっとやそっとの引っ掻きや噛みつきではびくともしませんよ」
毛以外に……ということはダンジョンスパイダーの糸も組み合わせられているんだろう。しかし、各色取り揃えたって感じがする。天井から床に至るまで全部ツナギだ。お値段二十五万円。かなりお高いのはまだまだ素材が足りていないという証拠だろう。しかし、こんなにたくさん仕入れて大丈夫なのかね。売れているんだろうか。
試しに体にあうサイズの物を見繕い、着てみる。体の動きを阻害するような部分はない。むしろ今使っているツナギよりも伸び縮みが利くので動きやすいと感じる。これは……ありかもしれん。
「どうですかー、着心地のほうは」
試着室のカーテンの向こうから芽生さんが感想を聞いてくる。
「正直、かなりいい。こいつで間に合わせてしまってもいいぐらいだと思う」
「そこまでですか……ちょっと私も試してみましょう」
入れ替わりで芽生さんがサイズのあったらしいツナギの中で自分の好きな色を選んで試着に入る。しばらくゴソゴソとしていると、軽く飛び跳ねる音、そしてまたゴソゴソという音が聞こえる。しばらくすると芽生さんが首だけ出してきた。
「これ着心地良いですね。お値段なりに肌触りとかもこだわって作ってある気がします」
「とりあえず一着これを買っておくかな。ただ、実際の耐久力のほうが解らないんだけど」
「多分大丈夫だと思いますよ? 今ステータスブーストで軽く引っ張ってみましたけど破れる様子ないので頑丈にできていると思います」
着替えた後ゴソゴソしてると思ったら耐久試験だったか。芽生さんが言うんだから耐久には問題なさそうだ。保管庫に入っている予備のツナギは本当に予備にしておこう。
「さて、スーツだが……ここに広告が出ている。これは探索・オブ・ザ・イヤーにも載ってたやつだ。話を聞いてみてもいいかもしれない」
「広告を見るだけより店員に話を聞いた方が都合がいいって事ですか。で、とりあえずこれ購入と」
芽生さんもツナギを一つ仕入れておくのはありらしい。結構な出費だが、俺自身も一日どころか一時間で帰ってくる金額だと考えるとそう高い買い物ではないな、と考え始めた。どうやらようやく金銭価値が自分の実態に追いついてきたらしい。
「すいません、このスーツの広告なんですが」
「あーそれですね。ツナギのメーカーさんとはまた別のメーカーさんなんですが、いつでもどこでも着まわせるオールマイティスーツとしてダンジョン素材と職人の技術力を生かしたオーダーメイドのスーツというのが売りですね。パターンオーダーからフルオーダーまで対応してくれるそうですよ」
なるほど……よく解らんが手作業で気合が入ってることは伝わった。とりあえず、スーツが出来るまでのツナギのツナギは決めた。この後時間が取れるならそのままスーツの店に行きたいところだが……?
「良ければ直接お問い合わせになってみたらいいと思いますよ。なんなら鬼ころしで広告を見たんですけど、と言ってくれればある程度向こうも理解してくれると思います」
「なるほど、ただ広告が置いてあるわけではなく、こっち用途で……というのも向こうさんで把握してるって事ですか」
「そういうことになります。ですのでお気軽にどうぞ」
鬼ころしで見た! と宣言すれば多少の値引きもかかるかもしれないな。買い物が終わったら早速連絡を入れてみよう。
「そういえばその柄、どうするんですか? 」
「あぁ、そうだった。ちょっと地下室借りてみたいんですけどいいですか。こいつでちょっと試してみたい事が有りまして」
「いいですけど、それ柄だけですよ? 何されるんです? 」
「何って……試し斬りかな? ちょっと柄から刃が生えないかと思いまして。試すには店内や店外ではちょっと物騒なので地下室で試してみようと思いまして」
「……大きい声では言えませんが暇つぶしになりそうなのでいいですよ。こちらへどうぞ」
柄を持ったまま地下室へ。ここの地下室には試し切り用のエリアがあるから、そこを少し貸してもらう事になった。前に借りた通り、真ん中には藁束をぶっ刺した細い丸太が立てられている。
「で、柄で刃を作るってのはどうやるんです? 」
「イメージで……こう! 」
【雷魔法】で雷切の刃の長さを伸ばすイメージで柄の根元から完全に一本の雷の刃を作り出す。長さは……そんなに長くなくていいな。柄本から雷切が徐々に伸びていく。ある一定の長さになったところで、徐々に威力を上げていた雷魔法の出力を一定に抑える。
試しに二、三度振ってみるが、流石にフォンとかブゥンとか効果音は付いてこなかった。だが、ちゃんとこちらの手元の動きに合わせて雷の刃が確かに形作られている。
「おー……」
「おー……これは凄いですね」
芽生さんと店員が二人声にならない声援を送ってくる。試しに出力を切って、刃を消す。その後、素早くさっきの威力まで【雷魔法】を出して刀身を作る。二秒ほどで刀身が出来上がる。この速さならまだ実用には遠いが、威力さえ覚えておけば後はとっさでなんとかなるな。
藁束に向かってえい、と振り下ろす。切り取られた藁束は切り口が焦げながらもちゃんと切れてくれた。切り口が燃え上がる……という可能性もあったが、それはかろうじて避けられたらしい。再び刃を無くし、今度はもっと素早く作るイメージで刃を形成する。今度は一秒で出来た。慣れれば一秒かからず作れるようになるだろう。これはちょっと気に入った。
「じゃあこの持ち手だけ買います」
「面白いものを見せていただきましたよ。幾人かスキルを使って地下室で試し斬りをしようとする人は見たことはありますが、これは見た事ないパターンでした。それに凄いスキルの扱い具合ですね。ここまで綺麗に、そして大きな規模でスキルを発現できる人は初めてかもしれません」
「店としては刃のほうも売りたいところだったかもしれませんが、刃のほうはこちらに在庫がありまして」
「そこは少し残念な所、ということにしておきましょう」
持ち手の代金二万円。ちょうど手に馴染むし、ダンジョンウィーゼルなんかを葬るには下手に刃があるよりも完全にスキルでぶった切るほうが早いかもしれないと判断したため購入。ちょっと買い物が楽しくなってきた。
「後は買うものは何かありますか? 私は無いです」
「後はドローンかな。これは家の近くのホームセンターに同じ型の製品があったはずだからそれを買おう。時間が時間だし、お昼ついでに例の店に電話をしてみてまずは相談しに行くか」
「服に百万以上かけるなんてこの人生では存在しない話だと思ってましたが、なるようになるものですねえ」
「金に追われなくなると人間はこんなにも気分が楽になるものだ、というのをひしひし感じているところか」
「そんなところです。とりあえず会計済ませちゃいましょ。多分服だと二年がかりで減価償却する事になるとは思いますが、これもちゃんと経費で落ちるはずですからレシートはとっといてくださいね」
そういえば、おそろのツナギか。そのことに芽生さんが気づくかどうかはおいといて、品質に問題は無いようだし、スーツが出来上がるまでの話だ。しばらくはこのツナギが命を預ける相棒になるんだ、よろしくな。
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